2020年11月24日 (火)

『走れメロス』とミシュナ  その2

 お待たせいたしました。昨日の続きです。

 二人の人が向かい合って、右手で相手の頬を叩こうとすると・・・相手の頬は左右どちらということになりますか。

 左の頬になりますね。「走れメロス」の本文では叩いたのは右頬となっていますから、そのことに気づいて生徒は「セリヌンティウスは左利きなのですか?」と尋ねたのです。告白いたします。授業者である私は、事前には気づいていませんでした。

 ここからは実際の授業に戻ります。

   ◇    ◇    ◇    ◇

・この場面を、信頼していた相手のことを三日間のうちに一瞬でも疑ったことを告白し合って、力一杯殴り合ってから抱擁し合った二人に感動して、どちらの頬かなど考えもしなかったのに文章に目をとめて質問したのはすごい。

・すごい。 ただし、セリヌンティウスは左利きだったかもしれないけれど、右手で相手の右頬を打つこともできる。・・・手のひらをかえして手の甲のほうで相手を打つ叩き方をすれば。 ということで、いわゆる「裏拳」という叩き方が 話題になる。

 ここで、授業終了のチャイムとなり、次の時間に結論は持ち越しとなりました。

  ◇    ◇    ◇    ◇

0007_20201122153701  授業者として どう決着するかを 必死に考えたとき、この本に出会いました。

曾野綾子さんのこの本に「ミシュナ」のことが書かれていたのです。

 右の手の甲で手首を利かせて強く相手の右頬を打つのは、奴隷を罰するような非常に大きな侮辱で、手のひらのやわらかい部分で相手を打ったときの倍額に相当する罰金で償うことが「ミシュナ」に明記されているというのです。公教育ですのでこの「ミシュナ」の全文や、曾野綾子さんの文章は直接には示しませんでした。

 授業では、信頼していた友人を一瞬でも疑ったことをメロスとセリヌンティウスは手の甲で力一杯叩き合い、そしてゆるしあって抱擁したのだ というほうが、左利きということよりも読みが深まる、そして暴君の心はそのこともあって人間への不信の思いが変わったのだという方向へ進みました。

 真剣に原文と向き合い、勇気を出して質問した生徒、そしてその生徒の質問を受けとめて一緒に考えたクラスの仲間たちから大きなことを学ばせてもらった忘れられない授業となりました。

 

『聖書を読むという快楽』から「ミシュナ」について書かれたところを下に紹介させていただきます。

 今日は、登山の好きな妹の誕生日です。おめでとう(^J^)

 良い日となりますように。


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2020年11月23日 (月)

『走れメロス』とミシュナ  その1

 先週の土曜日、青春時代以来のチームメイトのことを少し書きました。

 文学で友情というと、太宰治さんの名作『走れメロス』が浮かびます。中学2年生の国語の教科書に掲載されていた『走れメロス』の授業のことを書かせてください。 走りに走ったメロスが刑場に到着した場面です。

    ◇     ◇      ◇   ◇

「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、かじりついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑ほほえみ、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
 メロスは腕にうなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

   ◇    ◇    ◇     ◇

 感動のクライマックス ・・・ ここで、一人の生徒がこんな質問をしたのです。

「メロスの右頬を殴ったとありますが、セリヌンティウスは左利きなのですか?」

 むむっ ・・・意表を突かれました。 (その授業で、私は国語教師でした!)

 その生徒はいつも真剣に文章を読みとろうとする努力家でした。

0020_20201123155101  二人の生徒に前に出てきてもらって、彼の質問の意図を確かめました。

 もし、よろしければ、読者の皆さんも、誰かと向き合って、もちろん本当に叩かなくていいですので、右手を出して相手の頬を叩く動作をしてみてください。 そして、今度は左手を出して相手の頬を叩こうとしてみてください。

 彼の質問の意味が分かっていただけましたでしょうか。

 長くなりますので、この続きは明日ということにさせていただきます。

 今日も、良い日となりますように。

  写真は勤労感謝の日の今日、収穫したシシトウです。8月以来、元気に育って、濃いめのグリーンの実をたくさん提供してくれています。 本当に感謝です。

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2020年11月15日 (日)

