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2018年2月28日 (水)

岐阜清流高等特別支援学校 喫茶サービス

  喫茶店のモーニングサービス・・・愛知県や岐阜県では、かなり一般化しているのだそうですね。

  今日、ご紹介しますのは岐阜市芥見の岐阜清流高等特別支援学校で教育の一環として実践されている喫茶サービスです。

0007_2左の、☆印の日 午前9時半~12時ですが、品物がなくなったら閉店です。

 下のUrlをクリックしていただきますと、メニューなど、詳しく見ていただけます。

http://school.gifu-net.ed.jp/seiryu-asns/cafe.html

 生徒さんも自信とノウハウを身につけてきて、とても感じのよい応対をしてくれます。

  ドリンクと焼きたてパン プラスアルファ で 200円  それをいただいていると 売店コーナーに パンが焼き上がってきて・・・ いくつか種類がありますが 一個80円 などなど。

 張り切る若人たち さりげない立ち位置から見届ける先生方 ・・・

 地理的・時間的な条件がうまく合わせていただける方は、ぜひ、どうぞ。

 

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2018年2月27日 (火)

作家 葉室 麟さんの ユーモア発見

 葉室 麟さんの著書を読みながら、とても生真面目な武士がいつも登場するのに心を打たれながら、どうも、いつも羽織袴を着用して毎日を歩んでいる侍が主人公では気詰まりだなぁ、と ・・・ 武士ですから、実際に登城するときは、どの侍も羽織袴でしょうけれど(^J^)

0010  そうしたら、表現は物静かなのですけれど、読んでいて、あれっ、ひょっとして、ここは笑うところなのではないか、と気がつきました。そう思って読み進むと、この作品は、はっきり言って、葉室麟さんのユーモア小説なのだというところがどんどん出て来ました。

  それが、この本『螢草』です。

   題名の螢草は、小さな青い花を咲かせる露草、万葉集には月草(つきくさ)、俳諧では螢草と呼ぶことを、主人公の菜々に勤め先の武家の奥方、佐知が教えてくれます。

 月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ 万葉集

 佐知は菜々に語ります。

露草の儚(はかな)さにたとえ、わたしにはかりそめの命しかないことをしらないのだろうか、後に逢おうとあの方は言っているけれど ・・・ ひとは相手への思いが深くなるにつれて、分かれるときの辛さが深くなり、悲しみが増すそうです。ひとは皆、儚い命を限られて生きているのですから、いまこのひとときを大切に思わねばなりません・・・

 さて、ユーモアと申しましたのは、この武家を大きな顔をして訪れ、ご馳走になって帰っていく厚かましい夫婦を、この家の幼子が退散させるのに蜘蛛で脅かすとか、登場人物の名前を菜々が悪気なく聞き違えて覚えていくところなどです。

  腕は強い剣士が士官にやってきて腹を空かせて倒れていたので、菜々が団子をと申し出たら、一皿3本の団子を見る見る内に20皿平らげた壇浦五兵衛を、「だんご兵衛」

  質屋を営んでいて、客になめられないように髑髏模様(どくろもよう)の羽織を着ているお舟を「おほねさん」

  武家の子どもたちに学問を教えてくれる学者、椎上節斎(しいがみせっさい)を「死に神さん」

 という具合です。

 『螢草』 葉室 麟 著 双葉社 2012年12月23日発行

 よろしければ、どうぞ。

   ほかに、葉室麟さんは、こんな作品も書いておられます。

0008  広瀬淡窓(ひろせ たんそう)という実在した学者・詩人の生き方を小説で描いた作品です。

  漢文の授業で、淡窓の詩を学ばれた方もあるかもしれません。

 紫扉(さいひ)暁に出づれば 霜雪の如し

 君は川流を汲め 我は薪を拾わん

 広瀬淡窓と同時代に生きた大塩平八郎も、登場します。  

0006
  九州 筑後柳川十三万石の領主、立花宗茂(むねしげ)の 人としての信義を貫く生き方が描かれています。

  家康、伊達政宗なども登場し、真田丸での戦いなども描かれています。

 ペンネームとなっている「葉室」・・・この作品の中で、公家の名前として登場しているのを発見しました。

0009

 表紙にあるような、剣と剣の闘い・・・ 

  事件の鍵を握る百足と名乗る人物は、いったい誰なのか

 謎解きの要素も盛り込まれて、読み応えがあります。

 

 今日も、人や本、芸術、美しい光景などなどとよき出会いのあるすてきな日となりますように。

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2018年2月26日 (月)

♪ うさぎ おいし かのやま 

 名曲♪「ふるさと」の冒頭の歌詞、「うさぎ おいし かの山」は、ご存じのように「うさぎ 追いし」で、追いかける、なのですが、時々、ジョークで「うさぎ 美味し」と舌なめずりして紹介されることがあります。

 最近、金華山近くの古民家カフェで月一回開催の音楽タイムで、そのことをまくらとしてお話しし、集まった皆さんと「ふるさと」を歌いましたら、こんなお話をしてくださった方がありました。80代の女性です。

   ◇    □    ○   ※   ☆

  私が小学生の時、全校生徒で山を囲み、「ホーイ ホーイ」とかけ声をかけながらうさぎを追い上げて ・・・・「おいしかったよ」

  ◇    □    ○   ※   ☆

 わぁ、・・・ このお話を聞いて、 「うさぎ 追いし」 と 「うさぎ 美味し」が見事にドッキングいたしました。

  こういうお話が聞けるのも、「ふるさと」という歌があればこそ、と喜んでおります。

  ちなみに、私が小学生の時、学年で近くにイナゴを捕りに行き、その成果が給食となって出たことがありました。 イナゴの佃煮 ・・・今は高級食材の一つではないでしょうか。 懐かしく思い出します。

 飛騨では、ナツメの実の砂糖煮も おやつや食事に登場しました。一説によると、成長期にナツメを食べた人は、花粉症にならないとのこと。 少なくとも、私は今までのところ、花粉症になったことがありませんので、私は自分が花粉症になるまでは、この説に賛成しています。

  今日も、よい日となりますように。

 

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2018年2月25日 (日)

聖書の箴言から  

 日曜日ということで、関根一夫牧師さんのメールマガジンから、引用転載させていただいて「箴言」のメッセージを紹介いたします。

【箴言】
29:17 あなたの子を諭すなら、安心していられる。彼はあなたの魂に楽しみを与える。
+++
「子どもを諭す」という作業は、「あなたがいてくれて嬉しいのだよ」という愛情の上に成り立ちます。できる、出来ないということだけを判断材料に、厳しく迫るのは、逆効果かもしれません。
しばらく前、見つけた記事を紹介しておきます。参考にしてください。
++
「学校長からの手紙」

