2009年12月 6日 (日)

アドヴェント(待降節)

 アドヴェント ・・・ 待降節(たいこうせつ)はクリスマス前の四週間をさします。

 写真のようなアドヴェント・リースのろうそくを日曜日ごとに一本ずつ点火するのを増やしていきます。クリスマス礼拝の時には、四本が勢揃いします。

Ca390019  今年は、細身ですらっとしたキャンドルで、私の体型と対照的 ・・・ 何か憧れを覚えます。

  Ca390025     Ca390032 Ca390034 Ca390035 Ca390038

  アドヴェント  待降節

  クリスマス   降誕祭  と訳されています。

  多くのキリスト教会では、ふだんの日曜日の礼拝の他に、子どものための行事や、24日のクリスマスイヴ礼拝 ・・・ キャンドルをともして賛美の礼拝をするので「キャンドルサーヴィス」と呼ばれます ・・・ を計画、実行いたします。

 お近くにキリスト教会がありましたら、ぜひ、足をお運びください。

 私の通うキリスト教会では20日の午前にクリスマス礼拝をし、午後には、クリスマスを祝う会を計画しています。 今日、6日の午後にクリスマス・子どもチャーチとして、子ども向けのクリスマスをいたします。 人形劇もありますので、楽しみにしておいでください。

 よき日となりますように。

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2009年9月 3日 (木)

永久に不変のもの

  猿は木から落ちても猿だが、国会議員は選挙で落ちれば議員でなくなる ・・・ 若いときに聞いたことばを、8月30日の衆議院選挙の結果を見て思い出しました。

  今、その人がどんなことをしているかを、競争原理に立って見るのでなく、一人一人の存在そのものを喜び、大切にしあう ・・・ どんな政党が政権を担当することになっても、このことを大切にしなければならないと思います。

 さて、選挙でも変わらない不変のものって一体何だろうと考えていて、聖書の愛の章と呼ばれている箇所に思い当たりました。

 愛の章の、特に4節以降の「愛」のところに自分の名を当てはめて音読することは、まず気がとがめてきてできないと思います。たったひとり、「イエス・キリスト」の名は、しっかりとおさまる ・・・それは、イエス・キリストが真に愛の人だったからである、そういうメッセージを聴いて感動したものです。

 では、愛の章(コリントⅠ 13章) をご覧ください。 今日もよい日となりますように。

1  たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

2  また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

3  また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

4  愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。

10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。

11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。

12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

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2009年8月29日 (土)

「汚れなきいたずら」

 イタリア映画に、「汚れなき悪戯」という名作があります。「マルセリーノ パンと葡萄酒」が原題(?)でしょうか。この映画の主題歌「マルセリーノの唄」も可愛らしい曲で、映画と共にヒットしました。

 この映画は白黒ですが、人気が高かったためでしょう、カラー版でリメイクされた映画もあります。

  さて、私が通うキリスト教会の牧師さんの子どもさんが、聖餐式の準備をしている大人たちのほんの少しの空白時間に、写真のような一場面を創出しました。

Photo  幼い子には、いったいこれはなにかなあと興味津々だったのでしょうね。静かにふたをとり ・・・ この後、どうするつもりだったかは分かりません。気づいた大人が別の場面へと切り替えてしまいましたから。・・・お母さんはひやっとされたそうですが、この幼な子のあどけない表情はそれを補ってあまりあります ・・・ ねっ。

 さて、幼な子だけでなく、キリスト教会に行ったことのない大人の方にも、聖餐式っていったいなんだろう と思われる方が多いことでしょう。「マルセリーノ パンと葡萄酒」というのは、それに関係があるのすね。

 レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な作品「最後の晩餐」という絵は、イエス・キリストがパンと葡萄酒を弟子たちに与えて食事する場面です。そして、まさにこれが最初の聖餐式にあたるのです。

 聖書には、その場面がこのように書かれています。

  一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
  これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
  言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

(マタイの福音書 26章 25節から30節)

  キリスト教会では、このことを記念し、人間のすべての罪を身代わりになって背負い、十字架にかかられたイエスキリストと、神様への感謝の思いを新たにしながら、聖餐式をおこなっているのです。二千年以上になりましょうか。ただ、葡萄酒を飲んで、運転して帰るのはよくないので、ブドウジュースを近年は用いています。

 今日も、よい日となりますように。 明日は日曜日、キリスト教会へお出かけください。

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2009年8月23日 (日)

大きな木には大きな根

1 Photo_2            ヨーロッパには、百年以上もかけて建て上げられた教会堂があります。まさに堂々とした建物 ・・・ 最初の設計図もしっかりとしているのでしょうね。

  それを建て始め、見守り、完成を喜び、維持し続けている信仰のことを思います。

 さて、写真は8月2日に起工式を行い、11月末に竣工予定の教会堂の基礎工事の写真です。・・・寒さが厳しく、雪もたくさん降る東北地方では、冬が到来する前に建て上げるのですね。

