2019年9月21日 (土)

『楽毅』 第四巻 宮城谷昌光

0002_20190919171701 『楽毅』 第四巻

宮城谷昌光 著

新潮社 1999年10月30日 発行

 「中山」(ちゅうざん)という小さな国を執拗に攻めてくる強国、「趙」(ちょう)から守り抜こうと大活躍してきた楽毅でしたけれど、ついにその国は滅んでしまうことになりました。けれど、死を覚悟して王と共に城に立てこもって抗戦している「中山」の兵士たちが600人居ることを知った趙の王は、その兵士たちの真情を思って、ハラハラと落涙します。自分が死ぬときに、一緒に死んでくれる臣下は何人居るだろうか、とまで思いを走らせます。

 全員討ち死にを覚悟していた「中山」の人たちは、辺境の地へ移動して生きることを許され、城を見事に明け渡して去って行きました。

 野望の実現に一歩近づいた趙の王は、その後、自分の子に乱を起こされて、命を落とします。家臣たちは逃げ去って、一人の家来もその場には居ない悲惨な状況で亡くなるのです。 

 失意の中にも利に走らず生き延びた楽毅は、「燕」の国王に見込まれ、懇願されてその力を活かすことになり、王の世代が代わった「趙」に使者として出かけました。

 こんな思いを彼は抱きます。

 政治とはおもいやりである、と極言してもよい。政治能力のなさとはおもいやりの欠如である。自分をおもいやる、とはいわぬものである。臣下ばかりか外臣をも気づかうことのできる恵文王は、けっして国をかたむけることはあるまい。「趙」はやはり「燕」の盟友にふさわしい国である、と楽毅は確信した。

 それまで、強い兵を育てて他国を侵略することだけに邁進していた王から、民をおもいやることの出来る王に代わることで、その国だけでなく周辺の国の民も、心のありどころが一変します。

 こういう文学を世に送り出す作家の存在は貴いですね。 立派な公用車の中で漫画を読んでいて、恥ずかしい発言を重ねても恥じるところのないかたにも 読んで欲しい本です。

 こういうことを書いてしまう私の心の浅さは、楽毅に遠く及びません。

 ともかくも、読書の秋  今日も良い日となりますように。

| | コメント (0)

2019年9月17日 (火)

『楽毅』(がっき) 宮城谷昌光

0003_20190916144301 『楽毅』 全4冊

宮城谷昌光 著

新潮社 1997年9月25日 発行

 何年か前に読んだのですが、図書館で借りてきて読み始めました。

 いったい、前に読んだときには どこを見ていたのだろうと思うほど、新鮮に読み進んでおります。

 こういうことを嘆いてもいいのですけれど、むしろ、喜ぶことにいたしました。 (^J^)

 宮城谷さんの著書を読んでいると、どの本にも、胸が熱くなってくるところが私には必ず何カ所かあります。

 今回は、優秀な副将を、希望を抱くことが困難な事態の中で諭す楽器の言葉です。

 ◇   □    ○   ※   ☆

 「人知れず耐えるのはつらい。が耐えるということは、もとより人にみせびらかすものではなく、孤立無援のかたちにほかならない。・・・ひとつわかることは、こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深いということだ。人が戦うということは、おのれと戦うということであり、勝つということは、おのれに剋つ(かつ)ということにほかならない。なんじは、おのれに負けているよ」

  ◇   □   ○ ※  ☆

 こう諭されて、副将は気付きます。

 楽毅を見ていると自分がどうしてもおよばないことがある。一言でそれを言えば、存在の重み、ということである。その人物がそこに在るということを、表現にたよらないで、むしろ表現を棄ててあらわしている。楽毅から発する無声の声が人民を治め兵を動かしている。

 第二巻の終章、故事成語の中でもよく知られている「隗(かい)より始めよ」の章に描かれている楽毅と妻のすごす夜の場面・・・出会い、絆の崇高さが伝わってくる筆致に心うたれました。

 今日も、良い日となりますように。

| | コメント (0)

2019年9月14日 (土)

『生きるための図書館』 一人ひとりのために

0005_20190911155201 『生きるための図書館』 一人ひとりのために

竹内  

岩波書店 2019年6月20日 第1刷発行

 

 書名に惹かれて、図書館で借りてきました。「はじめに」にこんな文章があります。

    ◇   □    ○     ※     ☆

 図書館のことが、特にここ数年、あちこちで語られています。例えば2015年の8月には、一人の図書館員がふと漏らした「学校が始まるのが死ぬほどつらい子、学校を休んで図書館へいらっしゃい・・・」というつぶやきに、三万件以上もの反応があったといいます。

