2009年11月11日 (水)

早口言葉

 大学二年生に、「小学校国語科教育法」という授業をいたしました。

 途中に、作業・・・書き取り的なこと、熟字訓の読み、詩の読み取りなどをはさんで、私の一方的な話にならないように工夫しました。

 ただ、そうした作業、途中にはさんだことのほうが本題よりも記憶に残るようで、それが私の授業の課題でもあります。

 それはそれとして、そうした作業の一つに、早口言葉を入れておきました。よろしければ、口に出して、三回繰り返してください。

 ちゃんと、早口言葉といえるところまで到達できましたら、脳の活性化、そして滑舌というのでしょうか、口の回転に自信をもっていただいてよろしいかと思います。

 でも、自己責任で取り組んでください。 舌がからまって(二枚以上ある方には起こりうるかも)も、責任は負いかねます。

1. バスガス爆発

2,黄パジャマ 茶パジャマ 赤パジャマ

3.ひきぬきにくいくぎ

4.ひまごがめ

5.新春歌謡シャンソンショー

6.お綾や 母親におあやまちをおあやまりなさい

7,かえる ぴょこぴょこ みぴょこぴょこ 

  合わせてぴょこぴょこ むぴょこぴょこ

 お疲れ様でした。 一般に伝わっているのと少し異なっているのもあると思いますが、お許しください。

 ちなみに、私は7番がとても苦手です。

 さて、生活のほうは、落ち着いて着実に歩み、今日もよい日とすることができますように。

 

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2009年11月 7日 (土)

教育の実りを見る喜び

 5日の研究会の折に,小学2年生の国語の授業で、こんな男の子に出会いました。

 物語(古典)をいくつかの場面に分けて数人で受け持ち、それを元気に音読する練習をして、今度、家の方などに聞いていただこうという授業でした。

 参観者にも聞いていただこうという時間になったら、私のほうへまっすぐに来て、「すらすら読めるようにするというめあてで読みます。聞いて下さい。」と言って、読み始めたのが、Nくんでした。名前まで覚えたのは、彼が、まっすぐにまなざしを向けてきたからです。たいしたものですね。

 それだけでなく、Nくんは、授業のおわりに、先生に指名された級友が「たくさんの人に私の読むのを聞いてもらえ、意見を言ってもらえたのでよかったです」と発言し、さあ、授業は終わりという雰囲気になったときに、さっと手を挙げて「質問!」と言ったのです。

 先生も、さあこれでフィナーレだと思っておられたようで、ちょっと戸惑われたようですが、さすがです。「はい、どうぞ」と発言の機会を与えられました。

 Nくんは、落ち着いて、こう言いました。「どんな意見を言ってもらえたのですか?」

 先の発言者もすごいです。具体的にいくつかの意見をあげ、実のあるまとめが成立して、授業は終わったのでした。

 小学2年生といえば、7歳、誕生を迎えて8歳です。多くの参観者の前で授業が終わろうという時に、あわてずさわがずに発言するその堂々とした構え、すばらしいと思いました。

 翌日の6日、今度は岐阜市の中学校の研究会に参加しました。

 小学校の研究会では和やかな表情で授業を見ている参加者がほとんどなのに、中学校の研究会では、全員とは申しませんが、ちょっと怖いくらいの表情で見ている人がいるのです。親の敵を見るような ・・・というと言い過ぎかも知れませんけれど。

 そんななかに、授業を見つめる表情のとてもすてきな先生がおられました。そのかたに、表情のあたたかさ、すばらしさをとてもよいことと思いますと、(年を取るとあつかましくなるのですね、きっと ・・・ いえ、これも全員とは申しません)後でお伝えしました。 「いいえ、そんな・・・」とおっしゃる笑顔に、この先生の受け持っておられる子どもたちの幸せを感じました。

 気温が下がる11月、インフルエンザの影響で、研究会当日に学級閉鎖をしなければならない学校もありますが、教育の確実な実りを見せていただく喜びは、何物にも代え難いものです。

 今日も、よい日となりますように。 明日は,日曜日、キリスト教会へどうぞ。

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2009年11月 5日 (木)

闇の中の光

 今日は、養護学校に長く勤められた同郷の先輩の二通のメールからお許しを得て一部を紹介させていただきます。

【第一信】

 先日、以前勤めていた養護学校の小学部会がありました。ある時期、小学部の教師集団がとてもよくまとまって、いい時代がありました。みんながその時代を懐かしんで、時々「あのころの小学部会」と称して集まっているのです。

 今回、皆さんの話を聞いていて驚いたことがあります。親の虐待によって精神を病み、普通学級にいられない子どもが大変増えているということです。小児精神病院内に併設された特別支援学校や普通校の中の特別支援学級の先生方の話はすさまじいものでした。

 親に虐待された子はまったく人を信頼することができず、すぐに切れて暴れ出すのだそうです。先生にむかって「くそじじい、死ね」とわめきながら殴る蹴るは日常茶飯事で、先生方は身体中痣だらけになるのだそうです。

 そういう子どもに向かって「暴力はいけません」などの正論を言って指導しようとすれば火に油をそそいだようにますます荒れ狂うのだとのこと。

 聞いていると心が痛くなるような話でした。でも私と働いていた頃はまだ若かった先生方が、今は中堅の働き盛りの先生になられて、日々、そうした子どもたちに身体を張って向き合いがんばっておられる様子に、頭が下がる思いでした。

【第二信】
  その会で聞いた心に残る話をお伝えしたくなりました。 親の虐待によって心を病んだ子どもたちのための特別支援学級の担任の先生の話です。

 ひとりの子が転校のため学級を去ることになりました。別れの日までいつものように先生(若くて美しい先生です)に向かって「くそババア 死ね」などと暴言を吐いて暴れ、帰るときに先生に向かって折り紙の紙ヒコウキを投げつけて去って行きました。

  その後で先生が何気なく紙ヒコウキを開いてみたら中に『先生 ありがとう』と書いてあったそうです。

 親から虐待され愛情に飢えていた子は、先生にどんなに反抗しても受け止められたことが、心に灯がともったようにうれしかったのでしょう。

 でも、それを素直に表すことができない屈折した子どもの心がいとおしくて思わず涙ぐんでしまいました。話す先生の目もうるんでいました。きっと、その紙ヒコウキは先生の宝物になったことでしょう。

