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2017年8月31日 (木)

「題名のない音楽会」 吹奏楽部が名曲演奏

 8月27日(日)のテレビ、「題名のない音楽会」は、山下達郎音楽会 吹奏楽部が名曲演奏 でした。 9月3日(日)夜11時から11時半、BS朝日で再放送されるとのことです。もし、興味をお持ちになりましたらご覧ください。

 三つの高校の吹奏楽部が山下達郎さんの曲を演奏したのですが、それぞれの楽器を演奏しながら、応援団のように見事なウエーブを楽器ごと描いたり・・・見ていて、聞いていて 理由もなく、涙が出てきました。 いえ、曲はとても明るく、笑顔でのパフォーマンスが展開しているのですけれど、泣けるのです。

 そんなことがあるのか、とお思いの方は、なんとかして、ご覧くださいね。演奏しながら、楽器とともにリズミカルに笑顔で身体を動かすことは、とても難しいと思います。 上手でなかったトランペッターの私には、直立不動の姿勢であってもミスをしないで演奏することはかなわない曲をニコニコと何十人もの楽団員が動きを工夫して息の合った動きをしながら観客を沸かせるなんて ・・・すごいことだと、感動したのですね。

 音楽が基底にあるのですけれど、テレビから伝わったので、分類をテレビにしました。 一人で感動していて、すみません。

 8月が9月へバトンタッチ ・・・ よき稔りの秋をお迎えくださいますように。

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2017年8月30日 (水)

『牧師夫人 新島八重』

0005_2『牧師夫人 新島八重』

雑賀信行(さいか のぶゆき) 著

雑賀編集工房

2012年12月1日 第1版第1刷発行

 2013年のNHK大河ドラマは「八重の桜」・・・八重を演じたのは綾瀬はるかさんでしたね。

 同志社を創立した新島襄さんは、苦労して渡ったアメリカでキリスト教の信仰に導かれ、アメリカの教会から日本への宣教に派遣されて帰国し、日本で初めての牧師となった人です。(いろいろな日本初ということがあるかもしれません)

 その新島襄さんと結婚したので、日本で初めての牧師夫人ということに新島八重さんはなるわけです。

 この本に、八重さんとの婚約一か月後に新島襄さんがお世話になったアメリカの方への手紙の一節が掲載されています。

 「私が八重さんについて知っているのは美しい行いをする人だということです。私にはそれで十分です」

 八重さんの兄、山本覚馬さんが買い取っていた旧薩摩藩邸の土地が同志社大学の敷地になったことや、日本におけるプロテスタントのキリスト教会の歩みのエピソード、大河ドラマにも登場していた熊本バンドのこと、徳富蘇峰、徳冨蘆花のことなど、私にはよき学び、温故知新の書となりました。

 貴重な本をお貸しくださった方にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2017年8月29日 (火)

ある工事現場で

0005 ある工事現場に、すてきな標語が掲げられているのを見ました。

 おりしも、大きなクレーンが作動中でそのことばを一枚に収めることができませんでした。

  お手数をおかけいたしますが、左の二枚を合わせて、その標語を完成してください。

 

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 ありがとうございます。 そうです。

「子どもたちに 誇れるしごとを」

  NHK大河ドラマの、みね子さんのお父さん・・・前回の東京オリンピックの準備に沸き返る東京に出稼ぎに出て、駆け足で手押し車を押す場面がありましたね。

 そんなシーンを思い出しました。

 子どもたちに誇れる仕事をしながら、一緒に過ごす時間も確保できる・・・そういう豊かさのある国でありますように。

 不倫問題で、テレビに顔を出す議員さん、 特にこのことば、大切に胸に刻んでくださいね。 過ちを犯したことのない人はいないと思います。このことを通して学ばれたことを生かし、本来、あなたの備えておられる力・美質を、たくさんの方の信頼と期待に応えて発揮してくださいますように。

一日、一日積み重ねてまいりましょう。「子どもたちに 誇れる仕事を」 。

 私も、ささやかな一日一日のわざをがんばりつつ歩みます。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月28日 (月)

稗田阿礼の生誕地

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  郡上八幡とふるさと高山を結ぶせせらぎ街道 ・・・ 道の駅「パスカル清見」でみたらし団子を味わって、高山市に向かう途中で、こんな看板を見かけました。

 楢谷(ならだに)と標識のあるところです。 看板をもう少し大きくしてみますね。

0005_3  古事記の語部 稗田阿礼 生誕の地とあります。

  古事記の成立は712年、太安万侶(おおの やすまろ)の筆になると聞いています。その太安万侶さんに記憶をたよりに稗田阿礼(ひえだのあれ)さんが延々と語ったのが、古事記のもとなのだと、小学校(高山市立東小学校)の先生から教えていただいたのを思い出しました。 看板には「ヒダノアレイ」とありますが、昔のかたですから読み方は複数あるかもしれません。

  役場に戸籍が残っているのかもしれませんが(?)、詳しいことは分かりません。 「ここも天孫降臨の道」とあるのも判然としません。

 というわけで、よく分からないのですけれど、ご紹介だけ、させていただきますね。

  個人のブログの何と気楽なことでしょう (^J^) すみません。

 今日も、よい日となりますように。



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2017年8月27日 (日)

庭の花  花ショウガ ペンタス 百合

0001  花ショウガが咲きました。実はならないようですけれど、よい香りがいたします。   聖書に、「キリストの香り」という言葉があります。

 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
  【第Ⅱコリント 2章15節】

 ほど遠い存在ですが、そうありたいと願っています。

0004 空に星、地に花、人に愛

  この花は、「ペンタス」、五角形の星の形が魅力ですね。宇宙の星は球形が基本でしょうから、いわゆる星形  は、デザインとして生まれたのでしょうか。

  突然ですが、そんなことを思いました。

0006_2  さて、百合です。今日は日曜日ですから、聖書の中でも特によく知られている「山上の垂訓」の一部、マタイによる福音書6章から、文語で掲載させていただきます。

