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2019年5月31日 (金)

実るということ

0002_28   私が通っているキリスト教会の二階の窓から、アンズの実が見えました。他にもないかと捜しましたけれど、葉っぱが繁っていることも影響してか、よう見つけませんでした。たくさん実るとアンズジャムを作っていただけるのですけれど。

 この教会には「睡蓮の池のほとりに佇つ教会」という愛称があり、ちょうど睡蓮の花も咲き始めました。

 教会の庭の入り口に、石榴(ザクロ)の木があり、今年もたくさんの実がなりそうです。

  0004_8 実がなる木を見ていて、時々引用させていただく関根一夫牧師の、5月26日のメールマガジンを思い浮かべました。

 引用・紹介させていただきます。

 何年経っても実を付けないイチジクの木についてのお話ですが、今まで、そのイチジクの木のことを他人事のように考えていた私の心に、いきなり「実を付けないイチジク ・・・ボーッと考えていてはいけないよ」と切り込まれたお話だったのです。 身が引き締まって、体重が減ったような思いになりました。関根一夫先生 ありがとうございます。

 それは、ともかく、良い日となりますように。

  ◇   □   ○  ※  ☆

MACF礼拝説教要旨  2019.05.26
イエスの生涯16
「懇願する番人  ~イエスのたとえ話~
ルカによる福音書
13:6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
13:7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
13:9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
+++
これもイエス様のたとえ話です。
神様の目から見て「祝福を受け」「特権にあずかり」
「実を結んで当然」の状況にある人達の姿が描かれています。
彼らは、良い土地に植えられており、きちんとケアもされていたのです。そして植えられた時そのいちじくの木には生命がありました。
つまり、その木の何かが成長や成熟を阻んだのです。
人間的な状況を考えれば、彼らは自分たちの生活に満足しており、それほど困窮しているわけではありませんでした。
彼らの心の中にあったであろう問題はいくつか考えることができます。そして、まさに、これらの問題こそがいちじくの木の生命を枯らしてしまう原因だったのではないかと思うのです。

1)選民意識による慢心:エリート意識
彼らはユダヤ民族に属し、旧約の歴史に精通しており、神様の歴史に対する介入もよく知っていました。
神殿も彼らの自慢であり、神はどんなときにも守り、支えてくださるということについては、自信を持っていました。。
しかも、異邦人たちを拒否し、滅ぼし自分たちだけに祝福が届くことを嬉しいこととして、心に育てていました。そこにはエリート意識からの慢心がありました。
自分たちこそ祝福を受けた存在であり、これからも自分たちだけが祝福を受け続けるのだという意識、他者はどうなっても構わないというような意識、それがここに語られている「実を結ばない」という事例に結びつくのです。

2)社会的優位からくる傲慢
彼らは全体数から言えば、それほど多くはありませんでした。しかし、ユダヤ教徒の指導的立場にいる人達のかたまりとしては孤立してはいませんでしたから、ある程度の勢力を誇っていました。いわば、国会で言えば、安定勢力、安定与党の立場に生きていたのです。
それは知らず知らずのうちに、神の心で民に仕える姿勢を奪っていきました。彼らはしもべとして生きるべきでしたが、教える人としての意識が強すぎて、高慢な、上から目線でしかものを語らない人たちになっていきました。
「土地をふさいでいる」という言葉が出てきますが、イメージとしては、彼らが新鮮ないのちの発露を潰してしまっているのです。言論統制、思想統制のような息苦しさがそこにはありました。死の雰囲気を振りまきながら集団で社会を動かそうとしているわけです。

3)自分自身への心の健康診断の怠慢
番人の言葉「木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」というのが書かれています。
これは、根が枯れてしまっている可能性があることから、その部分をチェックし、根の部分に栄養分を与えるという作業です。
これは言い換えれば、多数を占める高慢な指導者たちの心の土台の部分が腐り始めていることの証拠です。
自分自身の健康診断、心の健康診断を彼らは怠っているのです。
聖書を読む、祈るということをしていなかったわけではないでしょう。しかし、それがいつの間にか「習慣」になり「義務感」になり、「形式的なパターン」になっていたのでしょう。そこには喜びも、悔い改めも、新しい発見もないのです。
根本を掘り下げることで、その部分に新鮮な空気を入れ、新しい活力を注ごうとしています。

本来は祝福を受け、他者に対して祝福の源としての役目を果たすべき存在だったユダヤの人たち、ことに指導者たち。
残念ながら彼らは神の心に沿った生き方をしていませんでした。もう、切り倒してしまおうかと言われるほどの腐敗ぶり。
全く不毛な状況にある集団、国、特権階級の人たち、また、そこに住む人たち、イエス様は彼らのために泣いて、こう叫びました。同じ章の先の方に書かれています。
13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」

4)番人の忍耐と努力
この例えには、しかし、希望があります。それはこの番人の存在です。彼は、まだ希望を捨てていないのです。むしろ、積極的に働いて実を結ばせようとがんばろうとしています。
13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
13:9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」

これはまさに、わたしたちに対するイエスさまの姿でもあると思います。
前回も良い土地になるということが「人の痛みを知る、神の心に沿って弱者の存在を認め、彼らを無視しない」ということと関係しているとお伝えしましたが、ここでも「実を結ぶ」というのは、「その実で誰かが潤される」ための実です。
つまり、豊かな実を結ぶのは「すごいでしょ、こんなにたくさんの実がなりました」と誇るためではなく、それらの実によって誰が潤い、助けられ、飢えから救われるための実です。
イエス様はわたしたちの心に働きかけて、今尚、実りをもたらそうと水や栄養を与えてくださっています。
それは、わたしたちが、誰かに向かって「祝福がありますように」と祈れるようになるためであり、「何かお手伝いできることがありますか」と尋ねることができるためであり、「いてくれてありがとう」としっかり挨拶できるようになるためです。
そして、何より、生かしてくださっている神様に感謝と賛美、礼拝を捧げることができるためです。神への礼拝は、わたしたちの最大の実なのです。

神様は今朝、あなたの心を見て、なんとお語りになるでしょう。
その際、出来栄えが問題ではありません。むしろ、わたしたちの心の内側の姿勢が大きな問題なのです。自分の中にまかれた神様からの福音と恵みの種を殺してしまっていないでしょうか。
生活の中に「慢心(エリート意識)」「傲慢」「怠慢」が入り込んでいるなら、種は死に、木は枯れます。
キリストはそういう心を新しく創り変えることがおできになります。「しもべの姿勢で、謙遜に、自らの心を丁寧にチェックしながら生きる時、わたしたちは自分のことだけでなく他者の痛みや喜びにも共感できるようになり、神の期待している実をつけながら生きられるようになるのです。まずは、自分の心の状態を吟味する必要があります。そして、もし、ふさわしくないものがあったら、それを今朝、心から悔い改め、新しい出発の日にしたいと思います。
祝福がありますように。

**

+++++++++++

◎主の平和と祝福がありますように!