      ◇  □  ☆  ○  ※  ◇  □  ☆  ○  ※

 一番自分を愛してくれるはずの親から虐待を受け続ける子の日々は、耐え難い絶望感に満ち、世の中の誰に向かっても敵意を抱き、愛を受け付けない人間不信の状態に陥ってしまいます。

 でも、そういう暮らしの中でも、この子の魂は、自分を本当に大切に思ってくれている先生の心を感知する力は失っていなかったのです。

 もし、この先生が紙ヒコウキを拾い上げ、開いてみなかったら、この子の「ありがとう」は気付かれないままに終わってしまったかも知れません。けれど、この子は、乱暴な言葉で投げつけた紙ヒコウキに込めたメッセージをきっとこの先生は開いて見てくれると信じていたことと思います。

 その先生のもとから転校していったこの子の先行きが今どうなのかということなどを考えると、暗雲が払拭されるわけではありませんが、でも、闇の中にまぎれもなく一条の光がさす思い、希望を皆様も味わってくださったのではないでしょうか。

 文脈からはずれるかもしれませんが、結びに書かせていただきます。

 あなたが思いきって口にするひとことが、相手に希望の光を与えることがあるかもしれません。

 今日も、よい日となりますように。

聖書のことば

 わたし(神)の目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。   

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2009年11月 1日 (日)

教育は未来への投資 ?

 今日から11月 ・・・ 気温は下がりますが、食べ物は、魚介類も含め、ますますおいしくなりますね。

 10月31日、NHKテレビの子どもサポートネットという番組で、国際的な学力調査でトップを続けているフィンランドの前教育大臣が語っている場面がありました。

 教育に力を入れようとの提案に対し、財務省は反対したそうです。そこで、前教育大臣が出したのが、失業保険を払うときと、学力の高まった国民が仕事に就いたときに期待できる税金の納入額を試算したデータを提示したそうです。

 財務省はその数字に説得されて教育に力を入れる政策の実行に歩みより、その結果、子どもの学力は世界一と評価されるようになり、質の高い労働力に支えられた産業の振興により、経済的にも力をつけてきて現在にいたっているとのことです。

 教育は国家百年の大計を実証しているようなフィンランドの姿に、(そうだ、そうなんだよな)と私も言いたくなりました。

 ただし、そこで出された「教育は未来への投資」ということばに、今一歩、残念な思いを抱きました。

 子ども自身の現在の生活を充実させ、幸せを味わわせつつ育てるということ、そしてそれがさらに建設的な夢をはぐくんで実現に至らせる ・・・ そういうことではないかと感じたのです。

 けれど、フィンランド版の「米百俵」の精神を具体的に見る思いがいたしました。

 いろいろな国のよいところだけを取り出して、パッチワークのようにちりばめても、それはおそらく、機能しがたいと思います。

 壁に水道の蛇口だけ取り付けて形だけ真似しても、壁の中に水源地とつながった水道管が配置してなければ、水は出ない ・・・ 乱暴なたとえですが、熱い心と高い志、冷静な計画と不屈の実行力が伴わなければ、そして多くの人の力が結集されなければ、この国の子どもが、いきいきとした夢をデザインし、元気に歩むことは困難になると、たくさんの方が感じておられることではないでしょうか。

 大人自身が希望に向かって歩むこと ・・・ まず、そのことを大切にいたしましょう。

 きょうは、日曜日 ・・・ キリスト教会へどうぞ。 よき日となりますように。

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2009年10月10日 (土)

雨にも 風・風邪にも負けず

  8日は、台風18号で暴風警報が発令され、休校した学校がたくさんあります。明けて9日は気温が高くなるほどの日ざしが注ぎ、校庭で元気に活動する子どもたちの姿が見られます。

 台風の進路などを見極め、インフルエンザから子どもたちを守る手立てを講じながら、日々の教育活動、そして、修学旅行などの行事を実施している学校関係者のお働きに敬意を表します。

 子どもたちの登下校の安全、学力の育成・・・・これは、とても大事なことです。

 そして、たとえば給食を実施するかどうかなど、いろいろなことを気象情報も参考にしながら判断しつつ、教育委員会・学校は歩んでいます。

 雨にも 風 風邪(インフルエンザ) にも 負けず   ・・・ 見通しを立てながら進む道の何と厳しく、そしてやり甲斐のあることでしょう。

 これは、教育だけでなく、すべての職業、そして政治家にもいえることでしょうけれど。

 時々引用させていただく児童の権利条約の根幹の精神を表している 

「すべての大人は 子どもに最善のものを贈る義務を負う」

ということばを改めて思い出します。

 嵐の夜にこそ 灯台は ますます 光を強めなければ その存在意義をまっとうできません。

 そして、嵐に備えて、平生から足腰を鍛えておくこと、小さく見えることにも手入れを怠ることなく日々を歩む大切さを思います。

 今日も、よい日となりますように。 明日は日曜日、キリスト教会では聖書に基づくメッセージが語られ、讃美歌を歌って神様を讃美いたします。

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2009年9月11日 (金)

教育実習生の授業

  岐阜大学教育学部の二年生は、今、小学校に一週間の教育実習をさせていただいています。そして三年生は中学校で四週間の教育実習中です。

 教壇に立って授業をするのは、三年生になってからです。

 10日(木)に短時間でしたが数人の実習生の授業を見る機会がありました。うーむ・・・初々しい !!  大きな声を出すように、そして生徒のほうを見るように努めていることが伝わって来ます。

 黒板の文字は、丁寧に書き、提示している資料も懸命に準備した痕跡がうかがえます。

 必死に準備し、ひたむきです。心を打たれました。

 教育実習の時期に、「自分は授業の天才だ !!」 と自信を持つ学生がいるとしたら、これほど心配なことはありません。

 大いに悩みながら準備し、ああ、うまくいかない、どうしてだろう、よし、今度こそ・・・というふうにもがく姿こそ、順調だと言えましょう。

 私自身が教育実習生だったのは、おお、40年ほど前のことです。でも、まるで昨日のことのようによく覚えているのですよ。

 秋めいた風が感じられ、涼やかな教室が多かったのですが、教育実習生たちの熱いがんばりが伝わって来ました。 これぞ、青春です。

 9日に訪問した学校では、中学校で受け持った生徒が教師になっていて、声をかけてくれました。何と、彼は50歳 ・・・ うーむ、私は、いったい何歳でしょう(1946年生まれです。計算なさりたい方は、ご遠慮なくどうぞ(^_^;)