  そうそう、下記のURLをクリックしていただくと、文語の聖書を参照できるホームページへ行くことができると思います。

  http://jcl.ibibles.net/

  なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
  されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及かざりき。
  今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく裝ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。
  さらば何を食ひ、何を飮み、何を着んとて思ひ煩ふな。
  是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は、凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。
  まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。
 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。

    ◇    □    ○   ※   ☆

   今日も、よい日となりますように。

   日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ。

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2017年8月26日 (土)

ふるさと 高山

0001 私のふるさと、飛騨高山は、小京都と呼ばれることがあります。盆地であることだけでなく、京都びいきの殿様(金森氏)が、市内を流れる宮川を京都の賀茂川に見立てて町作りをしたことも、高山が小京都と呼ばれる由縁のようです。

  写真は、赤く塗られた中橋から城山を臨んだところです。私の小学生の頃は、柳のあるあたりは深く、勇気のある子は、柳から川に飛び込んでいたような記憶があります。清流で、鯉が泳いでいます。

 この中橋の近くに、朝市が開かれる陣屋(代官所)の広場があり、にぎわっています。 高原野菜、果実は味わい深く、美味です。 飛騨桃・トマト・つきたてのお餅などなど ・・・ 海外からのお客様の姿もたくさん見られます。

0007 人力車とうどん屋さん ・・・ 高山ラーメンも人気です。ほう葉味噌定食がメニューにある食堂もあります。

 そうそう、幼い私がピアノ教室に通う原動力の一つ(?!)でありました醤油味のみたらし団子、そして最近は飛騨牛の串焼きなども登場して人気です。

  古い町並みの一つ、三之町(さんのまち)にこういう建物があります。

  今は土産物屋さんですが、この屋根構え、そう、十字架を付けたら教会風だと思われませんか。 なんという素晴らしいセンスをお持ちなのでしょう。あなたは。  この建物、以前は、小学時代の私が住んでいた「高山キリスト教会」だったのです。

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 広島県生まれの母(96歳とほぼ一か月)は、やはり広島の呉市出身である牧師の父と結婚して、京都、名古屋、飛騨古川の教会を経て高山市に住むようになりました。

  今週、見舞いで高山を訪れた私たち夫婦を、母はとても素晴らしい笑顔で迎えてくれました。転倒して骨折した左膝のリハビリを老健の施設でしています。若いときに何時間も広島の海を泳ぎ続けることのできた足は、さすがに細くなっていますが、日常生活のための動きは、ほぼできるようになりました。世話をしてくれている妹の一人が手術で入院していたのですが、こちらも退院して、順調に活動しています。 お祈りくださっている方々に感謝申し上げます。

  今日も、よい日となりますように。

    明日は、日曜日。キリスト教会では神様に礼拝をお献げいたします。よろしければ、どうぞ。

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2017年8月25日 (金)

原田マハさんの三冊 その3

『楽園のカンヴァス』A

原田マハ 著

新潮文庫 平成26年7月1日 発行

 今回の三冊の中で、どうも一番の有
名作のようで、本の帯も力が入っています。B_2

 お読みになった方も多いのかもしれません。

 第一章は

 パンドラの箱 2000年 倉敷

となっています。 よろしければ、どうぞ。

  [追記]

 ミステリーなので、あまり内容について書かないほうがよいと思いましたが、それにしても愛想がなさ過ぎると、アップしたのを読んで反省しましたので、もう少し書かせていただきます。

 よく練られた構成で、面白く読ませていただきました。登場する画家は、アンリ・ルソー、そしてピカソ ・・・ そして作者の原田マハさんの美術への情熱、人としての高潔さを感じさせていただいた作品でした。そうそう、最初の章は倉敷の大原美術館が舞台となっています。定年退職直前の職員旅行で訪れたことがあり、懐かしく思いました。

  今日も、よい日となりますように。

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2017年8月24日 (木)

原田マハさんの三冊 その2

0001『まぐだら屋のマリア』

原田マハ 著

幻冬校舎文庫

平成26年2月10日初版発行

 この物語の登場人物・・・聖書や音楽に出てくる人物の名前に漢字があてられています。全員ではありませんけれど。

 及川紫紋(しもん)・有馬りあ(マリア)・桐江(きりえ)・丸弧(まるこ)・与羽(よはね)・杏奈(あんな) などなど。

 海岸沿いの道をバスが走り、尽果(つきはて)という停留所で降りた紫紋は、崖っぷちぎりぎりに立つ小屋に向かって歩いて行きます。

 ほとんど、無一文。日本有数の老舗料亭で五年間、いつの日か、この料亭の料理を母親に食べさせられるようになる日を目指して働いていた紫紋は、状況が激変して、今は生きる張り合いも失っていたのです。ようようたどり着いたその小屋で、さて・・・。

 本の帯にはこう書かれています。「あなたの帰りを待っている人がいる」

 よろしければ、どうぞ。

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2017年8月23日 (水)

原田マハさんの三冊 その1

 食べ物もそうですが、本も、気をつけていないといつの間にか、特定の分野や作家だけに読む本が限定されてくることになりがちです。

 そういう私が、そうなのです。それはそれで悪いことではないとは思うのですが、せっかく、いろいろな分野でいろいろな著者の本が出版されるのですから幅のある読書ができれば、それに越したことはないと思います。

 帰省した長男が原田マハさんの本を三冊、文庫本で置いていってくれました。

 単行本としての出版順序とは異なるのかと思いますが、文庫本としての出版順に読み始めました。

0006 『旅屋おかえり』

原田マハ

集英社

2014年9月25日 第1刷

 主人公は、丘えりか・・・すばやいあなたは、書名と、主人公の名前の共通点に気がつかれたのではないでしょうか。

 売れない崖っぷちアラサータレントの主人公は、一本だけのテレビ旅番組で、大切なスポンサーの名前を間違えて(それも、よりによって・・・いえ、ここまでにしておきますね)、収入の道が閉ざされようとします。