関根一夫
pastor.kaz@gmail.com
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2019年5月30日 (木)

雨 八木重吉

0008_3八木重吉さんには 雨の詩がたくさんあります。

 今日は、この詩を掲載させていただきます。

「雨」

雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ

あのおとのように
そっと
世のためにはたらいていよう

雨があがるように
しずかに死んでゆこう

 

 

 

 英語の教師であった八木重吉さんは、結核に冒され、29歳で天に召されました。

 30度を越える日が続いていたあとに、穏やかに降り注ぐ雨・・・恵みの雨ということばがぴったりしますね。

 今日も、良い日となりますように。

 

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2019年5月29日 (水)

八木重吉の詩が世に出たいきさつ

0010_1    5月28日、30度以上の暑さが一休みし、雨が降っていましたので、庭の夏椿のつぼみの写真を撮りました。花開くまで、もう少しですね。

 八木重吉さんの「雨」の詩をブログで、と思い、ネット検索していて出会ったブログから引用させていただきます。 八木重吉さんの詩のことをこのように表現されていることに心が惹かれたからです。

 そのブログのURLは、ここです。 ありがとうございます。

https://kazahanamirai.com/yuuyake-yagijukichi.html

 今日も、良い日となりますように。

 

 ◇   □   ○   ※   ☆

夕焼

ゆう焼けをあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ

純粋なだけでなく、ここには八木重吉にしか出せない味があります。「重吉節」と呼びたくなる独自の言い回しが、ほのぼのとした気持ちにしてくれるのですね。

この詩をご紹介したのには、理由があります。

「夕焼」という詩には、興味深いエピソードがあることをご存知でしょうか。

昭和22年のことです。小林秀雄吉野秀雄の自宅を訪れた時、山雅房版の「八木重吉詩集」を開いたところ、「夕焼」が目にとまり、小林秀雄は心を動かされたそうです。

小林秀雄は創元社に強くはたらきかけ、創元選書「八木重吉詩集」の出版を後押ししたと伝えられています。

吉野秀雄と小林秀雄がいなかったら、これほどまでに八木重吉の詩が知られるようにならなかったかもしれません。

言うまでもありませんが、小林秀雄は日本が生んだ最高の批評家。詩人・中原中也と親交があったことは有名です。また、吉野秀雄は、八木重吉の妻であった登美子と結婚した歌人であります。

吉野秀雄が小林秀雄に八木重吉の詩を紹介し、感銘を受けた小林秀雄が「八木重吉詩集」の出版をお通ししたとは、良い話ですね。

小林秀雄は八木重吉については、文章を遺してはいないと思います。

おそらくは、小林秀雄は八木重吉については「書けなかった」のではないでしょうか。

批評するには、あまりにも、単純で、純粋すぎた。

八木重吉という詩人について、八木重吉の詩の世界について書かれた、最も優れた文章を書いたのは高村光太郎です。

「定本 八木重吉詩集」の「序」が、それだと思われますので、一部を引用いたします。

詩人八木重吉の詩は不朽である。このきよい、心のしたたりのような詩はいかなる時代にあっても死なない。(中略)結局八木重吉といふ詩人の天から授かった詩的稟性が、人生の哀しみに洗われ、人生の愛にはぐくまれ、激しい内的葛藤の果てにやつと到ることの出来た彼独特の至妙な徹底境に、一切の中間的念慮を払いのけることが出来たからであろう。

「一切の中間的な念慮」を払いのけていることこそが、八木重吉の詩の最大の魅力だと言えます。

八木重吉の詩は単純ですが、浅くはありません。透明で純粋ですが、軽くはありません。

深いけれども、重苦しくない、明るく、澄明な八木重吉の詩は、概念を捨てているという点においても、モーツァルトの音楽と共通する点があると思います。

もう一つ、八木重吉の詩に欠かせない魅力は、意外性です。

「夕焼」でも、まさかふつうは「手をにぎりあわせてふりながら」という動作はしないけrども、そういう感じはすごくわかる、という表現は、八木重吉の詩にはしばしば出てきます。

意外性な表現がいきなり飛び出すのが、八木重吉の詩の特徴です。

「母をおもう」という詩の「母をつれて てくてくあるきたくなった」も、意外性充分ですよね。そのことについては、以下の記事で書いてみました。

⇒八木重吉の「母をおもう」は、親友が教えてくれた想い出の詩

独自のハッとする言い回しは、八木重吉がいかに余計なものを捨てて生きたか、捨てたからこそ大事なものだけが見えた、その証明にほかなりません。

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2019年5月28日 (火)

『神様は手話ができるの?』 ー先天性難聴のわが子にー

0008_2 『神様は手話ができるの?』

 ー先天性難聴のわが子にー

トマス・スプラドリー&ジェイムズ・スプラドリー 著

山室まりや 訳

早川書房 

1980年 昭和55年 3月15日 初版発行

 

 この本の著者ご夫妻の長女リンさんが生まれて、比較的早い時期に、風疹の影響を懸念していたご夫妻は、リンさんの耳が聞こえないようだと発見し、いろいろな病院、研究誌など、できる限りの検査を受け、何をしたら良いかを考え、最善の対応策を根気よく実践し続けます。 

 本文は281ページある本なのですが、タイトルにもある「手話」が登場するのは、199ページ目からです。

 それまでは、「口話法」を勧められ、身振りでのコミュニケーションは口話法、読唇術の習得の妨げになるからと、極力 用いないことを厳しく申し渡されていました。

 今では、口話、読唇術は、難聴・聾唖の人にとって、習熟しにくく、自分では聞こえない自分の声を健聴者に聞きやすくするために多大の努力を押しつけるものだと理解され、手話を出来るだけ多くの人が学んでコミュニケーションを図れる人を多くしようとテレビで手話講座が放送され、手話ニュースの時間も設けられるようになってきています。

 テレビの政見放送が手話通訳されるようにもなってきました。

 1980年に発行されたこの本には、口話の世界で多大な努力をリンさんと重ねるご夫妻のぶつかってきた大きな壁、悲しみと、手話に出会ってから開けてきたコミュニケーションの成立する世界の喜びの両方が綴られていることに特徴があると思います。

 この本の帯には、黒柳徹子さんの推薦の言葉が印刷されています。 いまは、お年を召して徹子さんが手話を用いて語りかける映像はあまり登場しなくなりましたけれど、熱心に手話の習熟に努められてきました。

0005_6

   この本を読んで、難聴のリンさんとそのお兄さんブルース、ご両親、二組の祖父母さん方が心を合わせて歩む姿に胸が熱くなりました。そして、このご家族が多くの方々と出会って悩みを語り合い、体験を分かち合って世界を広げていけたことに、そうした交流の広がりが豊かに芽生え、成長できる社会の大切さを思いました。 ヘレンケラーの「あなたの手のともしびをもう少し高く掲げてください。私たちの足元が明るくなるように」ということばを思い浮かべました。 ともしびを高く掲げることは、掲げる人自身の視界も同時に明るく開けるということになるでしょう。他の人の足元だけでなく、自分も含めてすべての人の足元が光で照らされることになるのです。

よろしければ、どうぞ。
今日も、良い日となりますように。

 

 

 

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2019年5月27日 (月)

美術の先生方のエネルギー

0001_13 先週、 5月21日の岐阜新聞にこの記事を見かけて、この作品展を見せていただきにいてきました。

 酒井 賢 先生には、二つの学校に一緒に勤務させていただきました。

 そのどちらの中学校の美術教師も、毎年、美術展を開催し続けて今日に至っているのです。

 精魂傾けた作品を展示する会を毎年積み重ねるということは、膨大なエネルギー、情熱、時間を注ぎ続けるということで、容易なことではないことは想像できます。

 見に来る人を想定してみます。美術の先生仲間、学校の美術以外の先輩・同僚、そしてご自分の美術の道の師、そして教え子たち・・・教え子のなかには、その先生の美術の授業を受けて美術の道に進んだ生徒が何人かいることでしょう。そうした方たちに対して、昨年と同じ作品、あるいは挑戦する構えにおいて今までと下回る作品を展示することをご自分にゆるさない厳しさを美術科の先生方は持っておられます。

 教師は、子どもに期待するがゆえに厳しい課題を課します。「寝ていて子を起こすな」という言葉もあるように、自分自身は既にゴールインしたところに身を置いて、口先だけで指示を飛ばしていても、子どもを育てることはできません。 子どもに期待し要求することと同等、出来るならばそれよりも質の高い、厳しい挑戦を自らが続けていないと、子どもの成長も停滞、退歩してしまいます。