 でも、私も現役の人生を歩んでいます。 音楽療法研究所の講座を受けていますが、先日は、「合格基準に達していませんので、レポートを再提出してください。足りない点は、これこれこういうところです」との評価とアドバイスをいただき、頑張って再提出のレポートを仕上げました。 

 先日、そのレポートの評価が郵送されてきました。今度は合格させていただいたので、再挑戦で合格する喜びを味わいました。  ・・・ どうです。りっぱに現役の学び手でしょう ・・・ いえ、自慢しているわけではありませぬ。

 それは、ともかく、若い学生さんたちと、さらに若い小学生、中学生の学びと成長を願っております。

 今日もよい日となりますように。

 

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2009年9月10日 (木)

子どもから力をもらいました

 勤めていた小学校から卒業生を送り出した中学校を訪問させていただきました。

 体育大会に向けての練習中の校庭に校長先生が案内してくださり、小学時代のことを思うとずいぶん体格の大きくなった子たちと会うことが出来ました。

 練習を終えて教室に入る前の子たちとの再会・・・軽度のダウン症のA君が、顔を見るなり、とんできて、文字通り、しがみついてくれました。

 小学時代には毎朝、私のメタボをおなかをクッションとしておでこであいさつしてくれていたのですが、背丈も伸びていて、今回はハグ、というのでしょうか ・・・ プロレスのベアハッグほどではありませんが、かなりの力です。

 校長先生にお礼の挨拶をしていると、今度は背中に飛び乗ってくれました。

 人目も何も気にしないで、ひたすら心から歓迎のあいさつをしてくれるA君 ・・・ 辞去しての車中で、彼に力をもらってとても元気な自分になっているのに気が付きました。

 A君の歓待にあって、まるで、自分がとてもいい人のように思えたのです。欠点も、いたらないところもいっぱいの自分の教師としての歩み ・・・ でも、いたらないながら、小さな何かは実を結んでいるのかもしれないと思うことができたのかもしれません。

 教育実習中の学生たち、そして教員採用試験を終えて結果待ちの上級生たち、また、今年の採用試験では合格しなくても、講師として働きながら来年度の教員採用試験の合格を期している学生たち ・・・ そうした若人たちに 「教師は、それを目指し、一度しかない人生の時間をそそぐにたる職業です」と、改めて語りたいと思います。

 A君、ありがとう。

 今日も、よい日となりますように。 

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2009年7月28日 (火)

少し晴れ間が見えてきて

 先ほどまで、まるで台風が接近しているのかと思うような風雨の激しさでした。といっても、私は窓から外を眺めていただけなのでしたけれど。

 手にとって読み始めた本に次の詩が載っていました。ご紹介します。

 りんごとなみだの落ちる音

  小学四年生 澤田龍太

 黒い雲の広がった空を見上げて

お母さんは、手をあわせておがんでいた。

目には、

いっぱいなみだがたまっていた

せなかをまるくして、

じっと手をあわせている。

こんなお母さんを見るのははじめてだ。

ぽたぽた ぽたぽた

畑でりんごの落ちる音がする

赤い大きな「世界一」が、

ふくろのかかったままの「むつ」が、

風にたたかれて

枝からはなれていく

ぽたぽた ぽたぽた。

りんごの落ちる音は、

お母さんのなみだが落ちる音だ。

お母さんの丸いせなかを見ていたら、

ぼくの目からもなみだが落ちた。

( 『リンゴの涙』 弘前大学編集委 刊の中の詩の一つ )

 1991年の9月28日、青森県の津軽地方は激しい台風(19号)におそわれ、りんごの樹も果実も壊滅状態になったそうです。百年に一度といわれる台風の猛威で、被害額は数百億円にのぼったといわれているそうです。

 この詩は『わが子の学力 親にできること』 坂本光男 著 労働旬報社 1993年5月30日発行に紹介されていました。

 著者の坂本光男さんは、この本を書かれた当時、中央大学の講師・日本生活指導研究所所員だと本に記されています。(現在のことはわかりません)

 この詩を読んで胸を打たれた坂本さんは「こうした深い感受性とみずみずしい表現力をもった子は、どのような生活や教育のなかで育つのだろうか」と思い、学校に電話したそうです。

 担任は「よく働く子ですよ。だから生活を感じられるのでしょうね」と答えたとのことです。澤田君の家は農家で、生活を支えるために両親・祖父母・きょうだいのみんなが力を合わせて働いているそうです。とくにめだつ子ではないけれど、ものごとをじっくり考える子だそうです。

 今、私は、日本の将来を担う子どもを育てるためには、学校はもちろんのこと、その子どもの保護者たち、そして日本全体の社会人たちが本気で子どもたちのことを考えないといけない時期に直面していると痛切に感じています。

 前々から感じてはいたのですが、今からでも間に合うこと、小さくても実行可能で有効なことを見いだしたいと思居ます。至らないことだらけの私ですが、ブログにコメントをくださるなど、お力添えいただけたら、嬉しく思います。

 よき日、よき明日となりますように。

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2009年7月19日 (日)

頭休めにクイズはいかがでしょう

 教員採用試験を受けた方々、お疲れ様でした。労をおねぎらい申し上げます。

 一次試験が終わってほっとしたその日から、二次試験に備えて勉強をする ・・・そういう構えが大事なのですね。

 でも、今日は、頭休めのクイズを提供させていただきます。インドのタゴールという詩人に「張り詰めすぎた弦は麗しき音色を奏でること、あたわず」という一節があるのです。

 もちろん、ゆるすぎる弦は、もっと考え物かも知れません。

 さて、前置きはそこまでにして、とんちで応えてください。取り組むかどうかはもちろん亜あなた次第です。

 受験生ではない方 ・・・ もしよろしければ、どうぞ。

まず、 国名・地名です

1 無欲な人たちの国

2 イカに冷たい仕打ちをする国

3 力持ちの人たちがいるインドの都市

4 赤ちゃんばかりの国

5 別に誘拐が多いというわけではありません。 親日派の国です

6 未来を大事にする国

7 つるぎと橋を並べて ・・・ 大學もあるイギリスの都市

8  せんべいのカーニバル  これは、地名ではなく7月14日に関係がある外国のお祝いの日です

 答えを確かめたい方は、「続きを読む」 へどうぞ。

 おつきあいくださり、ありがとうございます。

続きを読む "頭休めにクイズはいかがでしょう"

