2019年7月18日 (木)

『命をみつめて』 その2

 『命をみつめて』の「こころを読む」の章に細川宏という44歳で胃がんのためになくなったお医者さんの詩が紹介されています。細川医師は、日野原医師と共にアメリカのアトランタ市に留学し、40歳で東大の解剖学の教授になった方だとのこと。

 『詩集 病者・花』現代社1977年発行 からの引用紹介です。

 俺はもうすぐ死ぬんだぞと

 会う人ごとに言ったとしてみてごらんなさい

 当人の気持は無理からぬとしても

 返答に窮して困惑するのは

 そういうのっぴきならぬことを告げられた人達

 つまり僕の親しい周囲の人々に他ならないでしょう

 ◇   □   ○  ※  ☆

 上記の詩を挙げて、日野原医師は、患者とは英語でpatient・・・耐える人 だと語り、春が来るのを、あるいは来ないかも知れない春を毎日待って耐えているそのような人にどのように対応したらよいかと書いておられます。そういう方のこころが分かる人になるために細川医師の遺したこの詩集を読むことを勧めておられるのです。

 苦痛のはげしい時こそ

 しなやかな心を失うまい

 やわらかにしなう心である

 ふりつむ雪の重さを静かに受けとり

 軟らかく身を撓(たわ)めつつ

 春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて

 じっと苦しみに耐えてみよう

 ◇   □   ○   ※   ☆

  日野原医師は、この本のほかのところでこう書いておられます。

  私たちはなんといっても弱い人間です。誰かの支えを必要とします。私たちのからだには限界があるというそのときに私たちのからだを支えること以上に、私たちの心を支えるものがあればいい。何が私たちのこころを支えるかということは、言い換えると、私たちがどのようなベクトルをもって生きるかということではないかと思います。 ・・・なにがしか人さまのために使った時間とまわりのみなさんが差し出した時間とを比較して、他人からいただくものが多かったか、自分の方から差し上げるものが多かったか・・・いままではあまりにも私的な寿命を求めてきました。これからは私たちはもっと垂直に、深く生きることを求めて生涯を送りたいものです。・・・長さではなく、深さです。

人間とは

 ・ソクラテス   「理性をもって行動するもの」

 ・アリストテレス 「社会生活をする動物である」

 ・パスカル    「人間は考える葦である」

 ・カッシーラ   「人間とは言葉を扱う動物である」

 ・ホイジンガ-   「人間というのは、遊ぶ生き物である」

 ・日野原医師   「人間は感性をもった生き物である」

           こう述べる前に小林秀雄さんの次の言葉を引用しておられます

「人間はいくら知識があっても、学問があっても、優しい心がなければ立派な人間とは言えない。優しい心とは感じることである」

  優しい感性を育て、磨くために大切なこととして、日野原医師は、人と出会うことを挙げています。

   日野原医師の尊敬するオスラー医師は好きだった詩人テニソンの、「現在の自分は、これまで出会ったものすべての贈り物」ということばを医学生に語っていたとのこと。よい出会いを糧として成長することを大事に、と感じました。

  ◇   □   ○   ※  ☆

 長くなってしまいました。

  ムーミンパパなりに 書いてみます。

  人が生きるのは 人生という音楽を 出会った方と一緒に 奏でている ということかもしれません。

 それぞれの人が 自分の持ち味を 最高の音色で奏でることにベストを尽くし合うとき そのオーケストラは 最高のハーモニーを響かせることになる ・・・ 音楽は苦手 というかたは、一枚の名画の中のどこかに描かれている何かにご自分を例えてみてください。

 あるいは、名作と言われる映画の中の登場人物 (余談ですが、町の中を歩いている 一瞬しか登場しない人物の役を 仲代達矢さんは 黒澤明監督にダメ出しを続けられながら終日 演じさせられたことが 後日につながったそうです) 風景  部屋の中にレイアウトされた 何か ・・・ その作品の全体をお互いをたいせつにし合う優しさが 包んでいる ・・・ そんな世界を思い浮かべてみました。

 昨日と今日、105歳で2017年の今日天に召された日野原医師を偲んでみました。 10月4日生まれだった日野原医師は、その日を104と並べて「天使の日」と読んでおられたようです。 (恐れ多いことですが、私と日野原先生の共通点が一つ ・・・それは牧師の家庭の次男として生まれたことです どさくさにすみません。 音楽が好きなことも入れていただけますか)

