2009年12月22日 (火)

作家の世界の広さ

 作家あさのあつこさんは、1954年岡山県美作市の生まれだそうです。

 初めてお名前をみたときは、漢字ですけれど同名の女優さんかなと思いました。

 でも、『バッテリー』などで作者名が紹介され、別人らしいことにだんだん納得してきました。

 図書館で、『ランナー』 あさのあつこ著 玄冬舎 2007年6月25日 第一刷発行を見かけ、野球や陸上競技など、スポーツ方面の小説を書く方かと思いました。

Ca390029  ところが、その隣に、時代小説『木練柿』(こねりがき) 光文社 

 2009年10月25日 初版一刷発行が同じ作者のコーナーに並んでいたのです。

 両方を読み終わりました。 うーむ、同じ作家がこのジャンルの異なる本たちを書いたとは、なかなか思えない私でした。

Ca390030  あさのあつこさんという作家の中に広がる世界は、まだまだ広いに違いありません。

 うーん、筆力に惹かれてどんどん読み進む、ということは共通しているのですが、それにしても広大だと思います。

  時々、思い出して紹介するずっと以前に新聞に載った文を思い出します。

 朝日新聞の「言わせてもらお」というコーナーで、ずっと以前に目にしたのでした。

 こんな内容でした。 

 題 秘密兵器  ・・・ 野球部に入っていたぼくの友人は入部以来「おまえは我がチームの秘密兵器だ」と言われ続け、 とうとう 秘密のまま卒業してしまった」

 というのです。

 教育の道を志す学生の多い勤務先の大学 ・・・ この話を紹介して、こんなふうに結びます。

 「教育は、子どもたちの可能性を秘密兵器のまま卒業させないで開花させる営み」

 「そして、子どもだけでなく、みなさん一人一人の中にもまだ眠っている秘密兵器があるかもしれません。それを見いだし、花開かせるようにチャレンジし続けられるとすてきですね。」

 あさのあつこさんの本を読んで、やはり、人には秘密兵器のように潜んでいる大きな可能性があるのだ ・・・ と、思った私です。

 今日も、秘密兵器がヴェールを脱いで現れるすてきな日となりますように。

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2009年11月27日 (金)

『チョッちゃんは、もうじき100歳』

 『チョッちゃんは、もうじき100歳』 黒柳 朝 聞き手 黒柳徹子 主婦と生活社 2006年9月11日 第一刷発行

Ca390008  親と子は別の人格 という考えが黒柳家には強いようで、黒柳 朝さんとその娘、黒柳徹子さんが仕事として一緒に何かをするということはなかったそうです。

 この本は、黒柳 朝さんが95歳を迎え、初めて親子での本として出版されたものです。100歳まで生きるといっておられた朝さんが発行の寸前に亡くなったとのことで、感慨深い一冊です。

 黒柳朝さんのご主人である守綱さんは、東京交響楽団やNHK交響楽団でコンサートマスター(このとき21歳だったそうです)として活躍されたヴァイオリニスト、朝さんのお父さんは東北帝大(現在の東北大学)の医学部で勉強し、無医村で働こうと考え、北海道の滝川市で医院を開いた方だそうです。黒柳徹子さんのおじいさんにあたるこの方は、大学時代、そこで学んでいた魯迅と同級生だったそうです。

 朝さんは、声楽家で、疎開先の青森では結婚式で「金襴緞子」の歌を歌ってその引き出物を生活の足しにしたこともあったとのこと。このへんのことは、NHKの朝のドラマにもなった『チョッちゃんが行くわよ』でご存じの方もおありかと思います。

 音楽学校の先輩に、淡谷のり子さんがおられ、淡谷のり子さんの推薦で雑誌に朝さんとご主人の守綱さんが「美しい夫婦」として雑誌で紹介されたこともあるそうです。

 徹子さんの妹さんが通っていたバレエ学校では栗原小巻さんが同期だったという話も出てきます。この妹さんは足を痛めてバレリーナへの夢は断念されたそうですが、才能を見てとった朝さんの勧めで美容師になって活躍しておられるそうです。

 徹子さんがユニセフ親善大使として活躍していることはよく知られていますが、おかあさんである朝さんが人が喜んでくれることを考え出して進んで、それもさりげなく実行する方だったこととつながっているのかもしれません。