愛は意志である

愛は意志である ・・・

 この言葉に初めて出会ったとき、驚きました。それまで、愛は感情に根ざしているものだと、さしたる根拠もなくずっと思いこんでいたからです。

 

 でも、この言葉に出会って考えてみると、確かに「あんぱんが好き」、「ココアが好き」「カレーが好き」というのと「わが子が好き」というのとは次元が違うことに気がつきました。

 

 母性愛・父性愛という言葉は、しばらく前までは特に意志がなくても、子どもが生まれたら親となった大人に自然に備わっているのだと、自明の理のように思われていました。確かにそういう面もあると思います。

 

 でも、もしそうだったら、児童虐待や育児放棄ということがどうして起こるのでしょうか。

 

 赤ちゃんが夜泣くと、大人は眠い目をこすりながら、その泣き声に応えて求めていると思われる対応をします。そのとき、眠気に立ち向かわせてその行為を支えているのは何かの利益を求める気持ちではなく、意志ではないでしょうか。その意志がもてないとき、赤ちゃんを憎いと思い、赤ちゃんの求めているのではない行為によって泣き声を強制的に静めようとしてしまう人もいるということではないでしょうか。

 

  泣くことしかできない弱い存在の幼な子・・・それだからこそ、全身を耳にして幼な子の心を聴き、よかれと考えることを疲れを乗り越えてする、その積み重ねが、幼な子をいとしいと思う心をはぐくんでいく・・・そういう側面もあるように思います。

 

 「愛」には、様々な様態、いろいろなレベルがあって、とても私などが書ききれるものではありませんが、大きくは次の三つだと書いている書物があります。

 相手が見返りを与えてくれることを期待して与える愛

 

 バレンタインデイにおける本命の人へのチョコレート

 

 人間として尊敬し、お互いを磨きあい、成長に向かわせ合う愛

 

 「走れメロス」に描かれているメロスとセリヌンティウスの友情

 

 見返りを期待できないけれど相手のために自分の全存在を賭けて愛する愛

 

 神のゆるしを得させるために、すべてを棄てて十字架に自らの意志でかかってくださったイエス・キリストの愛・そのキリストをこの世におくってくださった神様の愛

 

聖書のことば ヨハネによる福音書 第3章16節

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

イザヤ書 第43章4節

 わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 

 とるに足りない私たちを、全知全能の神様が愛していてくださること、そのことを一人でも多くの方が知り、信じてその愛を受け入れることができますように。・・・心からお祈りいたします。

 

 

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2020年9月28日 (月)

握りこぶしでは握手はできない   ー 関根一夫牧師のメールマガジン 「居てくれてありがとう」 9月17日から ー

 関根一夫先生のメールマガジンから、紹介させていただきます。 関根先生、ありがとうございます。

今日も良い日となりますように。

 ◇   ◇    ◇     ◇     ◇

【握り拳では、握手できない】

昨晩、友人であり、尊敬するカウンセラーでもある永原伸彦先生と
Zoomで対談をしました。
私の著作を土台にその1章をあれこれ話し合い、1時間ほど白熱の分かち合いになりました。
楽しい時間でした。
その対談のあと先生が以前書かれたという文章を送ってくださいました。
その題は「握り拳では握手はできない」

とても、感動したので、今朝、それを皆様にシェアさせていただきたいと
思います。
+++
「握り拳では、握手できない」
    永原伸彦(茨城カウンセリングセンター副理事長)

インド独立の父で非暴力運動の指導者、マハトマ・ガンジーの言葉に表題に掲げたものがあります。
正確には、「握り拳とは、握手できない」ですが、カウンセラーとしての私には表題のように聞こえてきました。
相手のこととしてではなく、自分のこととして響いてきたのです。

 偉大なガンジーの言う「握り拳」とは、私たちの心の状態のことでしょう。
攻撃や憎しみの心、かたくなで自己中心の心こそ、人類の最大の敵であると、
彼は身をもって教えてくれました。
しかも彼の凄いところは、独立運動において、祖国を隷従させている英国本土よりも、
祖国の内なる強烈な足の引っ張り合いよりも、自分自身の中の「握り拳」こそ最も
偉大なるテーマであったと告白していることです。