 今、医療関係者は、高齢者が前向きに過ごす場所としての図書館に注目しているといいます。図書館に出かけて、自分の脳の活性化を図るような本を、楽しみながら探し、考えることが認知症の予防になるのではといわれているからです。

   ◇    □     ○     ※      ☆

 上記を読んで、「おお、図書館に そういう効用があるのか」 と 学校勤めの年数が長かった私は思いました。

 不登校などの子が、保健室登校するケースが少なくないことは存じていました。この本は、いわば、図書館登校ということを世に提案し、そして、高齢の方の図書館活用という道もあるのだな、と目を開かせてくれてくれた思いがいたしました。 図書館に勤務しておられるかたが、積極的に受け入れ、迎えてくれるならば、すてきですね。

 9月11日の関根一夫牧師先生のブログにも、こんなことが書かれていました。 

【本・「答えより問いを探して」】
作家で大学教授の高橋源一郎さんが書いた本。
「答えより問いを探して 17歳の特別教室」
を読みました。
きのくに国際高等専修学校での講座をまとめて本にしたものです。
私はこの本のタイトルにとても心惹かれました。
「答えより問いを探して」というタイトル。
私たちは基本的に即座に「答え」を求める習慣がついています。ほとんど考える、とか、悩むとか、論理とか、倫理とかいうことをすっ飛ばして、それで「答えは?」と結論を求めてしまう傾向を持っているように思います。
でも、実際は「答え」が見えてこない問題が世の中には満ちているように思います。
そして、答えが「わからない」「わかりにくい」というものを認める姿勢はとても大切だと思います。
考えることをすっ飛ばして「きっとこうだ」と結論を出し、それが大多数になってくると「常識」となってきますが、必ずしも、それが人間を幸せに導くわけではありません。
自分で考えて、自分なりの結論を持つこと、そのための大切な前提は「答えより問いを探す」という作業です。
 ◇   □    ○   ※   ☆
 東日本大震災の時に、魂の避難所、 生きる力を再び取り戻すなどの働きを 図書館が担ったことも、記憶に新しいところです。
 フィンランドの子どもの学力が高いことの一因に公共の図書館の充実ぶりが挙げられていることも思い出しました。
上記のようにフィンランドのことを書きましたら、たまたまインターネットのニュースにヘルシンキの中央図書館のことが掲載されていました。
https://www.msn.com/ja-jp/travel/news/「新しい図書館で世界1位」に輝いた%ef%bc%81ヘルシンキ中央図書館ood-i%ef%bc%88オオディ%ef%bc%89を現地ルポ/ar-AAHeHM1?ocid=spartandhp#page=2
 よろしければ、どうぞ。 今日も良い日となりますように。
 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ。

 

 

| | コメント (0)

2019年9月12日 (木)

『向田邦子 暮しの愉しみ』  水羊羹

0004

 一昨日、「文豪たちと羊羹」のところで、向田邦子さんの書いた水羊羹の文章にふれました。今日は、数年前の記事を再掲させていただきます。 水羊羹を食べるときの音楽も決めておられたとのこと・・・やはり、暮らしを愉しむすてきなかたでしたね。

『向田邦子 暮しの愉しみ』

 

 向田邦子 向田和子  著

 

 新潮社 2003年 6月25日 発行

 

 飛行機事故で向田邦子さんが亡くなったのは1981年8月22日のことだそうです。

 

 本書は、向田邦子さんと妹の和子さんの共著となっています。

 

 「手袋をさがす」というエッセイに、向田邦子さんは気に入りの手袋を見つけるまで、寒さに手がかじかんでもやせがまんを続けたと自分について書いています。

 

 そういう美学と申しますか、こだわりが随所に出てくるのがこの本です。 「水羊羹を食べるときは・・・・・・」をかいつまんで紹介させていただきますね。季節に合っていて、そして、何といってもおいしそうですから。

 

Photo

 

 水羊羹は、ふたつ食べるものではありません。口あたりがいいものですから、つい手がのびかけますが、歯を食いしばって、一度にひとつで我慢しなくてはいけないのです。’中略)

 

 水羊羹が一年中あればいいという人もいますが、私はそうは思いません。水羊羹は冷し中華やアイスクリームとは違います。新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはにっそりと姿を消す、その短い命がいいのです。

 

 (原文全体は『眠る盃』に収録。 写真は本書53ページに掲載されています。)

 

 本文には、水羊羹の銘柄や、向田邦子さんが水羊羹を載せる小皿のこと、さらに味わうときのムード・ミュージックのことも書かれています。うーむ、やっぱり、こだわりの人でしたね。

 

 さて、今日も、水羊羹のようなよき味わいの日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年9月 9日 (月)

『知の巨人 荻生徂徠伝』 佐藤雅美 著

0004_20190908215301 『知の巨人 荻生徂徠伝』

佐藤雅美 著

KADOKAWA  2014年4月30日 初版発行

 図書館でこの本を見かけて、どうしようかと迷いました.