 この作品展を見せていただきながら、私は自分の心のぜい肉がそがれる思いがいたしました。

 存じ上げている国語の先生に、童話などの本を何冊も出版している方があります。生徒たちに新聞の短歌欄への投稿を勧め、ご自分も投稿を続け、退職なさったときに新聞に掲載された短歌を集めて短歌集を制作なさった方もおられます。

 うーん ・・・ 私には真似のできないことです。

 強いて挙げるとすれば、2006年9月にスタートしたこの「ムーミンパパのシルエット」の記事が今日のこの記事で4671回目ということでしょうか。新聞や本に素材を得たり、いろいろな方の文章を引用したり、重複する内容のときもあったりしますので、厳しく数えれば、だいぶん目減りしてしまいますけれど。 まずは、5000回目を区切りと考えて、励みたいと思います。 つたないブログですが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 今日も、良い日となりますように。

 

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2019年5月26日 (日)

トルストイの民話

0004_7 彼を訪ねてロシアまで出向いた日本人がいたほど、親しまれている文豪トルストイ ・・・

 『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』などを書いた文豪トルストイは、そうした大作だけでなく、「靴屋のマルティン」(愛のあるところに神もある)、「人間にはどれだけの土地が必要か」、「イワンの馬鹿」などの小品、民話を心を込めて書いています。

『トルストイの民話』

トルストイ 作

ディオードルフ 絵

藤沼 貴 訳

福音館書店 刊

1989年6月30日 初版発行

  時々読み返すと、ああ、こういう作品も書いていたのだなぁと何だか心が内側から暖かくなってくる思いがいたします。

   と申しますか。『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』を書いてから後にトルストイはキリスト教信仰を持つようになり、して書き始めたのがこの本に収められている民話だったという順序になるそうです。

 

 フアンの方も多いと思いますが、よろしければ図書館などで見つけて、どうぞ。

 

 今回読み返して、この本の冒頭の「人はなにで生きるか」という、寒い日にこごえている若者を家に連れ帰って世話をし始めた靴屋夫婦の物語が印象に残りました。その若者は実は天使で、靴屋夫婦との生活を通して三つの大きなことを学んで天に帰っていくのです。

 その三つとはつぎのことです。

 人間の中になにがあるか

 人間にはなにが与えられていないか

 人はなんで生きるか

 

 今日も、良い日となりますように。 今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

 

 

 

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2019年5月25日 (土)

新聞から 三つの記事

0001_12  5月21日と22日の岐阜新聞から三つの記事を拾ってみました。世の中、いろいろな方がおられ、そしていろいろな出来事が起こりますね。

今日も良い日となりますように。 特にコメントはつけませんので、ご自由にお読みください。

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2019年5月24日 (金)

芝生で アルペンホルン

0002_25 なんと幸運なことでしょう。

 ハイジのふるさとに行かなければ 実物を見ることも聞くことも出来ないと思っていたアルペンホルンの演奏を思いがけず、関市の百年記念公園で聞くことが出来ました。

 見守っていた幼い子どもたちも渡されたカウベル(牛の首につける鈴)を思い思いに振って演奏に参加していました。 すてきな光景と音楽。

 「降って湧いた災難」 という表現はよく聞いても、「降って湧いた幸運」とは、あまり言わないですね。 スイスの楽器ですから「棚からぼた餅」というのもちょっと合わないような気がします。

 「果報は寝て待て」も違うように思います。 初めて行った場所ではないので「ビギナーズ ラック」にも当てはまりません。

さて・・・ 落ち着いて考えてみますね。

 あなたにも「降って湧いた幸運」が 今日、ありますように。 ← これはプレッシャーになるでしょうか。

 とにかく、今日も良い日となりますように。

 

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2019年5月23日 (木)

映画 「ザ・テノール 真実の物語」

0002_24  アジア最高のテノール歌手といわれるべー・チェチョルさん ・・・ 甲状腺がんによって突然に声帯と横隔膜の機能を失いました。

 歌手にとって、生きがいを奪われ、絶望的な状況になったとき、彼の歌声を愛する人たちが一緒になって再起への道をたどってくれました。

 これは、その実話をもとに制作された映画です。

 この映画のことは、数年前に私の中学生時代の同窓生を通じて知ったのですが、DVD屋さんを訪れても在庫がないということで観ることができずにいました。

 すると、あの八百津の朴葉餅をお土産に来訪した教え子が、この映画のDVDを持ってきてくれたのです。 満を持して、73歳の誕生日にこの映画を観ました。

 ベー・チェチョルさんについてのドキュメント番組は観たことがあり、この映画はその番組に感動した方たちによって創られたのだそうですが、何と言ってもベー・チェチョルさんの歌声の美しさ、迫力に圧倒されました。

 金銭的な利害を乗り越えての熱い心の通い合い、前例のない手術へのお医者さんのチャレンジ、夫婦、親子の絆・・・ 歌われるオペラ・讃美歌・・・本当に心が熱い感動であふれました。

 「いのちのことば社」から入手できるそうです。

 

 教え子ご夫妻にこの場を借りて、お礼申します。 本当にありがとう。(もう一度観てから お返ししますね)

 

 今日も、すてきな感動の味わえる日となりますように。

 

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2019年5月22日 (水)

バラの花 あれこれ

0011_1  バラの花のシーズン ・・・ 「薔薇」と漢字で書けると オオーッ といわれる場面もあるということで、この二文字をしっかりと練習する人もあるとか ・・・ 時々引用紹介させていただく関根一夫牧師先生が、5月17日にバラに関するあれこれを書いていてくださいましたので、おもしろく読ませていただきました。

 引用させていただきます。 ありがとうございます。 今日も、良い日となりますように。

 この写真は、私の通うキリスト教会の5月19日の礼拝堂に飾っていただいていたバラの花たちです。お家の庭に咲いたのを全持ってきてくださったのだそうです!!

   ◇  □  ○  ※  ☆

【バラあれこれ】

バラについてのネットを検索していたら、こんな内容のものがありました。
バラを素材にして、これだけの「いてくれてありがとう」の表現ができるのか、と驚き、今朝の話題にしたいと思いました。
こういう内容は、どこまで本当なのかわかりませんが、
面白いと感じました。バラならではなのでしょうね。

バラをプレゼントするとき
1本 「一目ぼれ」「あなたしかいない」
2本 「この世界は二人だけ」
3本 「愛しています」「告白」
4本 「死ぬまで気持ちは変わりません」
5本 「あなたに出会えた事の心からの喜び」
6本 「あなたに夢中」「お互いに敬い、愛し、
 分かち合いましょう」
7本 「ひそかな愛」
8本 「あなたの思いやり、励ましに感謝します」
9本 「いつもあなたを想っています」
 「いつも一緒にいてください」
10本「あなたは全てが完璧」
11本「最愛」
12本「私と付き合ってください」
13本「永遠の友情」
21本「あなただけに尽くします」
24本「一日中思っています」
50本「恒久」
99本「永遠の愛、ずっと好きだった」
100本「100%の愛」
101本「これ以上ないほど愛しています」
108本「結婚して下さい」
365本「あなたが毎日恋しい」
999本「何度生まれ変わってもあなたを愛する」
+++
バラの色

赤色 「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」
 「熱烈な恋」「美貌」
白色 「純潔」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」
 「純潔」「清純」
ピンク色 「しとやか」「上品」「可愛い人」「美しい少女」  
 「愛の誓い」
青色 「夢かなう」「奇跡」「神の祝福」
黄色 「友情」「平和」「愛の告白」
オレンジ色 「無邪気」「魅惑」「絆」「信頼」
緑色 「穏やか」「希望を持ち得る」
紫色 「誇り」「気品」「尊敬」
緋色 「灼熱の恋」
濃紅色 「内気」「恥ずかしさ」
紅色 「死ぬほど恋焦がれています」
黒色 「貴方はあくまで私のもの」
 「決して滅びることのない愛、永遠の愛」
虹色 「無限の可能性」
絞り模様の薔薇 「満足」
ドット柄の薔薇 「君を忘れない」




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◎主の平和と祝福がありますように!

