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2020年2月15日 (土)

『松風の人』 ー 吉田松陰とその門下 ー 津本 陽

0002_20200213142301 『松風の人』 ー 吉田松陰とその門下ー

津本 陽

潮出版社 2008年1月7日 初版発行

 萩を訪れたことがあります。昔からの町並み・夏みかん・・・。大きな萩焼のお店の近くにキリシタン塚もありました。

 松下村塾の建物は小さなものでしたけれど、そこで吉田松陰に学んだ人たちの存在・活躍はとても大きな者となっています。 よく知られている伊藤博文もそのひとりですが、松下村塾の中では際だった存在ではなかったという本もあります。

 この本を読んで、吉田松蔭が清やインドのように異国から攻められ、支配下に置かれることのないようにどうしたらよいかということを真剣に考え、たとえば、東北地方は「東は満州につらなり、北はロシヤに隣している重要な地である」として、10か月間の検分・遊説を願い出て、旅費などの制約もあったため、四か月に期間は縮小されたけれど盛岡などに出向いています。

 若いときから煙管(きせる)での喫煙が身についてしまっていた若者たちが禁煙を実現するなどの場面も松蔭の記した「煙管を折るの記」にあります。 投獄されていた松蔭から囚人たちが学ぶ会が定着するなど、自らが生涯学び続ける人であったことを改めて知りました。

 元旦に「今日だけは(学問を)休もう」と兄の梅太郎が云ったとき「今日もまた、一生のうちの一日です」と兄を励まして学んだというあたり、私とは心構えがかけ離れています。 その熱心さが認められて、11歳のとき、明倫館で萩藩第13代藩主、毛利敬親(たかちか)の御前講義をしたとのこと。山鹿流の兵学を堂々と講義し、講義後、藩主は「成人いたさば、出色の人物になり、きっと国のためにおおいにはたらきをあらわしてくれるにちがいなし」と才幹を認められたそうです。

 吉田松陰の生涯はよく知られていますので、以下は、遺書『留魂録』から引用・紹介させていただきます。

 冒頭の一種

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 ・・・ 私は三十歳 事を成しとげることなく死ぬことは、稲穂がまだ実らないようなものであるから、惜しむべきことのようである。しかしわが身にとっては、これまた実の熟したときで、かならずしも悲しむべきことではない。なんとなれば人の寿命は定まったものではない。

 稲穂のかならず定まった四季を経るのとはちがう。十歳で死ぬ者は、その歳月の内におのずから四季がある。二十歳で死ぬ者、三十歳で死ぬ者は、おのずからそれぞれの四季がある。五十、百もまたおのずから四季がある。十歳の人生を短いというものは、夏蝉の命を霊椿(れいちん)のそれと比較するようなものである。百歳をもって長命とするのは、霊椿の命をもって夏蝉のそれと比較するようなものである。

 私は、三十歳で、すでに四季を経験した。その結実が中身のない秕(しいな)であろうと粟であろうと私の知るところではない。同志の士が私のささやかな志をあわれみ、継承してくれるならば、後に続く種子はいまだ絶えないわけだ。実った稲穂に恥じるところはない。同志の者よ、是を考えてくれ」

    ◇      □    ○     ※      ☆

 江戸時代の吉田松陰のことから、一気に現在に移らせていただきます。

 この世での人の生は長さがあります。 それを越えての遺るものは何でしょう。 

 三つを書いた人がいます。 財産を残すのが三番目、仕事を残すのが二番目、一番目は人だそうです。

 聖書には、こう記されています。

 いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です。

 第一コリント 13章13節

 今日も、良い日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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