荻生徂徠(おぎゅうそらい)・・・あまり関心を引く人物名ではなかったのです。・・・中学校か、高校の日本史の教科書でちょっと出てくるだけの人くらいの記憶しかなかったからです。でも、「知の巨人」というタイトルにひかれて、読んでみました。

 読んでの収穫は、五代将軍 綱吉が、ひとかたならぬ学問好きであったこと、「生類憐れみの令」のことで不評をかっていますが、どうも、仕えていた家来たちが忖度(そんたく)して、運用に行きすぎのところがあったふしがあったかもしれないということで、ちょっと見直したことです。

 ただし、著者の佐藤雅美さんによると、徳川の将軍の中で、傑出しているのは、初代の家康と八代の吉宗だとのことです。

 綱吉は、学問好きで、自分が学ぶだけでなく、講釈をして聞かせることも好み、さらに自分に仕える側近たち二十数人を柳沢出羽守保明の屋敷に通わせて学ばせたそうで、そのために出羽守は二十数人の儒者を抱えていて、その中で群を抜いた実力を備えていたのが荻生徂徠なのだそうです。

 

 将軍綱吉と荻生徂徠のエピソードを本書から引用させていただきます。

 ◇    □    ○     ※    ☆

 その年、元禄十二年も押し詰まってのことだった。いつものように御座之間で綱吉の講釈を聞いていて、徂徠はなにげなく首を傾げた。解釈が間違っているように思えたのだ。綱吉は目ざとく見咎め、「そのほう」と扇の先を徂徠に向け、つぎに扇で足許をトントンと突いていう。

「これへまいれ」

 徂徠は午前近くに進み出た。綱吉はいう。

「首を傾げておったようだが、余の申すことがおかしいとでもいうのか」

「いかにもさようでございます」

「どうおかしいのか、申してみよ」

「さればでございます」

徂徠はどうおかしいかを縷々(るる)説明した。

「なるほど」

綱吉は素直に納得し、機嫌をよくして手ずから印籠を授けた。

 このことはすぐに出羽守の耳に入った。名誉なことである。明けて元禄十三年一月、徂徠の禄二十五人扶持を知行二百石にあらためた。

  ◇   □   ○   ※   ☆

 徳川綱吉という将軍への私のイメージは、大きく変わりました。 上記のとおりではなくても、これに近いことがあったのだと思うからです。

 もう一つ、本書で印象に残ったのは、中国の本を和訳することを「和らげ」(やわらげ」という表現があったことです。

 翻訳の肝要な働きは、そういうことかもしれないと感じました。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

 

| | コメント (0)

2019年9月 8日 (日)

『にんげん住所録』 高峰秀子さん 著

0002_20190907101301 『にんげん住所録』

高峰秀子 著

文藝春秋 平成14年7月15日 第1刷

 映画 「名もなく貧しく美しく」・「二十四の瞳」などで知られる高峰秀子さんは、文筆にも秀でた力量の持ち主であることが、本書でもうかがわれます。

 映画の書監督 ・・・小津安二郎 山本嘉次郎 成瀬巳喜男 黒澤明 木下恵介さんたちの回想、本書の表紙を描いている安野光雅さんとの交流、ご主人の松山善三さんのこと、そして歌手の淡谷のり子さんと全国の舞台を回ったことなど、生き生きと描かれています。

 最近のムーミンパパ・ママの音楽タイムで、淡谷のり子さんの歌う「鈴蘭物語」のリクエストをいただき、調べてみましたら、YouTubeで見つけたこんな動画がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=jU5eqZ1dg4w

 よろしければ、ご覧ください。

 トラピスト修道院が背景に登場していて、淡谷のり子さんの歌声と共に楽しませていただきました。 ありがとうございます。

 この本には、淡谷さんの津軽弁での会話も紹介されていて、大歌手の素顔の姿がイメージされ、ぐんと身近になりました。

 今日も良い日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

| | コメント (0)