 朝さんは、病気療養中の岸洋子さんに慰めになるものをと考えて、パジャマやガウンや紅葉などを小包でプレゼントしたり、チェコの残留孤児の医療費を工面して送り、命の恩人として感謝されたり ・・・ そういうことが自然体で出来るかただったようです。

 もうすぐ、日本ではベートーベンの「第九」のシーズンですが、こうなった仕掛け人は、オーケストラノ運営費を工面するのにアイデアを練った朝さんのご主人、守綱さんだそうです。その第九に参加した女学生の朝さんを見初めた守綱さんがさくらんぼで誘って、そして朝さんと結婚、という展開があったことも、さりげなく書かれています。

 若手ヴァイオリニストを育てるための「黒柳守綱賞」というコンクールがあるそうです。資金は、チョッちゃんのへそくり全額だとか。

 読んでいるときも読後も、なんだかさわやかになれる本です。

 今日もよい日となりますように。

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2009年11月13日 (金)

本 『この人と結婚していいの?』

Ca390006  『この人と結婚していいの?』 石井希尚(いしい まれひさ)著

新潮文庫   平成14年12月1日 初版発行 (平成17年2月25日 八刷)

 最初にお断りしておきます。既に結婚しておられる方は、伴侶に対してクエスチョンマークの目を向けることなく、[この人と結婚してよかったのだ」と自信を持って手を携えてお歩みくださいませ。

 私も、そのようにいたします。

 著者は、牧師にして、ゴスペルシンガー、カウンセラーと、多才な方のようです。

 男は誰でもウルトラマン 女性は誰でもシンデレラ ・・・ 本書の内容の一部です。

 男と女が、それぞれ悪意はないのに、すれ違ってしまうメカニズム、そしてすれ違わないためにどうすればいいかなどが、たいへん説得力をもって書かれています。

 記憶に残った一つに、左脳と右脳をつないでいるブリッジが、女性は男性より太いということです。男性からすると、「何で、この事象からそのような結論が導き出されるのか」という疑問が生ずることがあることも、このメカニズムに起因するらしいのです。

 読んだ後にも、謎は謎として残るかも知れませんが、けれど、両性の望ましい相互理解に寄与してくれる本であると思いました。

 両性、お互いに理解に努めて、よき日となりますように。

 結婚前は勿論、倦怠期、破局寸前の夫婦にも効き目抜群の`愛の処方箋` とカバーにあります。

 この本を読んだ家内は、女性の心理が男性によく分かるように書かれていると喜びました。

 一方、私は、この本を読んだ家内は、今まで以上に私のよき理解者になってくれるに違いないと思いました。

 教訓です。 聖書に「夫たる者よ 妻を愛しなさい」 「妻たつ者よ 夫を敬いなさい」とありますが、これを読むときに、夫は夫のところを、妻は妻のところを真摯に読み、受け止めることが肝要なのです。 

 夫が妻に「ほら、妻はこうしなさいと書いてあるよ」 そして、妻が夫に「あなたこそ、夫は妻にこうすべきだと書いてあるところを読んで、それに従ってよ」と、相手に聖書の言葉を盾に自分の要求を突きつけるようになると、これは相手を攻撃する武器を手に取り合ったことになって、争いがグレードアップしてしまう恐れがあります。

 この本は、たいへん好評で、続篇として『ホントに、この人と結婚していいの?』が出版されています。 主婦の友社 2004年6月20日 第1刷発行

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2009年11月 3日 (火)

『福祉の仕事がしたい』という本

 『福祉の仕事がしたい』 平野隆彰著・ミネルヴァ書房 

 MINERVA21世紀福祉ライブラリー14   2003年5月20日 初版第一冊発行

Ca390016  「何か福祉の仕事をしたい」という人が具体的にどんな仕事があるのかを考えるために大変参考になる本だと思います。

 この著者には、『夢子がおばあちゃんになるとき』という中学三年生になる女の子を主人公として、誰にも訪れる老いをテーマに書いた本があるそうです。 その本では、夢子さんが福祉の道に進もうと漠然と考えているところで終わっているとのことです。

  ヘレンケラーと親交のあった岩橋武夫という人のこと、シャープ電機の創業者、早川徳次さんが福祉事業にずいぶん力を入れたかたであったこと ・・・ シャープペンシルは、この方の発明であること・・・ ねむの木学園の理事長、宮城まり子さん、奈良市の音楽療法推進室長 荒井敦子さん、そしてスクールカウンセラー、青年海外協力隊の方々などの生き方、願いなどが具体的に記されています。