  建物を建てるとき、大切なのは、その土台です。やがて、外からは見えなくなりますが、建物を支え続けるのは、その見えなくなる土台です。

 キリスト教の教会堂の場合、写真のように目に見える土台と、目に見えない土台があります。そうです。神様への信仰ですね。

 土台に関して、聖書には次の言葉があります。

 わたし(イエス・キリスト)の教えを聞いて、そのとおり忠実に実行する人はみな、堅い岩の上に家を建てる賢い人に似ています。
 大雨が降り、大水が押し寄せ、大風が吹きつけても、その家はびくともしません。 土台がしっかりしているからです。
  反対に、わたしの教えを聞いても、それを無視する人は、砂の上に家を建てる愚かな人に似ています。
大雨、大水、大風が襲いかかると、その家はあとかたもなく、こわれてしまうからです。

   山上の垂訓の一部分です。 マタイの福音書 7章 24節~27節)

 私たちは、どんな土台の上に人生を建て上げているでしょうか。

 大きな木は、それを支える大きな根を地中に張っています。

Photo

 今日は、日曜日。 キリスト教会では聖書に基づいて神様からのメッセージが語られます。どうぞ、ご出席ください。

 

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2009年8月 3日 (月)

魂の日照時間

 梅雨が明けないままに8月に入る ・・・ 確かなデータを見たわけではありませんが、あまり例のないことではないかという気がします。

 気がかりなのは、農作物の生育状況 ・・・ 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩にある「寒サノ夏」にならにことを願います。

 雨の日が多いと、日照時間が少なくなり、それがお米などの農作物の生長を弱めてしまうのですね。

  ふと思います。私たちの魂の成長のことです。

  魂も、明るい光に照らされる機会が少ないと、健全に成長することが困難になるのではないでしょうか。

 児童が虐待される環境は、その児童にとって暗闇といえましょう。児童の魂に光があたる環境を整えることは大人の責任です。

 その大人自身の魂も、精神的な光で照らされていないと健全な実を結ぶことの難しい状態になってしまいます。

 音楽、美術、文学、映画などのなかで、特に優れたものにふれ、その良さを享受し、いがみあう姿でなく、平和を目指し、協調し合う大人の姿を目の当たりにしながらすべての人が育つなら、世の中はどんなに希望に満ちたところとなるでしょう。

 まず、私たち自身が、自分の魂に健全な光を浴びる機会を多くしていくことを大切にできたら、と思います。

聖書の言葉

 わたし(イエス・キリスト)は、世の光です。

 今日も、よい日となりますように。 心の中の梅雨も、実際の梅雨も明けて、たくさんの実を結ぶことができますように。

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2009年6月 4日 (木)

伝道者魂

 3日の夜、ブラジルでキリスト教を宣べ伝えて40年という牧師さんのお話しをうかがいました。

 78歳とのことですが、その讃美歌を歌う声、そして聖書からのメッセージを語る声の大きくてよく通ること、驚くばかりです。

 ブラジルに開拓農民として渡った一世たちが高齢になり、なかなか話を聴いてもらえる相手がいないとのこと  牧師として訪問すると相手が何度も同じ話をされるのを、その都度新鮮な顔をするだけでなく、心から感心し、寄り添ってそのたびに初めて聴く話だという様子で聴かれるのだそうです。

 そして相手が話し疲れたときをチャンスとして、聖書の、特にイエス・キリストの話をされるのだそうです。

 こうした訪問を数え切れないほど続けて、そうやってクリスチャンになられた方も、それから短い年数で、この世での生涯を終えられるケースが多いのだそうです。

  お風呂の設備もあるのですが、水道代、電気代がかかるので、お客があれば特別に湧かすことにしてふだんはシャワーを短時間ということにしておられるほど節約の生活を積み重ねてこられたそうです。

 たいへんな苦労の連続だとお察しするのですが大きな声で明るく話され、巧まざるユーモアに満ちているので、こちらのほうがとても励まされる時間でした。

 もうしばらく、日本の各地でブラジルでの伝道の話をされ、再び、苦労の多いブラジルへ戻って行かれるとのことです。

 食べるのに困らない、物質的には豊かに見える日本本国の人たちが、あっという間にマスクが売り切れてしまうような生活の在り方をしていることを案じておられました。

 その方が本当に心の豊かな生き方をしておられることを感じ、自らの在り方を吟味した夜でした。

 今日も、よい日となりますように。  

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2009年6月 1日 (月)

日曜午後のうたげ

 復活祭(イースター)から五十日目は、五旬節(ペンテコステ)と呼ばれる記念日です。

 あまり一般には知られていませんが、みどりしたたる美しい季節ということもあって、私たちの教会では、親睦のバーベキューをペンテコステの午後におこなっています。

 すぐそばの池では、モネがスケッチに来たがるほどの睡蓮が咲き、教会の庭には、巣箱のそばのザクロが綺麗な花を咲かせました。

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 0010 朝方は雨が降っていましたが、やがて曇り空になり、次

第に晴れてきました。

 炭火もおこって、たくさんの食材が出番を待ち構えています。今年は、長良川の鮎を、冷凍しておいてたくさんもってきてくださった方があり、豪華なバーベキューとなりました。