 カウンセリングでは、相手と心が通じ合うこと、つまり「心で握手すること」が生命線ですから、
カウンセラーの心の状態が「握り拳」ではどうしようもないということになります。

それでは「握り拳」がゆっくりとやわらかく開かれていくにはどうしたらいいのでしょう。
 ひとつだけ言えることがあります。カウンセラー(よき聴き手)になるためには、
まず「よく聴いてもらう体験」が一番大切だということです。
それは、よく聴いてもらい、受けとめてもらい、感じとってもらうことで、
自分の「心の握り拳」が次第にほどけていき、やわらかくなっていき、
ついには開かれていくという体験こそ、よき聴き手になるための最も重要な体験だからです。
そのとき、人は、相手と握手する姿勢ができているのです。
そしておそらく、自分自身の心とも握手する準備ができている。

こう考えると、やはりカウンセリングを学ぶことは、心のやわらかさを求める人なら、
だれにでも開かれていることで、だれにでも必要なことといえるのではないでしょうか。

 最後にもうひとつ。握り拳ではできないことがあります…。
そうです。「拍手」です。相手をほめること、讃えることです。
「あなたは素晴らしい」と伝えることです。あるオーケストラの指揮者は言いました。
「私は時に思う。演奏会で最も美しい音楽は、鳴り止まぬ観客の拍手ではないかと」

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2020年9月11日 (金)

社説の役割

0010_20200905095701  9月5日の岐阜新聞朝刊、社説を引用紹介させていただきます。

 社説というのは、こうありたいと、普段は社会の流れに無自覚・無責任に流されているような私なりに思いました。

 写真は、瓶の水を入れ替えている間メダカをガラスの器に移して芝生の上に置いてみた写真です。 メダカにとって新しい景観もときにはいいかなと思ったのですけれど、メダカがどう思ったかは分かりません。落ち着いて愉しんでいるように見えましたけれど・・・。

 今日も、良い日となりますように。0004_20200905095801

 

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2020年8月 6日 (木)

上橋菜穂子さん 作家・文化人類学者

0004_20200803110801  国際アンデルセン賞作家賞を受賞されている作家で、そして文化人類学者、上村菜穂子(うえむら なほこ)さんというかたが新聞に寄稿された文章 「ウイルスに揺さぶられて  生態系全体の視野で 変化できるか」という文章を読ませていただきました。1962年7月生まれだそうです。

 3年前にNHKが配信する記事のタイトルにこういうタイトルがあったそうです。

「死者数十万人も。ウイルス大歓声時代、最悪のシナリオとは?」・・・その記事にこうあったとのこと。

 人類の生活圏の急速な拡大が自然環境を大きく変え、私たちは頻繁に新たなウイルスのパンデミックに襲われるようになるだろうと警告され続けていて、それが現実のものとなり、今後も頻繁に起きる可能生がある

   ◇    ◇    ◇     ◇

 上記に続いて、上村さんは、こう書いておられます。

 今は、病気に譬(たと)えるなら急性期ですから、とにかく救える命を救うための対策を最優先で行うべきです。

 ただ、同時に、遠くまで思考の網を広げて行動し始めなければ、蛇口は開きっぱなしのまま、床を雑巾で拭いているような物で苦難は果てしなく続くでしょう。

 ・・・人という生き物には、まだ起きていないことを想像し、思考する能力、そして、思考したことを他者と享有する能力があるということが、私には、わずかな希望に思えるのです。

  ◇    ◇    ◇      ◇      ◇

 大きな船が 進む方向を変えるためには 時間がかかります。 けれど、進行方向の行く手に ナイヤガラの滝のような瀑布が巨大な口を開いて待ち受けていることが はっきりしていることの警告が確かであれば、方向転換をすることは喫緊の課題です。

 宇通船地球号の同乗者 全人類が 国境を越えて 力を合わせて 歩めるかどうか とても大切な 転換期に 私たちはいるのだと思います。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

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2020年8月 5日 (水)

虹を見る  ー 8月4日の 関根一夫牧師のメールマガジンから ー

  久しぶりのメダカたちです。 飼い主に似ず、切れのよい動きを見せてくれています。私たちが留守のときは、家の中を飛び跳ねているのではないかと思うほど、元気です。 まさか、そんなことは・・・でも、していそうです(^J^)