関根一夫
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2019年5月21日 (火)

ところ変われば ー八百津の朴葉餅(ほうばもち)ー

 飛騨の朴葉餅は、つきたてのお餅を平らにして朴葉にくるんだものです。このたび、来訪した教え子のお土産は、八百津の朴葉餅で、こうした朴葉餅は初めてでした。

 

0008_1

 枝に付いたままの朴葉に粒あん入りのお餅がくるまれているのです。 こうした発想とそれを実行する技術・心にうたれつつ、美味しくいただきました。

 同じ「朴葉餅」という名前でも、ほんとうにところ変われば品変わるですね。

 この教え子は、50年前に教師の道を歩み始めた初任校での教え子で、私の教え子の中では最年長・・・国語と音楽の授業を受け持ったのですが、私も彼も卓球部で一緒に活動したことのほうが記憶に残っているという仲です。

 一緒に来てくれた奥さんとは卓球を通して出会ったそうですが、加茂郡のチャンピオンだった彼は、奥さんから1セットもとった記憶がないそうです。つまり、圧倒的に奥さんのほうが(卓球においてはですが)強いのですね。 すてきなご夫婦です。

 5月19日に73歳の誕生日を迎えた私の宝は、教え子を初め、教育の道の先輩がた、同僚、そしてキリスト教会で出会ったたくさんの方々です。 本当に感謝な日々を歩ませていただいてきました。 心からお礼申し上げます。 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月20日 (月)

堀 文子さん その2

_00060006_4  堀 文子さんは、

「息の絶えるまで感動していたい」0003_8

と書いておられます。

 それも、「逆上」するほどの感動を求め続けておられたそうです。

 

あまり、動き回ることが出来なくなったときには、下にありますように顕微鏡を備え、ミクロの世界に感動して絵を描き続けられたとのこと。

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  年齢が増すにつれ1年が経つのが早く感じられるように思えるのはなぜでしょうか。
 その理由は、一説には、子どもの時には、毎日、新鮮な思いで感動していたのに、 ああ、このことは知っている ・・・たとえば、お団子、初めてお団子を食べる子は、食べ終わるまでに何回感動することでしょう。 でも、年齢が高くなってくると、ああ、お団子か、今までに数え切れないくらい食べてきたなぁ などと、改めて感動することのないマンネリに心が陥っていて 心躍ることが 極めて少なくなってしまっているからだそうです。
 
 考えてみると、それは、とてももったいないことですね。
 そうかといって、大袈裟に驚いたふりをし続けるのはたいへんですから、何か小さなことでも発見することを心がけるのがいいようです。
 脳科学者の茂木健一郎さんは、「認知症のサインは、物忘れが多くなることではなく、無感動になっていくことである」と明言しておられます。
 堀 文子さんは、草花や木々、虫たち、鳥たちなどを細やかに観察して描くこと、そしてたとえば、引っ越しをすること(30回ほど)、そして旅をすることなどでも感受性をブラッシュアップしておられたようです。
  今日も、良い日となりますように。

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2019年5月19日 (日)

日本画家 堀文子さん

 堀 文子さんという画家のこと、私は知らなかったのですけれど、テレビの「徹子の部屋」にかけられている黒柳徹子さんがアラブ風の衣装を着ている絵をご覧になっている方はご存じかも知れません。 あの絵を描いたのが堀文子さんだとのこと。

 そんなことを耳にして、もう少し堀文子さんのことを知りたいと思っていましたら、家内の友人が京都で開かれていた堀文子さんの展覧会に行ってきたからと一冊の本を貸してくださいました。

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0007_2 『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』

 堀 文子 著

 小学館

 2017年11月21日 初版第1刷発行

 とてもご自分のご意見をはっきりとおもちになっている方だと思いました。

 

 「慣れない」 0002_22

 「群れない」

 「頼らない」

 

 

 

  

ただし、そのようにはっきりご自分を出せるようになるには

しばらく時間がかかったようです。

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文章の画像が入り組んでいて申し訳ありませんが、 お目通しいただければ、幸いです。

 「文明の行きつく先はこんなにも無残なものか」という言葉には どきっとしますね。

  師も、お弟子さんもおられないそうですけれど、常に「新しい体験」「美」を求めながら100歳余の生涯を歩まれました。

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 今日も、良い日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2019年5月18日 (土)

心からの讃美

 ♪「異邦人」という歌をお好きな方、多いのではないでしょうか。その歌をヒットさせた久保田早紀さんは、久米小百合という本名で、音楽を通してキリスト教を伝える音楽宣教師になっておられます。友人が5月12日の中日新聞に掲載されていた記事を送ってくれましたので、引用・掲載させていただきます。 ありがとうございます。

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 音楽宣教師 ・・・すてきですね。 テレビにも登場しておられます。 
 胡美芳(こびほう)さんは、♪「夜来香(イエライシャン)」「蘇州夜曲」などを歌っておられ、後にクリスチャンになって、「日本初の福音歌手」とリサイタルで語っておられました。 ♪「一人の小さな手」で知られる本田路津子さんもクリスチャン歌手です。
 この方たちのように美しい歌声で讃美歌を歌えたら、と憧れます。 でも、心を込めて一生懸命に歌えたら、神様はその思いをよしとしてくださることと思っています。
 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ。
 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月17日 (金)

ヤマボウシ ショウブ

0002_21 初夏の公園で、ヤマボウシを見かけました。同じ木に咲いているのですけれど、中央上部は、光線の加減だけでなく、花自体が緑がかっていました。 ところによってはピンクのヤマボウシも咲いているようです。

 カメラを向けると風が吹き始めるように思えたのは気のせいでしょうか。 別に風が意地悪をしているのではなく、そういうことってあるのですね。

 

 

 

 

 ショウブ も咲いていました。(多分、ショウブだ0005_3

と思うのです) 

 昨年の夏には「命に危険のある暑さ」というフレーズが よく登場しました。

 お米などはよく実って欲しいので、ほどほどの暑さ、そしてほどほどの雨量をと願っています。

 どうぞ、お健やかでおすごしくださいますように。

 今日も良い日となりますように。

 

 

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2019年5月16日 (木)

劇団四季「ノートルダムの鐘」

 5月15日の岐阜新聞に劇団四季のミュージカル「ノートルダムの鐘」で主人公カジモドを演じている飯田達郎さんの談話が載っていました。

 このミュージカルを名古屋の劇場に足を運んで鑑賞したかたから「とてもよかった」とのお話を聞いていたので、この記事が目に留まったのかも知れません。

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 以前、20代のカメラマンが「オーロラを肉眼で目の当たりにした人とそうでない人には人生観に大きな違いが生まれると思うくらい、
素晴らしい光景でした」と熱っぽく子どもたちに語ってくれたことがありました。PTA主催の講演会でした。
 テレビではなく、劇場でなまの公演に出会うことはとても貴重な体験だと思います。
 「芸術の秋」といわれますが、季節に捕らわれず、素晴らしい文化、芸術に積極的に出かけたいと思います。
  季節に捕らわれず、と書いていて、あっ、劇団四季の名前の由来も、そうした願いが込められているのかも知れないとおもいました(^J^)
 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月15日 (水)

