2009年10月30日 (金)

秋の夜のコンサート

Ca390037 Ca390036            10月28日の夜、岐阜市の「コンサートサロン クララザール」で、岐阜大学音楽科の学生さんとその指導に当たっている先生のコンサートがありました。

 ヴィオラ・フルート・クラリネット・トロンボーン・トランペット・・・ どの出演者も練習を積み重ねて臨んだことが伝わっ てきて、心から楽しませていただきました。

 指導の先生ご自身のクラリネット演奏、やはり、さすがですね。

 すばらしい音楽を満喫させていただいた秋の夜でした。 

  写真は、プログラムの表紙と、フィナーレを♪「オペラ座の怪人」で飾って挨拶しているところです。こうした演奏会を積み重ねて、18回目だそうです。

 クララザール というコンサートサロンには初めてでしたが、なかなかすてきな演奏会場でした。 音楽科シューマンの妻で名ピアニストであったクララ・シューマンの名にちなんでいるサロンだと思われます。

 快い余韻に浸りながら純粋に芸術の秋のことを書かせていただきました。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2009年9月26日 (土)

お気に入りの散歩道

  聖書に題材を得て描かれた絵としては、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などが有名です。

 このほかにもたくさんの絵画があるのですが、今日は別の画家が聖書にちなんで描いた[エマオの途(みち)」という作品との関連で書かせていただきます。

Photo  これが、[エマオの途(みち)」と呼ばれている絵です。ご覧になった方もおおいかもしれません。

Ca390004  そして、左は私たち夫婦の散歩コースの一つです。

 特に、家内は、「エマオの途」と書いた案内板を立てたいくらいに、この道を気に入っていて、友人が来ると、この道を一緒に散歩することを喜びとしています。

 皆さんにも、お気に入りの散歩道がおありでしょうか。

 今日も、よい日となりますように。 

 「続きを読む」をクリックしていただくと、[エマオの道」に関する聖書の箇所をお読みいただけます。

続きを読む "お気に入りの散歩道"

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2009年8月16日 (日)

「郡上踊り」は参加型

 岐阜県の郡上市では、13日から16日まで、4夜連続で徹夜踊りが開催されています。

 同じ場所で4夜開催すると、その町内の赤ちゃんなどが連夜のにぎやかさで不眠症になってはいけないということからか、歌う人、三味線、太鼓奏者などの舞台となるやぐらは移動式になっていて、夜ごと、その位置を変えます。

 郡上踊りは、参加型 ・・・ 見に来る人には外人さんも居ますが、見ていてしばらくすると身体がむずむずし始めるのでしょうか、踊りの輪に進んで加わるかたが多いように見受けられます。

 歌がどんどん変わると、それに連れて踊りも変わりますが、それほど戸惑うことなく、またすぐに溶け込んで踊り始めます。

 もちろん、本格的に極めるには奥が深く、時々審査の時間が設けられて、審査員の目に適うと、その踊りの曲の免状が渡されます。

 ただし、徹夜踊りの場合は、あまりにも人出が多いので、踊りの審査はおこなわれていないかもしれません。

 まあ、それはそれとして、楽しく踊ることができれば、それでよいではありませんか。

 小学校、中学校なども、徹夜踊りの期間中は有料ですが駐車場となり、おそらくどこかに駐車することはできると思います。

 私の場合、バローの駐車場で一晩千円でした。

 まだ、見たことがないという方は、よろしかったらお出かけください。

 徹夜踊り以外の日にも郡上踊りは開催されていて、ゆっくり踊りを楽しむには、他の日に出かけるという方もおられます。開催時間と場所は、たとえば、たとえば、下記のURLをご覧ください。

http://www.gujohachiman.com/topics/odorinitei.htm

 今日も、よき日となりますように。

 

 

 

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2009年8月14日 (金)

折り紙の世界

Ca390007 Ca390011           Ca390001           岐阜県の県庁近くにふれあい会館という建物があり、その2階で折り紙展が開かれていました。

  私自身は、折り鶴を今まで一羽も織り上げたことがないという、手先が器用だと言われる日本人としてはめずらしい存在かもしれません。 いえ、威張っているわけではありません。(少し開き直っているかもしれませんけれど。)

 展示場に、折り紙の達人たちがおられ、家内にばらの花の折り方などを伝授してくださいました。

 その達人たちをびっくりさせる子がいたそうです。メモのための道具を持参し、達人たちが伝授してくださる折り方を順次、図に書いて帰って行ったその子は、何と4歳だったとのこと。

 保護者がそうしなさいと指示したわけではなく、自発的な行動だったそうで、それを聴いた私たちも驚いてしまいました。何と頼もしいことでしょう。Ca390010

 また、その子にそうさせるだけの魅力を折り紙の世界が備えているということでもあるのでしょうね。

  Ca390002  そうそう、郡上市では、13日から16日まで徹夜踊りが開催されています。 どこかで、行くことになりそうです。

 よき日となりますように。

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2009年7月 5日 (日)

