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2018年11月28日 (水)

『小説 河井継之助』

0002『小説 河井継之助』

童門冬二 (どうもんふゆじ) 著

東洋経済新報社

2008年3月13日 発行

 新潟の長岡藩・・・しばらく前に「米百俵」の話が有名になった藩を率いて、心ならずも新政府軍と戦って亡くなった幕末・明治初期の先覚者、河井継之助のことが書かれています。

 河井継之助が積極的に学び、行動する人でしたので、幕末の歴史について、いろいろな人物、どんな人がどんな考えを持って生きていたのかということや、歴史の歯車がどのようにまわったのかなど、私には初めて知る内容が多く書かれていて、勉強になりました。

 この本に、こんな箇所がありました。

 かつては徳川慶喜にもブレーンがいた。平岡円四郎や原市之進という人物である。・・・陰気な黒幕でなく、堂々たる政略家であった。京都に行った時に、河井継之助はこれらの存在を知って、「かれらも名臣の一人だ」と感じた。  しかし、二人とも敵方の手にかかって暗殺されてしまった。それほどかれらは知る人ぞ知る存在であり、敵方にとっては邪魔な存在だったのである。以来、慶喜は精細を失った。

  それほど大きな存在だった上記の二人がどんな人だったのだろうという関心が呼び覚まされました。それと、暗殺という手段の理不尽さ、卑劣さ、乱暴さにも、腹が立ちました。

  ◇     □     ○    ※   ☆

  新政府は、「王政復古」を宣言した。王政とは、すなわち王道政治ではないのか。王というのは仁と徳を持った存在だ。もし本当なら、自分が理を尽くして説けば必ず理解してくれるに違いない。もし理解しない時は、それは王者ではない。覇者だ。継之助はそう思っていた。

  ◇     □     ○    ※   ☆

  混沌とした歴史の状況の中で、現状を把握し、望ましい出口を見出すことにかけては天才的だった河井継之助は、戦死してしまいました。

  目先のことに振り回されず、民全体の幸せを実現する道を平和的に見出して世界が歩めるように、政治に志し、政治に携わる方たちは、ぜひ、河井継之助に学んでいただきたいと切に願います。

 今日も、よい日となりますように。

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