 結びの章には 「これ位は知っておきたい福祉分野の基礎知識」があり、関係する法律・制度の変動も激しい今の時代ですが、基礎知識ですから、役に立つと思います。

 ヘレン・ケラーが最初に来日したのは1937年4月15日 ・・・ 4月16日には新宿御苑での観桜会に招かれ、昭和天皇・皇后と握手を交わし、満開の桜に触れた感想をこう語り、人々を感動させたそうです。

 「桜はまるで、春の海に浮かぶ泡のようですね。おそよせる波が波を呼ぶ形に似ていました。枝から枝へ、さらに枝へと、まるで潮のようでした。」

 二回目の来日は、ヘレンケラーが68歳になった1948年8月、歓迎してこんな歌が歌われたそうです。

 ヘレンケラーの歌「幸福の青い鳥」(吉田敬文・作詞)

 青い小鳥が飛んできた  遠い国からはるばると 日本の空へ この窓へ

 海を渡って飛んできた  ヘレン・ケラーのおばさまは  いつも小鳥といっしょです

 このように歓迎されたヘレン・ケラーは次のようにスピーチして敗戦後の日本人の心を癒し、勇気づけたそうです。

「日本の夜明けが、いま、みなさまのうえに、かがやきはじめました。わたしの願いは、あなたがもっておられるランプの明かりを、今少しかかげてほしいということです。ほんの少しランプを高くかかげて、目の見えない人たちの行く手を照らしてください」(『光はやみより』)

 福祉の仕事について考えを深めたいと思い、読み始めたこの本ですが、福祉の仕事は、一方通行ではなく、双方向のパイプの中を温かい光に包まれた愛が通い合うときに人間としての生き方が深め合われるのだということを、多くの方の生き方を通して学ばせていただいている思いがしています。

 今日もよい日となりますように。

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2009年10月29日 (木)

文芸の秋

 味覚の秋ばかりを追究しているみたいなので、今日は、文芸の秋を ・・・

Ca390029  『なぞ解き歳時記』 NHKなぞ解き歳時記制作グループ編 講談社文庫1998年 6月15日 第一刷 発行

 かつて、NHKテレビで同名の番組が放映されていて、この文庫本には、1997年4月1日~1998年3月24日までに放送された45編が再取材、加筆修正の上、収められています。

 ヒグラシは、万葉集では秋の七草と一緒に歌われているとか、平安時代には、松虫と鈴虫は現代とは逆だったとか、サンマは、市場を活気づける存在なので、昔は「魚」へんに「祭」と書かれていたとか、サンマのこげたところには発がん性物質の「トリプP1」が入っているが、大根おろしには、それを消す酵素が入っている ・・・ など、なかなかの内容が楽しく読めます。

  マツタケについては、次のような記事があります。

1941年には全国で1万2千トン収穫されていたマツタケが、1996年には350トンと激減 ・・・ これは、木炭や木ぎれ、落ち葉が主な燃料となっていた時代には人が山に入っていたのが、石油やガス、電機製品などが普及するにしたがい、木ぎれや落ち葉がそのまま山にあるようになったので、 風通しのよいやせた土地を好むマツタケが育ちにくくなったのだと考察されています。

 また、奈良時代には、「黄葉」と書いて、もみじと読んでいたそうで、これは、中国の最初の皇帝が「黄帝」だったとされていて、黄色は聖なる色だったことと関係があるそうです。

 平城京跡からは、黄色く色づくコナラ、クヌギ、カシワなどが多数出土したと記録があり、中国から少し距離をおくようになった平安時代に華やかな女性文化の隆盛とあいまって、赤く染まる木々が好まれるようになったとのこと。

 なかなか、面白い考察ですね。

 火より火を奪い烈しく秋刀魚燃ゆ  草秋子

 とりあえず松茸飯を炊くとせむ    高浜虚子

 あれ、また味覚の秋に戻ってしまったような ・・・ でも、この本に紹介されていた句を抜き出してみたのですよ。  虚子の時代は、たくさん松茸が出ていたのでしょうね。

 新米のその一粒の光かな  高浜虚子

 新米にまだ草の実の匂い哉(かな) 与謝蕪村

  実りの秋 味覚の秋 文芸の秋  ・・・ 今日もよい日となりますように。

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2009年10月18日 (日)