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2009年7月 1日 (水)

教師を志す若者たち

 晴れれば暑く、降ればどっさり ・・・ 今年の梅雨にはそんな印象をいだいております。

さて、今日から7月、どうぞお体を大切になさってください。

 教員採用試験をひかえている月とあって、受験する学生たちはその準備に懸命です。その願いが実現するように支援するのが今の私の職務ですので、面接の練習で問う問題を練るのにも力を注いでいます。

 あまり簡単でもいけませんし、そうかといって自信をなくさせてもいけませんし ・・・ 

 中心となる質問は、教師を志望している動機、なぜ、教育の道を志すかということです。

 緊張をほぐすウオーミングアップの質問、そしてクーリングダウンの質問も考えました。実際の試験にこういう質問は出ないかもしれませんが、臨機応変に答える中に自分らしさを込めて欲しいと願っての質問です。

 企業秘密・・・というほどではありませんので、一例を記させていただきます。

◇ 念願がかなって、学校勤めがはじまったとします。仕事の一つとしてあなたは学校の花壇の係となりました。あなたは、どんな花を植えますか。その花を選ぶ理由も聞かせてください。

 挙げられた花はひまわり、朝顔、チューリップ、たんぽぽ などなど。同じ花を選んでも、添えられるコメントはその学生らしさが伝わって来ました。

 ひたむきななかにも、心に花をたやさない人生を切り拓いてほしい と改めて願いました。

 思い起こしてみますと、私は、初めて小学一年生を担任することになったとき、入学式を終え、教室で新入生と保護者に向けて第一声を語り、親子を送り出してほっとしました。そして、そのときになって初めて、目の前の机の上に花が置かれていることに気がついたのでした。

  同僚のどなたかの心配り ・・・ 朝からその花 ・・・ 黄色のフリージアは芳香を漂わせながら教室に新入生歓迎のいろどりを添えてくれていたのですが、私が気がついたのは、夕方、教室で一人になってからだったのです。

 それだけ初日は緊張していたとも言えますが、もし、そのどなたかの心配りがなかったら、入学式の後、新1年生を迎える教室に一輪の花もなかったことになります。

 後年、あるところの教育委員会に赴任し、その管轄の学校に着任する教職員の宣誓式の会場を整えていたとき、教育長さんが様子を見に来られ、何とご自身で花を活けてくださったのには驚き、教えられました。男性の教育長さんに生け花の技術があること、それ以上に、花もて人を迎える心を身をもって示してくださったことに、上記の入学式の日の私との格段の器の違いを感じたのでした。

 学生の人生に豊かな花が咲きますように。そして、私自身のこれからの人生にも小さくても花が咲き、確かな実を結ぶことができますように。

 聖書のことば  

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

                    ヨハネの福音書 12章 24節

 (先日の日曜日、8月に台湾へ宣教師として向かわれる牧師さんが来訪され、上記の聖書のことばから感動的なメッセージを語られました。)

 

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2009年6月23日 (火)

苦学生 !?

Ca390003  大学の部屋を時々訪れる男子学生。やおら取り出したのが、左の写真の物体 ・・・ これがなんだかお分かりでしょうか。

 ランチボックス  インヴェーダーのようなゲーム機 ・・・ 私もそう思ったのですが違っていました。

 答えは、コマーシャルのあと  ではなくて、すぐ下の写真をごらんください。

Ca390005  そうです。裁縫箱なんです。 彼が小学5年生の時に家庭科の学習のため、購入したものだそうです。

 ちなみに彼の同級生は、ポケモンやドナルド・ダックなどのキャラクターのを購入したそうです。

 大学3年生の彼は、家庭科教育法の時間に、「給食袋」を縫い上げて提出することが課題になっているそうで、懐かしい裁縫箱を引っ張り出してきて昼休みにも取り組んでいるのだそうです。

 糸目も分かるように、頼んで給食袋の裏側も撮らせてもらいました。

Ca390006_2 

 苦労しながら懸命に裁縫に取り組むのは、なかなか、ほほえましい姿・・・

 学費捻出のために夜は学習塾のアルバイトにも時間をあてているとのこと、いろいろな意味で好感の持てる「苦学生」なのであります。

 ファイト !!  学生諸君 

 今日も、よい日となりますように。

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2009年6月19日 (金)

子どもに模範を示す大人に

 17日の天声人語でしたか、国会でヤジを自粛し合おうという話し合いがなされたとか書かれていました。

 相手の話を聞かないでヤジを飛ばし続ける様子が国会中継のラジオから流れていて、恥ずかしくて子どもには聞かせられないな、と以前から思っていました。

 何年も前のことですが、あまりのヤジに立腹した国会議員が相手にコップの水をかける場面がテレビに映し出されたことがありました。

 そのニュースと同じ頃、授業を見せていただいた学校で、スムーズにことばが出てこない子をあたたかくみんなで励まし、その子が発する一語一語を真剣に聞いている学級の姿に私は感動しました。

 この二つを組み合わせて、こんな短歌を詠みました。

 発言につまる級友励ます子 国会議員に見せてやりたし

 遅きに失した感はありますが、過ちは新たむるにはばかるなかれ と申します。

 国会だけでなく、すべての大人が、子どもに模範を示し、「あんな大人になりたいから、勉強もがんばる」というあこがれの対象になれたらすてきだなと思います。

 子どもに期待したり、課題を課したりするとき、自分自身も同じ以上の重さの課題を自ら負っている ・・・ そういう大人でありたいですね。

 実現しきることは難しくても、めざしたく思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2009年5月30日 (土)

静かな喜び

  教員採用試験の願書提出の時期が来て、このところ学生さんが部屋を訪れる数が増えておりました。

  それぞれの学生さんのよさ、教師になりたいとの志がよく表れるようにとアドバイスしますと、その場で懸命に下書きを練って書く学生さんもいます。

 下書きが完成して、「あなたの思いが読み手に伝わるようになったよ」と励まし、彼らが帰って行った後、机の上に、消しゴムで何回も消したカスが残っているのに気がつきました。

