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2017年12月16日 (土)

『聖書を読むという快楽』 曾野綾子

0002『聖書を読むという快楽』 

 ー 「私に与えられた

       思索のことば 」ー

曾野綾子  著

青萠堂 2004年5月4日

      第1刷発行

 最初にこう書かれています。

 聖書は、神々しい人々のお話というより、どこにでもいるちょっと愚かしい人々の登場する物語である。そういう人々にこそ神は、愛を持って接している。

  だから聖書の言葉は、いつ読んでも色あせることがない。

  序にかえて

 聖書は、キリストという道学者の説教集だという考え方が世間にあっても、私は少しも反対はしない。しかし、そういう多くの人たちは、聖書を読んでいないのである。

 この本には、曾野綾子さんらしい文章が、聖書に書かれている言葉を引用しながら、満載されています。

  たとえば、次の文章はいかがでしょう。 

   ◇    □    ○   ※   ☆

 不治の病の子も見捨てない愛 

 第Ⅲ章 心淋しく感じる人へ 本当の愛を教えてくれる聖書の言葉 から

  子どもが不治の病にあるとします。治る見込みはありません。しかし、母親は見捨てません。その子どもへの愛を継続します。

  万が一、その子が死んだとしても、その子は母親の愛を臨終まで受けていたことになります。それは、最高に幸せなことです。元気な子だったら、それほどまでには母親に愛されなかったかも知れません。

              (『愛のために死ねますか』 曾野綾子 著 より

     ◇    □    ○   ※   ☆

  曾野綾子さんの言葉の強さにどきっとされた方がおられることと思います。実は、私もその一人です。でも、何回か読み返して、曾野綾子さんがこの文に込めた意図が伝わってきました。

  その言葉は曾野綾子さんの信仰に根ざして、本気で綴られたものなのです。

  愛する子の命が助かるようにと、全力を注いだ末に、お子さんは、天に召されてしまった  ・・・ そのお母さんに これほど大きな慰めを贈ることのできる人は、曾野綾子さんのほかには、なかなかいらっしゃらないかも知れません。

  よろしければ、お読みください。そういえば、『聖書を読むという快楽』という題を自著につけられる人も、あまりいらっしゃらないでしょうね。

  今日も、よい日となりますように。

  明日は日曜日。アドヴェントリースに3本のキャンドルが灯されます。 

 

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