  そこに、まるで奇跡のように、代行で、旅に行って欲しいという話が湧き上がります。
0007 物語のような展開 ・・・ ああ、物語でしたね・・・興味をもたれたかたは、どうぞ。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月22日 (火)

岐阜新聞掲載 岐阜キッズ新聞 俳句わくわく! から

 岐阜新聞に火曜日ごとに掲載される「ぎふキッズ新聞」というページがあります。毎週ではありませんが、そのページに俳句わくわく!というコーナーがあり、8月15日(火)に次の記事が掲載されていました。すてきな句だと思いましたので、紙面を引用・紹介させていただきます。岐阜新聞社様、ありがとうございます。

2017815
 クリックしていただくと、画像が少し大きくなると思います。

 逆流に足踏み入れて沢登り

    齋藤野の花(さいとう ののか) さん 中学3年生

  [ムーミンパパの思い]

  この句を見たとき、おっ、と思いました。流れに乗って一気に下るという場面も人生には多くあると思います。ところが、この句では、逆流に足を踏み入れ、しかも登っていくのです。宿泊研修とありますから、学校行事にこうした場面を意図的に組み込んであるのでしょう。

  安全を確かめた上で、川上に向かって沢を登っていく活動を先生方が組み入れ、生徒たちも、その信頼に応えて、逆流に足を踏み入れ、登っていったのでしょう。

 そんなことが浮かんできて、この句が心に響いたのです。

 作者が感動を凝縮して詠み込んだ俳句が、その内在しているエネルギーを読み手の心に届けて、豊かなイメージを展開する  ・・・ そんな魅力を改めて感じました。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月21日 (月)

ラジオ放送 「僕の時間 私の時間」 

 ラジオAM放送 ぎふチャン ・・・月曜日から金曜日まで、夕方の5時35分頃、岐阜県の小学生たちが自分の作文を音読する「僕の時間 私の時間」という長寿番組があります。  インターネットで各地のラジオ放送を聞くことができますので、関心のある方は、どうぞ。 子どもたちの元気な声と前向きの内容に 心の食べ物の宅配便を届けられている思いがいたします。

 【例】

・「わたしは、将来英語の先生になりたいです。・・・・・わたしが一生懸命英語を教えて、その授業を受けた生徒が英語の先生になってくれたら、とっても嬉しいです」

・「ぼくは、うどん屋さんになりたいです。わけは、担任の先生がうどんが大好きだからです。おいしいうどんが作れるようになって、先生に喜んで食べていただきたいです」

・「お母さんの役に立ちたいと、ご飯作りなど教えてもらいながら覚えています。幼い妹の世話が一番たいへんです。でも、可愛いから、がんばります。」

・「父さんは、手加減せずに、とても強いボールを投げてきます。・・・いつかは、父さんが降参するようなボールを投げられるようになってみせます。」

 などなど。

   ◇    □    ○    ※    ☆

 世界の国の中で、一番澄んだ心で、誇り高く、たくましく育つ子どもたちを育て続ける国、そういう祖国であり続けて欲しいと、このラジオ放送を聞きながら願っています。 すてきな放送をありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2017年8月20日 (日)

『ゼロから始める人の 俳句の学校』

0001  昨日は、語呂合わせもあって、819・・・俳句の日でした。ほかにも由来があるのかもしれませんね。

 こんな本を読んでみました。

『ゼロから始める人の 俳句の学校』

執筆者 清水 潔  フリーライター

講師 金子兜太 俳人

    石 寒太  俳人

実業之日本社

2001年9月26日 初版第1刷発行

 書名に、「ゼロから始める人の」、とありますがゼロどころかマイナスから始めるような感のあるムーミンパパは、まず、前書きにひかれました。

 はじめに 十万時間の自由時間

とあるのです。

 ◇   □  ○ ※  ☆

 はじめに 十万時間の自由時間

 日本人のサラリーマンが、定年まで40年間働くと、残業時間を含めておよそ十万時間になります。(通勤時間などは含まない)

 ・・・ 80歳を超える平均寿命を考えると、定年後、睡眠や食事、入浴などを除いた残りすべての時間が、これまた、およそ十万時間なのです。

  ◇   □  ○ ※  ☆

 親や、身内の介護、自身が病気になった場合などで自由時間に違いは出てくるでしょうが、とにかく自由時間をどのように自分らしく過ごすのか、それを充実するための一つとして、俳句もいかがですか、なかなかいいものですよ、というのが、この本のスタンスです。

□ 孤独を自覚するところから表現は始まる

□ 自己主張できる人がいいものを創る

□ 詩は、一番よい言葉の一番よい組み合わせ

 など、心に響くことばが 書かれています。

 講師となっている金子兜太さん、石 寒太さんは、ともに加藤楸邨さんを師としたかたですが、この本の第七章 課外授業 座談会では 「自分にとってよい俳句の先生はどういう人か」を、それぞれの若いお弟子さんたちも交えて伸び伸びと語っておられ、この本の特色の一つとなっています。

 金子兜太さんは、加藤楸邨さんを人間的に大好きですが、俳句としては中村草田男さんに惹かれ、両方の句会に出ていたそうです。兜太さんは、この本で次のように話しておられます。