Photo_20200804194901 「せき とう おう りょく せい らん し」  ← いきなりすみません。

漢字にしてみますね。「赤 橙 黄 緑 青 藍 紫」 ・・・そうです。虹の七色を 外側から順に並べた時の覚え方です。 赤の外側が赤外線、紫の外側が紫外線・・・多分、肉眼では見えないのだと思います。← こういう理解で、よろしかったでしょうか。

 聖書では、ノアの洪水の記述の後に、神さまの約束のしるしとして虹が空にかかります。

 8月4日の関根一夫牧師のメールマガジン 「居てくれてありがとう」を引用紹介させていただきます。

 関根先生、ありがとうございます。

 ※ なお、関根牧師は、メールマガジンとは別にYouTubeで5分ほどの「恵みの深呼吸」の配信を毎朝なさっています。よろしければ、下記をクリックしてみてください。

 「恵みの深呼吸」はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=HozhOmd2IAU&feature=youtu.be

 ◇    ◇    ◇    ◇   ◇

【虹を見る】

チャーリー・チャップリンの言葉に
「下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。」
というのがあります。
私たちは、困難や悲しみの中でどうしても下を向きがちですし
自分の足元ばかりを見てしまって目よりもちょっと上にあるものに
気づかずぶつかってしまったり、周囲にある花や緑に気づかずに
通り過ぎてしまったり、もったいないことをしてしまいがちです。

石橋を叩きながら、しっかり下を見て歩くことは大切です。
でも、同時に足元だけを見てしまうと歩いていること自体が
つまらない、単純な、単調な作業に思えて、足を止めたくなり
外出したくなくなります。

空に虹、月、星、入道雲、そして周辺には緑、民家、ショーウインドウ
人たちの明るい表情や暗い表情があります。それらを見ることができるために
必要なのは目の高さをあげること。そして丁寧に周囲を見つめること。
虹だけでなく、さまざまなものに気づかされ、促され、
豊かな人生を歩きながら感じることができるかもしれません。

◎神さまの平和と祝福がありますように!

関根一夫

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2020年7月25日 (土)

四字熟語 「明窓浄几」 その2

0015_20200725201001  写真は、庭に咲いた野牡丹の花です。

 さて、6月2日に「明窓浄几」(めいそうじょうき)という四字熟語のことを書かせていただきました。そのときは「明窓浄机」と四文字目に机(つくえ)というきへん の付いた漢字で書いておりました。意味は同じなのですが、今回のようにきへんをつけない漢字が『婦人の友』2020年6月号の羽仁もと子さんの文章に書かれておりましたので、おわびして訂正させていただきます。

 『婦人の友』は日本で最初の婦人新聞記者となった羽仁もと子さんが創刊されて今年118年目を迎えています。毎号、羽仁もと子さんの著作から2ページにわたる文章が掲載されています。羽仁もと子さんの創刊に込めた志の大きさと、それを大切にしておられる方々の両方に深い敬意を覚えつつ、6月号の羽仁もと子さんの文章を引用紹介させていただきます。創立なさった「自由学園」の生徒さんに向けて話されたお話ですが、現代に生きる私たちにも古びることなくこころに響いてくる文章だと感じています。 ありがとうございます。

 今日も、良い日となりますように。

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2020年7月24日 (金)

「平和を求める祈り」

0001_20200721114301  最近いただいた絵はがきに、「平和を求める祈り」がプリントされていました。

 お裾分けさせていただきます。

 今日も、良い日となりますように。

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2020年7月 1日 (水)

題名のない音楽会 ・・・名演奏家のことば

0005_20200628180301  音楽関係の長寿番組「題名のない音楽会」で、すてきなサキソフォンの演奏を楽しませていただきました。 その結びに、チャーリーパーカーという名プレーヤーの言葉が紹介されました。 

「サックスを演奏するんじゃない サックスにあなたを演じさせるんだ」

うーむ ・・・一芸をきわめた人の言葉には、味わいがありますね。

 今日から七月 ・・・ コロナウイルス対策のマスク  そして熱中症対策のいろいろなこと ・・・ 出来るだけの備えをして、どなた様もお健やかでお歩みくださいますように。

 

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