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2018年2月15日 (木)

西郷隆盛と聖書 「敬天愛人」の書に込められた真実

0002『百万人の福音』 2018年 2月号

いのちのことば社

2018年2月1日発行

西郷隆盛と聖書

特集 「敬天愛人」に込められた真実

 NHKの大河ドラマ 西郷隆盛 が始まって一か月あまり ・・・詳しいことはそちらにおまかせするとして、この『百万人の福音』の特集で、私が感動したところを紹介させていただきます。

 ◇   □  ○  ※  ☆

 1867年、江戸の警護をしていた庄内藩の藩士が、薩摩藩邸を包囲し砲撃を加えて焼き討ちした。

 幕府側の藩として、会津藩が有名ですが、庄内藩も根強い幕府側の藩でした。

 時は移り、薩摩藩、長州藩が連合した新政府軍と幕府軍は鳥羽伏見で戦い、
激戦の末、新政府軍が勝利。続いて、会津戦争・・・土佐藩も加わった新政府軍が会津の鶴ヶ城を落城させた。

  薩摩藩邸焼き討ち事件を起こした庄内藩は、降伏した後の処分が厳しいことが予想され、激しく抵抗したが、ついに、降伏。 降伏式に臨む庄内藩主・酒井忠勝はじめ、重臣たちは切腹を覚悟し、白装束で新政府軍の総司令官、西郷隆盛を迎えた。

  乗り込んできた西郷隆盛は、慈父のように庄内藩士を諭し、「敵となり味方となるのは運命である。一旦、降伏した以上、兄弟と同じと心得よ」

  降伏のあかしとして武器一切の目録を渡そうとすると、西郷は、それを断って、こういった。

「貴藩は、北国の雄藩じゃ。ロシアからの攻撃に備えて北方の守りをしてもらわねばいけもはん。武器はそのまま、お持ちいただければよか」

  城を庄内藩が明け渡すとき、西郷は、政府軍に丸腰になるように命じ、庄内藩には帯刀を許した。 庄内藩への処分は、藩主の二年間の謹慎で終わらせたとのこと。

  ◇   □  ○  ※ ☆

 内村鑑三は、敵を赦し生かした歴史的事実の背景にはキリスト教の影響があったと推論している。 敬天愛人 ・・・『南州翁遺訓』には西郷の、「天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり」という言葉があるそうです。

  感銘を受けました。

  今日も、よい日となりますように。

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