 呼び戻そうとも思ったのですが、すぐに次の学生さんたちが何人か来ました。その中に、かつて私が勤務した中学校の卒業生が一人いました。

 その学生さんも、机に向かって下書きを仕上げたのですが、私が何も指示しないのに、机の上を綺麗にして、(先ほどの学生さんの分もすっかり片付けて)アドバイスのお礼を述べて帰って行ったのです。

 私は、静かに、けれども深く感動しました。

 それは、ほぼ20年前、その中学校で、校長先生が喜んでおられた生徒の姿と、今回のその中学校の卒業生の姿とが重なったからです。

 校長先生が喜んでおられたのは、当時、生徒会の役員だった生徒が校長室を訪れて校長先生のお話を伺ったとき、(今は、岐阜市内はじめ、ほとんどの学校が禁煙になっていますが)、先客が机上にこぼしたタバコの灰に気がついた生徒が、自分のハンカチにその灰をくるんで、机上もきれいにして部屋を出て行った心遣いに対してでした。このときも、そのように指示されたわけではありませんでした。

 20年過ぎて、同じ中学校に学んだ後輩が、おたがいの面識もないのに、指示もなく、主体的に自分がよごしたところではないところも綺麗にして、そのことを口にすることなく去室したこと ・・・ その学校に通算10年勤めたことのある私は、言いしれぬ感動に満たされました。

 こういう姿は、テストの点数には表れてこないと思います。けれど、その中学校を訪れたある高校の校長先生が、玄関を掃除していた生徒が校長室に案内するその対応ぶりに感心して、「この学校が推薦される生徒さんだったら、安心して受け入れられます」と話して帰って行かれたこともありましたから、分かる方にはすぐ分かっていただける姿なのです。

 非力な教師でしたけれど、教え子の心に輝くものを見るとき、また、次世代をになう若人に、静かで確かな心配り、すぐれた人格の実りを見るとき、教育の道に志して歩んできてよかったと味わうことができる幸せに満たされます。

 もちろん、他の学校でも同じように子どもたちは育っています。

 今日も、学生たちが実習させていただいている学校を訪問し、ある教室では「おっ、○○くん、今日はずいぶん積極的に発言するね、どうしたんや」とほめられている生徒を見ました。 ・・・実は、その生徒は、私が最後に勤めた小学校の卒業生なのですよ、久しぶりに私の顔を見たのでげんきに学んでいるところを見せてくれているのかもしれません と担任の先生に告げることもせず、幸せな思いでその教室を後にしたのでした。

 わが大学の学生さん、そして、教育の道を志す若人たち・・・ 教員採用試験は難関ですが、苦労して挑戦する値打ちのある道です。 自分の持ち味を錬磨して、ぜひ合格してください。

 今日もよい日となりますように。 明日は日曜日、キリスト教会では礼拝が開かれ、清楚に基づくメッセージが語られます。ご参加くだされば、嬉しく思います。

 

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2009年3月27日 (金)

小学卒業生の将来の夢

 住んでいる校区の小学校のPT.広報が回覧されたので、読みました。

 このシーズンらしく、卒業生一人一人の書いた「将来のぼく・わたし」が掲載されています。 何歳の自分はこうなっている という企画のようです。

 スポーツ関係

 ・・・ 世界一の卓球選手・甲子園 優勝・ドラゴンズの新人4番でホームラン王・甲子園で優勝し、ドラフト1位でプロに入団。活躍して25歳でメジャーリーグの四番打者になっている・水泳の水泳に出て、1位になって「なんも言えねえ」と言っている・バレーボール選手になってテレビに映っている・母校でバレー部のコーチ・ワールドベースボールクラシックで大活躍・プロのスノーボーダーになってオリンピックに出場・剣道の全国大会・ポルシェやフェラーリやランボルギー二をお父さんにプレゼントできるくらいのJリーガーとして活躍している

 ・・・ 親孝行な子がいてうれしいですね。 「43歳のぼくが開発したシューズをはいたオリンピック選手は金メダルをとっているでしょう」 という子もいます。

 文化・学術関係

 宇宙飛行士・つくった服が大ヒットしているファッションデザイナー・20歳のぼくは、化学者になってノーベル賞をもらっている・発明家になって、地球に優しく、安全な乗り物を作っている・研究員になって良い商品を開発している

 分類はともかく、職業名などをご紹介

 パイロット、イルカの調教師・動物に関わる仕事・パティシエ・和菓子屋につとめて栗きんとんなどを作っている・教師・医師・看護師・薬剤師・ピティナピアノコンクールに出て大活躍・美容師になってみんなをきれいにしている・建築家・漫画家・イラストレーター・趣味の小説を書き続けている・アナウンサー

 こんな人になっていたいということも含まれている書き方もたくさんありました。

 すてきな歌を歌って、たくさんの人を元気づけている、子どもに好かれる保育士、人の気持ちが分かる精神科医、ペットショップの店員になってお客さんに明るく話しかけられる店員になっている・・・

 そして、こういう記述もありました。※りきまずにこういう考えを自然に表明できていることにこの学校の教育のよさを垣間見せていただいた思いがしました。

 20歳の私は同級生と成人式で輝いている・20歳以後のぼくは、平均的な生活をしている・20歳の私は、社会人になって毎日一生懸命働きます・25歳の私は人の役に立つような仕事をしている・30歳のぼくは商業系の会社に入って元気にやっている・30歳のぼくは自分だけの家を建てている・30歳のぼくはいっしょうけんめいペンキで壁を塗っている・31歳では立派な中小企業の係長になっている

 

 35歳の私は、結婚して幸せになっているかな ・・・ 「幸せになっているかな」というのは12歳の子なりに、自分だけでなく相手が居ることなので、言い切っていないのでしょうね。

 どの子も、幸せになっていてほしいですし、毎日毎日幸せな時間をすごすことができていてほしいと思います。

 すべての大人はこどもに最善のものを贈る義務を負う ・・・ 児童の見地条約の根幹の精神です。

 今日も、よい日となりますように。

  

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2009年3月 6日 (金)

師の存在

 国語教育界の大きな存在、大村はまさんが世に認められるきっかけは、彼女が育てた生徒でした。

 同じ高校から入学した女子学生があまりにも優れた国語力と探求心を備えていたので、この生徒たちを捨て身で育て上げた教師がいるにちがいないと、ある方が考えられたのだそうです。そして、それはあたっていました。彼女たちの高校時代の師こそ、大村はまさんだったのです。

