『黒鉄の志士たち』
植松三十里
文藝春秋
2013年9月10日 第1刷発行
肥前 佐賀藩の藩主、鍋島直正の、外国の高圧的な日本進出を防ぐには、相次いでやってくる諸外国に軍艦の大砲に匹敵する大砲を砲台に据えてみらみをきかすようにならなければとの命を受けた家臣たちの物語です。
砲術家 本島藤太夫、鋳物師(いもじ) 谷口弥右衛門、知識人 田中虎六郎、蘭学者 杉谷雍助、刀鍛冶 肥前忠吉(橋本新左衛門)、勘定方 田代孫三郎、算術家 馬場栄作。
他の藩や外国人を入れず、佐賀藩の人間だけで、反射炉を築き、鉄製の大砲を作り、砲台に据える ・・・ そのことに 藩主 鍋島直正は力を注ぎました。
直正が目指したのは、あくまでも外国からの圧力に屈しないために武器、武力を備えるということで、国内での内乱にそれが持ち込まれることには断固反対し、そのために日和見主義とか歯切れが悪いとかそしられても、佐賀藩は動ずることなく、藩内での争いも起こりませんでした。
一冊の本を頼りに日本最初の反射炉を築くことは至難の業 ・・・ 大金を投じながらのチャレンジがなかなか実らず、責任を取って切腹したいと志士たちが申し出たとき、藩主の直正は、しばらく黙って、ようやく口を開きました。
「なかなか成功せず、さぞ辛いことであろう。・・・死ぬ方がこのまま生き続けるよりも、はるかに楽であろう。しかし、考えてみよ。鉄製大砲が出来ずに、長崎の港に、第二のフェートン号が来たら、日本で阿片戦争が起きたらと。」
「今の砲備で、西洋の国が相手では、おそらく、わが家中は全滅であろう。もちろん私も、その方らも死ぬ。」「その時に死ぬか、今、死ぬかだ」
「そなたたちも本当は完成させたいだろう。自分たちが作った造った大砲が、火を吹くのを、その目で見たくはないか」
「死にたくなるほど辛いのなら、死んでよいと言ってやりたい」「一瞬、詰まってから、また口を開いた。
「だが、死んでもよいとは、言ってやれぬ。どうしても、言ってはやれぬのだ」
◇ □ ○ ※ ☆
・・・この後、なんと、直正の大きな目から、大粒の涙がこぼれます。
家臣は理解しました。辛いのは自分たちだけではない。命じた直正の方が、むしろ、ずっと辛いのだと。よろしければ、どうぞ。
1月から2月へのバトンタッチ ・・・ 冬から 早春へと切り替わる日も近くなりました。
よい日となりますように。
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