ネットに流れていた興味ふかい文章を紹介します。
++
シンガポールにある学校の校長が子供たちの試験の前にこういう文章を保護者に送りました。

拝啓、ご両親さま
子供たちのテストがまもなく始まります。
お子さんがうまくやってくれるように気をもんでおられることと思います。
でも、どうぞ忘れないでください。
テストを受ける子供たちの中には
数学を理解する必要のない芸術家
歴史や英文学についてそれほど重要と考えていない起業家
化学の点数などあまり関係のない音楽家
物理の点数よりも身体の健康状態のほうが重要だと考えている運動選手
がいることを。

もしお子さんが最高点を取れたらそれは素晴らしいことです。
しかし、息子さんや娘さんが、最高点を取れなかったとしても
彼らの自信や尊厳、面目を子供たちから奪い取らないようにしてください。
お子さんに伝えてください。
「大丈夫、大丈夫、これは単なるテストにすぎないのだから。
君たちの素質は人生の中のもっと大きなことのために生かされることになるはずだ」と

ぜひ、これを実行してください。
そして、この世界を征服し乗り越えて行くであろう子供たちを見守ってください。
一回のテストや低い点数が彼らの夢や能力を奪い去ってしまうことなどありません。
そして、医者や技術者だけがこの世の中で幸せな人たちだ、などとは考えないでください。
子供達の点数が何点だとしてもそんなことには関係なく、彼らを愛していると伝えてください。
彼らを裁いたり、軽蔑することはないと伝えてあげてください。
敬具
学校長

++
この学校長の指摘する姿勢、そこに「諭し」の心が含まれています。
信頼関係こそ、最大の「諭し」の土台なのです。

+++++++++++

◎主の平和がありますように!

関根一夫

https://www.kazsek.com

 関根先生、そしてシンガポールの校長先生、ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

 日曜日、キリスト教会の礼拝においでください。

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2018年2月24日 (土)

尊厳療法 ディグニティーセラピー

 岐阜県には、平成6年4月1日に県が設立した「岐阜県音楽療法研究所」というところがありました。これは、全国的に、県立ということでは唯一の先進的な研究所でした。この岐阜県音楽療法研究所は、 7百名ほどの「岐阜県音楽療法士」を育て、閉所されました。 私は最終年度の一つ前の第17期生です。

  岐阜県音楽療法所の閉所後は、「ぎふ音楽療法協会」というNPO法人が、音楽療法士や関心を抱いている人の集まりとして、実践検討会や講習会を開催しています。

  先週の土曜日は、この「ぎふ音楽療法協会」主宰で、緩和ケアと児童デイサービスにおける音楽療法の実践検討会がありましたので、得がたい機会として参加しました。

  その会の中で、「尊厳療法 ディグニティーセラピー」について、教えていただきました。少し、専門的な内容になりますし、まだ聞きかじりの段階の私ですので、関心のある方は、下記のURLをクリックしてご覧ください。 私も、これからの参考にしたいと思います。

https://www.pref.aichi.jp/cancer-center/hosp/15anti_cancer/dignity-therapy.html

  ところで、音楽療法と申しますと、集まってくださる方を患者さん扱いするような印象が生まれるように思います。そういう場面も、時によってあることは確かですけれど、そういう場面でないときには、「音楽時間コーディネーター」とか「音楽時間パートナー」というような呼び名がいいかなぁと思っています。

  今日も、よい日となりますように。

  明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ、いらしてください。

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2018年2月23日 (金)

声の持続  「あー」と何秒 伸ばせますか

15_2 いただいた新聞、2018年2月11日(日)中日新聞朝刊に、かすれたり、震わせずに「あー」と安定した声を何秒ほど伸ばせますか、とありました。

  トランペットなど、管楽器では、練習の一つにロングトーンがあります。くちびる、そしてその周辺の筋肉の強化、空気を安定して供給することができるように腹筋、横隔膜、体全体を有効に用いて、美しい音を出すことが出来るように鍛えていくのですね。

  ブラスバンドやコーラスに参加している方、詩吟や謡曲などを続けておられる方は、日常的にのどを鍛えることを積み重ねてきたことになると思います。

  ただ、そうした活動を離れると、今まで蓄えた筋力、いわば貯筋ですごしていくことになり、やがておとろえてしまいます。

 早い話が、今の私は、トランペットで30秒のロングトーンを伸ばすことはできません。

  でも、できるだけ、毎日、発声練習するようにいたします。

  そして、一日に何曲かを歌うように心がけます。ただ、騒音にならないようには心がけますね。 あまり、声には自信がないのです。

 ある説によると「いのち」の語源は「息の内」だそうです。健康に「長い息」を出せ得ることは「長い息」 →「長いき」 →「長生き」に通じることでしょう。

 今日も、よい日となりますように。

  ※ 今日の記事、夜零時に公開のセットしていたつもりでしたが、他の時刻にセットしてしまっていました。すみません。 元気でいますので、ご安心ください。オリンピックに出場するほどではありませんけれど(^J^)

 

 

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2018年2月22日 (木)

岐阜県総合医療センター市民講演会 

0002_2 先週の土曜日、この案内にある講演会に行ってまいりました。

 会場は満員だったと思います。事前にご案内できませんでしたので、お詫びと自分の学びのまとめを兼ねて、少し内容をご紹介させていただきます。

  まず、ヴァイオリニスト兼音楽療法士の浜島さんのことから。

  ヴァイオリンを奏でながら、ステージではなく聴衆のあふれる会場に登場・・・

  私のすぐ前の席にいた幼児が、その音色に関心のある表情を向けると、すかさずその子に向けてしばらくの時間、立ち止まって演奏をプレゼント。

  話は短めにして、前列と後列で二種類の手拍子を少し練習して、早速全員参加の音楽時間へと引き込まれました。

 圧巻は、「チャルダッシュ」を演奏しながらジャンプして着地の連続という熱演・・・ 実は、数年前、この浜島さんの演奏会に行ったときには、演奏しながらの360度回転を目の当たりにしたことがあります。 この日も、まるで時間を合わせたように、冬季オリンピックでは羽生選手のフィギュアスケートの決勝の演技が展開されていました。浜島さんのお話と演奏の結びに羽生選手金メダル獲得のニュースが告げられました。