  大村はまさん自身、主体的に学ぶかたですが、「師なくして育たず」とご自分が影響を受けた師、芦田惠之助先生の存在の大きさを語っておられます。

  あまりに偉大な師をもつことは、重荷になることも多いかもしれません。けれど、本当の師は、その弟子の麗しい資質を見い出し、それが花開くように適切に導く役割を的確に果たすのだと思います。

  いきなり、落語の師弟に話が飛びますが、柳家小さんと柳家小さん治という師弟の話を ・・・   長年の間に小さん治に小さんは二つのことばを語ったそうです。

 一回目は、小さん治のけいこする落語を聴いて「おもしろくねえなぁ」とのことば

 二回目は、「お前の落語に出てくるご隠居さんとはっつあんは仲がよくねえなぁ」

  落語の中の会話は、落語家がお客さんに向かって語るのでなく、ご隠居さんははっつあんに語り、はっつあんはご隠居さんに語る ・・・ それが自然な会話として成り立っているときお客さんは引き込まれて身を乗り出して聴く ・・・ これが真の芸なのだそうです。

 長年の間に、この二言 ・・・ これで育つ弟子も育てた師もすごいですね。

 この師にしてこの弟子あり ・・・ 

 人生における師 ・・・ 私がこれまでに巡り会えた師、これから出会うだろうかたも含めて思いを深めてみたくなりました。 不肖の弟子でしかないまま歩んできたのですけれど、それゆえ、余計に考えてみなければと思っています。

 今日も、よき日となりますように。

 

 

 

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2009年3月 4日 (水)

冬は冬らしく 春は春らしく

 三月に入って、寒さがぶり返していますが、大勢はあたたかい春に向かっているのですね。

 一年中、春のような陽気でも、一年中厳冬期でもなく、四季があるからこそ日本は世界の中でも美しい国なのだと読んだことがあります。

 春らしい春 夏らしい夏 秋らしい秋 冬らしい冬

 エアコンを効かせて年中快適な温度の中で暮らそうとすると、四季はそれぞれの季節の特長を失って境界がぼやけていくのでしょうか。

 年中、同じ野菜が食べられるようになり、それはそれでありがたいのですが、全体に味が淡泊になり 旬の物はどれかがわかりにくくなっているような 

 何だか、そんなことを考えています。

 俳句 ・・・ そう俳句は季題を大切にしています。 有季定型の文学 

 ・・・  四季も 俳句も きっと続いていくことでしょう。 

 今までと同じで変わらないところ と 新しい在り方 と

 芭蕉も 別のことばで 端的に そのことを述べていましたね ・・・ うーん、 そうそう、 「不易と流行」 でしたね。思い出すのにちょっと時間がかかってしまいました。

 今日も、よい日となりますように。     

 

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2009年2月16日 (月)

課外授業 岡村喬生

 2月15日の午後、NHKテレビで、「課外授業」という番組を見ました。

 オペラ歌手、岡村喬生さんが中学生にシューベルトの♪「菩提樹」を歌って聴かせ、次の日までに歌えるようにしてくるようにと宿題を課します。

 次の日、「歌えるようになった人?」と問われて、静まる教室 ・・・ 一人の女子中学生が手を挙げ、懸命に歌いました。

 細い声ではありましたが、その生徒が歌い終わると真剣な表情で聴いていた岡村さんが、大きな拍手をしました。厳しいプロの妥協しない迫りに精一杯応えたこの中学生に感動しての心からの拍手でした。

 この宿題が出されたとき、私は中学生たちに出来るのだろうかと心配しました。岡村さんが生で歌って聴かせ、生徒たちは一人一人ICレコーダーを録音し、歌詞を渡されました。

 けれど ・・・ 岡村さんの歌ったのも生徒に渡した歌詞のプリントも ・・・ ドイツ語だったのです。

 それに挑戦し、他の生徒が手を挙げられないでいるときに先頭を切って手を挙げ、持てる力を出し切って歌った生徒の姿にはプロを感動させる力がありました。

 そして、級友たちも、続いて何名も歌いました。それを引き出したのは一番先に手を挙げた彼女でした。 そういう舞台を設定し、中学生たちに内在する力を信じて厳しく厳しく迫った岡村喬生さんにも私は感動しました。

 この番組は、私自身にとっても学びをもたらしてくれたすてきな課外授業となりました。

  今日もよき日となりますように。

 

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2009年1月30日 (金)

木を植える心

 「モンテ・クリスト伯」 ・・・ 「巌窟王」の名でも知られているアレクサンドル・デュマの作品をDVDで見ました。

 こういう内容だったのかと思うところもありました。少年期に読んだ簡略版では分からなかったところもあるでしょうし、映画化に当たって脚色されたところもあるのでしょう。

 なかなかよい出来栄えの映画で、特別の期間に借りたので100円という値段でこれを見ることができたのはありがたいことでした。

 ふと思ったのは、原作者のデュマ自身は、自分の作品を映画で見ることはなかったのだということです。

 もし、見たら喜ぶ場合と、原作の意図とは違う、と悲しんだり、怒ったりする場合など、いろいろ出てくるのかもしれませんけれど。

 でも、世の中には、苦労してよいわざを始めた人がそのわざの実るのを見届けることも、その成果の恩恵にあずかることもなく世を去っていくことは、たくさんあるのだと思います。

 たとえば、木を植える人は、自分自身のためでなく、孫の世代のために前向きな気持ちでそれをしているのですね。

 近視眼的に、自分の去った後の世の中などどうなってもよいと考える生き方からは、木を植えるという行動は出てこないと思います。

 何年後に花が咲き、実がなるか分からないけれど、花が咲くためには今、最善のことをしておくこと ・・・ 教育もそうした尊い営みの一つと言えましょう。 

 岐阜市のある小学校で、国語の授業のひとこまに登場させていただく幸いな機会を得たこともあって、上記のようなことを改めて思いました。

 今日も、よい日となりますように。

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2009年1月28日 (水)

「はい、どうぞ」「ありがとう」

 小学一年生の国語の授業を見せていただく機会がありました。

 特製の原稿用紙を列の前から後ろへ渡す場面があったのですけれど、感心したのは、前の席の子が「はい、どうぞ」と渡し、後ろの子が「ありがとう」と言いながら受け取っていたことです。