芭蕉のことば

 「きのふの我に飽くべし」   芭蕉のことば

  目にしたとき、思わずエッと思いました。 

  でも、ドキッとしながらも考えてみました。毎日、ひたむきに俳諧の道に励み、(よし、今日はいいところまで成長したぞ)とその日一日の歩みに充実感を味わいながら寝るとします。 ・・・ 私では、そうはいきませんが、芭蕉だったら、そういう日々を築き上げていた のではないかなぁ と、無責任かもしれませんが、そうであってほしいという願望をもたせるところがありますよね。

 そういう充実感で眠りに就いたとして、翌朝、目覚めたときに芭蕉は思うのです。(私なりの解釈です)

 確かに、昨夜、寝るまでは、今までで最高の境地にまでたどり着いたと考えていた、それはそれでいいが、今日の私がそこで満足してしまったら、もう、この先、進歩というものがなくなってしまうではないか。あかんあかん、私ともあろう者が、そんな昨日の到達点に安住しているわけにはいけない。

 よし、こんなことばを毎日自分につきつけ、日々を旅として邁進していこう。

 「きのふの我に飽くべし」

         ◇  □  ○  ☆  ○  □  ◇

  およそ、こんなところでしょうか。 さすがですね。

 さて、芭蕉のことばをいくつか選ぶのには、本来、ぼうだいな書物を読むことになります。

 それはたいへんなことなので、実は、近道して、次の本から見つけたのです。

Ca390003_2 『新・俳人名言集』 復本一郎 著 春秋社 

 2007年9月10日 第一刷発行

 「新」と付いているのは、1989年に朝日新聞から発行された『俳人名言集』を基に再構成し、大幅に加筆して本書が出来たからだそうです。

 たくさんの俳人 ・・・ 私からすると、おお、この人も俳人なのかと認識を新たにさせられる方も入っているので、勉強になりました。

 芭蕉のことばで、ほかに心に残ったのは、次のものです。

・ 古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ

・ 心の作はよし 詞(ことば)の作は好むべからず

・ 松の事は松に習へ 竹の事は竹に習へ

・ 平生 則(すなわ)ち 辞世なり

 もう一つ、安藤甦浪(そろう)という昭和9年になくなった俳人が主宰していた「麦上」(第4号)に書いたことば

・ うその句をどんなにうまく作っても それは世の中の大きな手がきっと抹消してしまふ

 師、臼田亜浪(うすだ あろう)の教えを遵守して「まこと」をその俳句理念とした俳人だそうです。

 この方のことばは、俳句だけでなく、広い世界に通ずるように思います。

 ちょっと幽玄な世界にふれようとして、入り口からのぞいたことを書かせていただきました。 すみません。

 今日は、日曜日 ・・・ キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 よき日となりますように。

 

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2009年10月16日 (金)

脳の科学者と『赤毛のアン』

Ca390002  『源氏物語』が書かれて千年、という年に重なったような気がしますが、『赤毛のアン』が書かれて百年が経過した年(昨年だったと思います)、NHKの番組に、脳科学者、茂木健一郎さんがご自分と『赤毛のアン』との出会いのことを話しておられました。

 茂木健一郎さんが小学5年生のとき、図書館に並んでいた本たちの中で一冊だけ背表紙が光って見えた本 ・・・ それが『赤毛のアン』だったそうです。

 その本の一節にこんなことが書かれていました。茂木さんがカナダへ行きたいがために応募した懸賞論文によってバンクーバーでのホームステイ体験が高校一年生で実現したときのことだそうです。

 僕(茂木さん)がホームステイした家庭では、お父さんは毎日五時くらいには帰ってきます。六時くらいから家族全員で食卓を囲み、夕食後の七時からは庭に出て、息子達とフットボールの練習をする。そんな生活が当たり前なのです。一方、日本のお父さんたちがどういう生活をしているかということは、皆さん、よく、ご存じでしょう。

 明らかに何かが、日本とは決定的に違う。社会が成り立っているところの原理そのものが。あえて言葉にするなら「Way of jife (生活の流儀)」とも言うべき何か。彼らは日々の生活をとても大事にしています。経済的に充分豊かな国を創り上げながらも、一方では人間としての生活の楽しみやゆとりも当然のものとして享受している。

