2006年10月 7日 (土)

知識を正しく用いる心 

聖書とコンピュータシリーズ NO.10

 インターネットが普及して、良い使われ方がされている例と、犯罪に利用されている例とがあります。
 
【良い例】
 ある手術に特別の血液が必要なことをインターネットで迅速に広範囲に知らせ、必要な量を素早く確保できた。
【悪い例】
  ホームページに家族旅行に出かけることを掲載して出かけ、帰宅したら空き巣に家財道具を根こそぎ盗まれていた。

  良い活用例が圧倒的に多いのでしょうが、悪い活用例も数多く報道されています。知識も技術もそれ自体に善悪はなく、相手や社会全体を思いやって正しく用いることのできる豊かな心の持ち主とそうでない人とがいるということだと思います。
 このことを先の例と結んで車を登場させてお話しますと次のように言えるのではないでしょうか。
 命を助けるために血液輸送に使われる車もあり、盗んだ品物を運ぶために使われる車もあります。車自体に善悪があるのではなく、使う人間の心によって善にも悪にも使われるということです。
 車やコンピュータやソフトがいかに発達しようと、その活用の仕方は人間にかかっている・・・この先、時代がどれだけ進んでも、一番基本となるのは人の心の在り方だということを上の例は示していると思います。

 こうした例をみると、ユネスコ憲章の初めにある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから,人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない。」という有名な言葉が真実味を伴って思い起こされます。

  これは、マザー・テレサも語っていることですが、世界には食料が不足している地域があるけれど、地球の食料の絶対的な量が不足しているわけではないとのことです。聖書に記されている次のことを実践する人が増えたら、どんなにこの世界は光に満ちたものになることでしょう。
 食料のことだけではなく、日常生活における思いやりもそうです。科学技術の発達も次の聖書の言葉を一人一人が実践するとき、最も良い実を結ぶことになるでしょう。

    聖書の言葉
  『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
 また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』

                               ルカによる福音書10:27

※ NO.10をもって「聖書とコンピュータシリーズ」をひとまず終わらせていただきます。2000年ころに書いた文章をベースにしましたので、内容的には「何をいまさら・・・」と感じられた方もおられると思います。私自身は、このシリーズを校正しながら、コンピュータに代表される賞味期限の短い世界と、時代、国を越えて不変であり続ける聖書との接点を改めて体感いたしました今後も単発的にこのテーマで書いた文書が登場することがあると思いますが、まずは「聖書とコンピュータシリーズ」をお読みいただき、ありがとうございました。m(__)m
                           

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2006年10月 6日 (金)

電子メールを越えるもの   

聖書とコンピュータシリーズ NO.9

 電子メール・・・E-mail(イーメール)の普及ぶりには目を見張るものがあります。
 E-mailのアドレスを取得することは、自分専用の私書箱を設けるようなもので、都合のいいときにパソコンにスイッチを入れて、その私書箱を見に行けばいいのです。
 下に書くようにたいへん便利なので電子メールに対して従来の郵便のことを「原始メール」などと茶化す言い方があるほどです。もちろん、手書きのたよりには得難い味があり、絵手紙などの人気も高まっていますので、今後も郵便による手紙、葉書がE_-mailによって消滅させられることはありません。このあたり、ワープロが普及するとともに書道の人気が高まったこととほぼ同じ関係があるのではないでしょうか。

【電子メールの便利なところ】
①宛名を書いて、切手を貼って、ポストに入れて・・・という作業の手間 が省けます。 

②速達にしなくてもすべて超特急の速達です。

③外国に送るとき、時差を考えなくても相手に迷惑をかける心配があ りません。

④ファイルを添付する方法を覚えれば、長い文章も、写真も、音楽も、素早く相手に届けることができます。受信した相手がそれを加工することもできます。

⑤パスワード(暗証番号のようなもの)によってプライバシーが守れます。
 
およそこのような利点があるので、インターネットに接続できるように環境を整備した人は、最初の内はいろいろなホームページを見に行くこと・・・ネットサーフィン・・・を楽しみますが、その内に主な用途はE-mailのやりとりに落ち着く場合が多いようです。ただし、昔から筆無精だった人は「E-mail無精」になりやすい傾向があることは、やはり否定できないように思いますけれど。

  でも、こんな便利なE-mailを越えるものがあります。それは、神様への祈りです。祈りにはパソコンも、それを使う技術も不要です。停電を心配することも、混雑の時間帯を避けることもありません。人間的な思いのすべてが聞き届けられる訳ではありませんが、神様の御心にかなう形で、神様の定められたときに必ず応答があります。
 あるクリスチャンは3人の友人のために祈り続け、聞き届けられてどの友人もクリスチャンになったそうですが、3人目の友人がクリスチャンになったのは、その人が祈り初めてから数十年後だったとのことです。
  自分の祈りが思い通りに聞かれないと言って怒ったり、失望したりするのは、神様を自分の召使いのように思っている人・・・自分がランプを持ったアラジンで、神様を魔法のランプの精のように思っている人です。人間が神様に従うのであって、神様を従わせるのではない・・・そのことを忘れないでいたいものです。