本当によいものは国境を越える

 NHKテレビの「クローズアップ現代」で、ピアニスト辻井伸行氏との対談、そして演奏が放送されていました。なんと自然でのびのびと美しい音色を響かせていることでしょう。 ドイツでのコンサート ・・・ 「期待していない」「つまらなかったらすぐ帰る」と語っていた聴衆が、見る見る彼の演奏に引き込まれ、笑顔で聴き、スタンディングオベーションで讃えていました。

 彼が優勝した国際ピアノコンクールで彼を讃え、祝福していたヴァン・クライバーンというピアニストは、第1回のチャイコフスキー ピアノコンクールの優勝者です。

 当時、冷戦状態にありましたから、政治の圧力があれば、記念すべき第1回の優勝者にアメリカから乗り込んできた彼が栄冠を手にすることはなかったかもしれません。

 

 そういう中でのクライバーンの優勝は、まさに快挙でした。それは、アメリカにとってだけでなく、国境を越えて彼のすばらしさを認めた人類の良心の為せる快挙と讃えられてよい出来事だったと思います。

 芸術に限らず、スポーツの世界も、何もかも、よいものは国境を越えてよいと認め合い、人類全部がそのすばらしさを喜び、共有することができる、そんな世の中でありたいですね。

 辻井さんは、今、二十歳でしょうか。彼の行く手に、そしてその演奏を聴くすべての人にすてきな花が咲き続けますように。

 今日は日曜日、キリスト教会の礼拝に出かけ、牧師さんが聖書に基づいて語る神様からのメッセージをお聞きください。

 よき日となりますように。

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2009年7月 2日 (木)

学生寄席

Ca390001 Ca390002           さすがに梅雨のシーズン ・・・ 7月の初日、岐阜市では特に夕方から夜、よく降っております。

  さて、そうした天候にもめげず、キャンパスでは学生寄席が開かれました。

  新人のデビューということもあって、聞きに行きました。実は、先週、一週間間違えて会場まで行ったそこつ者の私です。

 演目は、「つる」 ・・・ 題はこれでよかったのかな、首長鳥の雄が「つー」と飛んできて松に止まり、続いて雌が「るー」と飛んできて、それから「つる」と呼ぶようになったというお話

 そして、「寿限無」「桃太郎」、漫才は修学旅行で奈良公園の鹿が登場する話、あいまにマジックも入りました。

 とりは、「三流亭 今壱」の熱演で「死に神」 ・・・ イマイチ と謙遜していますが、この人、寄席の開始にあいさつ、新人には「待ってました」と声をかけてほしい、それが緊張をほぐすことになるか、余計にプレッシャーを与えるかは分からないけれども ・・・ などと楽しい雰囲気を作り、中間ではマジックを見せ、とりを務めるという大活躍を見せてくれました。何でも、主任だそうです。

 顔も、落語家向きのように思いました ・・・ うーむ、意味不明 ?!

 岐阜市は、落語の元祖 の策伝というお坊さんが居たところで、それにちなんで近年、学生の落語日本一を決める大会が開かれております。

 デビューした新人たちは初々しく、上級生たちは、就職活動や学問の仕上げと両立させる努力をしながら後輩を育てているようで、好感が持てました。

 新人の一人は、「デビューだから見に行く」と張り切る母親を必死に阻止して今日を迎えたと切り出し、そういう子を思う親の愛を、この長寿を願い、名前をつけるのに苦労する「寿限無」につなぐなど、どの出演者にもなかなかの力を感じました。

 国語科を専門とする私は、落語、漫才は大切な芸術、言語文化だと思っていますし、若者たちが、切磋琢磨しながらその話芸を磨いている姿を嬉しく思った次第です。

 ちょっと急いでアンケートを書かずに来てしまったので、お礼の意味で、このブログを書いた次第です。 ありがとう。 これからも技を磨き、ご活躍ください。

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2009年5月27日 (水)

「生涯楽習」

 教育の道の大先輩に、俳句・川柳・短歌、そして色紙絵に取り組み続けておられる方がいます。

 楽しみつつ、続けて来られ、それらを一冊にまとめて『生涯楽習』と題され、ご友人、後輩に贈ってくださったこともあります。

 その後も、新聞に詩歌を投稿され続けておられます。作品そのものから、そして楽しんで句作などを続けておられる姿から学ばせていただくことが多くあります。

 その大先輩に、教育関係の退職者の広報誌へのカットをいただくお願いをいたしました。

 取り組んでみるが、できあがったものが意に添わなかったら採用せずにおいてください、とのお言葉でした。

 それが日曜日の夜のことでした。

 火曜日の午後、その方から封書が郵送されてきました。 ・・・ 驚きました。いくつもの作品が、お願いした翌々日には届いたのですから。

 早速、お礼の電話をいたしますと、花を描いてみて、この数日の間にはお送りする予定でいますとのこと。

 締め切りを7月の七夕の頃、広報誌の発行は8月下旬とお伝えしたのですが、願いを聞き届けていただき、早々に作品を送ってまず安心させてくださり、さらに取り組んでくださるとのこと・・・教育のことでたくさんの教えをいただいた尊敬する方なのですが、今回、新たに多くのことをその生きる姿で学ばせてくださり、感激しています。