    ◇   □   ○   ※  ☆

 楸邨さんは自分の弟子の句を絶対に直さず、上手になろうと下手になろうと、そんなことは構わない。それでダメならダメ。優遇はしないけれども、直しもせぬ。そういう人だった。ある時期までの楸邨さんの句はそれほど好きじゃなかったし、楸邨さんも兜太さんの句をあまり好きじゃないらしくて出せども出せども上の方に出してくれないので「寒雷批判」という文を書きたい、先生の選に異存があると乗り込んだら、「ああ、書いてみたまえ」と言われ、オッと思って張り切って書いたら「じゃ、これ雑誌に出しましょう」と載せてくれて、楸邨っておもしろい人だなと思ったそうです。

    ◇   □   ○   ※  ☆

 こういう開かれた人間関係って、すてきですね。

  句会で学ばせていただき、上記のような俳句の手引きの本を読み、テレビのプレバトなどを視聴しながら、わたしの最近の句はこんなふうです。

  連作は ダメよとゴーヤ ストライキ

  長く続けてきているこのブログ・・・このブログにも連作障害が現れてきているのではないでしょうか。  訪れていただいている方々にお礼申し上げます。 

  今日も、よい日となりますように。

  日曜日。キリスト教会では礼拝が献げられます。

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2017年8月19日 (土)

まど・みちおさんの詩  『ぼくがここに』

『ぼくが ここに』  まど・みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも 
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として 

  ◇   □   ○   ※   ☆

 人間ひとりひとり  そして動物 植物 ・・・ その存在のかけがえのなさが染みとおってまいります。  まど・みちおさん、ありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会では神様に礼拝が献げられます。

【聖書】 平和をつくるものは幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。

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2017年8月18日 (金)

まど・みちお さん の詩

 長寿を全うしたクリスチャンということで日野原重明先生と共通点を持つ まど・みちおさんの詩を掲載させていただきます。  この詩の題は「臨終」です。

 以前、詩の本文を紹介させていただいたことはあるかもしれませんが、題と一緒にご紹介したかどうか・・・ちょっと題の掲載をひかえてしまったかもしれませんので、今回は、(勇気を出して)題名と一緒に、しっかり、掲載させていただきます。

『臨終』  まど・みちお

神さま
私という耳かきに
海を
一どだけ掬(すく)わせてくださいまして
ありがとうございました

きれいでした
この一滴(いってき)の
夕焼を
だいじにだいじに
お届けにまいります

  ◇    □   ○   ※   ☆

 二行目の「耳かき」で一つ思い出したことがあります。働き蜂がせっせと働いて蓄える蜂蜜・・・働き蜂自身の活動エネルギーを支える分を差し引くと、一匹あたりが蓄えた蜂蜜の量はどれくらいになるとお思いになりますか。

 何と ・・・ 耳かきに、ちょっとなすったくらい、なのだそうです。

 今週は、命ということに軸を置いて、書いてまいりました。明日、まど・みちおさんの詩をもう一つ紹介させていただきたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月17日 (木)

タゴール 「最期のうた」 日野原先生をとおして出会った詩

 インドの詩人 タゴールの「最期のうた」を紹介させていただきます。

  昨日ご紹介した『私が経験した魂のストーリー』 日野原重明著からの引用です。

  ◇   □   ○    ※   ☆

こんどのわたしの誕生日に、わたしはいよいよ逝くだろう

わたしは、身近に友らを求めるー

彼らの手のやさしい感触のうちに

世界の究極の愛のうちに

わたしは、人生最上の恵みをたずさえて行こう、

人生最後の祝福をたずさえて行こう。

今日わたしの頭陀袋(ずだぶくろ)は空っぽだ ー

与えるべきすべてを

わたしは与えつくした。

その返礼に もし何がしかのものが ー

いくらかの愛と いくらかの赦しがえられるなら、

わたしは それらのものをたずさえて行こう ー

終焉の無言の祝祭へと

渡し舟を漕ぎ出すときに

  (タゴール著作集 第二巻 第三文明社)

 日野原先生は、この詩に続けて、こう書いておられます。

   ◇   □   ○   ※   ☆

すべての人に訪れる死は、その人がどのように生きたかが最後に示される決定的な時間であり、そのために備えることが必要だと思うのです。

 この詩の前に、この書では「最上のわざ」という詩が紹介されています。

 この詩のことは以前(4月24日)、このブログで書かせていただきましたが、再掲させていただきます。

 上智大学の学長もお務めになったヘルマン・ホイヴェルス神父(1890-1977)が、長年の日本での働きを終えてドイツに帰国され、そのご友人から贈られた詩だそうです。

 

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で歳をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静に、己の十字架を担う!

 

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で、柔和であること!

 

老いの重荷は神の賜物。古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことの故郷へ行くために!
己をこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは真にえらい仕事
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

 

神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために!

 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ。われ汝を見捨てじ」と。

   ◇   □   ○   ※   ☆

0003
 日野原先生は、この世での105年のご生涯を歩み通されました。著書を通して多くのことを学ばせていただき、講演会も聴かせていただきました。

 本当に、ありがとうございました。

 献花の会場に足を運ばれ、貴重な資料を見せてくださったクリスチャンの友人にも、感謝いたします。このブログを通じて、この方と知り合うことがなかったら、今回のシリーズは、書くことができませんでした。

 心からの感謝を込め、今回の日野原先生のシリーズを結びとさせていただきます。

 今日も、よい日となりますように。 

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2017年8月16日 (水)

日野原重明先生の本から ー 魂は 永遠のいのちに連なる ー

0023 『わたしが経験した 魂のストーリー』

日野原重明 著

キリスト教視聴覚センター

2005年 12月25日 第1刷発行

  この本の結び近く、日野原先生は、好きなソクラテスのことばに、「たいせつにしなければならないのは、ただ生きるということではなく、よく生きることだ」とある、と前置きして、次のように書いておられます。