 下記の『命をみつめて』の結びに日野原先生の医師として大切にされた生き方が凝集されているように思います。

 私は、医師としての歳月を重ねるにつれ、私の先生は患者さんだ、なんと患者さんから教えられることが多いのだろうと感じてきましたが、実際、自分が入院してみて、また今回もそれらに実感をつけ加えることができました。

 病気をもっている患者さんの語ってくれる病気の話こそ臨床医学の神髄なのに、私たち医師はその声に耳を傾けようとしないし、訴えるものを見ようともしないことが多い。ここにこそ医療者と病む人との間に大きなギャップがあることが痛感されました。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

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2019年7月17日 (水)

『命をみつめて』

0001_20190716083801  『命をみつめて』

 日野原重明 著

 岩波書店2001年5月16日 第1刷発行

 原本は1991年2月に岩波書店から発行され、2001年に文庫本となりました。日野原医師は1911年生まれですから、この本が出版されたのは80歳のときということになりましょうか。

 日野原医師は、2017年7月18日に105歳で天に召されました。それから2年が経とうとしているのですね。

 ユーモアのある方でした。腹八分目が健康によいことをこんなふうに表現されました。

 「バイキング形式のレストランで三千円払って、四千円分食べる人は、長生きできません」

 こんな茶目っ気もありました。

 若者がエスカレーターに乗るのと同時にその横の階段を二段ずつ上がり、エスカレーターより早く上の階に着いてエスカレーター上の若者を振り返り、にこり(にやり)とすることを楽しみの一つとする。 二段ずつ上がることが難しくなったときも、最後の一歩は二段上がるという前向き精神を大事にされました。

 音楽療法の草分け的存在でした。闘病生活をしているときにピアノを習いはじめ、たとえばショパンの「英雄」などもレパートリーのひとつでした。医学ではなく、音楽の道に進もうとしたこともあります。耳がよかったことが心臓の音をよく聞いて的確に診断できるだろうからと教授に勧められて、心臓医療の道に進まれたそうです。

 先見の明がありました。1995年の地下鉄サリン事件の時に聖路加病院は640人を受け入れることができました。いざというときの備えがしてあったことが生きました。大きなコンサートが開催できる広いスペースには、たくさんのベッドを置いて医療装置がセットできる配電・配管などが二年ほど前の建築のときに作られていたのです。

 「成人病」という言葉を「生活習慣病」に10年がかりで改めさせました。一人一人が健康の維持増進を意識して取り組むきっかけを作るためです。

 患者さんに寄り添い、謙虚に患者さんから学ぶ方でした。

 「このごろ動悸が激しい」と訴えに来た老婦人を手術無しでその日に治しました。心臓ではなく、いろいろな物を詰め込んで重くなっていたハンドバッグの中身を整理してあげることで解決したのです。 これを可能にしたのはその方の生活全体を見てとる観察力・・・その基底にあるのはやはり愛ではないでしょうか。 患者さんの退院審査で日野原先生が主治医に尋ねたのは、心臓手術を終えて病院内では元気に生活している患者さんが帰宅する住環境のことでした。誰も答えられなかったので、患者さんに聞きに行くと、古いアパートの三階でエレベーターはないことが分かりました。退院を考えていた医師はそのことが分かって、意見を改めました。

 こういうこともあって、若いドクターたちに日野原医師がよく語ったのは「患者さんの気持ちが分かるようにあなたたちも死なない程度の重病を経験しなさい」という言葉でした。 医学書には、その病気を体験した患者さんの立場からのページを設けてこそ意義深いものになるということも書いておられます。

 明日、もう少し、この本から書かせていただきますね。 今日も、良い日となりますように。

 

 

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2019年7月 1日 (月)

『世界は ゆらぎで できている』  その2

 今日は、昨日の本から「明るい性格がいい」という幻想 という小見出しのところ をご紹介いたします。

   ◇   □   ○    ※   ☆

 性格が暗いのは良くないことだ、心がふさぎこむのは悪いことだ・・・こうした思い込みは社会がつくり出した幻想なのかもしれません。もっと考え方を自由にし、一人ひとりが心理的な揺らぎを持っていること、あるいは状況によって心が揺らぐということを積極的に受け入れるべきだと私(著者の吉田さん)は考えています。

