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2019年4月20日 (土)

杏林(きょうりん)・・・あんずの林

 このブログを訪れてくださる人の中に、私の初任校時代の教え子がいます。彼も自分のブログを書いていて、写真がとても美しいのです。登山歴も長い彼が山や花などを愛情込めて撮影していることが伝わってくるのでしょうね。ある日のブログに花盛りの「あんずの林」の写真がありました。彼の許可を得て、その写真を二枚、掲載させていただきます。 画素数を少し落としましたので、原画はもっともっときれいですけれど。

0012

 奇しくも、その頃に私が読んでいた本にこんな文章がありました。

   ◇   □   ○   ※   ☆

0011  「杏林(きょうりん)」ということばがあります。昔、中国に薫奉(とうほう)という医者がおられた。病人を治療しても報酬をとらず、記念に「杏(あんず)」を植えさせた。その杏が立派な林になったという故事があります。杏林は医者の異称です。「名医」ということばには、そういうふうな「徳を備えた人」というイメージもあります。  ( 工藤信夫 著 『信仰による人間疎外』 いのちのことば社 刊 1989年9月30日発行)

   ◇  □  ○  ※  ☆

 著者の工藤信夫さん自身、お医者さんなのです。 人を doing 何が出来るか で価値づけるのではなく being 存在すること自体 を尊いこと としてとらえている方です。 上記の文に続けて、およそ、このように書いておられます。

 医学の急速な進歩で、いま「一人の名医より専門家医三人のチームづくり」という雰囲気があるようです。・・・それに伴って医者と患者の人間関係の希薄化、医者は人間でなく病気を、患者も医者よりも検査データを見つめているような気がしてなりません。今ほんとうに大事なことは、患者の感じている悩み、苦しみを医者が聞くことです。相手の身になって考えないと、相手を本当に理解することはできません。思いやりも生まれません。相手の心の内を読みとって、手を差し伸べる。それには豊かな経験と想像力が要求されます。現代医学はここが問題だと思います。医療が専門分化する中で「心」の領域が忘れられているからではないかと思います。

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 長くなり、すみません。 私の頭に 日野原重明先生のことが浮かんできました。

 腹八分が健康によいことを、日野原先生は次のように話されました。

 □ バイキング方式のレストランで3千円払って、5千円分ほど食べようとする人は、長生きできません。

 別の話です。

 ある患者さんを退院させるかどうかの検討会で、いろいろな検査データをそろえて日野原先生の承認を待っている医師グループに日野原先生は、こう尋ねられました。「退院してこの人が帰るのは どんな住まい環境ですか?」

 誰も答えられなかったので、「それでは、ご本人にうかがいましょう」と、病室に移動しました。 日野原先生の専門は心臓です。 その患者さんは、アパートの3階に帰ることになり、エレベーターはないことが分かりました。 病院でなら大丈夫ですので、退院はもっと体力が回復してからということになりました。 医師グループへの助言 「あなたがたも 一度 死なないほどでいいから 病気を体験しなさい」

 もう一つ。 「最近、外出すると心臓の動悸が激しいのです。手術が必要でしょうか」と高齢の女性が日野原先生の診断を受けに来ました。

 数分後、日野原先生のところから帰る時、この人の動悸は治まっていました。 日野原先生がなさったのは、その方の外出用の肩掛けかばんの重さを中身を整理して軽くするようにと指示することでした。(来たときと帰る時の重さも本に書いておられましたが忘れました。2キロほどの減量だったでしょうか)

    ◇    □   ○   ※  ☆

  ○○くん  美しい杏の林の写真をありがとう。 あなたのおかげで、今日のブログが書けました。

  今日も、良い日となりますように。

 

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