    □    □    □    □   □

  続いて、柏木哲夫先生の講演「いのちに寄り添う」から

  ご存じの方が多いように、柏木先生は、日本で初めてホスピスを創られ、2500人以上の方を看取ってこられたかたです。

 緩和ケアを提供するホスピスの役割を、およそ、次のように話されました。

 ・身体の苦痛をやわらげること 

 ・患者さんの「気持を分かってほしい」というに応えること

 ・に平安を覚えて死を迎えていただくこと

 演題の「いのちに寄り添う」については、寄り添うための人間力と題して

 次の十項目を教えていただきました。特に順序性はないとのことです。

・聴く ・・・漢字でみると「聞く」は耳だけ。傾聴の「聴」には、耳と心、そして目が構成要素に入っている。 患者さんと目と目を合わせ、耳と心を傾けて聴く

・共感する

・受け入れる

・思いやる

・理解する

・耐える

・引き受ける

・寛容

・存在する  doing 何を為すか も大切。 そして、

  為す術もないときにも being その場に居ることそのものが大きな 慰めと なる

・ユーモア

    ◇   □   ○   ※   ☆

  真摯に いのちと向き合って歩んでこられた柏木先生の、 そのあたたかさと重みが会場に満ちて、多くのことを学ばせていただいた講演でした。

 ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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2018年2月21日 (水)

歌人・科学者  永田和宏さん

 NHKテレビ  こころの時代 宗教・人生   2018年1月14日(日)

「いのちを詠う」 で 紹介されていた歌・談話を 感銘を受けましたので、書き出してみました。          

     
 細胞生物学者・歌人 永田和宏
                     

  奥様は、河野裕子さん、息子 淳さん、娘 紅さん ・・・家族そろって、歌人で、テレビ番組で「歌の家」という題だったでしょうか、ドキュメントドラマで紹介されたこともあったと思います。  以下、黒字の短歌は永田和宏さん、青い字の短歌は乳がんで亡くなった河野裕子さんの短歌です。
         
ききて 杉浦圭子

      ◇     □    ○   ※    ☆

   生きてゆくとことんまでを生き抜いて それから先は
 君に任せる

 わたくしは死んではいけない わたくしが死ぬとき
 あなたが ほんたうに死ぬ

たとへば君 ガサッと落ち葉すくふように 私をさらって行つてはくれぬか

きみに遭う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり

食えと言い、寝よと急かせてこの日頃妻元気なり吾をよく叱る

しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合わせ

何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない

平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ

文献に癌細胞を読み続け私の癌には触れざり君は

この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし

あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて

まぎれなく転移箇所は三つありいよいよきましたかと主治医に言へり

みほとけよ祈らせ給へあまりにも短きこの世を過ぎゆくわれに

一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間もうすぐ夏至だ

長生きして欲しいと誰彼数へつつ つひにはあなたひとりを数ふ

 ◇    □     ○  ※  ☆

 河野裕子さんが亡くなって後の日に詠まれた歌

さみしくて あたたかかりきこの世にて 会ひ得しことを幸せと思ふ

ほめかたがだいぶあなたに似てきたよ紅のことだよ泣けてしまふよ

作り置きといふ術なども身について シチューを小分けにして冷凍す

けふは三度も大声出して笑つたと懺悔のごとく風呂に思へる

杉浦アナウンサー ・・・歌人という 豊かなことばを持っておられても 伝わらない 歯がゆさというのも経験されて・・・ 

永田和宏さん・・・ 言葉というのは、ある意味、伝わらないことの中に本質というのはあると思うので、ついに伝えたくて伝わらないものがあったからこそ、今、ぼくの中で河野裕子という存在がぼくの中で貴重なものになっている。

  人間 どんなに親しい人でもうまくいっている人でも、自分の一番言いたいことが全部伝わっているかというと ほとんど伝わっていない そういう存在であるということは間違いないと思いますね。  (二人の交わした)歌というのは読み返すたびにちがうことに気がつく  貴重な財産です。

授かりしちひさきいのち泣く声のほのぼのとして

ひらく手の指のほそさよわが妻の指を継げるや 亡き妻の爪に似るとや

ひるさがりの陽だまりのごと風にそよぐ 姫女苑また

水に浮く 笹舟のごと つつましき されど確かな 生きるべし 生きてゐよ 

との きみよりのこゑ

  ◇    □     ○    ※  ☆

 一つの番組の奥行きは本当に深いですね。 感銘を受けたので、できるだけ正確にメモし、引用させていただくことに努めましたが、いたらぬところがありましたら、お許しください。 NHK,そしてこの番組を紹介してくださった方にお礼申し上げます。

 今日も、よい日となりますように。

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2018年2月20日 (火)

葉室麟さんの本

 2月1日、「会話のひとことから」と題して、葉室麟さんの本の数冊を取り上げました。 その後読んだ本の追加です。

0009『恋しぐれ』

文藝春秋 

2011年2月20日 第1刷発行

 与謝蕪村・円山応挙上田秋成などの文化人が登場しています。

  ところどころに、蕪村の句が登場します。

 春雨や ものがたりゆく蓑と傘

 月天心貧しき町を通りけり

 花守は野守に劣るけふの月

 牡丹散て打ちかさなりぬ二三片

 作中の円山応挙が弟子に語る

「物のかたちを通して心を伝えるのが絵やとわしは思うてる」

という言葉が印象に残りました。

0007『大獄』

文藝春秋

2017年11月15日

第1刷発行

 安政の大獄  国の行き先を憂う人たちの命が、どれほどたくさん喪われたことでしょう。

 西郷隆盛が藤田東湖に堂々と

 おのれが正しいことは口にせずとも人に伝わるのではごわはんか。たとえ伝わらずともおのれが玉であれば、ことさらに玉であると高言せずともいいとおいは思いもす

 と語る言葉、生き方が光を放っていると思いました。

0005 『潮騒はるか』

幻冬舎

2017年5月25日 第1刷発行

 長崎を舞台に、長崎奉行所、シーボルトの娘おいねなどが登場しますが、あくまでもフィクションです。

 葉室麟さんの作品には、西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟など歴史上の人物が、ほれぼれとする生き様で登場し、心を惹かれます。

 この作品では、創作上の人物のようですが、平野次郎という人物がさっそうとした快男児ぶりを発揮しています。

 巻末で、菜摘という鍼治療の女医が長崎で「時雨堂」という看板を上げます。その名の由来が気に入りました。   時雨とは、ほどよい時に降る雨のことだという。医者は早すぎても遅すぎてもいかん。ちょうどよいおり、病に苦しむ人を癒やす雨でなければいかんからな

 早すぎてもいかん というのは、どういう場合だろうという思いは浮かびましたが、一人の作家の内面世界は、とても広大で、そして深いと思いました。

  今日も、よい日となりますように。

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2018年2月19日 (月)

『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』

0002『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』

くさばよしみ 編

中川 学   絵

汐文社 

2014年3月 初版第1刷 発行

2016年1月20日 初版第25刷発行

 南米の国ウルグアイのムヒカ大統領が2012年 ブラジルのリオデジャネイロで開かれた国際会議でしたスピーチを子ども向けの表現に意訳して紹介した絵本です。

 来日して、日本でも多くの方の共感を呼んだムヒカさん。どんなスピーチをなさったのでしょうね。

    ◇    □   ○   ※  ☆

  300万人ほどの人口のウルグアイ・・・苦労の末、6時間労働で暮らしていけるようになりました。ところが、6時間労働がおわったあと、別の仕事について働く人が多いのだとのこと。