うさぎと亀の話

 ♪「もしもしかめよ かめさんよ」・・・足の速いうさぎと、どうしてそんなにのろいのか といわれても向こうのおやまのふもとまでの駆けっこに応じたかめさん。

 勝負は最初から見えていたようなものでしたが、ご存じのように、結果は大きな番くるわせでかめさんが勝ちました。

 小さな子たちにこのお話をして、ふとこんな問いかけをしたと、ある方が話してくださいました。

「負けたうさぎさんは 何を見ていたのだろう?」 「のろのろと やってくる かめさん」

・・・むむっ と何かを感じたこの方は、続けて問いかけました。

「それじゃ、かめさんは何を見ていたの?」 サッカー好きの子どもたちだったかも知れません 「ゴール!!」

      ◇   □   ○  ※   ☆

 すてきな子どもたちですね。

  と感心している私は、今、どんなゴールを目指して今日という日を歩んでいるのでしょうか・・・。

 胸を張って、こういうゴールを目指しているといえる今日を 歩みたいと思います。

 良い日となりますように。

 

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2019年5月14日 (火)

コスタリカ ・・・ 軍隊を持つことをやめた国

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 庭のバラが咲いてくれました。次男が誕生した頃にいただいた薔薇の木が40年来、こうして彩ってくれるのは、なんという恵みでしょうか。 本当に感謝です。

 さて、軍隊を持つことをやめ、そのお金を有意義に活かし、核兵器についても良識を持って大きな働きかけをしている国、コスタリカ・・・そのことを知って以来、もっとどんな国なのか理解できる資料がないかと思っていましたところ、こんなブログに出会いました。

 https://ameblo.jp/aries-misa/entry-12458569643.html

 コスタリカの自然環境 動物の写真 などを見ることができますので、よろしかったら訪れてみてください。 このブログを綴っておられる方におぶさってしまうことになり、申し訳ありません。 でも、楽しく読ませていただきました。

 アレナル火山 という名称など、何か洒落を言いたくなりましたけれど、申しません。

 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月13日 (月)

ジャン・バニエさん  ー関根一夫牧師 メールマガジン 「いてくれてありがとう から ー

 時々引用掲載させていただく関根一夫牧師のメールマガジン「いてくれてありがとう」の5月8日号にジャン・バニエさんというかたの追悼文がありました。日本にもこの方と親交があったり、この方から学ばれていた方がたくさんおられるとのことですので、ご紹介させていただきます。
 結び近くのジャン・バニエさんの言葉が心に残りました。  今日も、良い日となりますように。
以下は引用です。関根一夫牧師さん、ありがとうございます。
     ◇   □   ○    ※    ☆
   
【追悼 ジャン・バニエ】
ラルシュ共同体を創設したジャン・バニエがこの世を去りました。私は彼が書いた毎日配信されてくる随想が大好きで、楽しみにしていました。
ラルシュ共同体について、ウイキペディアで調べると
「設立経緯」
1964年、ジャン・バニエは、友人のトマ・フィリップ神父を通じて、ラファエルとフィリップという知的障がいを持つ男性と出会った。
病院に閉じ込められるように暮らしていた彼らの状況を知ったバニエは、「施設」ではなく「家庭」で暮らすことが大切と考え、彼らとともにフランスのトロリー村で祈りを中心とする共同生活を始めた。これが、ラルシュ共同体の始まりである。
その後、ラルシュのスピリチュアリティ(霊性)に基づくグループ・ホームは世界各地に作られるようになり、現在では世界38か国に149のコミュニティーがある。「ラルシュ」は、フランス語で「箱舟」の意味から付けられた名前である。
ジャン・バニエは
ジャン・バニエ(Jean Vanier)(1928年9月10日 - 2019年5月7日)はスイスのジュネーブに生まれた、フランス系カナダ人のカトリックの思想家。
知的障がいや発達障がいなどの知的ハンディを持つ人々と持たない人々の共同体であるラルシュ(L'Arche)の創設者、
ならびに知的ハンディを持つ人とその家族や友人が定期的に集まり、支えあうネットワークである信仰と光 (Foi et Lumi?re) の共同創設者。
2015年、宗教分野のノーベル賞とも言われるテンプルトン賞を受賞した。享年90歳。
マザー・テレサやブラザー・ロジェの親しい友人であり、
ヘンリ・ナウエンにも大きな示唆と影響を与えた人物である。信頼、障害、暴力、平和、共生などのテーマについて数々の著作があり、その多くは日本語にも翻訳されている。
その霊的指導者としての功績からカトリックの司祭と誤って紹介されることが多いが、聖職者ではなく、レイ・パーソン(平信徒)である。
++
私は彼の書いた「共同体・ゆるしと祭りの場」(新しい改訂版は『コミュニティー─ゆるしと祝祭の場』 佐藤仁彦 訳、一麦出版社、2003年)という本を読んで彼の思想に惹きつけられました。
そして、それは礼拝そのもののあり方にも通じることだと感じ、学ばせていただきました。
「いてくれてありがとう」をそのまま実践なさった人物です。
ジャン・バニエの言葉を紹介します。
「愛するとは、その人の存在を喜ぶことです。
その人の隠れた価値や美しさを、気付かせてあげることです。人は、愛されて初めて、愛されるにふさわしいものになります。」 
寂しくなります。
いてくれてありがとう。
同じ時代を生きられたこと、そして学ばせていただけたこと、本当にありがたいことだと感謝しています。
++
ジャン・バニエはたくさん本を書いています。

『ジャン・バニエの言葉: 講話とインタビュー』 浅野幸治 訳、新教出版社、2012年
『人と出会うこと』 原田葉子 訳、聖パウロ女子修道会、2008年、
『あなたは輝いている─ラルシュ・コミュニティーからの思索』 佐藤仁彦 訳、一麦出版社、2008年
『永遠の泉─いま、泣いているあなたは幸いです』 佐藤仁彦 訳、一麦出版社、2006年、
『人間になる』 浅野幸治 訳、新教出版社、2005年
『暴力とゆるし』 原田葉子 訳、女子パウロ会、2005年
『うつを越えて』 原田葉子 訳、女子パウロ会、2004年、
『コミュニティー─ゆるしと祝祭の場』 佐藤仁彦 訳、一麦出版社、2003年
『ラルシュのこころ─小さい者とともに、神に生かされる日々』 佐藤仁彦 訳、一麦出版社、2001年、
『心貧しき者の幸い』 鳩の会 訳、あめんどう、1996年、
+++++++++++
◎主の平和と祝福がありますように!
関根一夫
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2019年5月12日 (日)

エンドウ 花から実へ

 菜園のエンドウの花です。この花が落ちると実がなります。かなりの速さです。

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 多い日は、同じ日に二回 収穫出来ます。 熱心とは言いがたい菜園主任なのに、寛容な大地の実りに そして、何よりも 神様に感謝いたします。 今日も、良い日となりますように。

 今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ。

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2019年5月11日 (土)