◇  □   ○  ※  ☆

 キリストは33歳頃に十字架につけられました。。イエスの生涯はたいへん短かったにもかかわらず、最後の三年の凝縮された生き方が今日まで世界中に伝えられています。

 なぜ、そうなったか。それは人生の長さではなく深さにあったことは、信者でない方にも理解できるのではないかと思います。

・・・ 寿命は、何年生きたかということでカウントされるのですが、考えてみますと、睡眠時間、食べる時間などを除くとわたしがわたしらしく生きている時間はわずかです。与えられた環境を上手に利用しながら、自分自身の舵をとって生き、その努力の結果、わたしがわたしらしく生きた時間、それが本当の時間です。寿命の長さは、そこで決まるのではないでしょうか。

 「寿」というのは、その人の死後もその人の存在が多くの人の心の中に生きていること、それを「寿」という漢字で示したというのです。

 永遠のいのちとは、からだの中で育てられた一つのエネルギーのようなものが他のいのちに伝えられて残されていくことではないかと思うのです。

      ※ 一部、文脈を飛び越えて編集させていただきました。

     ◇  □   ○  ※  ☆

  この本の他の章 ー 耐えることによって人間は人間として本当に生きる ー

に、こんな箇所があります。

 ヒルティは『幸福論』の中で、何事につけても「失った」といってはならない。わたしたちは「お返し」をしたのだ、と書いています。

  日野原先生は、天に召されるとき、命をなくすとは考えずに、「この世界へのたった一度のご招待をありがとうございました。おあずかりした命をお返しいたします」 というお気持ちだったのではないかと、私は思っています。

 次回は、この本の中から、ホイヴェルス神父さんの「最上のわざ」、そしてインドの詩人、タゴールの「最期の歌」という詩を掲載させていただきます。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月15日 (火)

ありがとうございました 日野原重明先生

0008 讃美歌312番は、よく知られた「冬の星座」のメロディです。・・・最初から讃美歌として作曲される讃美歌も多いのですが、こうした讃美歌・・・親しみやすいメロディに歌詞がつけられて讃美歌となった曲も、少なくありません。

 ベートーヴェンの「歓びの歌」・シベリウスの「フィンランディア」・ウエーバーの「魔弾の射手」

 『聖歌』には、「真白き富士の嶺」や、フォスターの「オールド・ブラックジョー」・「遙かなるスワニー河」、「庭の千草」・「グリーン・スリーヴズ」・「ダニー・ボーイ」なども入っています。

 聖歌の229番は、よく知られた歌、

「アメージング・グレース」です。

 滝廉太郎の「荒城の月」がベルギーで讃美歌として歌われていると聞いたこともあります。

  日野原先生の告別式に集ったたくさんの方々が、心を一つにして、歌い上げられたことと思います。

  おそらく、四重唱になったのではないでしょうか。

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 讃美歌320番については、昨日、タイタニック号の沈むときのエピソードを紹介いたしました。

 死に向かうときも、心を静めて神様を讃えながら歌うことができる歌

 そういう歌、そういう心、そういう信仰があるのですね。

 日野原先生ご自身が作詞・作曲された「愛の歌」・・・。歌詞を紹介させていただきます。

0007 「葉っぱのフレディ」をミュージカルにして、アメリカでご自身も出演してステージに立たれたことが報道されたこともありましたね。

 日本における音楽療法の草分け的存在でもありました。

  日野原重明先生

本当に ありがとうございました。

  今日も、よい日となりますように。

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2017年8月14日 (月)

日野原重明先生 ありがとうございました 2

0004 式次第は絶対的な順序があるわけではありませんが、およそ、左のような内容が一般的です。

  よく知られた讃美歌、日野原先生の愛唱讃美歌、愛唱歌などがプログラムに採り入れられています。

  この告別式では、日野原先生のお名前を入れて お祈りがプリントされていました。

  初めて、キリスト教式の告別式に参列された方への配慮ということもありましょう。

 日野原先生は、牧師の家庭に生まれ、信仰をもち、洗礼を受けて、クリスチャンとして生涯を歩むことを神様と人々の前で明らかにして、地上での生涯を全うされました。

0005 クリックしていただくと、画像を少し大きくしてご覧いただけるかと思います。

 キリスト教の教義・信仰を、せっかく日野原先生の告別式に参列していただいた方に理解していただけるようにと、配慮されたプリントだと思います。

  明日は、讃美歌を掲載させていただきます。

  讃美歌312番は、メロディは「冬の星座」として親しまれている曲です。

  讃美歌320番は、豪華客船タイタニック号が氷山にぶつかった事故の時、沈みつつある船上で楽団の方たちが奏で、避難することのできなかったかたたちを励ましつつ讃美した曲です。

 

  粛然とした思いがこみ上げてまいります。

  今日も、よい日となりますように

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2017年8月13日 (日)

日野原重明先生 ありがとうございました

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  10月4日生まれの日野原重明先生は、ご自分の誕生日を天使の日とおっしゃっていました。 10(天) と 4(し→使) で、天使です。

  その業績、お人柄は、多くの方がご存じですので、ここで改めて述べることは控えさせていただきます。

0011_2  私は、告別式に参列したわけではありませんが、友人が献花に行かれ(8月4日まで、聖路加病院で、喧嘩の機会が設けられていたのだそうです)、上記の写真などを含めて、告別式の式次第などを見せてくださいました。

 それで、日野原先生の告別式は、キリスト教式の告別式はどんなふうにおこなわれるのかを多くの方に知っていただくのによい機会ではないかと考え、紹介させていただきます。

  キリスト教では、人は召された後も人、亡くなっても神様にはならないのです。神様は唯一神、ただひとりです。

  それで、ご遺体に敬意は払いますが、拝んで礼拝する対象とはいたしません。  

  献花をいたしますが、ご遺体そのものを信仰の対象とするわけではありません。

  ただ、他の宗教を信仰する方の参列、お心を排除するということはありません。 お祈りの時にお経を唱え、讃美歌の時に御詠歌をお歌いになるということは、控えていただくことになると思いますけれど。 それは、お互いに礼をわきまえ合うということであると思います。