 そんな大先輩のように私も生きることが出来たら、と思います。生涯の師に出会えることは、大きな幸せですね。

 今日もよい日となりますように。

  

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2009年5月 3日 (日)

美術館でコンサート

 岐阜県美術館の所蔵展が開かれていまして、その中に,家内が以前、館長さんのお話を聞いてぜひ見たいと願っていた絵も含まれているようなので出かけました。

 隣接の県図書館で本を借り、それは車に置いて、いよいよ美術館へ。

 何と、ピアノのコンサートも開かれていて音楽も満喫することが出来ました。ピアノは、トロイメライ、乙女の祈りなどポピュラーな曲も含まれており、聴衆の幼な子が三つの音を鍵盤で弾くと、それをもとに即興演奏を披露するというおまけもありました。

 うーむ、美術館で音楽も堪能させていただけるとは、嬉しいことでした。

 家内が見たがっていた絵は「よきサマリヤ人」という,聖書にちなんだ絵です。ほかにも、すてきな絵、版画がたくさん見られて家内は喜んでおりました。

 たくさんの名画が展示されていて、大人1名320円というお値打ちな企画です。

 5月14日までということですので、関心がおありで機会を作れる方はご覧ください。

 連休のスタート、なかなか好調です。

 あなたにも、すてきな連休たちとなりますように。 

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2009年1月13日 (火)

詩「牛」

 今年の干支は牛 ・・・ ということで、高村光太郎の詩を掲載させていただくことにいたします。

 私が思っていたよりも長い詩でした。それを引用するだけで、今日のブログとさせていただきます。手抜きのような感じですみません。 でも、これだけ、一つの動物について詩を書くことは、なかなか難しいのではないかと読んでいて思いました。

 今日もよい日となりますように。

牛(高村光太郎)

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるおいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力じゃない
牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争わない
争はなければならない時しか争わない
ふだんはすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねじだ
阪に車を引き上げるねじの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力ははうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口で優しい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた鳴き声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

   ◇ □  ○  ※  ☆  ※ ○ □ ◇

 ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。それでは、また。

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2009年1月 8日 (木)

米軍に入り♪「リリーマルレーン」を歌って慰問したマレーネ・ディートリッヒ

 先日書いた『五線譜のばら2 音楽史を彩る女性たち』(萩谷由喜子著 ショパン社)にマレーネ・ディートリッヒのことが書かれていました。

 映画「嘆きの天使」(1930年)に出演したとき、主演男優はのギャラは20万ドル、ディートリッヒは5000ドルだったそうです。この映画で一躍スターとなり、アメリカに渡り、「モロッコ」などに出演して、ハリウッドの大女優となった彼女にドイツ総統となったヒトラーからナチスのイメージを高めるためドイツに戻ってくれ、帰国したら優遇するとの強い要請がありました。

 けれど、彼女は、ヒトラーの要請に応じません。そしてドイツに戻らないだけでなく、ドイツの国籍を捨て、アメリカの市民権を獲得し、アメリカ軍に従軍し、夜は寝袋で寝ながら前線の兵士たちを慰問して回りました。

 その生活が実に3年間・・・100万ドルの脚と形容された美しい足にも無数の傷跡が残ったそうです。

 彼女が慰問してまわって歌った歌の中で最も有名になった歌、それが♪「リリーマルレーン」でした。

 1970年の夏、大阪で開催された万国博 ・・・ 会場の一角にある万博ホールでのショーの最後を飾ったのが、このマレーネ・ディートリッヒだったそうです。

 彼女は、『誰がために鐘は鳴る』を書いたヘミングウエイ、『西部戦線異常なし』を著したレマルクとも交流があったそうです。

  ヒトラーの全盛期に映画「独裁者」を制作し、彼を痛烈に皮肉り、最後に平和を強く希求する大演説をしたチャップリンのことはよく知られています。もし、ヒトラーが勝利を手にしていたら、どんな危険が身に及ぶかも覚悟の上での企画、制作だったことでしょう。

  私は、この本を読むまではマレーネ・ディートリッヒのこの勇気ある生き方を知りませんでした。

 そして、思うのです。ヒトラーによって、そして戦争によって、どんなに気高く、素晴らしい才能を備えた人たちがその能力を花開かせ、人類に宝を残すことなく抹殺されてしまったことかと ・・・。そのような歴史を繰り返してはならないのです。

 小さくても、人類の平和につながる何かを今日、為すことができますように。

 

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