予防医学

 5月6日岐阜新聞に19世紀のロンドンでコレラの拡大を食い止め、予防に努めた医師のことが紹介されていました。

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   この医師は、まだ流行病(はやりやまい)の原因となる細菌も分かっていない状況の中で、その地区の井戸の水に含まれている「何か」が原因だとつきとめ、ともかく、その井戸の使用を中止することでコレラの拡大を防いだのだそうです。
 上の記事は、そのことを紹介して、たばこについて「いまだにたばこの煙による肺がん発生のメカニズムは完全には解明されていない」と、たばこの有害性を否定しようとする人に警告しています。 タバコの煙を吸うと肺がんになることは十分すぎるほど実証されているのに、メカニズムの解明を優先することの不合理をこの記事の筆者は言いたかったのですね。
 さて、たばこを吸う人は、たばこの根元にあるフィルターを通して吸っています。自分を守ることになるでしょうけれど、フィルターのない先端から流れ出る煙を吸うのは、自分以外の人だから守られなくてもよいと考える人でないとたばこは吸えないことになりますね。
 さすがに、禁煙の区域が広がって、それ以外のところで吸う人が増えてきています。 けれど、肺の中に残っている煙が、たばこを吸い終わって戻ってきた人の口から放出されて、たばことは無煙、いえ無縁の人が肺がんになってしまった例があります。(保険の外交員の方など、たくさんの喫煙者と面談する機会がある人など)
 実は、5月7日夜、あるテレビ番組でこんなシーンがありました。健康がテーマの番組です。
 説得力のある医師が「コーヒーは心筋梗塞・脳梗塞を予防する成分があります。けれど、飲めば飲むほど良いのではなく、一日に3杯か4杯がいいのです」と述べました。
 司会者が、お医者さんに「あなたは一日何杯のみますか」 医師 ちょっとためらいながら、でも正直に「私は10杯ほどです」
 司会者 「人には3杯か4杯がよい と言っているのに 自分では10杯ですか」
 正論を言っている司会者ですが、その場面の少し前に、その司会者は「私は酒もたばこも飲んでいます」と堂々と話していました。
 笑い声もたくさん上がる「健康番組」でした。 人は「分かっちゃいるけど やめられない」弱さをもっている存在で、私もその一人ですから頭ごなしにもの申そうというのではありません。 でも「赤信号 みんなで渡ればこわくない」という世界になってしまうことも嬉しいことではありません。
 新聞記事とテレビ番組から抱いた思いを綴りました。
 今日も、良い日となりますように。
 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝においでください。
 

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2019年5月10日 (金)

金華山 ーツブラジイの金(こがね)色の花咲く山ー

 5月10日の二つ目の記事です。岐阜市の金華山の名前の由来が5月9日の岐阜新聞に写真入りで掲載されていましたので、引用掲載させていただきます。岐阜新聞社様、ありがとうございます。 「山笑う」夏となりました。 今日も五月晴れの青空でしょうか。良い日となりますように。

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師弟

 シドニーオリンピックのマラソンで、日本女子で陸上競技史上初めての金メダルに輝いた高橋尚子さん・・・彼女が師と仰いだのが小出監督です。 ちなみに、高橋尚子さんは私の二人の息子の通った中学校の卒業生です。小出監督との二人三脚で、オリンピック金メダル獲得、そして世界新記録を高橋尚子さんは成し遂げました。

 五月四日の岐阜新聞の「素描」という蘭に、こんな記事がありました。師弟ということで心に響きました。

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Yumemain  杉浦さんのホームページから、上記の記事にある「夢」と「ありがとう」の結びついた「めっせー字」を見せていただきました。 なるほど・・・夢という漢字とありがとうが見事に結びついているのですね。驚き、感動いたしました。
 卵からひながかえるとき、殻の内側からひなが殻を突っつくのと、親鳥が外側から殻を突っつくのと、息が合うことを、ご存じのように「啐啄同時 」(そったくどうじ)と申します。上記の文章を読んでいて、この言葉が思い浮かびました。
 しばらく前に、叱ってくださる人をもつことの幸せについて書きました。私には、叱ってくださる人が何人か居てくださいました。自分は本気で愛をもって人を叱ることが出来ていただろうか ・・・このことを問いつつ、遅まきですけれど、これからに生かしたいと思います。
 今日も、よい日となりますように。

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2019年5月 9日 (木)

卓球療法

 卓球療法 ・・・ 5月4日の岐阜新聞で、初めてこの言葉を見ました。岐阜県内の介護施設の紹介特集の中にこの言葉があったのです。大分県のお医者さんが考案し、各務原市の老健や特養が力を入れ、5年前に日本卓球療法協会が発足しているのだそうです。

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 介護職員の中には卓球の全国大会で2位になったことのある方もおられるそうです。楽しみながら反射神経、バランス感覚を養い、交互に打ちますから、心のキャッチボールと申しますか、コミュニケーションが図れるところがよいのでしょうね。
 こういう面から卓球を考えたことはあまりなかったので、自分のためにも深めてみたいと思います。
 楽しんで出来ることで、身体、心に良いこと・・・そういうことを日課にとりいれると、「○○療法」と名付けても名付けなくてもいろいろなことに広げていけそうですね。
 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月 8日 (水)

平成万葉集 ーNHKテレビからー

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 今年も庭にマーガレットがたくさん咲いてくれました。(何十年か前の)結婚式の時のブーケがマーガレット仕立てだったということもあってたくさん元気に咲いています。 花言葉は、調べるたびに忘れてしまいます。「七転び八起き」に倣って、「七調べ八覚え」を心がければいいのかもしれません。

 5月1日のNHKテレビで「平成万葉集3 この国に生きる」が放送されました。元号は令和へとバトンタッチしましたので、平成万葉集は最終回となりますね。

 永田和宏さん・村上和子さん・大森静佳さんが短歌を監修されたとのことです。

メモした短歌を紹介させていただきます。

 東日本大震災から8年・・・福島第1原子力発電所の事故で現在も避難指示区域に指定されている家に帰らない方は2万3千人を越えるそうです。原子力発電所から1.5キロのところに家のあった吉田信雄さんの短歌三首。

・一時帰宅に帰れば我が家の軒下に愛犬は死せり繋がれしまま

  2,3日で帰れると思って避難した家に一時帰宅できたのは半年後だったのだそうです。

・二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく

・平成の終わりに思ふ新しき世にはゆめゆめ災あらすな

    ◇    □   ○   ※   ☆

 岩手県陸前高田市の清水恭子さんが震災の2年前の生活と、津波で亡くなったご主人を歌った歌です。

17メートルを越える津波で1758人のいのちが失われたところです。

・夫誘いコーヒーを持参でいく散歩七時のチャイムを砂浜で聞く

・あとがきのないまま終わる自分史のような夫の五十八年

・職場から届いた遺品はバッグのみ何度も何度も川で洗った

・我もまた一本松のように立ち廃墟と化した街跡にいる

  日常が非日常へとかわった3月11日・・・8年後に大野海岸へ行き、潮の香と波の音の届くところまで行ったけれど、高い堤防と海にはさまれた自分の心にストップがかかり、砂浜までは行けませんでした。そうか、私はまだ復興途上に居たのか・・・もう少しもう少しとつぶやきながら、また短歌の力を借りながら綴っていくのかもしれません。

・前兆(まえぶれ)もなく訪れる寂しさを風に包んでふわぁーっと飛ばす

   ◇   ○   ※   ☆

 平成 ⇒ 令和へ

・あの時に止められなかった大人たちと未来の人から言われたくない  三重県 こやまはつみ さん

・今日もまた変はらぬ冴えない自分でも生きるとは日々新しきこと   東京都 高山邦男さん

・いのちとは激動するもの吠えるもの喜ぶために生まれてきたの    茨城県 篠原まどか さん

・身の内にいっぽんの樹を育てつつ新しき時代も生きてゆくべし    北海道 時田則雄 さん

 短歌という定型詩で表現できること、表現することが決して小さなことではないことを改めて感じさせてくれた番組でした。

 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月 7日 (火)