2019年9月 7日 (土)

絵本 『どーした どーした』 (2014年5月4日の記事の再掲です)

0008_2『どーしたどーした』

 

天童荒太 文

 

荒井良二 絵

 

集英社2014年1月10日第1刷発行

 

 

 

 この絵本の帯にこのように書かれています。

 

 小学3年生のゼン。「どーした」が口ぐせの、元気のいい少年だ。ゴキブリをこわがるママにも「どーした」、休日にテレビばかり見ているパパにも「どーした」、不満顔のおねえちゃんにも「どーした」。ふうせんを手ばなしてしまった女の子に、ベンチで泣いている若い女の人、暗い顔で橋の上に立たずむ男の人・・・知らない人にだって、「どーした」、と平気で声をかける。ある朝、学校へ向かう途中の公園で、ゼンは同じ年ごろの少年に出会う。少年の顔色がへんに見えて・・・もちろんゼンはきく。「どーした」と。 児童虐待の渦中にあって助けを求めている幼い命を救う命綱は、粘り強い「どーした」によって切れずに役目を果たすのだ、と強く感じました。

 

 私の友人の一人である臨床心理士さんお薦めの一冊です。よろしければどうぞ。

 

今日もよい日となりますように。

 

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2019年9月 6日 (金)

『介子推』 宮城谷昌光

0004_20190905045801 『介子推』

宮城谷昌光 著

講談社 1995年6月5日 第1刷発行

 

 介子推(かいしすい) というのは、介という家の推という男という意味合いでしょうか。

 宮城谷昌光さんの『重耳』(ちょうじ)という三巻の中に、棒術の達人として主人公の重耳を刺客から守り通し、苦難の旅を共にし、貴重な食料を調達し続けた若者として登場しています。

 守り通された重耳は、後に晋の名君、文公となります。

 本書は、『重耳』の出版後、その推を主人公として書かれましたので、それだけ、宮城谷さんを魅了した人物ということが伝わってまいります。

 あとがきが、清明(せいめい)節のことから書かれており、春分から数えて十五日目からの清明の前日、を寒食(かんしょく)といい、いちにち火を用いない日、したがって、その日は食べ物もその日のためにあらかじめ料理を作っておく日があること、それは、中国全土の人が介子推を悼んでいることのあらわれだと述べられています。

 あとがきは、こう結ばれています。

 

  ◇   □   ○   ※   ☆

 この小説の稿を起こすのはためらいがあったが、やはり途中でそうとうなつらさに遭った。つらい、とつぶやいて何度か泣いた。そういう体験をもつのは、この小説がはじめてであり、もうないかもしれない。

  ◇   □   ○   ※   ☆

 この作家の作品に私が魅了されるのは、どの作品もこうした真摯さをもって執筆され、生み出されていることが感じられるからだと思います。

 よろしければ、どうぞ。

 今日も、良い日となりますように。

 

| | コメント (0)

2019年9月 5日 (木)

『いるか句会へようこそ!』 ー恋の句を捧げる杏の物語ー 堀本裕樹 著

0002_20190904220901 『いるか句会へようこそ!』 ー恋の句を捧げる杏の物語ー

堀本裕樹 著

駿河台出版社 2014年6月30日 発行

 

   著者の堀本さんは、「NHK俳句」の2016年・2019年の選者ですので、テレビでお顔やどんな方かをご存じの方も多いかも知れません。

 本書の後書きに、この本がどういう本かという手がかりが記されています。

 ◇   □   ○   ※  ☆

 「俳句のいろは」が学べる物語仕立ての内容にしようということでスタートし、1年ほどを費やして原稿用紙270枚を超える本となったとのこと。ある時から、登場人物が伸び伸びと動いてくれるようになり、著者自身の思いも寄らぬラストシーンにつながっていたそうです。

 堀本さんは、たんぽぽ句会、そして本当にいるか句会を主催しておられ、本書の作中人物が読む俳句の実際の作者名が、俳句と共に巻末に記されています。

 この本は、物語仕立てですが、「俳句のいろは」そして「句会とはどういうものか」が登場人物を通して 生き生きと描かれています。 素材は、原作者が実在し、本当の句会に登場した俳句 というのは、著者の書いておられるとおり、類書がないようです。

