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2020年10月15日 (木)

『日御子(ひみこ)』  帚木蓬生 著

0002_20201012094401 『日御子(ひみこ)』

帚木蓬生 著

講談社 2012年6月1日 第1刷発行

 弥摩大国(やまたいこく) 卑弥呼の時代 ・・・紀元2~3世紀に漢の国、光武帝へ朝貢に遣わされた使節団がありました。 漢の言葉で親書をしるし、正史と光武帝のやりとりを通訳するという大任を果たした灰(かい)の一族を通して当時の歴史がたどられます。

 この(あずみ)という一族が大切にしている三つのこと がこの本では繰り返し登場して来ます。

 ひとつめ 人を裏切らない

 ふたつめ 人を恨まず、戦いを挑まない ・・・人が人をいつくしみ、愛している間は天が導いてくれる。 しかしその人間が邪悪な心をもったとたん、天の眼にはその人間の姿が見えなくなってしまうのだ。つまり天の恩恵が受けられなくなり、その人間は山をうろつく獣と同じになってしまうのだ。

 みっつめ  よい習慣は才能を超える ・・・天から授かった才能がどれぐらいかは分からない。しかし、たとえ少し劣っていようと、ちょっとぐらい優れていようとそれ自体はたいした差ではない。大事なのは習慣だ。絶え間のない良い習慣があれば、持って生まれた才能などは露ほどの重みもない。

 この物語の中に卑弥呼(ひみこ)は 日の御子として登場しています。 隣国を攻め取ろうという心は少しもなく、和平のために心を尽くして遣わした使者がむごく扱われたときも、それを悲しみ、弔いながら、武力を持って仕返ししようとしない日御子・・・天の眼にはその日御子は輝いているに違いないと、民たちに敬愛され、天の心と地の歩みとの仲立ちをする通訳者として祈る存在として描かれています。

 漢が滅びた後、朝貢に応えて、魏から派遣された使節は、弥摩台国に入って、農民たちの鍬を見聞し、その粗末なことを哀れみます。そして兵隊の武器以上に大切なのは農民の大地を耕す農具だと、通訳に諭します。その使節の節くれだった手は、剣ではなく鍬などの農具をふるって鍛えられたものだったのです。

 1947年生まれの帚木蓬生さんが精神科医の仕事を続けながら精力的に執筆活動を展開されている心が伝わってくる思いがいたしました。

 ひたむきに漢の言葉、文字の習得に努めてきた通訳に、16歳の少年が「なぜ、漢の国には文字があるのに日本の国には文字がないのか」と問われて、絶句する場面があります。文字があり、筆と墨と硯があれば、海の向こうに渡っても故郷にたよりを送れる、人と人が顔を合わせなくても気持ちを通じ合える・・・どうやって日本の文字をつくればいいのか・・・この本では戸惑いの思いとして提示されていますが、こうした難題に向き合う人たちがいて、現在の日本語があるのだと、改めて思いました。

 余談ですが、現代のある中学生たちがテストに備えて勉強していて、「ごった」ってどういうこと? と戸惑っていたそうです。居合わせた大人がその用紙を見ると、次の選択肢から「誤ったものを選びなさい」というような問題が書かれていたそうです。「誤」という漢字には、「誤解」のように「ご」と読むときと「誤った」のように「あやまった」と読むときがあると習得したとき、新しい世界が開けたことになるのだと思います。 このときの中学生たちは、この日、大きな学習をしたのでした。 

 特に卑弥呼の時代には、通訳だけではなく多くの人たちが、何百年もかかる難題に直面していたのですね。先人のご労を偲び、心から感謝いたします。

 今日も、良い日となりますように。

 

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