  それは、バイクや車など、買った品物のローンを払わないといけない人が増えたから。

  ローンを払って払って払って、気がつけばわたしのようなリウマチ持ちの老人になり、こんな問いかけをするのです。

これが人生のたどり着いた先なのか

  わたしが話していることは、とてもシンプルなことです。

  社会が発展することが、幸福をそこなうものであってはなりません。発展とは、人間の幸せの味方でなくてはならないのです。

  人と人とが幸せな関係を結ぶこと、

  子どもを育てること、

  友人を持つこと、

  地球上に愛があること

  こうしたものは、人間が生きるためにぎりぎり必要な土台です。発展は、これらをつくることの味方でなくてはならない。

  なぜなら、幸せこそがもっとも大切な宝だからです。わたしたちは発展するためにこの世に生まれてきたのではありません。この惑星に、幸せになろうと思って生まれてきたのです。人類が幸福であってこそ、よりよい生活ができるのです。わたしたちがよりよい生活をするためにたたかうとき、これをおぼえておかなくてはなりません。

      ◇    □   ○   ※  ☆

 表紙の見返しに

 貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです。

  とあります。深いですね。

  今日も、よい日となりますように。

 

 

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2018年2月18日 (日)

アボガドごはん

0002_2  アボガドご飯 ・・・NHKの料理番組を見ていたムーミンママが「あっ、これ、美味しそう」と炊いてくれました。

  番組では、鶏肉の肉団子も具として加わったそうですが、ちょっとあっさりしたものに、との意向で、ごらんのようになりました。

  今日も、よい日となりますように。

  日曜日。キリスト教会の礼拝においでください。

  

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2018年2月17日 (土)

『小さな家のローラ』 安野光雅 絵・翻訳

0002『小さな家のローラ』 

ローラ・インガルス・ワイルダー 作

安野光雅 絵・翻訳

朝日出版社

2017年3月15日 初版第1刷発行

 1867年アメリカ北部のウイスコンシン州に生まれたローラ・インガルスが1932年に、西部開拓時代の体験をもとにした自伝的小説『大きな森の小さな家』を発表しました。

 NHKの教育テレビで、長い間、繰り返し放送され、我が家でも子どもたちと親しんだ番組だったことが思い出されます。

 安野光雅さんの翻訳と絵は、親しみやすく、昔なじみに思いがけなく出逢ったような感慨を覚えました。

  寒い朝、ガラス窓が霜で凍って木や花などのきれいな霜の絵がついていると、お母さんは、「みんなが眠っている夜のうちにジャック・フロストが描いていったのよ、といい、ローラと姉のメアリーはお母さんから指ぬきを借りてガラス窓の霜に丸い模様をいくつもつくりました。でも、ジャック・フロストが夜に描いた絵はそっとしておきました。

Photo
 そのころ、お母さんは、曜日ごとに仕事が決まっていました。

  ロシア民謡の♪「一週間」みたいですね。

Photo_2
 月曜日は 洗濯をして

 火曜日は アイロンをかけ

 水曜日は つくろいもので

 木曜日は バターをつくり

 金曜日は そうじをして

 土曜日は パンを焼いて

 日曜日は ゆっくり休む

  ◇  □  ○ ※ ☆

 

日曜日に休息しているお母さんを幼い姉妹がいたわっている絵  ほほえましいですね。

 よろしければ、どうぞ。

 明日は、安息日である日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ。

  そうそう、幼いローラとメアリーが、寝る前に捧げるお祈り ・・・ご紹介しますね。

  ◇   □   ○  ※  ☆

 いま わたしは眠ります

 わたしの魂を 守ってくださるよう 祈ります

 目をさます前に 死ぬようなことがあれば

 神様 どうか わたしの魂を お召しください

   ◇   □   ○  ※  ☆

  うーむ 私の祈り この幼い二人に及びません。

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2018年2月16日 (金)

志ある友は

 志ある友は、友であることが誇らしくなる

 ・・・2月10日に紹介させていただいた篠田桃紅さんの『一〇三歳になってわかったこと』からの引用です。

0004 この本の「よき友は、自分の中で生きている」という章はこんな言葉で結ばれています。

  私のよき友だちの志は、私のなかで、ありありと生き続けており、私を誇らしい気持ちにさせます。

 もう一箇所、「生かしていただいている」という章から・・・

 終戦を迎えた翌年のようやく訪れた春先、桃紅さんは肺結核を患われました。当時、肺結核は死病でしたが、むらの女医さんの時に適う(かなう)言葉のおかげで気力を取り戻し、二年後には回復することが出来たそうです。

  ◇   □   ○  ※  ☆

 それは、「治りますよ」という言葉でした。肺結核であることを直感して「肺・・・」と尋ねた私に、彼女は「そう・・・でも治りますよ」と間髪入れずに言ってくれたのです。そして「幸いにして、ここは、空気はいいし、水もいいです。ヤギのミルクも卵も鶏もありますから、栄養を摂って養生すれば、結核菌を抑えこむことはできます」と、私が前向きに闘病するよう、希望を示してくれました。旧約聖書に、「時宜に適って語られる言葉は、銀の器に盛るリンゴのごとし」という一節がありますが、彼女が言ってくれた言葉は、まさしくあの瞬間、私は必要としていた、金のリンゴでした。

 このほかにも、何回か死生を分けることがありましたが、その都度、私は人に救われ、生かしていただきました。私がこうして長生きしていられるのは、時宜に適って、救ってくれた人に巡り合えたからです。

  時宜に適って、人は人に巡り合い、金の言葉に出逢う

  オリンピックの金メダルはすばらしい栄誉です。そして、時宜に適って巡り合う金の言葉 、そして巡り会う人も すばらしい宝ですね。

◇   □   ○  ※  ☆

  今日も、よい日となりますように。

【聖書】 新改訳改訂第3版から  文語の聖書と少し訳が異なります。

 時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。 箴言25章11節

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2018年2月15日 (木)

西郷隆盛と聖書 「敬天愛人」の書に込められた真実

0002『百万人の福音』 2018年 2月号

いのちのことば社

2018年2月1日発行

西郷隆盛と聖書

特集 「敬天愛人」に込められた真実

 NHKの大河ドラマ 西郷隆盛 が始まって一か月あまり ・・・詳しいことはそちらにおまかせするとして、この『百万人の福音』の特集で、私が感動したところを紹介させていただきます。

 ◇   □  ○  ※  ☆

 1867年、江戸の警護をしていた庄内藩の藩士が、薩摩藩邸を包囲し砲撃を加えて焼き討ちした。

 幕府側の藩として、会津藩が有名ですが、庄内藩も根強い幕府側の藩でした。

 時は移り、薩摩藩、長州藩が連合した新政府軍と幕府軍は鳥羽伏見で戦い、
激戦の末、新政府軍が勝利。続いて、会津戦争・・・土佐藩も加わった新政府軍が会津の鶴ヶ城を落城させた。

