『孟嘗君』
宮城谷昌光 著
講談社 1995年11発10日 第1刷発行
完結まで五巻にわたる長編ですので、たくさんの人物が登場します
登場人物のひとりがこんな感慨を抱く場面があります。
人には他人にいえぬことがある。それをことばではなく、心でわかることが、ほんとうにわかるということではないのか。真意というものは言葉にすると妄(うそ)になる。だから、いわない。黙っていることが真実なのである。自分もやはりそうではないか。
◇ □ ○ ※ ☆
うーん 分かる この思い、分かるなぁ という方は、日常生活の中でこういう思いを 経験しておられる、 それもかなり豊かに経験なさっている方だと思います。(^J^)
将来、孟嘗君となる田文(でんぶん)も成長していきますが、その周囲の人物も啓発されながら育っていきます。
物語めいている展開も多いことに久しぶりに読み返していて気がつきました。
剣の達人が不覚にも毒を盛られて刀も持てない状態で暗殺されようかという場面で、タイミングよくこれも剣の達人が来合わせて命拾いするとか、絶体絶命のところで、天佑としか思えない救いの手が伸びてくるとか ・・・ 物語ですから、物語めいているのは、あっていいことなのですね。
でも、そういう展開も楽しみながら、本日の冒頭で引用させていただいたような 思わずうなずいて魅せられる言葉にもたくさん出会います。
秋分の日も過ぎて、そろそろ本格的な秋 ・・・読書の秋を決め込んで読みふけっているムーミンパパです。
橘曙覧の独楽吟 「たのしみは ・・・・ するとき」 の52首の中に 読書の喜びを詠っている短歌があります。
たのしみは珍しき書(ふみ)人にかり 始め一ひらひろげたる時
たのしみはそゞろ讀(よみ)ゆく書(ふみ)の中に 我とひとしき人をみし時
今日も、良い日となりますように。
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