  室内で開かれる句会だけでなく、連れだって出かける吟行の場面も設定されています。

 朝顔が歳時記では晩夏から秋にかけて咲く花で、秋の季語であること、朝顔の別名に牽牛花(けんぎゅうか)という言葉があること・「秋の暮れ」は秋の夕暮れのことで、「暮れの秋」は秋の末のこと というようなことが物語の中に登場し、歳時記で紹介されている句も紹介されていることが嬉しいです。 主人公の杏(大学二年生)が「短夜」を調べ、句歴の長い母親に「短夜」の別の言い方として載っている「明易し」(あけやすし)・「明早し」・「明急ぐ」などを傍題ということ、「後朝」(きぬぎぬ)の読み方と意味を教わるシーンなど、親切な手引き書の役割を果たしていることを感じました。「ハンカチ」が夏の季語で、傍題は「汗拭ひ」(あせぬぐい)・「汗拭き」「ハンカチーフ」・「ハンケチ」 例句で杏の印象に残ったのは、次の二句だそうです。

・ 敷かれたるハンカチ心素直に座す   橋本多佳子

・ きつかけはハンカチ借りしだけのこと 須佐薫子

 九月の句会で、多くの人に特選句として選ばれた句も味わいがありました。

 実際のいるか句会で登場した句なのですね。

・ 秋の海話すは言葉放すこと  菊八

 よろしければ、どうぞ。 

 九月も、もう五日となりました。 今日も、良い日となりますように。

 

| | コメント (0)

2019年9月 4日 (水)

『トットひとり』 黒柳徹子 著

0004_20190828162301 『トットひとり』

黒柳徹子 著

新潮社 2015年4月25日 発行

 表紙の写真は、篠山紀信さん撮影の黒柳さんだそうです。

 トットひとり という題は、私のお母さんと呼ぶほど慕っていた沢村貞子さん、いつも「お嬢さん」と呼んでくれていた私のお兄さん 渥美清さん そして、気さくに部屋を訪れさせてくれ、美味しい手料理を毎日のようにふるまってくれていた向田邦子さん、夢であいましょうなどで縁のあった坂本九さんなどが召されて、だんだん周囲が寂しくなってきた黒柳徹子さんの思いを正直に反映してつけたもののようです。

 この本から、いくつかのことをピックアップして紹介させていただきます。

1953年2月1日 日本のテレビ放送  スタート !

 黒柳徹子さんは、NHKでテレビ女優第一号としてその活動をスタートしたのだそうです。

 

テレビ放送が始まったとき、日本にあったテレビ受像機は866台・・・アメリカ製しかなくて、一台25万円位したとのこと。 黒柳さんの時給は56円、ラーメン一杯が35円~40円くらいだったようです。 NHK職員の初任給は9000円ほどだったらしいと書かれています。

 

 NHKに入った徹子さんの動機は「自分の子どもに絵本を上手に読んであげるおかあさんになろう」ということだったそうです。

 

 お母さんに「絵本を上手に読めるように教えてくれるとこを探すの、どうすればいい?」

「新聞に出てるんじゃないの?」

 

 徹子さんが新聞を広げると、その真ん中にNHKが「テレビジョンの放送を始めるにあたって、専属の俳優を募集します。プロの俳優である必要はありません。一年間。最高の先生をつけて養成し、採用者はNHKの専属にします。採用者は若干名」・・・ あとで分かったことですが、NHKが求人広告を出したのは、ちょうど徹子さんが新聞を広げたその日一回だけだったそうです。

 応募者は6千人以上・・・徹子さんの受験番号は5655番。 徹子さんは合格者16人の一人になりました。

 「これでも私、見る人が見たら、どこかにみどころがあったのね」と思っていたら、後に養成所の責任者から「あなたが受かったのは、あまりにも何も出できなかったからですよ。・・・ 試験の点数は、とても悪かったんです。でもテレビジョンという新しい世界の俳優には、あなたみたいな何もできない、何も知らない、言い換えると、無色透明な人が向いているかもしれない。一人くらいそういう合格者がいてもいいだろうとなって、あなたは受かったんです」

 と言われたとのこと。

  何かの話の種にでもなれと、その本からテレビ放送の黎明期のことをピックアップしてみました。

 

 タマネギ頭のこと、世間に認知されたのは40年ほどかかったそうです。パンダについて日本で一番詳しいかも知れないと認められるようになったのも、徹子さんがパンダに夢中になってから30年ほど後のこととのことで、何事にも時間がかかるものだということを徹子さんは身をもって感じていると書いておられます。

 

 テレビで放送されてご存知のことが多いかも知れませんが、よろしければ、どうぞ。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