 メンタル面で軽いトラブルを抱えた患者さんの中には、一見、ものすごく明るい性格に感じられる人が少なくありません。これは、職場や学校での生活を円滑に進めようと、無理に明るく振る舞っているためです。おそらく、メンタル面のご病気を抱えていない方であっても、大なり小なりこうした傾向があるのではないでしょうか。

 人は誰でも、心が明るく前向きになることもあれば、心が暗く後ろ向きになることもあります。心理的な揺らぎによって脳機能も揺らぎます。

テンプル大学のローレン・アロイ教授たちは、前向きな心理状態と後ろ向きな心理状態の時で、自らが置かれた現状をどれだけ正確に認識できているか、分析を行いました。その結果、後ろ向きなときは現状を正確に認識できている一方で、前向きなときは現状を過大に楽観的にとらえる傾向があることを突きとめました。前向きな場合は現状に対する認識能力が低下し、状況を自分に都合よくゆがめて認識してしまう性質があるからです。こうした現象は、ポジティブ・イリュージョンと呼ばれています。

 人間の脳にはこのような認知機能の特徴が備わっているため、ミスが許されない職業の場合は、無理に明るくする必要はなく、むしろ性格的には暗いほうが向いていると考えられます。たとえば、パイロット、弁護士、会計士、外科医などです。また、こうした職業以外の方でも、ふだんの仕事の中で、ミスが許されない状況に置かれることがあるでしょう。そんな場合は、一時的に 悲観的な性格に切り替えたほうがいいのです。

 楽観的か悲観的かは、視野の広さにも影響を与えることがわかっています。

 楽観的なときは視野が広く、悲観的なときは視野が狭くなることがわかりました。・・・悲観的になったときは、目の前にあることしか考えられません。考えが及ぶ範囲が狭くなる ⇒ 目の前にある危機に思考力を集中するのに役立つのです。

 楽観的なときには目の前のことに直接関係のないことにも連想が及びます。画期的な発想が生まれる可能性も高まります 。

 楽観的になる時間と悲観的になる時間の割合がどれくらいが望ましいかということもミシガン大学のバーバラ・フレドリクソン博士たちによって研究され、 楽観的になる時間と悲観的になる時間の割合は3対1の割合が理想的だということになったそうです。

 大切なのは、楽観的になったり悲観的になったりすることは、弱さの象徴ではなく、人間の強さは、まさにこうした心理的な揺らぎに支えられてきたのだということです。脳の機能のモードを必要に応じて変えられ、環境の変化にうまく適応していくためにも、積極的に心理的に揺らぐことのメリットを利用していきたいものです。

   ◇    □    ○    ※   ☆

 上記は いくつかの小見出しにまたがって書かれていることを ムーミンパパなりに とりだしたものです。著者の意図に反することはしていません。

 せっかくの 科学 文明の発達は一人一人の人生 と人類のこれからにより明るい展望を切り拓くものでありたいと思います。 そういう意味で、この本のほかのところからも もう少し学んでみたいと思っています。

 今日から2019年は後半に入ります。

 良き七月となりますように。

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2019年6月30日 (日)

『世界は「ゆらぎ」でできている』 宇宙、素粒子、人体の本質

0001_20190629102701 『世界は「ゆらぎ」でできている』 宇宙、素粒子、人体の本質

吉田たかよし 著

光文社新書 2013年5月20日初版1刷発行

 

 この本を私はおそらく発行されて間もない時期に購入しました。音楽療法の学びで「波、小川のせせらぎ、小鳥の鳴き声、風のそよぎなどを〝ゆらぎf分の一〟といいます」と 耳にして、詳しく知りたいと思ったからです。 けれど、何だか読み通せなくて本棚で眠っていました。著者の吉田たかよしさんは、東京大学大学院工学系研究科を修了後、NHKのアナウンサーとして活躍した後、北里大学医学部にて医師免許を取得して医学博士になり、クリニックを開かれました。

 こういうかたが書かれた本を読み通せずに手放すのは残念ですから、もう一度挑戦しようと思いました。それで、まず目次を見ていましたら第6章 脳が揺らぐ、心が揺らぐ の章の小見出しに「うつ病は人類絶滅を救う?」 「明るい性格がいいという幻想」とあることに目を惹かれました。ちょっと不思議な小見出しですよね。

