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2018年9月15日 (土)

『木練柿(こねりがき』 あさのあつこ 著

0002『木練柿(こねりがき』 

あさのあつこ 著

光文社 

2009年10月25日 初版一刷 発行

 近 ごろ、読み始めたあさのあつこさんの時代小説・・・と思っていましたが、この本の表紙、以前に見たことがあるように思い、調べてみましたら、9年9か月前、2009年12月20日のこのブログに、この本の内容には直接触れていないのですが登場していました。

 そういうわけで、この本を読むのは二度目なのですが、前回に読んだことはほとんど忘れていて、・・・一度読んだ本を新鮮に読めるのは年齢を重ねてきたことの特権(?!)かもしれません。(^_^;

 この本は、『弥勒の月』からスタートしたシリーズで、武士から商人になった遠野屋の主人、清之介とクールで事件解決にめっぽう頭脳の冴えを示す町廻り同心の木暮信次郎、信次郎の人間性の欠如に辟易しながらも、長年の経験を生かして有能な働きで支える岡っ引きの伊佐治を軸に展開しています。

 岡っ引きの伊佐治親分は、なかなかの人情家で、窮地にありながら弱音をはかない遠野屋を見ながら、胸の中で、つぶやいています。こんなふうに。

  ◇    □    ○   ※   ☆

 遠野屋さん、あんた、間違っていますよ。黙って耐えるだけが人の生き方じゃありません。叫ぶのも、喚くのも、声を上げて泣くことだって人には入り用なんですぜ。あんたが黙って耐えている限りおしのさん(義母)も殻から出てこれねえ。あんたほどのお人が、それくれえのことになんで気がつかねんで。

 もっと、生身でいい。生の感情に振り回されていい。圧(の)し掛かってくる悲傷の前に跪(ひざまず)いたっていいではないか。跪いて、へたり込んで、頭(こうべ)を垂れて、泣き叫んで、身悶えして・・・・・・その後に人はゆっくり立ち上がるのだ。やっと立ち上がれるのだ

 言ってやりたい。けれど、伊佐治は喉元までせり上がってくる言葉をいつも飲み下してしまう。

    ◇    □    ○   ※   ☆

 こうしたところに、登場人物の口を通して、あさのあつこさんが、苦しいことに直面している人に いたわりと励ましのことばをかけているように思われました。

 人生は、いつも晴天のもと、ピクニックに出かけるようなときばかりではなく、徳川家康の述懐しているように、重い荷を背負って険しく長い坂道を登っていくようなときのほうがすっと多いのかも知れません。

 そんなときにも、視界の開けるところに足を運んで、空を見上げ、思いっきり新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでみる 心にあるやり場のない苦しみを叫んでみる  心にある重いものを思い切って吐露してみる そうすると重荷も 負いやすくなるかもしれません。 一気に重荷を雲散霧消してくれる特効薬があるといいのですけれど、大きな苦難に直面したときは、一段と強い心へと鍛え上げられるときであるかもしれません。

 早いもので、9月も半ばとなりました。どうぞ、お風邪を召したりなさいませんように。

 今日も、よい日となりますように。

明日は日曜日。キリスト教会の礼拝に、お出かけください。

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