『婦人之友』2019年6月号から 「時代をつなぐ子ども食堂」

0002_16 日本初の女性新聞記者 羽仁もと子さんによって出版された『婦人之友』は、創刊から117年という年に入りました。衣食住についての記事も充実しています。そして、社会にしっかりと目を向けての記事からもいろいろ学ばせていただいています。また、羽仁もと子さんが作った家計簿には、最初から社会に差し出すお金のことも視野に入れた項目があり、教えられます。6月号に掲載されている「育てたいこれからの食文化」という座談会から、2000年頃には400万人だった農家が今は180万人。80万人いた漁師さんは18万人に減少していることを知りました。

 また、「時代をつなぐこども食堂」も印象に残りました。こども食堂が3年で10倍に増えたことと地域に潜在する力について丁寧な考察と展望が記されています。

 印象に残りましたので、その記事の一部となりますが、引用・紹介をさせていただきます。『婦人之友』さま、ありがとうございます。

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 筆者が理事長を務めておられるNPO法人全国こども食堂支援センターと関連のあるホームページを記しておきますので、関心がおありの方は、そこを訪れてみてください。

https://musubie.org/

  今日も、良い日となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年5月 6日 (月)

スズラン

0006_3 五月に入って、庭のすずらんが 咲きました。

 すずらんにとって、岐阜市は少し暑いのかも知れませんけれど、つぶやかずに・・・。

ありがたいことです。

 ダークダックスに「すずらん」という歌があります。歌声喫茶が隆盛だったころに多くの人に歌われていた曲です。

  ご存じでしたら、口ずさんでいただけると、嬉しいです。 その曲を知らない という方は、若さを喜んでいただいてもよろしいのですが、いい歌は年代を越えていい歌として歌い継がれていくものです。 よろしかったら どうぞ (^J^)

 今日も、良い日となりますように。

「すずらん」

ダーク・ダックス訳詞/フィエルツマン作曲



ある夏の夜(よる) 静かな森を
ひとり歩くとき 何処(いずこ)ともなく
ただようその香(か) すずらんの花よ
ランディシー ランディシー
やさしい 乙女よ
ランディシー ランディシー
君こそ

すずらんの花 胸に抱(いだ)いた
可愛い娘よ 君の心は
すずらんのよう 気高く香るよ
ランディシー ランディシー
やさしい 乙女よ
ランディシー ランディシー
君こそ

愛の香りが 夜にただよう
今日もまた君と 君と僕だけ
二人の花よ すずらんの花よ
ランディシー ランディシー
やさしい 乙女よ
ランディシー ランディシー
君こそ

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2019年5月 5日 (日)

がん哲学外来  樋野興夫医師の二冊の本

0001_8  樋野興夫(ひの おきお)医師は、順天堂大学の病院で「がん哲学外来」を開設するように提言して、その提案が通ったときには、よく認めてくれたなぁと思ったとのこと。

 何しろ、診察代を取らないで、訪れた人に一時間お話を聴き、言葉を処方するということだったそうです。 2008年に順天堂大学病院に開設されて以来、3000人以上の方が訪れ、「がん哲学外来」は現在では全国80箇所ほどに設けられるまでになっているそうです。もっとコンビニ並みの数になるとがんで悩んでいる方たちの助けになる、と元気に励んでおられます。

※ 現在も診察代は無料なのか、他のがん哲学外来ではどうなのか、ということは私には分かっていません。

 がん哲学外来を訪れた患者さん、ご家族、医療関係者が集って語り合える[メディカルカフェ]

も始まり、全国150箇所以上で開催されているそうです。

 一般社団法人がん哲学外来ホームページ

http://www.gantetsugaku.org/index.php

 上記のホームページ内にあるコミックが読めるページ

http://www.gantetsugaku.org/comic1.php

 

 ひまそうに見えること 脇を甘くしている ことが 相手の方が心を開いて話してくれるためには大事 と おっしゃっておられます。

 『種を蒔く人になりなさい』いのちのことば社 フォレストブックス

 2019年4月1日発行

第五章のまとめのことば

 悩み事心配事のすべては未来に向けられたものです。自分の力ではどうにもならない明日のことより 今日、どんな役割を果たせるかに目を向けましょう。

 

『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』

2017年4月15日 初版発行

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 書名は、ルターの言葉「明日、地球が滅ぶと聞かば、我は今日、林檎の木を植えん」をご自分なりに言い換えたものだとのことです。

 ↑

そうではないかなぁと思われた方も、おられますね、きっと。

 樋野医師は、尊敬する人として新渡戸稲造さん、内村鑑三さんなどを挙げ、その著書を繰り返し読んでおられるとのことです。著書に 21世紀の新渡戸稲造になりたい という本もあるくらいです。

 ここでは、この本で紹介いただいたマザー・テレサのことばを記させていただきます。

「私は、神様のみこころを記すための短い鉛筆です」

 問題は「鉛筆」の長さではなく、鉛筆を使って何を描くか。それが私たち一人ひとりにあたえられた役割や使命ではないでしょうか。

 

 Why なぜ と過去を問うのではなく

 How  どのように 今を と 前を向いて 今日を生きましょう

 

 そのように、呼びかけておられます。

樋野興夫医師はご自分の名を お一人お一人の内側にある 火をおこす人

です と講演で語られるそうです。なにしろ ひの おきお ですから。

 ユーモアが 大切 と述べ ユーモアを ユー (あなたを) モア (もっと) と続けられるところも 人間味が伝わって来ます。

 関心を、お持ちになった方は 今日の記事の最初のほうに記した URLのところを訪れてみてください。とくに、コミックはわかりやすく描かれていると思います。

 今日も、良い日となりますように。 日曜日、キリスト教会の礼拝へ どうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年5月 4日 (土)

認知症の方に更により添うために 「フレディの遺言」 関根一夫牧師のメールマガジンより

 西洋のある修道女さんが、高齢になって何よりも心配なさっていたのは、「ほかのことはともかく、イエス様のことを忘れてしまったらどうしよう」ということでした。周囲の方もそのことを心配するときには、彼女の表情が暗く沈んでいくので、とても気遣い、案じていたそうです。

 ところが、ある日、彼女はとびきり明るい表情で、こう語ったそうです。「私は自分がイエス様を忘れることを心配していました。でも、今は、その心配はしていません。」「なぜなら、もし、私がイエス・キリストのことを思い出せなくなっても、イエス様は私を決してお忘れにならない方であること、そのことに神様が気付かせてくださったからです。」

 さて、時々引用、紹介させていただく関根一夫先生のメールマガジン「いてくれてありがとう」(3月26日)から、「フレディの遺言」を掲載させていただきます。関根先生、いてくださってありがとうございます。

  今日も、良い日となりますように。 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

     ◇   □   ○   ※   ☆

【フレディの遺言】

湘南長寿園病院の院長フレディ松川先生 の著書「ここまでわかったボケる人ボケない人」の最後に「フレディの遺言」として~私を介護してくれるあなたへのメッセージ~というのがあります。
紹介させていただきます。御自分が認知症になったら、という仮定をもとに書かれています。
++++
もし私が、認知症老人になったら、その時、私を介護してくれるあなたに、次のようなことをお願いしておきたいと思います。
これらのお願いは、決してむずかしいことでもなければ、あなたを精神的にあるいは金銭的に苦しめる物でもありません。
ほんのささやかなお願いですので、ぜひ聞き届けてください。
どうぞよろしくおねがいいたします。

私が医者であったことをまず忘れてください。知識は遠いかなたへ消え去り、今では人の助けなしには一日も暮らせない別の人間になってしまっているのです。
そんな私にあなたは静かに話かけてくださいね。
決して大きな声で私に話さないでください。あなたが大きな声で話すと、たとえあなたが怒っていなくても、私はあなたになんだかとても強く叱られたように感じて怖くなってしまいます。
本来、やさしいと思っていたあなたに、「えっ、なに!おじいちゃん」「なにやってるのよ!」などといわれるたびに、私は恐怖におののくのです。