 というわけで、この二つの項目に書かれていたことを紹介させていただきます。

「うつ病は人類絶滅を救う?」

 今、日本ではうつ病患者が急増し、大きな社会問題となっています。私のクリニックでもうつ病の患者さんは多く、彼らの悩みは深刻です。しかし最近になって、うつ病は人類が生き残るための手段だったのだという、常識を根底から覆す学説が発表されたのです。・・・現在では抗生物質などで対抗できるようになりましたが、長い間、人類が生存していく上で、伝染病は最も脅威となるものでした。伝染病が流行すると、場合によっては、一族がことごとく絶滅してしまいます。

 しかし、一族の中で一定の割合でうつ病の患者が生まれるようにしておくと、伝染病が流行している時期に他人と接触を持たないため、感染を避けることが出来ます。また、うつ病になると食欲が低下しますが、伝染病の多くは、食事を通して病原体が体内に侵入するため。これも感染の予防に効果があります。さらに、うつ病になると発熱することがありますが、体温が上昇するとほとんどの病原体は増殖が困難となるため、やはり伝染病の対策に有効なのです。

 このように、うつ病に伴う人体の変化は、伝染病の予防のためと考えるとすべて合理的に説明できるというのが、アリゾナ大学のチャールズ・レイソン博士たちのグループの指摘です。

 アメリカのエモリー大学のアンドリュー・ミラー教授たちは、うつ病になると敵から身を守る力が高まるという説を打ち立てています。病気になったとき体内で炎症反応が起きやすくなることの理由を免疫力が高まって病原体を撃退するということで説明しています。 また、うつ病になると睡眠障害が起こるので覚醒状態が長く続くことも、敵から身を守るのに有利に働く場面が想定されます。

 この二つの学説は一見、関連性が見当たらない多様なうつ病の症状を人類の生き残り戦略として結びつけた点でどちらも高く評価されているそうです。

 クリニックを訪れるうつ病の患者さんに、うつ病というのは全面的に悪いものではなく、人類が絶滅を避けるために役立ってきたことをお伝えすると、うつむいていた患者さんも顔を上げ、晴れやかな表情をされるとのことです。

 もう一つの小見出しについては、次回に紹介させていただきますね。

 今日も、良い日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

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2019年6月28日 (金)

すてきな講演会

 昨6月27日は、雨模様の一日でした。瑞穂市のあじさいホールというところで絵本翻訳家の小宮 由さんという方の講演を聞いて学んでまいりました。

0029_20190627181501  「あじさいホール」に入って見上げますと0030

照明器具が右の写真のように、紫陽花の花をデザインしているのですね。

 なかなか粋なしつらえではありませんか。

 特に、この時期の雨降りの日 ぴったりという感じがいたしました。

 さて、この講演会の主催者名が横断幕で掲げられていました。

 

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 私は、おばさんではないのですが、すてきな内容だと伝え聞いて参加いたしました。
 絵本の読み聞かせ などをなさっている方が たくさ受講しておられました。
 2時間の講演をユーモアを交えながら、しかし、聴衆におもねることなく、表情は柔らかいかたなのですけれど、きちんとご自分の考えを主張なさいました。
 会の結びの時間に、司会者が聴衆に会場の後方の壁をご覧くださいと呼びかけました。なんと、イラストを交えて講師のおはなしの要点が14枚にまとめて掲示されていました。 私にとっては初めてでしたが、「グラフィック リポート」に今回挑戦されたのだそうです。
 2枚だけ、紹介させていただきますね。
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 大事なことを 分かりやすく学ばせていただいた講演でした。
 だいぶん遅まきですけれど(何かにつけてこのフレーズを登場させているムーミンパパ(73歳)・・・でも、何かしないよりは した方が良いと思いますので、 とにかく前向きに歩んでまいります。
 クッキングのことでも 励ましをいただき、ありがとうございます。
 今日も、良い日となりますように。 

 

 

 

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2019年6月19日 (水)

『ノースライト』 横山秀夫さん

0002_31 「半落ち」という映画をテレビで見たことがあります。

 その原作者が横山秀夫さんで、この『ノースライト』は、その横山さんのお書きになったミステリー史上、最も美しい謎 なのだそうです。

『ノースライト』

横山秀夫 著

新潮社 2019年2月28日 発行

 ノースライト ・・・ 北からの光 ・・・家を明るくするには 東側、南側からの採光を多くするように建てるのですが、信濃追分に建てられたこのY邸は北側からの採光にこだわり、大手出版社のオールカラーの豪華本『平成すまい展二〇〇選』に掲載されます。

