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2018年9月25日 (火)

宮城谷昌光さんの小説観 2

 さて、今日こそ、このタイトルに沿って真面目に書かせていただきます。

 『管仲』下巻のあとがきで、宮城谷さんはこう書かれています。少し他のところで書かれていることと組み合わせて紹介させてください。

  ◇    □    ○   ※  ☆

 管仲は、貴族の時代にはじめて民衆のための政治をおこなった。小説の世界の中で活躍させたいという願いをいだいた。ところが小説として書こうとしても、書けない人であった。管仲の人生の特徴は、つねに宥す人が近くにいたということである。 ※宥す 宥恕‥①寛大な心でゆるすこと。ゆるしてとがめないこと。ゆるし。

 人が人を宥すというのは、たしかに美しい行為ではあるが、至難の行為でもある。それを見事に行った鮑叔を友とし、桓公を主人とした。

 ・・・ 正確にいうと、小説は物語ではない。整理と省約を経た過去形を主な文体とするものではない。なぜ、ということに挑まなければならない。そのなぜが、主題であると同時に、問いと答えを構造化させて、はじめて小説といえるのである。

 ・・・私は十年以上、二十年以上も、斉にいるはずの鮑叔と遠く離れたところに生まれた管仲とのめぐりあいがどこだったかという難問を解こうとして、解けなかった。・・・管仲を書きます、といってからその難問を解決していないことに気づき、暗然とした。・・・もう書きはじめないと第一回分がまにあわない、という日が迫ってきたときに、ふしぎなことに、一つの光景が燦然とみえた。

 ー なるほど、そのようにふたりは遭ったのか。天佑とは、こういうものであろう。冒頭をみせてくれたのである。私は感動し、書きはじめたときに、これでこの小説は終わったも同然だ、とおもった。

 小説とは、最初がみえると最後もみえるものであるが、最後がみえてもかならずしも最初がみえるとはかぎらない。冒頭は小説全体の生命力の象徴といってよい。管仲と鮑叔がもつ陰陽は、桓公の出現で、反転する。その歴史的明暗を小説にとりいれたつもりである。 ・・・・

   ◇    □    ○   ※  ☆

  長くなりました。 お許しください。

  宮城谷昌光さんの著書では、心が震えることばに度々出会います。

  「正しいことが必ず力をもつ。これを文化という」も、その一つです。

 他の作家ですと、ポルノチックになるかもしれない場面で、「肉体を通して魂をかき抱く」 とひとこと で表現されているところがありました。 品格が伝わってまいりました。

 この宮城谷昌光さんが、たとえばノーベル文学賞の受賞者となられても、私は驚きません。宮城館昌光さんの筆によって描かれた数多くの人物たちも慶賀の拍手を送ることと思います。

  読書の秋 ・・・ あなたの傾倒なさっている作家がありましたら、お教えいただければ、嬉しいです。

  よい日となりますように。

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