  明日は、日野原重明先生の告別式の式次第・祈りを紹介させていただきます。

  今日も、よい日となりますように。

  日曜日。キリスト教会では、神様に礼拝が献げられます。

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2017年8月12日 (土)

『机の前に貼る一行』

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『机の前に貼る一行』

ひきた よしあき

朝日学生新聞社

2017年6月30日 初版第1刷 発行

 発行されて、あまり間がない本ですね。朝日小学生新聞に連載され、この本になったとのこと。

 漱石・オー・ヘンリー、アルキメデス・パスカル・ディケンズ・シェイクスピア・芭蕉・早稲田大学校歌・新美南吉・長田弘・吉野源三郎・・・子どもたちに自分で書き写して机の前に貼って眺めることを勧め、「必ず返事を書くからね」で結ぶ新聞連載。

  九十通ほど来る週にも、この言葉通り、返事を書かれた ひきた よしあきさん ・・・ 心を打たれました。

Photo_2 スヌーピーからは、こんなことばが引かれていました。

 あすがすばらしい日だといけないから、うんと休息するのさ

 ひきたさんは、連載中に、大病(腎臓がん)で二か月会社を休まれたそうですが、この連載は休載なく続けることができたことを感謝しておられます。

  この本は「ムーミンパパのシルエット」を通じてお知り合いになった友人から教えていただきました。そのことがなかったら出会えなかったのではないかと、感謝しています。 ありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会では神様に礼拝が献げられます。

 

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2017年8月11日 (金)

ハイリゲンシュタットと ベートーヴェンの第六交響曲「田園」

 先週のNHKテレビ「ららら クラシック」を録画しておいたのを時間ができたので観ました。既にご覧になったかたには、二番煎じで、すみません。

 この番組を見て、とても大きな収穫が、私にはありました。見るまでは、ハイリゲンシュタットという地名は、「聴力が衰えてきたベートーヴェンが、生きていく気力を萎えさせてしまい、弟にあてて、遺書をしたためた地」だと、ずーっと思っていました。 条件反射のように ハイリゲンシュタット = ベートーヴェンが遺書を書いた地  と 思っていたのです。

  それはそれで間違いではなかったのですが、「ららら クラシック」で放映されたハイリゲンシュタットの景観は、とても広大で自然の豊さに満ちていました。

  番組の後半、「田園」の第一楽章を聴きながら、私の思い込みは、次のようにチェンジしていました。

  ハイリゲンシュタット = ベートーヴェンに 聴覚障害を抱えながら 他の人には書けない音楽を創造して 生き抜こう と新たな希望と力をはぐくんだ地

  ナポレオンが武力で戦争を展開していた時、ベートーヴェンは、大自然の恵みを讃える音楽を創造して平和と希望を聴く人に贈ったのです。 ベートーヴェン自身、耳ではその音楽を享受し難かったけれど、彼の魂はその音楽を全身全霊で発信し、そして受けとめていたに違いありません。

  「ららら クラシック」の番組に登場した人たちも、全員、表情を明るくしていました。

  今日も、よい日となりますように。 

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2017年8月10日 (木)

『花の俳人 加賀の千代女』

0002『花の俳人 加賀の千代女』

清水昭三 著

アルファベータブックス

2017年4月20日 第1刷発行

 加賀の千代女といえば、次の句がよく知られています。

 朝顔に釣瓶とられてもらひ水

 この本では、長年考えて

 朝顔や釣瓶とられてもらい水

 と、切れ字にする勇気がわいた、と晩年近くのところで記されています。

  私は、上記の句しか知りませんでしたが、物語とドキュメントのまざったような筆遣いで、千代女の生涯、俳句などが紹介されています。

 百なりや つるひと筋の 心より

 これは、千代女が永平寺を訪れて、「三界唯一心を俳句にしたらどうなるか」と問われて詠んだ句で、百ほどのひょうたんも、実はたった一本の蔓に成るのと同じように、人間の全ての言動もこの一つの心から出るものですという意味を込めているそうです。

 加賀百万石の当主が、朝鮮通信使に持たせる土産として千代女に俳句を詠むようにと注文したこと、芭蕉の高弟、各務支考と交流したこと、『奥の細道』に倣ってか、65歳の時、山陰山陽の旅日記、『老足の拾ひわらじ』を書いたことなど、この本を通して、千代女がどんな人で、どんな歩みをしたかが分かる思いがいたしました。

 曙や蚊のうろたゆる枕元

 暑き日や水も動かぬ山の影

 蝶はゆめの名残わけ入る花野かな

  ◇   □   ○   ※  ☆

 うえの蝶の句は、

 芭蕉の  この道や 行く人なしに 秋の暮れ

の句に、心打たれながらも、女性である自分は蝶となって春の花野に入りたいという心を詠んだものでは・・・ と控えめに著者は書いておられるように思いました。

 一つの句、ひとりの人の人生  深く、広いものですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月 9日 (水)

♪「幸せなら手をたたこう」 を作詞した人

 坂本 九さんが歌って、大ヒットした♪「幸せなら手をたたこう」・・・この歌の作詞をした木村利人(りひと)さんのことを最近知りました。

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  木村さんは1934年生まれ。 クリスチャンとして学生時代1959年、フィリピンに奉仕活動に行かれたとき、戦争中の日本兵の残虐な行為に対する憎悪を抱いていた人が、フィリピンの村人のために懸命に汗を流す作業を通して、心を開いてくれたそうです。

 その後、ベトナムのサイゴン大学の教師として働いているときに、反政府デモに向けて撃たれた催涙ガスに苦しめられた体験、さらに猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤の影響を目の当たりにして、バイオエシックス・・・生命倫理学・・・ 先端科学技術の軍事利用・悪用を押しとどめる働きを先進的になさるようになったとのことです。