    聖書の言葉
  いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。         第一テサロニケ 5:16~18

 

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2006年10月 5日 (木)

神様のプログラム

聖書とコンピュータシリーズ NO.8

 ロボットといえば、漫画の世界ですが手塚治虫さんの生み出した鉄腕アトムが有名です。空を飛ぶことができ、強く、優しく、成長していきます。

 アトムのように親しみやすい形はしていませんが、最近では定型の作業、精密な作業を正確に果たす優秀な産業ロボットも多く開発され、活躍しています。
 家庭向けのロボットとしては1999年に、犬型のロボットが発売され、人気を呼んでいます。犬型のロボットの他にも、家族の顔や声を認識し、物を運んだり、挨拶をしたり、留守番電話を報告したりできるロボットも出てきているようです。時々、いきなり音楽を鳴らしてダンスを始め、その時間はロボットが自分の意志で楽しんでいるように見えるということです。もちろん、あくまでもそう見えるように人間がプログラムを組んでいる訳で、ロボットには意志決定はできません。2005年の愛知万博では、トランペットなどを演奏するロボットたちによるコンサートが人気を博しました。これも、ロボットが意志をもって動いていたわけではありません。一定の状況で一定の反応をさせることや、あらかじめ用意してあるいくつかのプログラムのどれかを実行するように人間が仕組むことは可能ですが、ロボットに考えさせること、問題の解き方自体を考案させるところまではいっていません。

  自分で考えることのできる「人工知能」の研究はどんどん進むようにみえたのですが、大きな壁にぶつかって止まっています。それは、人間の脳のアイデアを生む仕組みそのものが明らかになっていないのに、人間の脳の働きを再現させることはできないということが分かってきたからです。複雑に脳神経の絡み合った人間の脳の仕組みを明らかにする研究は、まだ入り口に立ったところというのが定説のようです。

 科学が進むに連れて、生物のすばらしい仕組みが次第に明らかになっていますが、その仕組みを人間が作り出すことができるかどうかということは、また別の問題です。遺伝子の組み替えなども、適用、応用であって、創造ではありません。
 蟻(あり)一つとってみても、あの大きさでセンサーと動力と集団社会を営む習性、いろいろな本能を備えたロボットを作ることは、まず不可能ではないでしょうか。
 すばらしい勢いで進んできたコンピュータの開発も、加工の精度が肉眼では見えない、ウイルスの大きさに近い小さなものを扱うところまで来ていて、普通の物理法則が通用しなくなる量子力学の世界の少し手前に達しているのだそうです。技術の改良は今しばらく進むけれど、技術の改革、新天地を開くことは困難なところに間もなく到達する・・・科学技術に詳しい人ほどそれを感じているようです。

 科学が進むにつれて、自然界を構成された神様のプログラムのすばらしさ、人間の及ばなさが明らかになってくるというのが本当のところではないでしょうか。 
    聖書の言葉
  神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと
認められ
・・・               ローマ人への手紙 1:20

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2006年10月 4日 (水)

完璧ではないけれど   

聖書とコンピュータシリーズ NO.7

 しばらく前に有名になったマーフィの法則に、確かこういうのがあったと思います。
「待っている電話は席をはずしたときにかかってくる。」「パンをうっかり落としたとき、そのパンのバターを塗った面が下向きに落ちる確率は、下に敷かれている絨毯(じゅうたん)の価格に正比例する。」・・・ マーフィの法則は、経験から導き出された法則なので、科学的に証明できるかどうかは別にして、笑い、それもたいていは苦笑いとともに受け入れられる法則ですね。    

 上の二つの例をもとに、コンピュータにおけるマーフィの法則を作ることはそんなに難しくないと思います。二つ、三つ、作ってみましょうか。

・一生懸命に作成したデータが保存できなくなる事故は、そのデータがほとんど完成したときに起こる。
・あるデータがバックアップ(予備に保存しておくこと)してある確率は、
そのデータの必要性・重要性に反比例する。
・新製品は、それが出るのを待ちかねて従来の製品を購入した直後に発売される。しかも、それまでの製品よりも安い値段で。

 まだまだ出来そうですが、あまり精神衛生上よろしくないので、やめることにします。

 ところで、ソフトのプログラムのミスや不備のことをバグ(虫)といいます。大切な作業をしたいときほど、このバグは困った方向へ悪さをします。高価なコンピュータが「あれっ」と思うような単純な計算を間違えることが分かってプログラムを修正されたという報道がされたのを覚えておいでの方もおられることでしょう。
 バグが多いソフトは困りものですし、バグはないにこしたことはありません。けれど、それはそれとして下に記すような考え方も出来ないでしょうか。