 ところが、せっかくのそのY邸に、施主さんが住んでいないようなのです。

 真偽のほどを確かめに主人公  建築家の青瀬稔が訪れてみると ・・・ あのドイツの建築家ブルーノ・タウトのデザインによく似た椅子が一つ置かれているだけ  いったい、あの五人家族は どこへ消えてしまったのでしょう。

 この本のことは『婦人之友』2019年6月号のBOOKというページ、角田光代さん筆で知りました。 角田さんの文章は、うつくしいたくさんの「生」に触れた と結ばれています。

 おもしろそうだなと、私がその書評を紹介した友人が いち早く購入し、「まだでしたら、どうぞ」 と送ってくださったのです。 なんと嬉しい巡り合わせでしょう。

 426ページの長編 ・・・ 満月(今の時期の満月をストロベリームーンと呼ぶそうです)の晩に読み進んで ・・・おかげで 翌朝の太陽が眩しく見えました。(寝不足とまではいきませんけれど) うーむ、月に一度、月は満月になるけれど、 太陽は、日食の時以外はいつもまん丸に輝いているのに「満太陽」という表現はないなあ、などと、この朝、初めて思いました。

 それは、ともかく、よろしければ、お読みください。 今日も、良い日となりますように。

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2019年6月 4日 (火)

『ユーモアは老いと死の妙薬(死生学のすすめ)』

0001_14 上智大学教授のアルフォンス・デーケン先生 ・・・ドイツから日本にやってきて、日本に「死生学」という学問をスタートさせた方ということは、理解していました。

『ユーモアは老いと死の妙薬(死生学のすすめ)』

 アルフォンス・デーケン 著

 講談社 1995年11月27日 第1刷発行

 この本を読んで、デーケン先生の生い立ちや日本においでになるきっかけ、生と死について深く考えるようになった出来事などについて初めて知り、驚きました。

 そのことを紹介させていただきたいと思います。

 第二次大戦時下に幼少期をすごしたドイツで、いきなり現れた飛行機の機銃掃射は、デーケン少年の耳元をかすめ、地に伏せた身体のすぐ横に銃弾がめり込み、生と死の距離がかけはなれたものでないことを体験。

 デーケン先生の父方の祖父は、ナチス・ドイツの降伏する10日ほど前、イギリス・アメリカの連合軍がデーケン少年たちの住む町を占領し、反ナチ抵抗運動に加わっていた祖父は、喜んで敵意のないことを示す白旗を掲げて連合軍を迎え、どうしたはずみか、連合軍兵士にデーケン少年の目の前で射殺されてしまったのだそうです。正に悪夢のような一瞬でした。

 デーケン少年には7人の兄弟姉妹がいましたが妹さんが重い病気にかかりました。ついに、もう回復の見込みが持てなくなったとき、家族で家で看病しつつ、最後の数週間を家族の温かさに包まれて妹がすごせるようにと力を合わせたそうです。家族は、より深い愛の絆で結ばれ、デーケン先生は生命の尊さ、苦しみの意義、永遠の生命への希望など、学校では学べない貴重な何かを得たと思う、と記しておられます。4歳の妹さんは「ありがとう。きっとまた天国で会いましょう」と一人一人に別れを告げて息を引き取られたとのこと。

  日本に来るきっかけは、12歳の時、ドイツのカトリックの教会の図書館でボランティアで図書係をしたとき、長崎の殉教者二十六聖人について書かれた本に出会ったこと。特に殉教者の一人、同じ12歳のルドヴィコ・茨木が、十字架にかけられてからも聖歌「主をほめたたえよ」を歌いながら従容としてして殉教を遂げたことに打たれ、いつか必ず、このような偉大な人物を生んだ日本という国に行こうと決心されたそうです。 後に妹さんも日本の大学で働かれるようになりました。0004_10

 日本で働いていて、特別研修休暇を得たときに故国ドイツに帰国して、尊敬していた高校の恩師が癌の告知を受けずに闘病されていて心が痛んだとのこと。

・・・告知するかどうかは20世紀の後半20年あまりの間に考え方が180度転換したとのこと。

※ アメリカでは1961年のアンケートで、90%の医師が癌の告知をしないと答えた                 ↓

 1977年の調査では、97%の医師が患者に真実の病名を知らせるという方針をはっきり打ち出している

 デーケン先生は、恩師が大切な時期に癌を告知されていれば、もっと豊かに最期の時期を歩まれたのにと、とてもつらく恩師のことを思い返しておられます。

 同時に、告知の仕方が適切でなければ、かえって好ましくない結果を招くことも稀ではないし、知りたくない患者には知らずにおく権利も保証されなければならないと書いておられます。

