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2018年9月13日 (木)

他人事と 見過ごすことなく

 関根一夫牧師先生のメールマガジン「いてくれてありがとう」に先月末、こういう文章が掲載されていました。

 よく知られていることなのかも知れませんが、のんびりしている私には衝撃を受けるニュースに思えました。

  実験したことはありませんが、カエルをいきなりお湯の中に入れると、敏捷に飛び出すけれど、水の中に入れて、ゆっくりと下から温めると、徐々の変化にならされて、身の危険を感知できなくなって飛び出さないのだそうです。

  下の話を読んで、そのことを思い出しました。関根先生がお書きになっているように、正しいと思うことには「イエス」、納得がいかないことには、今、その理不尽さが他の人にだけふりかかっていることに思えても、断固として「ノー」といえる歩みを貫くことがとても大事だと考えさせられました。以下は引用です。 今日も、よい日となりますように。

   ◇   □   ○   ※  ☆

【8月の終わりに】

 8月が終わりますね。
1年は12ヶ月ですから6月が終わった時点で半分が過ぎているわけですが、私の中ではなんとなく8月が終わると一年の半分の大きな山を乗り越えたという気持ちになります。
 でも、気がつけば今年もあと4ヶ月しかないわけですから、一年の終わりがあっという間だというのは当然のことです。
 そして、プロ野球や相撲や高校野球やアジア大会などスポーツの話題で心ワクワクしている間に、政治の世界や国際社会では深刻な問題が起こっており、国内では新しい法律がどんどん作られて生活の規制が入り込んできているような気がします。

  気がつけば、報道への規制や言論への規制、道徳の押し付けや憲法無視に近い政治家たちの言動など、冷静にはいられないほどの深刻な「全体主義」の足音が聞こえてくるような気がしてなりません。
8月、毎年のことながら私は平和について考え、本を読み、映像を見てあれこれ考えました。
近代における戦争が始まる前には「国民総動員」を扇動する声や「政治に無関心な雰囲気」が蔓延しているような事態が起こされていることに気付かされました。
 マルティン・ニーメラー牧師の言葉として知られている詩を思い出しています。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 ちなみに丸山眞男氏は著作の中でこのように訳し直しています。

  ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
  それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
  それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
  さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。 しかしそのときにはすでに手遅れであった。
丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)

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「いてくれてありがとう」の心が排除される出来事について
イエスはイエス、ノーはノーとはっきり言える者でありたいと心から願っています。

   ◇   □   ○   ※   ☆

 まさに、警鐘ですね。

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コメント

私もそう思います 書いて下さって本当にありがとうございます🔔
※ ムーミンパパより
  ブログを訪れ、そしてコメントをくださいまして、こちらこそ、ありがとうございます。さだまさしさんは、自らを、炭坑に入る人がカナリアを先頭にして坑道に入り、危険をいち早く感知するという話と結んで、ご自分をそのカナリアにたとえて「さだまさしが警鐘を鳴らさなくなったら世の中が思うように自分を表現できなくなる方向に向かっているのだと察知してほしい」と書いておられます。
  さだまさしさんだけをカナリアにしないで、歩んでいきたいと思います。
  

投稿: kh | 2018年9月14日 (金) 12時45分

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