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2018年5月 6日 (日)

『はなとゆめ』 冲方丁(うぶかた とう)

0002_2『はなとゆね』 

冲方丁(うぶかた とう) 著

角川書店 2013年11月6日 初版発行

 冲方丁さんは、1977年に岐阜県でお生まれになった方だそうです。

  『はなとゆめ』は、清少納言の目から、宮仕えのこと、藤原氏の政争のこと、お仕えした中宮定子の人柄などを記した佳編だと思います。

 印象に残った本文を、引用紹介させていただきます。

  ◇   □   ○  ※    ☆

 出仕することで、こんな自分にも特技があるのだと知ることができた・・・まず、第一にそれは、記憶すると言うことでした。 ちょっとした言葉のやり取り、誰がどんな装いをしていたか、あるいは誰々の手蹟。誰々が描いた絵。・・・そしてもう一つ、それは「あわい」を見るのが好きということでした。時に誉められますが、ときに大いに笑われたり、唖然とされたりするもので、、特技というよりわたしの性(さが)というべきものかも知れません。誰も面白いとは思わないような、ものごとの白黒定かない、うっすらとほのかなもの。そうしたものに、喩えようもなく惹かれるのです。あるじ(中宮定子9と女房たちが坪庭に集い、二つに分かれて花合わせをするときなど、みなが用意された草花に歌を添え、互いに評し、優劣を競い合う中で、わたしはつい、花の色の濃さや薄さ、ふと現れては消える香りなどを口にしてしまうのでした。

  和歌には詠まれない。漢詩にもならない。そういう微妙な「あや」に心惹かれ、ときには、時には胸を衝(つ)かれるような思いがして、物狂おしくなる。それを自分だけが面白いと思うだけでは飽き足らず、どうにかして他の人にも伝えたい。そう思ってしまうのが、つまりこの、私という人間であることを、この出仕で初めて知ったのです。

     ◇   □   ○  ※    ☆

 『枕草子』の母体となる清少納言という人の特性、それが見事に表現されているように思います。

 もう一箇所、中宮定子についてのこの文章が印象的でした。

  和歌でも漢詩でもなければ、にっきですらない、あの脈絡のないわたしの『枕』に本当の意味で命が吹き込まれた・・・そうさせてくださったのは、中宮様でした。中宮様はわたしに、ただ紙をくださったのではありません。聖賢の王は、人に何かを与えたりはしないのです。その人をその人にしてくれる。だから古来、人は聖賢の王を求めるのだ。そう思ったことを、いまもはっきり覚えています。

 古典の世界、その書かれた時代に生きた人々を活き活きと現代の世の中に息づかせている本だと思います。

  今日も、よい日となりますように。

  日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 


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