 原稿用紙は、三色あって、それが順に配られたのですが、その度にきちんと「はい、どうぞ」「ありがとう」が繰り返されるのです。

 大人だと、2回目、3回目は無口になりそうです。あるいは、1回目からむすっとして受け渡す人もいそうです。

 ことばの教育は、心の教育と重なり合うところが多いですから、この子どもたちのやりとりにはとても感心しました。

 家庭で、「お母さん、今日のお味噌汁、特においしいよ、ありがとう」 「あれ、そうかね、いいこと言ってくれるね。うれしいよ」というような会話がなされるのは、あたたかいですよね。

 「釣った魚には餌はやらねいんだ」 などと粋がっていないで、自然な会話がキャッチボールのようにやりとりされるよう、(不十分かも、という自覚がある人は)今日からでも努めてみましょう。

 よき日となりますように。

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2008年11月11日 (火)

心が燃える

 11月7日に、高山市の小学校、8日に岐阜市の中学校で授業を見せていただく機会がありました。

 どちらの学校も子どもたちの学ぶ姿、そして到達するゴールがよく、胸が躍り、心が熱く燃えました。

 先生方の生き生きした姿、たくさんの参観者に物怖じせずに自分の考えを堂々と述べる子どもたちの姿 ・・・ 嬉しい二日間でした。

 明るく成長する子どもは、やはり宝です。

 詳しく書きたいのですが、これ以上起きていると、カップラーメンを食べたい気分を抑えられそうにありませんので、寝てしまうことにいたします。

 若い時には「このまま寝ると、朝起きたら飢え死にしているかもしれない」などと家内に夜食を作ってもらったこともありました。(^_^;) そのことを思うと私も大人になって、食べ盛りを過ぎたのだなあと思わないでもありませぬ。

 立冬も過ぎ、食欲の秋とまず別れを告げる努力をいたします。

 よき日となりまうように。

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2008年11月 9日 (日)

「石叫ばん」の碑

 高山市の城山公園の一角に「石叫ばん」という石碑があります。高山にゆかりの国語教育の先達、垣内松三先生というかたの功績を記念し、その方の著書の名をとって、国語教育のこれまた先達である西尾実先生が揮毫された碑です。0001 0002 そばに趣旨説明の碑も建てられており、それによると昭和41年4月16日に設置とのことです。全国の3千有余人の志が込められているそうです。 これは、すごいことですね。

 『国語の力』 『石叫ばん』 など、既にお読みになった方も多いことと思います。 

  なお、「石叫ばん」のもとになったことばが聖書にあります。

まことに、石は石垣から叫び、 梁は家からこれに答える。

 聖書 ハバクク書 2章11節

 よき日となりますように。

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2008年10月26日 (日)

根を見る目

A B  C                この3枚の写真は、長良川にかかる橋の塗り替えを撮ったものです。

 左は、足場を組み終わったころのもの、夏に通ってもトンネルのような状態で、涼しさを感じたものでした。

 中央は、ほぼ塗り終わって足場がはずされる途中のものです。鮮やかな色が塗られています。お化粧直しと申しましょうか。

 右は手すりに覆いがかかっている状態です。

 その覆いの意味を考えて、あっと気がつきました。私の目も心も、車で通るときに見える部分にしか届いていなかったことに。

 24日には、手すりを丁寧に塗っている人たちを見かけたのですが、通行している目線からは見えない橋桁、さらに橋脚も補修や塗り直しが進行中であるに相違ありません。

 木は、目に見えている部分以上に長い根を張っています。頭ではわかっているのですが、橋を渡るとき、橋脚にそれが支えられていることをほとんど意識していず、従って、目に見える部分の塗り直ししかイメージできていなかった私でした。

 10月20日からの一週間、二つの小学校、二つの中学校の授業を見せていただく機会があり、私なりにそれぞれのよさと課題をとらえたと思っていました。

 けれど、それぞれの授業、児童生徒の発言する姿、あるいは発言しない姿の根にあるものにどれだけ目が届いていたかを反省、吟味しなければいけないと思いました。

 今日は、日曜日 ・・・ 牧師先生の聖書に基づくメッセージを通して、自分の生き方の根を静かに見つめ直したいと思います。

 よき日となりますように。

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2008年9月 2日 (火)

子どもの力

 先日、新聞の投稿欄でこんな文を見かけ、改めて子どもの力のすばらしさに打たれました。書かせていただきますね。

 授業参観に出かけた母親の目の前で、その娘に向かって、あろうことか「おい、フランケン」と声を掛けた児童がいたそうです。その娘さんは、事故にあったかなにかで顔の手術を受け、皮膚の一部がまだしっかり定着しない状態にあったようです。

 思わず、血相を変えて「おい、フランケン」と呼んだ同級生に母親が詰め寄ろうとしたとき、娘さんがその子のほうを振り向いたそうです。

 そして「なあに」と応じたのだそうです。それも実に明るい表情で ・・・。

 そのお母さんは、「フランケン」と娘を呼んだ級友に詰め寄るのを止め、我が娘のたくましさに驚き、教えられた思いになったそうです。

 私も、打たれました。もちろん「フランケン」と呼んだ子を容認しては、その子のためによくないと思いますし、ましてや、いじめを受けて泣き寝入りせず、この女の子のように、明るく強く生きることを他の子に要求するということではありません。

 そういうことを越えて、まずは心を打たれたのです。

悪に負けてはいけません。 かえって、善を行なうことによって悪に打ち勝ちなさい。

 ローマ人への手紙 第12章 21節

※  「悪」というのは、上に書いた例にあてはめるには、成長途上にある子どもを決めつけてしまうことになるようで強く響くかもしれません。それで、ご自分でほかのことばを考えていただいてもよいかもしれません。でも、ことの本質からいうと、聖書のことばを割り引いて考えない姿勢が大事なのです。

 子どもの力を ・・・ 時に失敗する子どももいますが、それをも善導することも含めて・・・正しい方向に伸ばしていきたいと願います。

 教育は祈りである ・・・ 本当にそうだなあと思います。

 よき日となりますように。

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2008年6月13日 (金)

