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2018年1月25日 (木)

『言葉が輝くとき』 その2

 辻 邦生さんの『言葉が輝くとき』 ・・・ 0009


いろいろなことを学ばせていただいています。

 この本の第二章 詩を読む心 に、豊かな心を取り戻す手段という項目があります。

  ◇   □   ○   ※  ☆

  忙しすぎて、今という時に立ち止まり、自分に与えられたことをじっくりと楽しめない・・・ しかし、静かに落ち着いて生活していくこと、喜びを深め合っていくこと、互いに愛し合っていくこと、じっと見つめ合っていくこと、そういうことがなくては、せっかく人生を生きているのに砂漠で生きるように味気ないつまらないものになってしまう。

  たとえば、ヴェルレーヌの詩の一節「君、過ぎし日に何かを なせし」というは、一回きりの人生は、素晴らしいもので満ちているというような感慨を呼び出してくれる

 春夏秋冬が過ぎてゆくーそういう当たり前のことをうれしいこと、心を浮きたたせることとして心に感じると、そのときあなた方は本当に心の豊かな人になりますね。青空が、ただ青空であるだけで、うれしいなと思うとき、あなた方は詩人です。そのとき、わざわざ詩を書く必要もなく、あなた方の顔、表情に、ポエジーが表れているわけですね。更にそれを表現したい人は、詩を作る、俳句を詠んだり、短歌を作ったりするたとえ、幼稚であっても、書いてみる。絵の好きな人は、その思いを色と形で表す。音楽の好きな人は、メロディで表す。そういうふうにすることが、現在の日本の精神の貧しさの中で、豊かな心を取り戻す手段になると、私は考えます。

     ◇   □   ○   ※  ☆

  この章で紹介されている詩 ・・・ リルケの『果樹園』という詩の中の「かりそめに通り過ぎて」、チャールズ・ラムの「古なじみの顔」、永瀬清子さんの「あけがたにくる人よ」、カールブッセを上田敏が訳した「山のあなた」、尾崎喜八の「東京の秋」、そして、ヴェルレーヌの「落ち葉」という詩・・・ 出だしが「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみて ひたぶるにうら悲し・・・ などです。

  少し、長くなって恐縮ですが、ヴェルレーヌの詩を掲載させていただきます。 辻さんによると、フランスの人たちは会話を楽しむ人たちなので、口数の少ない日本の方がフランスでしばらく滞在して帰ってくると、なかなか雄弁な人になっていることが多いそうです。 モー・パッサンの優れた作品の土壌にはフランスの、会話を楽しむ文化があるという見解も述べておられ。興味深いです。

  ◇   □   ○   ※  ☆

  「偶成」  ヴェルレーヌ  永井荷風 訳

空は屋根のかなたに  かくも静かに かくも青し

樹は屋根のかなたに 青き葉を ゆする

打ち仰ぐ空高く御寺の鐘は やはらかに鳴る 

打ち仰ぐ樹の上に 鳥は  かなしく歌ふ

あゝ 神よ。質朴なる人生は かしこなりけり

かの平和なる物のひゞきは 街より来る

君、過ぎし日に何をかなせし

君 今ここに唯だ嘆く

語れや君、そも若き折 なにをかなせし 

     ◇   □   ○   ※  ☆

  文語で、私も 正直 よく分からないところがあります  でも、何だか いいですね ← 無責任ですみません。

  今日も、よい日となりますように。

 

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