 私(ムーミンパパ)は、それぞれの国、そしてそれぞれの人生には、他の国、他の人にはないかけがえのない大事な唯一のものが備わっており、それを他をうらやむことで曇らせることには賛成できないという思いをもっています。

 おそらく茂木健一郎さんもそうでしょうが、頑迷に自分に固執するというのでなく、他の良さは良さとして認め、自分をよりよく育てるのに参考になると考えれば、自分の土壌を大切にしながら自分の生き方に根付くように採り入れるということが、他でもない自分の人生を大事に生きるということではないかと私は考えています。

 それはともあれ、古本屋で百円で買い求めた本ですが、一冊の本にはその本でしか出会えない内容があり、読んでいて楽しいですね。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2009年10月 7日 (水)

『赤毛のアン』全10巻を読まれた方から

 9月30日のこのブログで、映画「赤毛のアン」の第三作をDVDで観たことについて書かせていただきました。

 そのおりに、軍医として志願して戦争に行ったギルバートをアンが苦労して捜し回る展開に戸惑い、「完全オリジナル版」とは、原作にしっかり立脚したということなのか、新たに構想した独自の作品ということなのかも判断が付かないので、ご存じの方は手がかりをお寄せください、と述べました。

 それに関して、つぎのようにメールをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

「 赤毛のアンについて、もうどなたからか、情報が届いているかと思いますが、中学生の頃、赤毛のアンに熱中して、全巻を読んだ者として、お伝えします。

 私の記憶では赤毛のアンは最後の巻で、老いたアンが最愛の息子を戦争で亡くした悲しみが描かれていたと思います。でもギルバートは戦争には行きませんし、アンはカナダを離れることはありません。

 終わりの方の何巻かは、アンが5~6人の子どもを持ち、それぞれ個性ある子どもたちが中心になってストーリーが展開していたと思います。

 懐かしい赤毛のアンを思い出させてくださってありがとうございます。」

 このように教えてくださったのは私と家内の以前からの友人です。ありがとうございました。

 うーん、味覚の秋にとらわれていましたが、読書の秋ということを改めて思い出しました。

 万巻の書をこれから読み解く、というわけにはいかないかもしれませんが、せっせせっせと楽しんで読書したいと思います。何か、お薦めの本がありましたら、お教えくだされば嬉しいです。

 本日も、よい日となりますように。

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2009年9月25日 (金)

作家 瀬尾まい子さん

 私は、現役の教師時代、不審者による事件や不祥事件が報道されたときなどには、それはそれとして受け止め、とるべき手立ては、もちろん講じて対応してきたのですが、必要以上に過敏になったり、絶望したりしないで教育実践を元気に展開することが大切だと考えて歩んできました。

 「真剣であれ、されど深刻になるな」 こんなキャッチフレーズも生み出しました。

 さて、この瀬尾まい子さんの書かれる本には、荒れた中学校においても、基本的にめげないで、くずれたように見える生徒とも心を通わせ、力まないけれど折れない葦のように教師として歩み続けておられる足跡がにじみ出ているように思います。

 瀬尾まい子さんは、大阪府生まれ。9年ほど学校の講師をされ、現在は京都府内の中学校国語教師としてご活躍のようです。

 Ca390016           『見えない誰かと』 祥伝社 平成18年12月10日 初版第一刷発行 

 この本は、モバイル 連載 「誰かとつながる。それは幸せなことだ」に加筆訂正し、まとめられたものだそうです。

 その昔、能力開発センターでアルバイトしたときに、周囲の雰囲気とはかけはなれたように、おっとりした子がいて、毎回、授業後に、迎えに来た保護者と指導者とのやりとりの時間のとき、その間に、その子はお父さんのかばんからめがねを取り出し、黙々と磨いていた ・・・ そんな話も書かれています。

 「かっちゃんて、優しいんだね」

「お迎え来てくれるからねえ」とおっとりした答え。

そして「きれいになあれ」とつぶやきながら、また丁寧にめがねを磨きはじめた。

 ・・・ いかがでしょう。なんだか、温かい気持ちへとさそわれますね。

 34のお話があなたの到来を待っています。本のカバーにはこう記されています。

 私のそのときの毎日を楽しくしてくれている人は、確実にいる

  ちょうど、この本を読んでいるときに、妹の一人(保育士・介護福祉士を経て、現在はホームヘルパー。登山、絵本好き・・・)がこの本を紹介してくれ、そのタイミングに驚きました。

