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2018年9月20日 (木)

母と みたらし団子

  この「母と みたらし団子」が、なぜ音楽という項目に収まるのか・・・それをこれからお話しさせていただきますね。

   ◇    □    ○  ※  ☆

  私が小学校に上がる前のこと。食事中に父が私に何か話しかけました。食べることに集中していたのか、父の言葉を聞き漏らしましたが、ともかくも、まず、と思って「はい」と返事しました。

 すると、父が「そうか。それならば、習いに行きなさい」 ・・・(?!)

 これが、私がピアノを習いに行くことになったそもそもの出だしでした。

  父は、牧師。高山教会に、中国でドイツ人の先生についてピアノを学んだかたが礼拝に来られるようになり、次男である私が将来、礼拝で讃美歌などの奏楽が出来るようになればいいな、と考え、本人に習う意志があるかどうかを確かめてみようと聞いてくれたようです。

   (余談ですが、朝市が開かれる陣屋前に、夏になると大きなテントを張って天幕伝道というキリスト教の布教活動が行われていました。父やほかの牧師さんたちは、臨時の楽隊を編成して、町を一巡して広報 ・・・ 太鼓 アコーディオン タンバリン ・・・父はどの楽器も手がけていましたが、タンバリンを肘も使って器用に打ち鳴らす姿が印象に残っています。)

  そんなきっかけで始まったピアノ教室への入門 ・・・ 長続きしそうにないとお思いになるでしょう ?  それが続いたのは、ピアノ教室への行き帰りに付き添ってくれた母と、練習の帰り道に時々食べさせてくれたみたらし団子のおかげなのです。 先月の岐阜新聞に みたらし団子の由来が掲載されていて、上記のことを改めて思い浮かべました。※ 画像をクリックすると、読みやすくなるかと思います。

Photo
 記事には、1本5円とありますが、私がピアノ教室に通い始めた昭和27年頃は、10円で3本だったという記憶が・・・。現在は1本70円だと思います。

 母は、ふだんの練習にも付き合ってくれました。「子守歌」をつたなく練習していると、「上手に弾いていたから、寝てしまった」、とうつらうつら・・・疲れからか、演技なのか ・・・ どうも、励ますための演技だったと今では思うのですが・・・。

 小学三年生の時の担任の先生が文集にクラスの子の一口紹介を書いてくださったのですが、私の項目は、こうでした。

 「ピアノが上手で 本の虫」

 ・・・ ピアノが上手と言えるかどうかは分かりませんけれど、本を手放せない小学生であったことは確かです。 もし、あの頃、ピアノの練習の虫であったら ・・・ひょっとしたらレコードが出せるくらいの域に達していたかも知れません。 そう、思いつつ、けれど、教会のオルガニストの一人として、そして「音楽療法」というより、双方が音楽を通して活力を満たす時間を過ごすのだから「音楽両方」という呼称がいいな と楽しみながら 音楽とすごす時間を生活の一部と出来ることに喜びと感謝を覚えている72歳です。

 芸術の秋  食欲の秋 ・・・ よい日々となりますように。

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コメント

いやー!
ピアノと団子のエピソードは初耳でした。(笑)
いい話ですね。
この間墓参りに帰郷しましたが、やはり団子は必ずいただきます。
逆に飛騨牛串とかお寿司には抵抗を感じてしまいます。
さっぱり高山ラーメンと団子と出来れば朴葉味噌ですね。
※ ムーミンパパより
  コメント、ありがとう。
  お互いの高校時代、飛騨牛の串焼きや飛騨牛のお寿司はまだ、登場していませんでしたから、原体験とつながっているみたらし団子との結びつきのほうが、なんといっても強いですよね。  優しいお母さんにはお世話になりました。ありがとうございます。懐かしいです。
 

投稿: 坂本 | 2018年9月20日 (木) 19時42分

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