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2018年2月14日 (水)

右の頬を打たれたら  ーその2ー

 「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」

 イエス・キリストの山上の垂訓の一節 ・・・ 曾野綾子さんは、『現代に生きる聖書』で次のように述べておられます。

   ◇   □   ○  ※  ☆

  イエスは、手の甲で打たれるほどの侮辱を受けても、さらに左の頬を向けなさいと言われます。人間どうしの関係あるいは判断においてなされた侮辱などということは何でもない、問題は神から見て自分がどうであるかということであり、本当に自分が侮辱されなければいけないものかどうかは神が決めるというのです。唯一こわいのは、のちにふれるように、隠れたところにあって隠れたものを見ている神の目の前で、自分がどういう行為をしたかということなのです。

    だから、神に対して恥じることがなかったら打たれていればいいし、さらに左の頬をも差し出せばいいのです。つまり評価を人間の目でしてはいけない、人間関係において決着をつけてはいけないのです。これは大変難しいことで、私たちはこのような見方はすぐにはできません。けれども、こういう見方もあることを知らなければいけないのです。

   ◇   □   ○  ※  ☆

  聖書に「目には 目を 歯には歯を」 とあるではないか、とお思いの方、おありかと思います。これは、世界最古の法律とされるハムラビ法典に出てくる同害復讐法のことにそうあることをあなたがたは聞いておられるでしょう、とキリストは、自分の教えを語る前の前提として語ったところで言われた言葉なのです。

  実際には、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」 ということは、とても難しいですね。

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