あなたが何か、わたしにさせたいのであれば、静かにゆっくりと話してください。
また私は変なことを言うかもしれません。たとえば「蛇がいる」と私が言ったら「ナニを言ってるの、蛇なんかいないわよ!」と大声で言うのではなく、「どうしたの?蛇はどこにいるの?」「どうしたいの」「じゃあ、蛇をどかせましょうね」とやさしく尋ね、
そして、わたしがナニを要求しても、その要求をまず受け入れてほしいのです。

私が「ごはん、まだか」と聞いた時も、「さっき、食べたでしょう!」と大声で叱るのではなく、「おなかが空いたの?じゃこれ食べる?」といって、クッキーの一枚でもわたしにあたえて下さいね。
三度の食事のたびに、箸をうまく使えなくなり、食事をこぼしたりします。
ですから、指を使ってたべることもあるかもしれません。その時は、無理に箸を使わせようとせず、そのまま自由にたべさせて下さいね。

また、疲れてバジャマに着替えることもなく、そのままの姿で寝てしまうかもしれません。
布団の上で寝ないこともあるかもしれません。その時も、ふとんをそっとかけてくれるだけでいいのです。

あなたを悩ますことの一つに、私はあなたに「家に帰りたい」と言うに違いありません。

その時の私の心の中は、とても不安定な状態にあるのです。
ですから、私が「家に帰りたい」と言ったら、家に帰る帰れないと言う問題でなく、
まず私が不安を抱えているということをわかってください。

そしてしばしば、私は自分の感情のコントロールがうまくできません。ですから、大変に気むずかしくなって、その日の気分によって、意地悪なことをあなたに言ってしまうかもしれません。
また、あなたの気に入らない事をするかもしれません。実はそのときの私の気分は最悪で、私自身もその気分が嫌で嫌でしかたがないのです。でもどうしようもできない。
そこで、ついあなたの言うことに反発したり、意地悪をしてみたりしてしまうのです。そんな私の心の内を理解してください。
その理解がボケた老人には一番必要な物なのです。

そして私の病気の最大特徴は、とても忘れっぽくなっていることです。あなたが何度、怒っても、なんで怒られているのか忘れてしまいますし、あなたが怒ったこと自体も忘れてしまいます。
ですから、あなたが怒ったこと、大声を出したことを「なんで、あんなに怒ってしまったのだろう」などといつまでも後悔しないで下さいね。私は、とうに、そんな事も忘れているのですから。

もちろん、忘れっぽいために、水道を出しっぱなしにしてしまったり、火の始末もできなくなってしまいます。
ですから、そういうことを私ひとりでさせないで下さい。できれば、一緒にやってくれたら、こんな安心なことはありません。
私を、正常だった時と同じ人間だと思わないで下さい。
わたしはナニをやっても忘れるという病気なのだ、ということを決して忘れないでください。

困ったことに、いま目の前にいる人が誰だかわからなくなります。でも、誰だかわからなくても、私は、私の目をしっかりと見て優しい声で話しかけてくれる人が大好きです。
私は、その人が誰であれそういう人の言うことを聞こうとします。

私に何かさせたかったら、ひとつずつさせてください。短い言葉で「ごはんよ」と優しく言うだけでいいのです。
また、私が何かあなたに尋ねたら、やはりひとつずつ短く答えてください。長い説明をされても、私にはそれを覚える事ができないからです。

私に何か話しかけようと思ったら、私を見て、私のからだに
触れながら、微笑みながら話してくださいね。私の心がさびしい時、私は自分が育った時代、青春時代の音楽をとても聞きたくなります。
ソレが何という曲だったかは、思いだせませんが、ただ介護してくれるあなたと、その音楽を一緒にきいたり、歌ったりしたいと思っています。
私の知性は、たしかに衰えています。だから感性にたよって生きていかなくてはなりません。その分感性は磨かれているかもしれません。
ですから、音楽以外でも、美しい夕焼けをみるとか、おいしい食事をするとかということをとてもいとおしく思っています。ひょっと
したら、正常だった時よりももっと感性は鋭くなっているかもしれないのです。

私に懐かしい音楽を聞かせてください。美しい風景を見せてください。素敵な匂いを嗅がせてください。
着心地のいい洋服に身をつつみ、おいしい食事をあじわわせて下さい。

私が認知症老人になった時、私は優しい人に囲まれて、残りの人生をごく自然に過ごしたいと思っています。
ですから、たとえアリババと40人の盗賊に囲まれたとしても、私は盗賊のなかでも、一番優しそうな人のそばにいたいのです。
どうか、私を介護してくれるあなたが、「ボケた心」を理解している優しい人であることを祈っています。
+++
「いてくれてありがとう」の心でお付き合いしてほしい
それが切実な願いなんですよね。
いてくれてありがとう

◎主の平和と祝福がありますように!

関根一夫
pastor.kaz@gmail.com
https://www.kazsek.com/

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2019年5月 3日 (金)

古い上着よ さようなら

 「古い上着よ さようなら」 ・・・♪「青い山脈」の主題歌の一節ですね。今日は、上着ではなく、若かった日に獲得した想い出の品へのさようならです。 とても個人的なことに付き合っていただいて、ありがとうございます。

 0003_3  下呂の小学校に勤めていたとき、益田郡の卓球大会があり、この優勝盾をいただきました。

  私が中学校・高校時代に卓球部員だったということは、現在の体型からは、なかなかと申しますか、ほとんど信じていただけません。 本人でも信じがたいときがありますから。

 けれど、本当のことなのです。卓球は、左利きであると少し有利な面があるかもしれません。右利きの選手のほうが多いので、右利きの選手同士での練習と試合のほうが左利きの相手とする機会よりは多いからです。 右利きの相手が対戦相手のバックにスマッシュして 「決まった」と思った瞬間、左利きの私はフォアハンドで「待ってました」とばかりに弾き返してスマッシュ返しを決める(こともある) のでした。

 個人戦でのチャンピオンとなったことを記念するこの優勝盾は、新しいのを購入するので優勝旗返還のように翌年の大会でお返ししなくても良いと言われ、手元に置いてよい記念の品となってきました。

 でも、元号も新しくなり、こうして写真に撮って、別れをつげる決心をいたしました。

 さて、ムーミンパパ体型から少しはスナフキン体型に近づいて、軽やかにシニアとして卓球をプレーできるように、新しい歴史へと歩を進めてまいります。 ← 有言 実行 になりますように。 どなたですか、 「無理 無理」 と叫んでおられるのは ・・・ あなたは先見の明がある方です。でも武士の情け も兼ね備えてくださいますように (^J^)

 今日も、良い日となりますように。

 

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2019年5月 2日 (木)

星野富弘さんの随筆から ー木造校舎ー

 小学五年生になったばかりの日 星野富弘さんは 失敗をしてしまいました。 新しい担任の先生は、そのときどうなさったでしょう。すてきな一篇だと思います。 今日も良い日となりますように。 『赤毛のアン』にこんな一節があり、心に残っています。 明日という日はまだ失敗のない日!!

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2019年5月 1日 (水)

星野富弘さんの詩画集から  ー 悲しみの意味 ー

 平成 ⇒ 令和 ・・・新しい時代の器が提示されました。 その器に たくわえられていく新しい一日一日は私たちひとりひとりのものです。

どうか、佳き日々の連なる歴史を築くことが出来ますように。

 さて、星野富弘さんの『詩画集 花よりも小さく』から、音楽訪問の時もよく紹介させていただいた一枚を掲載させていただきます。星野さん、ありがとうございます。  よろしければ、声に出して お読みください。 今日も、良い日となりますように。        

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