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2018年7月11日 (水)

「お茶を入れました」 と「お茶が入りました」 の違い

 関根一夫牧師さんのメールマガジン、「いてくれてありがとう」 7月10日号は、「日本語あれこれ」というテーマでした。その冒頭を紹介させていただきます。

   ◇    □    ○   ※  ☆

  日本語は「ある」を中心にした言葉であり、英語は「する」を中心にした言葉だと言われています。

 「お茶を入れました」というより「お茶が入りました」のほうが日本語的です。お茶を入れたのは私だとしても、あたかもお茶が自分で入ったような雰囲気の言葉です。
 日本語は自然な情景や状況を表すことを中心とし、人為や作為を避けようとする言語です。

    ◇    □    ○   ※  ☆

  関心を覚えた方は、「続きを読む」をクリックしていただくとこの日の全文を
お読みいただけます。 長年、国語教師であった私にも、読み応えがありました。  

 今日も、よい日となりますように。

【日本語あれこれ】

「日常で神と響く」という柳田敏洋神父が書いた本があります。2巻になっていますが、とても興味深い本です。
瞑想とか呼吸について考えさせてくれる本です。その2巻目に日本語に関する文章が書かれています。
要点はこんな感じです。

日本語は「ある」を中心にした言葉であり、英語は「する」を中心にした言葉だと言われています。
「お茶を入れました」というより「お茶が入りました」のほうが日本語的です。お茶を入れたのは私だとしても、あたかもお茶が自分で入ったような雰囲気の言葉です。
日本語は自然な情景や状況を表すことを中心とし、人為や作為を避けようとする言語です。
山に登って富士山が見えた時、「あ、富士山が見える」と日本語では言います。
英語では「I see Mt, Fuji(直訳すると、わたしは富士山を見る)」となります。
「富士山が見える」という言い方は「富士山を見る」のではなく「見える」のですから、富士山が自ずから姿を表してくれているような感覚です。つまり、主語がいらないのです。
また、
相手のことを理解するという意味で「わかる」という日本語の表現があります。
英語では「Understand」(アンダスタンド)ですね。これは「under」(下に)「stand」(立つ)という言葉がくっついていて、私が相手のところに行き、相手の下に立って、状況を理解するという意味になります。謙虚な姿勢です。
でも、この単語も「下に立つという主体の行為」が明確です。
私がそこに立つことで理解できるようになるという「する」という行為が必須です。

ところが、日本語の「わかる」という言葉は、古語の「わく(分ける)に由来し、人間のコントロールを超えて自然に分けられるようになる」という意味があると言われています

私からの働きかけによるのではなく、相手が自らを示し、それを私が受け止めるということが「わかる」ということなのだというのです。混沌としている状況が分けられ、おのずと見えてくるものがある、それが「わかる」ということです。

日本語は自己主張的言語ではなく、自然を中心とし、自然の中に人間の営みが配置され、人為が自然と共鳴して、その共鳴の中に自らを消してしまうような言語であり、自然との共生を感じられる言語なのです。
++++
こういう日本語をわかりにくいと感じてしまうとすれば、それは「言葉が枯れてきてしまっている」ことの証拠かもしれないと感じます。
心のあり方にも通じる日本語の理解と使い方、もう少し大切にしたいものだと思う今日このごろです。
日本語に「いてくれてありがとう」

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◎主の平和がありますように!

関根一夫
pastor.kaz@gmail.com
https://www.kazsek.com

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