 ※ この本の中でも特に重要と思われるのがホスピスについての次の記述です。

   ◇   □   ○  ※  ☆

 ホスピスとは、決してもう治らない病人が、死に場所として入る施設ではない。最期までその人らしく生き、人間としての尊厳に満ちた死を全うできるように行う援助プログラムと、その基本的な考え方のすべてを指すのが、ホスピス運動であり、その表れの一つがホスピス施設なのである。

 ・・・欧米では家庭で死を迎えることの意義が改めて注目を集めている。

アメリカのホスピスは1992年には1745か所を数えるが、その約90%はホーム・ケア・ホスピスーつまり在宅のままホスピス・ケアを受けるシステムである。現に全米ホスピス協会の規約の中にも、患者は医師の診断による余命の80%までは、自宅で過ごすようにと明記されている。

   ◇   □   ○   ※   ☆

 この本の出版が1995年ですので、2019年の現在、どのようになっているのか、出来たら学んでみたいと思います。

 1985年の日航ジャンボ機の墜落で亡くなった520人の中に、聖心女子大学2年生だったYさんが居ました。デーケン先生の「死の哲学 ー死への準備教育」の講義を、熱心に受講し「もっとみんながこういう教育を受けられるようになるといいですね」と述べていたそうです。デーケン先生は、このYさんの言葉を真摯に受け止めて、日本に「死への準備教育」を根付かせることをご自分のライフワークと思い定めて持てる限りのエネルギーを投入し続けて歩んで来られたとのこと。

 デーケン先生の先見性に驚いたことをもう一つ紹介させていただいてこの項を結ばせていただきます。

 日本に来る前にフランスに留学していたデーケン先生は「すべての人間は兄弟姉妹だというキリスト教の信条に従って、これからはヨーロッパ共同体をつくるために、皆で協力し合おう」と学生集会で呼びかけられたそうです。当時は第二次大戦後、間もなかったこともあり、フランスでドイツ人の留学生であったデーケン先生の述べた考えは、理想主義者扱いされずっと孤独な道を歩くはめに陥ったとのこと。EU(ヨーロッパ連合)が歩み出したのは、そ30数年後でした。 なんという先見性の持ち主なのでしょう。

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 上智大学の構内に住んでいたデーケン先生の健康法は、大学のプールで毎日20分ほど泳ぐこと。もう一つは大声で3曲歌うこと。これは、小学時代、8歳のころ、、初めての合唱練習のあとで音楽の先生が「きみはいい声をしている。これから毎日、3曲ずつ歌を練習したら、もっともっとじょうずになるよ」と言ってくださった心はずむ記憶につながっているのだそうです。うーん 教師の一言って大きいのですね。
 
 今日も良い日となりますように。

 

 

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2019年5月28日 (火)

『神様は手話ができるの?』 ー先天性難聴のわが子にー

0008_2 『神様は手話ができるの?』

 ー先天性難聴のわが子にー

トマス・スプラドリー&ジェイムズ・スプラドリー 著

山室まりや 訳

早川書房 

1980年 昭和55年 3月15日 初版発行

 

 この本の著者ご夫妻の長女リンさんが生まれて、比較的早い時期に、風疹の影響を懸念していたご夫妻は、リンさんの耳が聞こえないようだと発見し、いろいろな病院、研究誌など、できる限りの検査を受け、何をしたら良いかを考え、最善の対応策を根気よく実践し続けます。 

 本文は281ページある本なのですが、タイトルにもある「手話」が登場するのは、199ページ目からです。

 それまでは、「口話法」を勧められ、身振りでのコミュニケーションは口話法、読唇術の習得の妨げになるからと、極力 用いないことを厳しく申し渡されていました。

 今では、口話、読唇術は、難聴・聾唖の人にとって、習熟しにくく、自分では聞こえない自分の声を健聴者に聞きやすくするために多大の努力を押しつけるものだと理解され、手話を出来るだけ多くの人が学んでコミュニケーションを図れる人を多くしようとテレビで手話講座が放送され、手話ニュースの時間も設けられるようになってきています。

