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2019年10月 5日 (土)

『命ある限り』 三浦綾子

0003_20191003201801 『命ある限り』

三浦綾子 著

角川書店 平成8年4月30日 初版発行

 

 昨日の五木寛之さんの『わが人生の歌がたり』にこんな一節がありました。

 言葉に言えないほどの苦労をして三十八度線をようよう越え、アメリカの難民キャンプにたどり着き、それからも苦労の連続でやっとの思いで帰国した五木さん家族でした。

 そのことを書くことに長い時間が必要だったそうです。

  ◇   □   ○  ※   ☆

 今でも引き揚げてきてからの一年間くらいの記憶が非常に曖昧なのだそうです。 ぽかっと空白になっていて。

 もし、(本に)書いて、「あの作品、よかったですね」なんて言われたら、私としては身の置き所がない。「善き人は逝く」という言葉があって、本当に善良な人は先にこの世を去ってしまう。

 タイタニック号の沈没事故ではありませんが、あと一人しか救命ボートに乗れないというときに、「あなた、お先にどうぞ」なんて言う人は乗れないで死んでしまい、他人の手を振り払ってでも乗り込もうとする人間が生き残る。それと同じで、私たちが無事に引き揚げ船に乗って、祖国まで帰りついたのは、あまり自慢できることではないと思うのです。

                  ◇    □    ○   ※   ☆

 五木さんが上記のように書いておられることと呼応するかのような記述が、三浦綾子さんの『命ある限り』にありました。

 日本が敗戦の時、腹を空かせた敗走中の日本の兵隊たちが、朝鮮人所有のりんご園の傍をとおりかかった。りんご園を見た兵隊たちは、情感が制止するのも聴かず、どっとりんご園になだれこんだ。朝鮮の女性が大声で叫ぶが、空腹の兵士たちの耳には入らない。戦争に負けては将校と兵士の区別はなかった。と、一人の将校が女性の前に金を出して交渉を始めた。しかしおびえているその女性には、よく聞き取れない。

 そこへ急を聞いたソ聯兵が銃剣を持って駆けつけた。女生と交渉している将校が、ソ聯兵には無法な日本兵の代表に見えた。銃声一発、金を払おうとしていた将校は射殺された。この一部始終を近くで見ていた一人の兵隊がいた。その後全員捕虜としてシベリヤに送られたが、撃たれたのはキリスト者であったことをその兵は知った。日本に帰還して、その兵は入信したという。

 およそそんな話を読んで、私は深く感動したことがあった。なぜ正しいものの命を神は召されたか。人間に、与えられる道は、たやすくはわからない。

         ◇    □    ○    ※    ☆

 この二冊の本は、図書館での本棚に、並んでいたわけではなく、私が任意に借りてきて、一冊を読み、その翌日にもう一冊を読み始めたのです。

 不思議な、本当に不思議な巡り合わせですね。

 ・・・今日も、良い日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝においでください。

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