Ca390017_2 『ありがとう さようなら』 

  メディアファクトリー 2007年7月7日初版第一刷発行

 

 こんな文章が目にとまりました。

 「辞めてやるって思うことも度々あるけど、それ以上の感動がちゃんとある。生徒と一緒に何かを創っていくのは、ぞくぞくする。行事に授業、掃除、給食、係活動。面倒だけど、どれも楽しい。」 

 序文には、こんなことが書かれています。 

  (前略) いざ(エッセイを)始めてみると愉快なことやちょっと胸を打たれるようなことが、学校という場には月に数百字では収まらないくらい起こっているんだと、改めて感じることができました。

 あるとき、教頭先生に「おみゃあが出してる学級通信と区別つかんわや」といわれましたが、その通り、内容こそ違いますが、学級通信を発行するように、伝えたいことを大事な人に書いているような、そんな気持ちだった気がします。

 内容は、たとえば、瀬尾さんが29歳になった日から、中学生が30歳までには結婚するんだろうとカウントダウンを始め、ことあるごとに「あと半年しかないやん!どうするの?」とか、「○○のおじさんって独身やで。45歳過ぎてるけど」などと心配してくれると書かれていたりします。

 また、町内駅伝大会に他の女性教師の倍ほどの区間を走ることになったのは、ふだん、化粧もしなくて女性として見られていないからではないかと、お化粧に力を入れようと決心したこと

 この本の別のところには、力んでお化粧して登校したら、「なぜ、今日はスカートをはいてくるのか」と詰問され、面倒なので放っておくと、「合コンに行くのだ「という話になり、帰る頃にはすっかり発展して、「彼氏ができたに違いない」となる。 ・・・2日も化粧すると、どっと疲れて、もとの格好で学校に行くと、今度は「彼氏に捨てられたに違いない」となるのだ、などと書かれています。

 そして、おしゃれができないのはみんなが過剰に反応するからだと居直ったら、生徒からいきなりイメージチェンジをしないで、さりげなく少しずつ変えていけば気づかれないとアドバイスされたことなどが書かれています。

 教師を目指している人にも、現役教師にも、そして、教育に関心のない方にも楽しんでいただける作家、瀬尾まい子さんの本を、もし、まだお読みになっていない方は読書の秋のどこかでお読みくださればと思います。

 本日も、よい日となりますように。

 

  

 

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2009年9月19日 (土)

『父・丹羽文雄 介護の日々』

 『父・丹羽文雄 介護の日々』(中央公論社1997年6月7日初版発行)は、作家丹羽文雄さんの長女である本田桂子さんが書かれました。

 発端は、本田さんが、アルツハイマーの進行するお父さんのこと、そしてそれに加えていわゆるまだらぼけの症状が強まっていくお母さんとの生活を、交流のある瀬戸内寂聴さんに包み隠さずに話したところ、寂聴さんが次のように勧めたことだそうです。

 「そんなに楽しそうに老人介護をしている人なんていませんよ。ぜひ、手記を発表なさるといい」

 こうして、小説家の娘ではあっても、それまで文章を書いたことのなかった本田さんの手記は、1996年の『婦人公論』に掲載され、大きな反響があったそうです。それが、この本へと発展したということのようです。

Ca390011

 プロローグには、このように書かれています。

 一冊にまとめるにあたって、私は正直にすべてを書いてみることにしました。いたずらに隠しごとはしない。ありのままをぶつけてみよう。そう思ってペンをとりました。この本の内容はフィクションではありません。そして、これは、わが家だけの問題ではないと思います。今日も、どこかのお宅で、同じようなことが起こっているにちがいないと思いつつ・・・

  筆者は、何もわざわざ丹羽家の恥をさらすようなことをしなくてもいいのではないか、父の尊厳は守るべきではないのかとも考えたそうですが、この問題に直面している方たちと悩みを分かち合い、お互い、少しでも前向きに介護にあたれるようになれたらという気持ちから思いきって書く決心をされたとのことです。

 一読して、よい本だと感じましたので、紹介させていただきます。初版発行の翌年1998年1月には12版が発行されていますから、既にお読みになった方も多いのかも知れません。

 今日も、ご家族とともに よい日となりますように。

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