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2019年6月 4日 (火)

『ユーモアは老いと死の妙薬(死生学のすすめ)』

0001_14 上智大学教授のアルフォンス・デーケン先生 ・・・ドイツから日本にやってきて、日本に「死生学」という学問をスタートさせた方ということは、理解していました。

『ユーモアは老いと死の妙薬(死生学のすすめ)』

 アルフォンス・デーケン 著

 講談社 1995年11月27日 第1刷発行

 この本を読んで、デーケン先生の生い立ちや日本においでになるきっかけ、生と死について深く考えるようになった出来事などについて初めて知り、驚きました。

 そのことを紹介させていただきたいと思います。

 第二次大戦時下に幼少期をすごしたドイツで、いきなり現れた飛行機の機銃掃射は、デーケン少年の耳元をかすめ、地に伏せた身体のすぐ横に銃弾がめり込み、生と死の距離がかけはなれたものでないことを体験。

 デーケン先生の父方の祖父は、ナチス・ドイツの降伏する10日ほど前、イギリス・アメリカの連合軍がデーケン少年たちの住む町を占領し、反ナチ抵抗運動に加わっていた祖父は、喜んで敵意のないことを示す白旗を掲げて連合軍を迎え、どうしたはずみか、連合軍兵士にデーケン少年の目の前で射殺されてしまったのだそうです。正に悪夢のような一瞬でした。

 デーケン少年には7人の兄弟姉妹がいましたが妹さんが重い病気にかかりました。ついに、もう回復の見込みが持てなくなったとき、家族で家で看病しつつ、最後の数週間を家族の温かさに包まれて妹がすごせるようにと力を合わせたそうです。家族は、より深い愛の絆で結ばれ、デーケン先生は生命の尊さ、苦しみの意義、永遠の生命への希望など、学校では学べない貴重な何かを得たと思う、と記しておられます。4歳の妹さんは「ありがとう。きっとまた天国で会いましょう」と一人一人に別れを告げて息を引き取られたとのこと。

  日本に来るきっかけは、12歳の時、ドイツのカトリックの教会の図書館でボランティアで図書係をしたとき、長崎の殉教者二十六聖人について書かれた本に出会ったこと。特に殉教者の一人、同じ12歳のルドヴィコ・茨木が、十字架にかけられてからも聖歌「主をほめたたえよ」を歌いながら従容としてして殉教を遂げたことに打たれ、いつか必ず、このような偉大な人物を生んだ日本という国に行こうと決心されたそうです。 後に妹さんも日本の大学で働かれるようになりました。0004_10

 日本で働いていて、特別研修休暇を得たときに故国ドイツに帰国して、尊敬していた高校の恩師が癌の告知を受けずに闘病されていて心が痛んだとのこと。

・・・告知するかどうかは20世紀の後半20年あまりの間に考え方が180度転換したとのこと。

※ アメリカでは1961年のアンケートで、90%の医師が癌の告知をしないと答えた                 ↓

 1977年の調査では、97%の医師が患者に真実の病名を知らせるという方針をはっきり打ち出している

 デーケン先生は、恩師が大切な時期に癌を告知されていれば、もっと豊かに最期の時期を歩まれたのにと、とてもつらく恩師のことを思い返しておられます。

 同時に、告知の仕方が適切でなければ、かえって好ましくない結果を招くことも稀ではないし、知りたくない患者には知らずにおく権利も保証されなければならないと書いておられます。

 ※ この本の中でも特に重要と思われるのがホスピスについての次の記述です。

   ◇   □   ○  ※  ☆

 ホスピスとは、決してもう治らない病人が、死に場所として入る施設ではない。最期までその人らしく生き、人間としての尊厳に満ちた死を全うできるように行う援助プログラムと、その基本的な考え方のすべてを指すのが、ホスピス運動であり、その表れの一つがホスピス施設なのである。

 ・・・欧米では家庭で死を迎えることの意義が改めて注目を集めている。

アメリカのホスピスは1992年には1745か所を数えるが、その約90%はホーム・ケア・ホスピスーつまり在宅のままホスピス・ケアを受けるシステムである。現に全米ホスピス協会の規約の中にも、患者は医師の診断による余命の80%までは、自宅で過ごすようにと明記されている。

   ◇   □   ○   ※   ☆

 この本の出版が1995年ですので、2019年の現在、どのようになっているのか、出来たら学んでみたいと思います。

 1985年の日航ジャンボ機の墜落で亡くなった520人の中に、聖心女子大学2年生だったYさんが居ました。デーケン先生の「死の哲学 ー死への準備教育」の講義を、熱心に受講し「もっとみんながこういう教育を受けられるようになるといいですね」と述べていたそうです。デーケン先生は、このYさんの言葉を真摯に受け止めて、日本に「死への準備教育」を根付かせることをご自分のライフワークと思い定めて持てる限りのエネルギーを投入し続けて歩んで来られたとのこと。

 デーケン先生の先見性に驚いたことをもう一つ紹介させていただいてこの項を結ばせていただきます。

 日本に来る前にフランスに留学していたデーケン先生は「すべての人間は兄弟姉妹だというキリスト教の信条に従って、これからはヨーロッパ共同体をつくるために、皆で協力し合おう」と学生集会で呼びかけられたそうです。当時は第二次大戦後、間もなかったこともあり、フランスでドイツ人の留学生であったデーケン先生の述べた考えは、理想主義者扱いされずっと孤独な道を歩くはめに陥ったとのこと。EU(ヨーロッパ連合)が歩み出したのは、そ30数年後でした。 なんという先見性の持ち主なのでしょう。

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 上智大学の構内に住んでいたデーケン先生の健康法は、大学のプールで毎日20分ほど泳ぐこと。もう一つは大声で3曲歌うこと。これは、小学時代、8歳のころ、、初めての合唱練習のあとで音楽の先生が「きみはいい声をしている。これから毎日、3曲ずつ歌を練習したら、もっともっとじょうずになるよ」と言ってくださった心はずむ記憶につながっているのだそうです。うーん 教師の一言って大きいのですね。
 
 今日も良い日となりますように。

 

 

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