  薩摩藩邸焼き討ち事件を起こした庄内藩は、降伏した後の処分が厳しいことが予想され、激しく抵抗したが、ついに、降伏。 降伏式に臨む庄内藩主・酒井忠勝はじめ、重臣たちは切腹を覚悟し、白装束で新政府軍の総司令官、西郷隆盛を迎えた。

  乗り込んできた西郷隆盛は、慈父のように庄内藩士を諭し、「敵となり味方となるのは運命である。一旦、降伏した以上、兄弟と同じと心得よ」

  降伏のあかしとして武器一切の目録を渡そうとすると、西郷は、それを断って、こういった。

「貴藩は、北国の雄藩じゃ。ロシアからの攻撃に備えて北方の守りをしてもらわねばいけもはん。武器はそのまま、お持ちいただければよか」

  城を庄内藩が明け渡すとき、西郷は、政府軍に丸腰になるように命じ、庄内藩には帯刀を許した。 庄内藩への処分は、藩主の二年間の謹慎で終わらせたとのこと。

  ◇   □  ○  ※ ☆

 内村鑑三は、敵を赦し生かした歴史的事実の背景にはキリスト教の影響があったと推論している。 敬天愛人 ・・・『南州翁遺訓』には西郷の、「天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり」という言葉があるそうです。

  感銘を受けました。

  今日も、よい日となりますように。

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2018年2月14日 (水)

右の頬を打たれたら  ーその2ー

 「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」

 イエス・キリストの山上の垂訓の一節 ・・・ 曾野綾子さんは、『現代に生きる聖書』で次のように述べておられます。

   ◇   □   ○  ※  ☆

  イエスは、手の甲で打たれるほどの侮辱を受けても、さらに左の頬を向けなさいと言われます。人間どうしの関係あるいは判断においてなされた侮辱などということは何でもない、問題は神から見て自分がどうであるかということであり、本当に自分が侮辱されなければいけないものかどうかは神が決めるというのです。唯一こわいのは、のちにふれるように、隠れたところにあって隠れたものを見ている神の目の前で、自分がどういう行為をしたかということなのです。

    だから、神に対して恥じることがなかったら打たれていればいいし、さらに左の頬をも差し出せばいいのです。つまり評価を人間の目でしてはいけない、人間関係において決着をつけてはいけないのです。これは大変難しいことで、私たちはこのような見方はすぐにはできません。けれども、こういう見方もあることを知らなければいけないのです。

   ◇   □   ○  ※  ☆

  聖書に「目には 目を 歯には歯を」 とあるではないか、とお思いの方、おありかと思います。これは、世界最古の法律とされるハムラビ法典に出てくる同害復讐法のことにそうあることをあなたがたは聞いておられるでしょう、とキリストは、自分の教えを語る前の前提として語ったところで言われた言葉なのです。

  実際には、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」 ということは、とても難しいですね。

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2018年2月13日 (火)

右の頬を打たれたら  『現代に生きる聖書』 曾野綾子

 イエス・キリストが山に上って語られた「山上の垂訓」・・・66巻ある聖書の中で特によく知られている箇所ですね。

  『現代に生きる聖書』 曾野綾子 著 NHK出版 2001年5月25日 第1刷発行から、山上の垂訓の「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」について、引用・紹介させていただきます。

0007 曾野綾子さんは、こう書いておられます。

 まず、あなたが敵対している相手と向かい合っているところを想像してみてください。ここで相手を打つときには、だいたいの人が右利きですから、右の手をあげて相手を打つ。そうすると相手のどちらの頬を打つかと言えば、自然に「左」の頬を打っているわけです。これは聖書に書かれている位置とは違います。どうやったら向かい合った相手の「右」の頬を打てるかと言うと、右利きの人の場合なら手の甲で打つのです。

  この手の甲で打つことは、相手に非常な侮辱を与えるものであったということになっています。

『ミシュナ』というユダヤ法を集成した書物の「損害の巻」のなかに「ババ・カマ(第一の門)」という章があります。

・・・その八-六というところに、「男が同胞の横面を張ったら、彼は四百デナリオン払わねばならない」とあります。その場合、平手で打ったら二百デナリオンで、手の甲で打ったら四百デナリオン払わなければいけないのです。要するに、甲打ちは平手打ちの倍の値段を払わねばならなかったということです。デナリオンというのは今で言うといくらくらいになるか、正確に換算することは不可能でしょうが、一日の労賃が一デナリオンと言われていました。今の労賃にしたら大変なものです。もし一日の労賃が一万円としたら、横面を手の甲打ちで侮辱的に打ったら、四百万円、つまり一年分の収入以上のものを相手に払わなければなりません。手の甲で打つことは、それほど相手をばかにしているということであって、この『ミシュナ』の規定は、その精神的な痛めつけられ方に対して補償してもらおうではないかということだろうと思うのです。

   ◇   □   ○   ※  ☆

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。 実は、太宰治の「走れメロス」にメロスとセリヌンティウスが頬を打ち合う場面があって、そこで、ある生徒が「セリヌンティウスは左利きなのですか」と質問を発したのが、この文と私の出会いとなったのでした。

  さて、イエス・キリストが教えているのは、どんなことなのか、は明日、引用させていただきますね。

  今日も、よい日となりますように。

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2018年2月12日 (月)

意気に感じてくれた !? ー あるエアコンのこと ー

 この冬は気温が低い日が続きますね。

  暖房効率を考えて、日当たりのよい部屋で過ごす時間を増やしました。日中は暖かい陽ざしがずいぶん恩恵をもたらしてくれています。雨や雪の日、曇った日、夜はエアコンの世話になります。

  ところが、このエアコン 何だか調子がよくなくて、気温の下がっている早朝、そして冷え込んできた夜には、暖かい空気が出てこないのでした。比較的暖かい日中に暖気を送り出す・・・ 古くなったとは言え、こんな寒がりのエアコンだったのか と頼りなく思いました。フィルターの掃除などは、こまめにしていたのですけれど。

  やむなく、小型の石油ストーブと併用して寒さをしのいでいたのです。買い換えも考え始めていたら・・・何と、寒い時間帯にも好調で動き始めたのです。

  頼もしい ・・・ エアコンが自らをエアコンであることを自覚してくれた、としか思えない動きです。 

  電機製品にも、スポーツ選手の「よい結果を出せないときも、信頼して使いつづけてくれた監督のおかげです」というような、意気に感じる心があるのでしょうか。できるだけ、電機製品のそばで、使いながら悪口は言わないようにはしてきたのですけれど。