♪ 「幸せなら手をたたこう」は、フィリピンで奉仕作業をしていたとき、小学生たちが歌ってくれた歌(もとはスペインの歌)が軽快で覚えやすいメロディだったので、それに作詞したところ、早稲田奉仕団やYMCAの仲間たちが歌うようになり、これを耳にした坂本九さんがテレビで歌ってから、アッというまに全国に広がったとのこと。

 よく歌われている歌に、このようなルーツがあったのですね。

 今日も、よい日となりますように。 この歌の歌詞を下記に記します。平和と幸せを願いつつ。

♪「幸せなら手をたたこう

      きむら・りひと作詞/スペイン

幸せなら 手をたたこう
幸せなら 手をたたこう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 手をたたこう

幸せなら 足ならそう
幸せなら 足ならそう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 足ならそう

幸せなら 肩たたこう
幸せなら 肩たたこう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 肩たたこう

幸せなら ほっぺたたこう
幸せなら ほっぺたたこう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで ほっぺたたこう

幸せなら ウィンクしよう
幸せなら ウィンクしよう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで ウィンクしよう

幸せなら 指ならそう
幸せなら 指ならそう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 指ならそう

幸せなら 泣きましょう
幸せなら 泣きましょう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 泣きましょう

幸せなら 笑いましょう
幸せなら 笑いましょう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 笑いましょう

幸せなら 手をつなごう
幸せなら 手をつなごう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 手をつなごう

幸せなら とび上がろう
幸せなら とび上がろう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで とび上がろう

幸せなら 相づち打とう
幸せなら 相づち打とう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 相づち打とう

幸せなら 最初から
幸せなら 最初から
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 最初から

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2017年8月 8日 (火)

百日紅

0003_2 実際に猿が登っていたり、滑っているところを見たことはありませんが、味な名前だと思います。

  いろとりどりの百日紅の花が並んでいるのですが、その景観を写すのは、なかなか難しいですね。

 長い期間、咲いていますが、一つの花で百日咲いているのではなく、新しい花へとリレーを続けているのだそうです。

チームプレーをしているのですね。

 見習いたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月 7日 (月)

予告編

0006 教会の庭のザクロの現在の様子です。

 実りの秋の予告編を見る感じがして、写しました。

 ふっと思い出しました。小学生の夏休みの宿題に、担任の先生に葉書を出すというのがあって、ある子の葉書を受け取った先生がびっくりしたという1枚です。

「秋が近づき、うちの姉も色づいてきました」  独身の先生のお嫁さん候補にお姉さんを推薦してきたのかと・・・

いえいえ、そうではありません。もう、お分かりですね。この子は、「柿」という漢字を「姉」と書き間違えたのです。 似ていますものね。

0003 こちらは、栗。風に吹かれて落ちていたとのことです。手触りが意外にやわらかく、ふと思いました。人間も育つほどトゲが固く強くなる? いえいえ、円熟という言葉もあるので、やわらかい人間へと成熟していくのでしょうね。

 ただ、丸くなるばかりが、必ずしもよいことではないかもしれません。

 今年は、ゴーヤがグリーンカーテンを形成してくれたものの、あまり収穫出来ません。原因は、「連作」にあるようです。少し場所を変えたつもりでしたが。  ふと、思いました。 毎日を新鮮に受けとめて歩む心を保つことの大切さを。 それを怠ると、せっかくの人生の日々に「連作」の差し障りを引き起こし、もったいないことをしてしまうのではないかと。

 植物たちは、いろいろなことを無言の内に教えてくれているのだな、と感じました。

 今日も、よい日となりますように。


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2017年8月 6日 (日)

「病者の祈り」

 日曜日ということで、「病者の祈り」を記させていただきます。ニュースキャスターの山川千秋さんを慰めようと、ベックという宣教師さんがお伝えになったニューヨークのリハビリテーション研究所の病院に患者さんが貼っていた詩だそうです。 日野原重明 著 『私が経験した魂のストーリー』 2005年12月25日発行 から引用させていただきました。ありがとうございます。

 ◇    □   ○  ※   ☆

大事をなそうとして 

力を与えてほしいと 

神に求めたのに

慎み深く従順であるようにと

弱さを授かった

より偉大なことができるように

健康を求めたのに

より良きことができるようにと

病弱を与えられた

幸せになろうとして

富を求めたのに

賢明であるようにと

貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして

権力を求めたのに

神の前にひざまずくようにと

弱さを授かった

人生を享楽しようと

あらゆるものを求めたのに

あらゆるものを喜べるようにと

生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず

心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ 

   ◇    □   ○  ※   ☆

  求めたものは己の欲望 しかし祈りの中にあらわれた本当の願いは聞き入れられた。 山川千秋さんは、非常に安らかに亡くなられたそうです。

  日曜日。キリスト教会では神様に礼拝が献げられます。よろしければ、どうぞ。 

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2017年8月 5日 (土)

『俳句の海へ 言葉の海へ』

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『俳句の海へ 言葉の海へ』

寺井谷子 著

日本放送協会

2007年1月20日 第1刷 発行

 寺井谷子(てらい たにこ)さんは、ご両親が俳人 ・・・ 横山白紅さん・房子さん・・・で、10歳から俳句を始められたとのこと。

 NHKテレビの「俳句俳壇」で選者をされた3年間にお話しされた内容をこの本にまとめられたそうです。

 そのころで毎月約7000枚の葉書が寄せられていたそうで、一句一句をその方のその時の「命」と思って向き合い、選句されたとのことです。

  印象に残ったこと

・歳時記は言葉の森

・歳時記の「季題解説」「季語解説」は、歳時記を編んだ「先を行く人」からの手助け。これは、季語の本意・本情といわれ、季語のもつ力を解説したものですが、それを丁寧に読みとることは、日本の歴史や文化を再認識することにつながりましょう。

