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2019年10月12日 (土)

『奇貨居くべし』 全五巻 宮城谷昌光

0007_20191011024601 『奇貨居くべし』  全五巻

宮城谷昌光 著

中央公論社

 春風篇 1997年6月10日 初版発行

 火雲篇 1998年3月10日 初版発行

 黄河篇 1999年4月10日 初版発行

 飛翔篇 2000年7月10日 初版発行

 天命篇 2001年6月10日 初版発行

 月刊誌『中央公論』に足かけ6年連載され、単行本5冊として出版された息の長い執筆の成果です。

 毎年、ノーベル賞受賞者が発表されるこの時期になると、ある日本人作家の名前が候補に挙がります。

 それほどたくさんの作家の本を読んでいない私の全くの私見ですけれど、ノーベル文学賞の候補者をもし推挙するならば、宮城谷昌光さんを、と考えています。

 

 貴い身分の方を護衛する「衛士」(えじ)の「衛」のじのもととなった文字を見ると、建物を警護する武官がどちらまわりに巡回していたかということが、足の向きが書いてあるので分かる ・・・ そのことに面白さを覚えて、中国の文化・歴史・登場する歴史上の人物・古典などを学び、ご自分の中にその人物がしっかりと生きて動き出すと歴史小説の筆が動き出す そういう歩みを積み重ねてこられた作家なのだと思います。

 愛知県蒲郡出身で、年齢は私の一年年上 ・・・ そういうことも 何だか 身近に感じられて嬉しいです。 私が一人で勝手に喜んでいるのですけれども。

 前置きが長くなりました。 上記五冊から、いくつかの言葉を 記させていただきます。

   ◇    □    ○    ※    ☆

☆ 短綆(たんこう)は深井(しんせい)の泉を汲むべからず孫子。 みじかい縄しか付いていないつるべでは、ふかいいどの水を汲むことは出来ないという意味

☆ できないのは、けっきょく、やらないからだ 孟子

☆ 勝つということの本義は、相手に超えられない何かを存立させることである。その何かとは相手を消滅する力ではなく、相手の争う心を失わせる仁徳の巨(おお)きさである。

☆呂不韋は収穫の終わった田圃にでた。たれもいない地上に立って、かえって一安をおぼえた。地の上に横になった。満目の天である。ー 地はつねにこういうふうに天とむきあっているのか。

「敗田」(はいでん)・・・(農業は時を知ること・・・土を耕すことひとつにしても)早い時期に耕すと、地面がかたくなってしまって鍬をいれることのできない悪質な田圃になってしまうこと  農業の達人 黄外という人物が語っている。

☆ 真の改善とは、改善し続けることだ おのれを改善しないでどうして人を改善することができよう。王朝もおなじである。・・・秦の停滞は秦国内の治体の弛緩による。もっといえば、秦は理想を失いかけている。

人は、哀しいことに、ことばを喪(うしな)えば死ぬしかない。人からことばを与えられない者は、生きてゆくために、べつな、あらたな、独自のことばを産みつづける努力をしなければならない。・・・もっとも深いところにまで行った者だけが、もっとも高いところまでいける。

人は学問によって知識を得る。 学問は人の体温によってつたえられる。ふしぎなことに、ことばは人のぬくもりを保存しようとする働きをもつ。

☆学ぶということは、教えられたことを踏み台として、答えてくれる者のいない世界を問うことでなくて、なんであろう。人は答えてくれない。が、天や地や水は答えてくれる。

孟嘗君は個性のとぼしい者を客として認めない。

「人は生きていることを、他人とはちがう表現において証拠立てよ」

   孟嘗君が暗にいっているのは、そういうことらしい。

 

 こうやって文脈から取り出してしまうと、格言めいたことばかり書かれている印象を受けられるかも知れません。けれど、大きな志を持って、周りの人と成長していく主人公、呂不韋(りょふい)の長い歩みの中で、タイミングよく作中の人物の言葉として語られると、生き生きと息づいて、寝る間も惜しんで読み進んでいくことになるのですね。

 読書の秋、たけなわです。

 今日も、良い日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。  台風情報に、お気をつけて賢明なご判断をお願いいたします。

 

 

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