  とにかく、寒いときに暖気を送ってくれるようになったエアコンの覚醒を喜んでおります。

  別の電機製品の話ですが、プリンタの動作が思わしくなくなったので、二つの手立てを取りました。

1.プラグを抜いて、しばらく放置しておく ・・・ 不具合を起こすようになった要因が、この作業でリセットされて調子が戻ることがあります。

2.そのプリンタのメーカーのホームページから、プリンタのドライバをダウンロードする ・・・パソコンのWindowsのアップデイトがあると、周辺機器との折り合いが悪くなることがあります そういうときに有効な手だてです。

 幸い、今回は2の処置で、プリンタが作動してくれるようになりました。

 以上、お役に立たない面もあるかと思いますが、電機製品との付き合い方の例でした。

  今日も、よい日となりますように。

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2018年2月11日 (日)

♪「イマジン」

 平昌での冬季オリンピック ・・・92カ国・地域、2900人を超える選手の参加は、史上最大の規模だそうですね。

 たくさんの国が 選手たちが このオリンピックに向けて練習を積んできました。それぞれの選手が、培ってきた実力を最高に発揮することが出来ますように。

 皆さま、よくご存じの♪「イマジン」の歌詞と和訳を掲載させていただきます。※ 実は、金曜日の夜、テレビで開会式を見ながら、ジョン・レノンが平和の実現を願って作った「イマジン」を思い浮かべ、準備しましたら、そのあと、開会式にこの歌が登場し、四人の歌手たちが歌い上げたので、ちょっと驚きました。 名曲ですから、この歌へ思いが導かれる人はたくさん居るのですね。

 世界が一つの国になったら、国境も、戦争もなくなる ・・・そういうことが実現したら うれしいですね。 もちろん、力によって独裁者が世界征服をして一つの国だけになるするということではありません。 このページから転載させていただきました。ありがとうございます。http://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.htm

   ◇    □    ○   ※  ☆

イマジン Imagine 和訳

Imagine there's no Heaven
      It's easy if you try
      No Hell below us
      Above us only sky
      Imagine all the people
      Living for today...

      Imagine there's no countries
      It isn't hard to do
      Nothing to kill or die for
      And no religion too
      Imagine all the people
      Living life in peace

      You may say I'm a dreamer
      But I'm not the only one
      I hope someday you'll join us
      And the world will be as one

      Imagine no possessions
      I wonder if you can
      No need for greed or hunger
      A brotherhood of man
      Imagine all the people
      Sharing all the world

      You may say I'm a dreamer
      But I'm not the only one
      I hope someday you'll join us
      And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと
      ほら、簡単でしょう?
      地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
      さあ想像してごらん みんなが
      ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
      そんなに難しくないでしょう?
      殺す理由も死ぬ理由も無く
      そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
      ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
      でも僕一人じゃないはず
      いつかあなたもみんな仲間になって
      きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
      あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
      でも僕一人じゃないはず
      いつかあなたもみんな仲間になって
      そして世界はきっとひとつになるんだ

◇   □   ○  ※  ☆

今日も、よい日となりますように。

日曜日。キリスト教会の礼拝に、どうぞ。

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2018年2月10日 (土)

篠田桃紅さん 『一〇三歳になってわかったこと』 人生は一人でも面白い

0004『一〇三歳になってわかったこと』 

人生は一人でも面白い

篠田桃紅 著

幻冬舎 

2015年4月10日 第1刷発行

 篠田桃紅さんは、岐阜県にゆかりのあるかたで、映画監督、篠田正浩さんは従兄とのこと。

  ご存じの方が多いと思いますが、「墨象」という新しい墨の造形、水墨の抽象画に取り組み、まずアメリカで評判になり、水墨に適した気候の日本に帰国されました。

 本書に続いて、元気に本を出版しておられます。

  • 『人生は一本の線』 幻冬舎 2016
  • 『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』幻冬舎 2017
  • 『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』世界文化社 2017
  •  さて、『一〇三歳になってわかったこと』 ・・・とても、さばさばと記しておられます。 大きな紙に筆ですっすと描いていかれるように、語られる言葉もすっきりしていて、そして、自分は、こう思う、こう生きてきたということを誰はばかることなく述べておられます。 

       ◇    □     ○   ※   ☆

    幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある

             いいことずくめの人はいない、一生もない

    真正面だけではなく 斜めからも見てみる。 新たな魅力があるかもしれない。 

    知識に加えて、感覚も磨けば ものごとの真価に近づく 

     巻末のページにはこう記されています。

     自分の心が一番尊い、と信じて自分一人の生き方をする。

      よろしければ、どうぞ。

      今日も、よい日となりますように。

      明日は日曜日。キリスト教会の礼拝に、どうぞ。

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    2018年2月 9日 (金)

    昼間のカモ

    C 池のほとりに佇つ教会からのショットです。気温が上がる日中 ・・・見ようによっては、うつらうつらしているように見えるカモ。 けれど、牧師夫人は、ある夜、こんな光景を見たのだそうです。

     カモが騒ぐので、出てみるとカモをねらって何と狸が泳いでいたのだそうです。 それをカモたちは集団で撃退したようなのです。

     カモが昼間、眠たくなるのも分かりますね・・・えっ、眠っていないって ・・・失礼しました。 起きていても眠ったふりは狸寝入りというのでしたね。

     野生で生きてゆくのは、なかなかたいへんなことなのだと、カモのことも狸のことも考えて、思いました。

      朝夕、けっこう冷え込むこの頃  どうぞ、暖かくしておすごしください。

      今日も、よい日となりますように。 

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    2018年2月 8日 (木)

    星野富弘さんの詩画 「痛みを感じるのは」

    0001 ムーミンママに すてきなクリスチャン女性から 星野富弘さんの絵はがきが届きました。

      その文面に、そして星野富弘さんの詩とイチヤクソウの絵に 力をいただきました。ありがとうございます。

      冬が 大いにその猛威を発揮しています。 インフルエンザも流行っています。

      どうぞ、お身体、お大切に。

     私たち、人間も 力を発揮して 元気に歩めますように。

     今日も、よい日となりますように。

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    2018年2月 7日 (水)

    摂氏4度の水 その2

     お待たせいたしました。昨日からの続編  4℃の水が一番重くなることの意味

     解き明かし編です。

       小西清明先生は、こう話されました。

       ◇    □    ○    ※    ☆

     寒くなってくると、池は表面から凍ります。・・・鯉は、その下で生活しています。池の下のほうにある水は・・・特に底の方にある水は重い水 限りなく4℃に近い水ということになります。 

      もし、水が零℃で一番重くなると、池は底のほうから凍ることになり、鯉は上へ上へと上がっていかないと生きられないことになります。  もう一つ、魚は定温動物ではなく、変温動物などで、周囲の温度につれて体温が下がり、生命活動に費やす酸素量、エネルギー量も、それにつれて限りなく低くなるので、生命を維持して春を迎えることができるのです。