 ↑

※ このことに関連して、わたしは「薬玉」(くすだま)の名の由来をこの本で知りました。 運動会などで割る薬玉は、本来は各種の香料を袋に入れ、ヨモギやショウブなどを添えて五色の糸を垂らした邪気払いのためのもので、古くは「長命縷」(ちょうめいる)と呼ばれ、端午の節句に飾られたものだそうです。

 こうした由来から、夏の季語とのこと。

 巻末の寺井谷子さんの自解 四季36句 の夏の句から 海と山の句を引用させていただきます。 

  ゆうずつや港ホテルの金魚玉

  「ゆうずつ」は夕星。どこの港でもよいが、リゾート風の瀟洒(しょうしゃ)なホテルに漂う夕べの潮の香。飾られた金魚玉の中の金魚がゆらりと動く。そろそろ納涼船もでる頃か。

 若きらに杉の香りのバルコニー

  山の避暑地を訪れた。杉の香の高い真新しいロッジが並び、バルコニーからは若い人達の元気な笑い声が聞こえた。見上げれば杉木立の上に広がる夏の空の青さ。

    ◇    □    ○    ※    ☆

  ちゃっかりと、上記の句を暑中見舞い代わりとさせていただきます。

  今日も、よい日となりますように。

  明日は日曜日。キリスト教会では神様に礼拝が献げられます。よろしければ、どうぞ。  

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2017年8月 4日 (金)

茄子の丸煮

0002 旬の野菜、茄子の丸煮・・・出汁をしっかりととって、薄味で仕上げます。

 10本くらいの茄子を1時間ほど煮ます。

 温かくても美味しいですし、冷蔵庫で冷やして召し上がっても美味しいです。

 このブログを通して交流が生まれたクリスチャンの友人から教えていただきました。 ありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月 3日 (木)

ウイーン岐阜合唱団定期演奏会

 7月30日、岐阜市民会館で第20回「ウイーン岐阜合唱団定期演奏会」が開かれました。 ウイーン岐阜管弦楽団とともに、とプログラムの頭に書かれています。

 一曲目は、このウイーン岐阜管弦楽団の奏でる「四季」 ヴィヴァルディ

 ナレーションと歌、そして指揮の平光 保さんのユーモア溢れるパフォーマンスが添えられていて、拍手喝采を受けました。ヴィヴァルディさんが会場にいたら驚き、そして喜んだことと思います。 

 二曲目は、平光 保さん作曲のディヴェルティメント ・・・ 指揮者の作曲した曲を、指揮者自身の指揮で聴かせていただく機会は滅多にありません。すてきな曲、そして演奏でした。

 三曲目は、四季でナレーションと歌を担当した伴 和子さんが歌う「踊り明かそう」  オードリー・ヘップバーンの映画「マイフェア・レディ」を彷彿としました。

 第二部は、合唱団が登壇して、フォーレの「レクイエム」・・・あまりの美しさに「天上の音楽」と呼ばれているとのこと。 すばらしい歌声と演奏でした。

 フィナーレは、聴衆も参加しての全員合唱「見上げてごらん夜の星を」

 ・・・プログラムの歌詞を広げた聴衆席は一斉に花が開いたように見えました。まさに音楽は、たくさんの人の心を一つに結ぶことを実感できた感動のコンサートでした。

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 合奏団、合唱団、すてきなソリストの方々、そしてこのコンサートに足を運ぶチャンスをくださった方にお礼申し上げます。 ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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2017年8月 2日 (水)

『一日(ワンデイ)歳時記』

0004『一日(ワンデイ歳時記』

金田一 秀穂 監修

小学館

 2008年10月1日 初版第1刷発行

 和風の装丁で、そんなに厚くありませんが、中身がぎっしりという本です。← 歳時記は、そういう本が多いように思いますけれど。

 表紙の見返しに、こんな問いがあります。

 ご存じですか? 朝の時の流れを表す言葉の正しい順序は・・・

 答え

 暁 → 曙 → 東雲(しののめ) → 朝明(あさけ) → つとめて → 朝ぼらけ → 朝まだき → かはたれ

 うーむ、と思いました。

 夜は

 夕べ → 宵 → 夜さり → 夜半 → 夜中 → 暁 だそうです。

 面白かったのは、第4章 月光スペシャリスト養成講座 。

 「月の宿」 ・・・仲秋の名月の宴を設けた家 その家の主人を、「月の主人」、招かれたお客を「月の客」。 その座で月を見る人みんなを「月の人」とも呼ぶのだとか。

 「月の雫」という歌がありますが、これは朝露をさしているのだと書かれていて、おお、そうなのかと思いました。

   □   ◇  ○    ※   ☆

 先週の木曜日、19時からの「プレバト」 俳句の部では、線香花火が出題されていました。

  この本に、こんな句が紹介されていました。

  膝の子や線香花火に手をたたく  一茶

  江戸時代の俳句から、時代を超越して、すーっと伝わってくるものがあることに改めて感じ入りました。うーん、すてきですね。 夜空の星の光が何年もかけて今夜の地上に輝いているのと似ているでしょうか。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年8月 1日 (火)

「平和を求める祈り」 アシジの聖フランチェスコ

 八月の始まり ・・・ この「平和の祈り」で幕を開けることにいたします。

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、

いさかいのあるところに愛を、

分裂のあるところに一致を、

疑惑のあるところに信仰を、

誤っているところに真理を、

絶望のあるところに希望を、

闇に光を、悲しみのあるところに喜びを、

もたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、

理解されるよりは理解することを、

愛されるよりは愛することを、

わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、

自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

  ◇   □   ○   ※   ☆

  今日という日が、そしてそれに続く未来に平和が訪れますように。

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