 テレビの政見放送が手話通訳されるようにもなってきました。

 1980年に発行されたこの本には、口話の世界で多大な努力をリンさんと重ねるご夫妻のぶつかってきた大きな壁、悲しみと、手話に出会ってから開けてきたコミュニケーションの成立する世界の喜びの両方が綴られていることに特徴があると思います。

 この本の帯には、黒柳徹子さんの推薦の言葉が印刷されています。 いまは、お年を召して徹子さんが手話を用いて語りかける映像はあまり登場しなくなりましたけれど、熱心に手話の習熟に努められてきました。

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   この本を読んで、難聴のリンさんとそのお兄さんブルース、ご両親、二組の祖父母さん方が心を合わせて歩む姿に胸が熱くなりました。そして、このご家族が多くの方々と出会って悩みを語り合い、体験を分かち合って世界を広げていけたことに、そうした交流の広がりが豊かに芽生え、成長できる社会の大切さを思いました。 ヘレンケラーの「あなたの手のともしびをもう少し高く掲げてください。私たちの足元が明るくなるように」ということばを思い浮かべました。 ともしびを高く掲げることは、掲げる人自身の視界も同時に明るく開けるということになるでしょう。他の人の足元だけでなく、自分も含めてすべての人の足元が光で照らされることになるのです。

よろしければ、どうぞ。
今日も、良い日となりますように。

 

 

 

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2019年5月26日 (日)

トルストイの民話

0004_7 彼を訪ねてロシアまで出向いた日本人がいたほど、親しまれている文豪トルストイ ・・・

 『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』などを書いた文豪トルストイは、そうした大作だけでなく、「靴屋のマルティン」(愛のあるところに神もある)、「人間にはどれだけの土地が必要か」、「イワンの馬鹿」などの小品、民話を心を込めて書いています。

『トルストイの民話』

トルストイ 作

ディオードルフ 絵

藤沼 貴 訳

福音館書店 刊

1989年6月30日 初版発行

  時々読み返すと、ああ、こういう作品も書いていたのだなぁと何だか心が内側から暖かくなってくる思いがいたします。

   と申しますか。『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』を書いてから後にトルストイはキリスト教信仰を持つようになり、して書き始めたのがこの本に収められている民話だったという順序になるそうです。

 

 フアンの方も多いと思いますが、よろしければ図書館などで見つけて、どうぞ。

 

 今回読み返して、この本の冒頭の「人はなにで生きるか」という、寒い日にこごえている若者を家に連れ帰って世話をし始めた靴屋夫婦の物語が印象に残りました。その若者は実は天使で、靴屋夫婦との生活を通して三つの大きなことを学んで天に帰っていくのです。

 その三つとはつぎのことです。

 人間の中になにがあるか

 人間にはなにが与えられていないか

 人はなんで生きるか

 

 今日も、良い日となりますように。 今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

 

 

 

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2019年5月20日 (月)

堀 文子さん その2

_00060006_4  堀 文子さんは、

「息の絶えるまで感動していたい」0003_8

と書いておられます。

 それも、「逆上」するほどの感動を求め続けておられたそうです。

 

あまり、動き回ることが出来なくなったときには、下にありますように顕微鏡を備え、ミクロの世界に感動して絵を描き続けられたとのこと。

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  年齢が増すにつれ1年が経つのが早く感じられるように思えるのはなぜでしょうか。
 その理由は、一説には、子どもの時には、毎日、新鮮な思いで感動していたのに、 ああ、このことは知っている ・・・たとえば、お団子、初めてお団子を食べる子は、食べ終わるまでに何回感動することでしょう。 でも、年齢が高くなってくると、ああ、お団子か、今までに数え切れないくらい食べてきたなぁ などと、改めて感動することのないマンネリに心が陥っていて 心躍ることが 極めて少なくなってしまっているからだそうです。
 
 考えてみると、それは、とてももったいないことですね。
 そうかといって、大袈裟に驚いたふりをし続けるのはたいへんですから、何か小さなことでも発見することを心がけるのがいいようです。
 脳科学者の茂木健一郎さんは、「認知症のサインは、物忘れが多くなることではなく、無感動になっていくことである」と明言しておられます。
 堀 文子さんは、草花や木々、虫たち、鳥たちなどを細やかに観察して描くこと、そしてたとえば、引っ越しをすること(30回ほど)、そして旅をすることなどでも感受性をブラッシュアップしておられたようです。
  今日も、良い日となりますように。

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