       ◇    □    ○    ※    ☆

     私の長年の疑問は 小西清明先生の説明によって、見事に解けました。

     ありがとうございました。 

      クリスチャンの私としては、そのように自然界を創造された神様に改めて畏敬の念を覚えた出来事でした。

      下呂の上原(かみはら)小学校の勤務時代 ・・・ 下呂の町は、銭湯も温泉で、内側から体が温まり、湯冷めしないのだという体験もさせていただきました。 家で飼っている乳牛の飼育を小学生も一生懸命していました。小西清明先生は青年でしたし、私も30代半ばでした。 懐かしい日々の、よき思い出です。

      二日間、おつきあいいただき、ありがとうございました。

      まだ寒い日が続きます。どうぞ、お健やかで、よい日となりますように。

     

    続きを読む "摂氏4度の水 その2"

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    2018年2月 6日 (火)

    摂氏4度の水

     小学4年生のとき、学習雑誌でこんな話を読みました。私にも小学生だったことがあったのです。 ウッソー いえ、本当なのです(^J^)

        ◇    □    ○   ※    ☆

      水は、摂氏何度の時に一番重くなるか ・・・ 受験生の中で、正解したのはただ一人、若き日の野口英世博士・・・その当時は野口清作という名だったようです。 野口英世さんは、摂氏4度と答え、水の分子が隙間なくぎっしりと並んだ図も添えたとのこと。

        ◇    □    ○   ※    ☆

      わぁ、野口英世博士は若いときからすごいひとだったなぁ、と思った当時10歳の私でした。それと同時に、「なぜ、水の密度が一番高くなる温度が4℃なのだろう」という疑問が残りました。

     深い理由はありませんが、そこを零℃とすると、何だかスッキリするように思ったのです。子どもの時に抱いた素朴な疑問が氷解したのは、ほぼ25年後、教師として下呂の上原(かみはら)小学校に勤めていたときでした。

     下呂の冬は、雪はそれほど多くないところもありますが、気温はぐっと冷えるところがあり、寒天を仕上げる地域もあります。教員住宅の前を流れていた川の表面が凍って、私が上に乗ってもびくともしないほど厚い氷に覆われた冬がありました。 

     川がそうですから、近所の鯉を飼っておられる池はもっと厚い氷が張っていました。  「あの池、あんなに凍って、鯉はどうしているだろう」と、同じ小学校に勤めていた理科の先生に尋ねました。 若き青年教師 ・・・ □□清明先生です。 このブログ、有名人、作家などはともかく、固有名詞が登場するのはめずらしいことですね。 今回、お名前を公開するのは、二つ理由があるのです。 一つは、 「清明」というお名前が、私の父と同じだからです。

     もう一つは、このブログを愛読してくださっているかたのお孫さんが、この□□清明先生が後に校長先生になったときの学校に通っている(通っていた)といういきさつがあるからです。

      おお、ここまでが長くなってしまいましたね。続きは、明日、書かせていただきます。

      気を持たせるようで申し訳ありませんが、今回のところまでお読みになって、水が零℃で一番密度が高くなる、別の言い方で比重が一番重くなるのでなく4℃のときにそうなっていることの大きな意味を、皆さまもお考えになっていただければ幸いです。 4℃の水が一番重くなることの意味 と申しますか。

     □□清明先生は、私の長年の疑問に見事に答えてくださったのです。

     お楽しみに。  今日も、よい日となりますように。

     

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    2018年2月 5日 (月)

    紺屋の白袴 ー洗濯機の洗濯ー

     先日、「掃除機の掃除」のことを書きました。

     

     今回は、「洗濯機の洗濯」です。 

     

     洗濯機に柔軟剤を注ぎ入れましたら、すーっと入っていかずに滞り気味。

    取扱説明書を見ますと、時々、中を洗うようにと、やり方が書いてありました。

    ことのついでに、洗濯槽の外側も洗いました。 

     

     それからは、順調です。 なんだか、ことわざにこういうことってあったような気がしてきて、ためしに「紺屋の白袴」をネットで検索してみました。

    紺屋の白袴

     

    【意味】
    紺屋の白袴とは、他人のためにばかり働いて、自分のことに手が回らないことまた、いつでもできると思い、何もしないでいることのたとえ。

    【語源・由来】
    人の白い袴を紺色に染める紺屋が、染める仕事に忙しく、自分は染めていない白色の袴をはいていることから転じて、他人のことにばかり忙しく、自分自身のことに手をかける暇がないということ。一説によると、紺屋は仕事中に染める液を自分の白袴には一滴もつけないという、職人の誇りを表しているともいわれている。「紺屋(こうや)」は「こんや」の転で、染め物屋のこと。

    【類義語】
    ・医者の不養生
    ・医者の若死に出家の地獄
    ・易者身の上知らず
    ・学者の不身持ち
    ・駕籠舁き駕籠に乗らず
    ・鍛冶屋の竹火箸
    ・紙漉きの手鼻
    ・髪結い髪結わず・
    ・髪結いの乱れ髪
    ・紺屋の白足袋
    ・左官の荒壁
    ・算術者の不身代
    ・儒者の不身持ち
    ・大工の掘っ立て
    ・坊主の不信心
    ・椀作りの欠け椀

     

       ◇    □   ○   ※   ☆

     

     なんだか、類義のことわざには穏やかでないものもありますけれど、興味深く思いました。

     

     それは、ともかく 立春から、1日分、春に近づきました。梅の便りも聞かれるようになりますね。

     今日もよい日となりますように。

     

     

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    2018年2月 4日 (日)

    城山三郎さんの詩

      昨日の『藤沢周平のこころ』に城山三郎さんとの特別対談、「日本の美しい心」が掲載されています。

      お二人は、ともに昭和2年生まれ。かけがえのない青春期と戦争が重なった世代の方たちです。 奥深い対談の結び近く、城山さんが自作の詩を披露されます。

            ◇    □    ○   ※  ☆

     「旗」  城山三郎

     旗振るな  旗振らすな 旗伏せよ 旗たため

     社旗も 校旗も 国々の旗も 国策なる旗も 運動という名の旗も

     ひと みな ひとり

     ひとりには ひとつの命 (中略)

     生きるには 旗  要らず

     旗振るな 旗振らすな 旗 伏せよ 旗 たためよ

        ◇    □    ○   ※  ☆

    (藤沢) いい詩ですね。 戦争中、旗振りが非常に多くて、さんざんやられましたから、本当にもうたくさん、という気持で一杯です。

    (城山) いまでも目の見えない旗を振っている人がいるから、怖いんです。小説好きは旗を嫌いますから、みんながもっと小説を読んでくれるといいですね。それが文学の持つ力ではないでしょうか。