「噛んで含めるように」、というけれど

 教師に限らず、人が人に何かを教えるときには、「噛んで含めるように」ていねいに、易しく教えるのがよいとされています。

 たとえば、親鳥がひなに餌を与えるときのように、ということでもありましょうか・・・鳥に歯はないかもしれませんけれど。

 その心構えは大切にしながら、次のことも大事にしたいなと思いました。

 いつもいつも離乳食を与えていたら、それ以外の食事を食べて消化する力は育たない  ・・・ ですから、歯がまだ生えていない乳児に固形食を与えるようなことは誰もしませんが、学校給食では、固い豆とか、するめなどを意図的に献立に入れるように工夫されています。

 易しいことを易しく教える  ・・・ これは、易しいようですが、ひょっとすると、工夫するあまり、易しいことを却って難しくしてしまって教えようとすることもないとはいえません。

 難しいことを難しく教える ・・・ これは、もとが難しいのですから、無理もありませんが、でも、いつもこうでは、芸がなさ過ぎるということになります。

 新聞にこんな言葉が載っていました。

「分かりやすく難しいことを言う」のがプロだ ・・・ 難しいことをかみ砕くだけに終わらないで微妙で複雑な事象を、複雑性を損ねずに分かりやすく伝える ことだそうです。

 抽象的なことを理解してほしいときに「もっと具体的に!」と注文をつける人がいます。

 でも、抽象化の必要なことをいつも具象化することを求めていたら、抽象の世界について考えを深めることは難しくなりますね。

 何事も、奥は深いものです。

 えっ、このブログはどうなのかって ・・・ その判断は、読んでくださるあなた自身におゆだねさせていただきます。

 今日もよい日となりますように。(^o^)

 

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2008年2月18日 (月)

学力

 新しい学習指導要領の案が2月15日に示されました。3月16日まで、文部科学省は内容についての意見を公募するとのことですので、ご意見がある方はどうぞ。

 といっても、なかなか、全体を把握して意見を述べるのは難しいですよね。

 昨日、乙武洋匡さんのことを書かせていただきましたが、同じ、杉並区で義務教育・東京初の民間人校長として勤務しておられる藤原博さんは、中学校の入学式でこんなあいさつをされたことがあるそうです。

 「テレビをつけっぱなしにして3時間以上も見せている家庭のお子さんの学力は、本校では保証しかねます」

 ・・・この方がこう話されたことは、ビートたけしのお兄さん、北野 大さん著の 教育のプロが語る「できる子どもは」環境で決まる (ダイヤモンドシャ 2005年8月19日第一刷発行)に書かれています。北野さんと藤原さんがこの本で対談しているのですね。

 当時、子どもたちは一日2時間15分から2時間半テレビを見ているという統計がありました。年間で800時間を越える・・・これにテレビゲームなどを加えると1000時間を越える子がいることが明らかだったようです。

 現在の指導要領での中学校の総授業時間数は、980時間(1時間の授業は実際には50分です)、新しい指導要領の案では少し増えて1015時間となる予定です。

 他のことについての調査でも、日本の子どもたちの家庭学習時間は、平均するとたいへん少なく、読書時間、家事手伝いの時間も少ないことが明らかになっています。

 日本の子どもの学力の低さ ・・・ それは、多くの場合、テレビをたくさん見て、家庭学習や読書をあまりしないという生活のあり方からきている ・・・ つまり、勉強をあまりしないから成績がよくないとみるのは、乱暴でしょうか。  100メートル走の記録は、懸命に走っている時に計るから意味があるのであって、わき見したり、とちゅうで寝そべったりして何分かかったというのを計るとしたら、その記録には、がっかりして落ち込むほどの意味はあるでしょうか。

 ですから、学校のことだけでなく、日本の子どもの生活のあり方を総体的に見て、そして手段を講ずることが必要だと思うのですけれど、皆様、いかがお考えでしょうか。

 私は、日本の子の学力低下ということを、以上に述べたことから深刻には考えていません。勉強時間の少ない割に ・・・ そして国際的なテストを受けるメンバーを成績がよくなるように絞り込んだりしないわりには、なかなかのものだと思っています。

 ただし、塾などに通わせる親の経済力が、そのまま子どもの学力差につながることのないように、大きな目で全体の枠組みを整えることを大人が考え、「勝ち組」「負け組」などという経済優先のことば、考え方を氾濫させない見識を培うことが大切だと思います。

 今、政府が「早寝 早起き 朝ご飯」というキャンペーンを展開していますね。確かに朝、ご飯をしっかりと食べて登校すると集中力も、学ぶエネルギーもわいてくるので、効果があります。

 問題は、朝、子どもに朝食を食べさせて送り出せる態勢にない家庭・・・深夜、早朝まで働かざるを得ない親の生活をどう政府が援助するか、というところにもあると思うのです。

 意見を文部科学省に送るのか、とおたずねですか ・・・ そうですね、もう少し期日までに練り上げてみたいと思います。

 今日も、よき日となりますように。

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2008年2月17日 (日)

乙武洋匡(おとたけひろただ)さん

 乙武さんが大学在学中に出版した本『五体不満足』(講談社)は、500万部を越えるベストセラーになりましたね。

 その乙武さんがスポーツライター、そして新宿区の教育委員会の非常勤職員となり、新宿区の小中学校を「子どもの生き方パートナー」として巡回、そして通信教育とスクーリング・教育実習を経て、教員免許を取得、2007年の4月からは杉並区の小学校に教諭として勤めておられます。

 この乙武さんの『だから、僕は学校へ行く』(講談社・2007年4月1日第一刷発行)を読んでいます。 教員として働こうとする乙武さんの採用に手を挙げたのは、杉並区。

 そして杉並区は、乙武さんが教員になったときに生じるであろう困難な場面を100ほどのリストにしてくれたそうです。

 両手足のないことを感じさせないでいつも前向きの生き方をしている乙武さん・・・教師として勤め始める日を前に、彼は書いています。

 目標は、彼ら(これから小学校で出会う子どもたち)が大人へと成長した十数年後。こんなふうに振り返ってくれること。

「オトタケ先生に教わって、本当によかった!」

 1976年生まれの乙武洋匡さん ・・・ 前向きの生き方と、健康、若さ、情熱を生かして、これからも進まれますように。

 さて、日曜日。 よい日となりますように。

 キリスト教会では、日曜礼拝がおこなわれます。出席してくだされば嬉しいです。

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