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2019年9月 4日 (水)

『トットひとり』 黒柳徹子 著

0004_20190828162301 『トットひとり』

黒柳徹子 著

新潮社 2015年4月25日 発行

 表紙の写真は、篠山紀信さん撮影の黒柳さんだそうです。

 トットひとり という題は、私のお母さんと呼ぶほど慕っていた沢村貞子さん、いつも「お嬢さん」と呼んでくれていた私のお兄さん 渥美清さん そして、気さくに部屋を訪れさせてくれ、美味しい手料理を毎日のようにふるまってくれていた向田邦子さん、夢であいましょうなどで縁のあった坂本九さんなどが召されて、だんだん周囲が寂しくなってきた黒柳徹子さんの思いを正直に反映してつけたもののようです。

 この本から、いくつかのことをピックアップして紹介させていただきます。

1953年2月1日 日本のテレビ放送  スタート !

 黒柳徹子さんは、NHKでテレビ女優第一号としてその活動をスタートしたのだそうです。

 

テレビ放送が始まったとき、日本にあったテレビ受像機は866台・・・アメリカ製しかなくて、一台25万円位したとのこと。 黒柳さんの時給は56円、ラーメン一杯が35円~40円くらいだったようです。 NHK職員の初任給は9000円ほどだったらしいと書かれています。

 

 NHKに入った徹子さんの動機は「自分の子どもに絵本を上手に読んであげるおかあさんになろう」ということだったそうです。

 

 お母さんに「絵本を上手に読めるように教えてくれるとこを探すの、どうすればいい?」

「新聞に出てるんじゃないの?」

 

 徹子さんが新聞を広げると、その真ん中にNHKが「テレビジョンの放送を始めるにあたって、専属の俳優を募集します。プロの俳優である必要はありません。一年間。最高の先生をつけて養成し、採用者はNHKの専属にします。採用者は若干名」・・・ あとで分かったことですが、NHKが求人広告を出したのは、ちょうど徹子さんが新聞を広げたその日一回だけだったそうです。

 応募者は6千人以上・・・徹子さんの受験番号は5655番。 徹子さんは合格者16人の一人になりました。

 「これでも私、見る人が見たら、どこかにみどころがあったのね」と思っていたら、後に養成所の責任者から「あなたが受かったのは、あまりにも何も出できなかったからですよ。・・・ 試験の点数は、とても悪かったんです。でもテレビジョンという新しい世界の俳優には、あなたみたいな何もできない、何も知らない、言い換えると、無色透明な人が向いているかもしれない。一人くらいそういう合格者がいてもいいだろうとなって、あなたは受かったんです」

 と言われたとのこと。

  何かの話の種にでもなれと、その本からテレビ放送の黎明期のことをピックアップしてみました。

 

 タマネギ頭のこと、世間に認知されたのは40年ほどかかったそうです。パンダについて日本で一番詳しいかも知れないと認められるようになったのも、徹子さんがパンダに夢中になってから30年ほど後のこととのことで、何事にも時間がかかるものだということを徹子さんは身をもって感じていると書いておられます。

 

 テレビで放送されてご存知のことが多いかも知れませんが、よろしければ、どうぞ。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

 

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