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 食材がたくさんあって、焼きそばやウインナーなど、ここでは紹介しきれません。

 楽しいバーベキュー、親しい語らい、そして手話による讃美歌♪「主我を愛す」の合唱などなど ・・・ こうして、5月もそのフィナーレを飾って6月にバトンタッチとなりました。

 よき6月となりますように。

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2009年5月10日 (日)

母の日

 あるクリスチャンの女性が亡き母を偲んで,カーネーションをつけて礼拝に出席した ・・・ そのことが静かな感動を呼んで、ついに五月の第二日曜日が母の日として制定されるに至った ・・・ 確か、そんな経緯だったと思います。

 (インターネットで調べると,その女性の名前も、いつの礼拝なのかもすぐに分かる時代となりましたが、敢えて記憶の範囲で書かせていただきました。)

 今日は,5月10日 ・・・ くしくも,讃美歌510番には、子どものために神に祈る母の姿が歌われています。

 ♪ 汝がために 祈る母の いつまで世にあらん とわに 悔ゆる日の こぬまに

 とく 神に帰れ

 春は 軒(のき)の雨  秋は庭の露  母は 涙 乾くまなく  祈ると 知らずや

 

 聖書には、放蕩息子の帰りを大きな愛をもって喜んで迎える父のことが書かれていますが、この讃美歌からは神様から離れた生活を送っている子のために、とりなしのいのりを捧げ、神様に立ち返るように涙ながらに祈り続ける母の姿が彷彿としてまいります。

聖書の言葉   

 汝の父と母を敬え

 十戒の中の一つでもあります。

 今日は,日曜日。 ぜひ、キリスト教会の礼拝に出かけて、聖書に基づいて語られる牧師先生のメッセージをお聞きください。

 よい日となりますように。

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2009年4月23日 (木)

三つのB

 中学校の音楽の時間でしたか、ドイツの音楽家の三大Bというのを教わりました。

 Bの頭文字 がつく音楽家 たしか、  バッハ  ベートーベン  ブラームス

 だったと思います。

  お話は変わりますが、最近読んだ本に、世の中の状況があまりかんばしくないときにアメリカ人が心を平静に保つための三つのBが挙げられていました。

Bank  銀行  金だ! 金。 銀行に駆け込む。 地獄の沙汰も金次第

Bottle 酒だ! 酒 酒  えーい、しらふでいられるかい。飲んでうさを晴らそう

Bible  聖書に立ち返り、生きていく原点をもう一度見定めよう。

     ちなみにドル紙幣には「 In God We Trust 」 としっかりと印刷してあります。

 あなたの人生の拠り所は ・・・ 土台として据えられているのは何でしょうか。

 私は、聖書に示された神様を信じています。 ・・・ でも、あまえて、聖書を開かずに歩む日もありますから、ちゃんと立ち返りますね。  No Bible No Bred ・・・ これが逆にならないように、まず、魂の糧をいつも大切にできるようになりたいと願っています。

 よい日となりますように。

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2009年1月 2日 (金)

元旦の礼拝

 キリスト教会の元旦礼拝に出席してきました。ご理解いただけると思いますが、クリスチャンは、神社の初詣には行きません。

  聖書に基づく牧師のメッセージの中の、愛するとは、あなたのすばらしさを最高に光り輝かせるために私はベストを尽くしますということだとの一節が特に心に残りました。

 そういうふうに相手に期待し要求することはできても、そのように相手を愛することは、人間にはなかなかできないことです。

 聖書に「我が魂よ、神をほめまつれ」という言葉がありますが、神様に対しても、「神よ、我をほめまつれ」といわんばかりに願い事の長いリストを羅列してしまうことが私などはよくあります。 おお、これでは、魔法のランプの精に命令を下すアラジンのようではないかと反省しきりです。

 かつて、ミッション系の高校の野球部が甲子園に出場し、勝ち上がって決勝戦に臨んだとき、「神様、勝たせてください」とは祈らず、「神様、練習してきたことが発揮できるようにしてください。」と祈ったとのことです。

 結果的にこの高校、桜美林高校は優勝したのですが、私は優勝したこと以上に、その祈りの姿勢に感動いたしました。

 さて、礼拝の後に書き初めはいかがですかと、用具を準備してくださっている方がありました。 そのご婦人はとても美しい文字を書かれます。そして、何とその方の二人の娘さんの中学時代に私は国語の教科担任だったのです。その方の前で、私が書き初めをすると「こんな文字を書く人が大事な娘の国語の先生だったのですか」と叱られる ・・・ いえ、そんなことをおっしゃる方ではないのです、私がそう思うだけのことです。

 で、結局、その方に、ピアノを練習するときにその文字を眺めて、私の心の内の歌を引き出すためにとお願いして「歌」という文字を書いていただきました。

 こんなふうによいスタートの元旦でした。

 読んでくださっているあなたの元旦、それに続く2日以降も佳い日々の連なりとなりますように。  

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