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2019年7月17日 (水)

『命をみつめて』

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 日野原重明 著

 岩波書店2001年5月16日 第1刷発行

 原本は1991年2月に岩波書店から発行され、2001年に文庫本となりました。日野原医師は1911年生まれですから、この本が出版されたのは80歳のときということになりましょうか。

 日野原医師は、2017年7月18日に105歳で天に召されました。それから2年が経とうとしているのですね。

 ユーモアのある方でした。腹八分目が健康によいことをこんなふうに表現されました。

 「バイキング形式のレストランで三千円払って、四千円分食べる人は、長生きできません」

 こんな茶目っ気もありました。

 若者がエスカレーターに乗るのと同時にその横の階段を二段ずつ上がり、エスカレーターより早く上の階に着いてエスカレーター上の若者を振り返り、にこり(にやり)とすることを楽しみの一つとする。 二段ずつ上がることが難しくなったときも、最後の一歩は二段上がるという前向き精神を大事にされました。

 音楽療法の草分け的存在でした。闘病生活をしているときにピアノを習いはじめ、たとえばショパンの「英雄」などもレパートリーのひとつでした。医学ではなく、音楽の道に進もうとしたこともあります。耳がよかったことが心臓の音をよく聞いて的確に診断できるだろうからと教授に勧められて、心臓医療の道に進まれたそうです。

 先見の明がありました。1995年の地下鉄サリン事件の時に聖路加病院は640人を受け入れることができました。いざというときの備えがしてあったことが生きました。大きなコンサートが開催できる広いスペースには、たくさんのベッドを置いて医療装置がセットできる配電・配管などが二年ほど前の建築のときに作られていたのです。

 「成人病」という言葉を「生活習慣病」に10年がかりで改めさせました。一人一人が健康の維持増進を意識して取り組むきっかけを作るためです。

 患者さんに寄り添い、謙虚に患者さんから学ぶ方でした。

 「このごろ動悸が激しい」と訴えに来た老婦人を手術無しでその日に治しました。心臓ではなく、いろいろな物を詰め込んで重くなっていたハンドバッグの中身を整理してあげることで解決したのです。 これを可能にしたのはその方の生活全体を見てとる観察力・・・その基底にあるのはやはり愛ではないでしょうか。 患者さんの退院審査で日野原先生が主治医に尋ねたのは、心臓手術を終えて病院内では元気に生活している患者さんが帰宅する住環境のことでした。誰も答えられなかったので、患者さんに聞きに行くと、古いアパートの三階でエレベーターはないことが分かりました。退院を考えていた医師はそのことが分かって、意見を改めました。

 こういうこともあって、若いドクターたちに日野原医師がよく語ったのは「患者さんの気持ちが分かるようにあなたたちも死なない程度の重病を経験しなさい」という言葉でした。 医学書には、その病気を体験した患者さんの立場からのページを設けてこそ意義深いものになるということも書いておられます。

 明日、もう少し、この本から書かせていただきますね。 今日も、良い日となりますように。

 

 

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