    (藤沢)それを信じて書き綴ってきたところがありますからね。

      ◇    □    ○   ※  ☆

    それぞれのプロフィールのお写真のところに 一言ずつ 記載されています。

    藤沢周平さん

      機械化で楽になったのはほんの短期間。科学の進歩は本当に将来の人類のためだろうか

    城山三郎さん

      私の実感としては百人百様の生き方ができる世の中が一番いいけれど、その逆に逆に動く

      よろしければ、どうぞ。

      今日もよい日となりますように。

      日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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    2018年2月 3日 (土)

    藤沢周平さんの小説観

    0004『藤沢周平のこころ』

    文春ムック オール讀物責任編集

    文藝春秋 平成28年12月26日発行

     この本は、藤沢周平さん没後20年 完全保存版 ということで編集・発行されたそうですから、今年は、没後22年にあたるのですね。

      たくさんの方のたくさんの文章が収められているので、読み応えがあります。

     その中から、二つ、紹介させていただきます。 

      藤沢周平さんご自身の言葉と、城山三郎さんが藤沢さんとの対談で披露されている詩です。

     ◇  □  ○  ※ ☆

      転機の作物  藤沢周平  から   ー抜粋・編集ー

     私が小説を書き始めたころは暗い色合いの小説ばかり書いていた、当時の小説を読み返すと男女の愛は別離で終わるし、武士は死んで物語を終わるというふうだった。ハッピーエンドが書けなかった・・・物語という革ぶくろの中に、私は鬱屈した気分をせっせと流し込んだ。・・・書くことだけを考えていた私が、書いたものが読まれること、つまり読者の存在に気づいたのはいつごろだったのか、正確なことはわからない。

     だが読まれることが視野に入ってくると、私の小説が、大衆小説のおもしろさの中の大切な要件である明るさと救いを欠いていることは自明のことだった。かなり他人迷惑な産物でもある。そしてそのことに気づいたというのは、気持の中にあった鬱屈がまったく解消されたわけではないにしろ、書くことによってある程度は癒やされ、解放されたということでもあった。

     そういう全体を意識してしまえば、いつまでも同じ歌をうたうわけにいかないことは、これまた自明のことである。そのまま小説を書きつづけるとしたら、鬱屈だけをうたうのではなく、救済された自分をもうたうべきであった。それが自分と読者に対して正直であり得る唯一の方法だった。・・・

                 ◇  □  ○  ※ ☆

      この文を読ませていただいて、藤沢周平さんの作家としての在り方の核心となるところが過不足なく真摯・誠実に吐露されているのではないかと思いました。

      城山三郎さんの詩は、明日、紹介させていただきますね。

       今日も、よい日となりますように。

      明日は、二月最初の日曜日。キリスト教会の礼拝においでください。

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    2018年2月 2日 (金)

    聞香(もんこう)  侘び助椿

     昨日の『山月庵茶会記』 葉室 麟 著から学ばせていただいたことです。

    聞香・・・香は古(いにしえ)には仏に供えるものであったが、京の殿上人が女人のもとを訪れた後におのれの余韻としてどういう香りを残すかをくふうし、そういうときの薫物(たきもの)として使われるようになり、衣類に香を焚きこめ、室内に香をくゆらせたとのこと。 最近のアロマ・セラフィなどの遙かなる先駆けの面もあると言えましょうか。「香りを聞く」・・・奥ゆかしい表現ですね。 「聴香」という言葉も目にしたことがあります。

     『源氏物語』の「梅枝」(うめがえ)の巻では光源氏が明石君との間に生まれた姫の入内(じゅだい)のために薫物をととのえ、紫の上(むらさきのうえ)や花散里(はなちるさと)ら女人たちにも香を調合させて香りの良否を競う「薫物合わせ」(たきものあわせ)を行う場面があるとのことです。 ご存じのかたも、多いのでしょうね。 私は、源氏物語を読んだことがないとは申しませんが、熟読したとも申せません。 

    0016
    侘助椿(わびすけつばき) 
    ・・・諸説あるようですが、加藤清正が朝鮮から持ち帰った椿で、利休の下僕の侘助が苦心して育てたことから、こう呼ばれるようになった、などと言い伝えられているそうです。

      何かについて知ることは、楽しいですね。

      今日も、よい日となりますように。

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    2018年2月 1日 (木)

    会話のひとこと から

     いつもお世話になる図書館で、宇江佐真理さんの遺作となった『うめ婆行状記』を返却しながら、司書さんに「宇江佐真理さんの本、楽しみに読んできたのですけれど・・・」とお話ししました。

     司書さんは、「そうですね。葉室麟さんもお亡くなりになられて寂しがっている方がおられます」

      ・・・そうなのか、と思って、本棚に行くと何冊もの葉室麟さんの著書がありました。そうした一冊の宣伝文にはこう書かれていました。

       ◇   □   ○   ※  ☆

     『柚子の花咲く』・・・「生きていることが辛いと思えるとき、私たちには葉室麟の小説がある」 縄田一男氏も賞賛の傑作長編時代小説。恩師殺害の真相を探るべく、青年藩士・筒井恭平は隣藩への決死の潜入を試みるー愛とは、学ぶとは、生きる意味とは何かを問う!

        ◇   □   ○   ※  ☆

     なかなか、心憎いキャッチコピーですね。

     葉室麟さんの著書をとりあえず四冊借りてきて、読みました。

    0006  宇江佐真理さんは江戸時代の庶民の人情を描いておられました。

      葉室麟さんは、武士の生き方、それに寄り添って生きる妻の在り方などを描いた作風のものが多いようです。

      そういえば、『蜩の記』も葉室麟さんが書かれた本でした。

      左の本は、茶会を通して謎が解き明かされていく面白さがありました。

      源氏物語の聞香の場面や、侘び助椿の名の由来、掛け軸、生け花などにも著者の深い造詣がうかがえます。

      よろしければ、図書館で、お好みの一冊とお出会いくださればと思います。 

    0008
     先ほどのキャッチコピーで語られている本です。

     師弟愛を感じて、感動いたしました。

    0009『この君なくば』 

     この君なくば一日もあらじ

      幕末の尊皇攘夷 勤王に分かれての激しい戦い その時代に翻弄されながらも人生を志高く歩む主人公たち

      読後感も、さわやかです。

    0007  道場主の父を失った三人の子どもたち ・・・  生計を立てるために考えたのは、何と 道場破り  この道場破りをしながら父の仇を探し出そうという思惑もあるのですが、さてどうなることでしょう。

     ということで、今日は、図書館での会話のひとことから、葉室麟さんの著書と巡り会って読み進んでいることを書かせていただきました。

      まだまだ、出会うとよい本は、この世にたくさんあるのでしょうね。

      読書の冬 とでも言えそうな今年の冬の過ごし方です。

      今日も、よい日となりますように。

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