 コンピュータよりも格段に優秀な人間でも、判断ミスをすることがある。プログラムを作る人間が完璧ではないのだから、まして、その人間の作ったまだ歴史も浅く、発展途上にあるコンピュータが思い通りに動かなくても、何の不思議もないではないか。・・・ちょっと寛大すぎるかも知れませんが、これくらいに構えているほうが、過大に期待して裏切られるよりも人間としての器が大きくなるような気がいたします。

    聖書の言葉
 なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の
中の梁には気がつかないのですか。 兄弟に向かって、『あなたの
目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。 
            
     
   マタイによる福音書  7:3~4   

 ※  有名な山上の垂訓の一部です

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2006年10月 3日 (火)

何を土台に

聖書とコンピュータシリーズ NO.6

 コンピュータを選ぶとき、OS(オペレーションシステム)を何にするかで機種が左右されることがあります。
 ワープロや表計算などのアプリケーションソフト、(応用ソフト)が働けるようにコンピュータをオペレート(管理)するのがOS(オーエス)の役目です。OSは基本ソフトともいわれますが、最近あまり基本ソフトという言葉は使われません。コンピュータ機器のハードに仕えるよりも、むしろ、「私を使いたいのなら、性能としては、これくらいでなくては・・・」と、まるで庶民の家にお輿入れするお姫様のように大きな顔をしたがるからでしょう。でも、働きとしては、やはり基本・・・ラーメンにたとえるなら、塩ラーメン、醤油ラーメンなどの基本の味付けとなるスープにあたるのがOSといってよいでしょう。

 現在、OSの主流は,マイクロソフト社のウィンドウズです。「ウインドウズ95」がヒットし、それ以来独占禁止法にふれるのではないかと問題にされるほどのシェアを誇るようになり、発売の年度に合わせて「ウインドウズ98」、「ME」「XP/2000」、と開発、販売されています。もう少しすると「VISTA」というのが登場するようです。

 デザインの斬新なiMACの発売以来好調だったアップル社のマックOSは、新年や誕生日にはお祝いのメッセージが出るなど、どこか親しみがもてる工夫がされています。
 他に、富士通のFM-TOWNSという機種には専用のTOWNS-OSが使われています。「和製マック」と言われ、一時は教育界に根強い人気がありました。かつては、この機種専門の月刊誌も発売されていたほどです。
 日本純正のOSの関係では、東大の坂村健教授が中心となって開発を進めている「トロン」があります。日本の学校で使われるコンピュータは「トロン」でいこうと一時は決まっていました。外圧でその方針は貫けませんでしたが、その後も開発が進められ、13万字以上の漢字や世界のいろいろな国の文字が扱えるOSとして成長しています。(製品名は「超漢字」です。今は、変わっているかも知れません。)「トロン」は正式にはプロジェクトの名前で、志の高い計画です。携帯電話、そしてカーナビに活路を切り開き、(私としては不満なのですが)、マイクロソフトと業務提携したようです。
 最近、人気が高まっているのはLINUXというOSです。トロンと同じくオープンソースといって、ちょうど料理のレシピのようにプログラムの構造などが公表され、力量のある人ならば自分で開発したり、ユーザーが協力したりして進化させていけるOSです。これはUNIXという学術関係者や技術者が使っているOSの流れを汲んでいるようです。
  ちょっとマニアックな文章になってしまいましたがお許しください。

 結局、どんなOSを土台に据えるかはどんなパソコンライフを目指すかということと密接不可分の面があるように思います。さて、あなたは人生の土台として何を据えていますか。それによって、建て上げられる人生・・・毎日の生活や言動、歩む方向、目指すゴールが変わってきます。
    聖書の言葉
 わたし(イエス・キリスト)のもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょ う。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから 家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
       ルカによる福音書 6:47~48      

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2006年10月 2日 (月)

限りなきバージョンアップ   

聖書とコンピュータシリーズ NO.5

 コンピュータは、ハード面、ソフト面にわたって日進月歩の成長をしています。あまりに速いその成長ぶりを秒進分歩という人もいるほどです。

 ハードでは、エンジンであるCPUの速度が非常に速くなりましたし、作業机にたとえられるメモリ、書庫にあたるハードディスクの容量も巨大になり、しかも安くなってきました。以前からコンピュータを使っている人が嘆くほどです。

  ソフトでは、OS(オペレーションシステム)と呼ばれる基本ソフトを初め、定評のあるソフトがバージョンアップを続けています。
 定評があれば変わらなくてもよさそうなものですが、定評があるソフトほど使用者が多いために改善要求も多く寄せられます。メーカーも一度購入してもらった人から二度と収入が期待できないのは困りますし、開発に見合う見返りも得られるので、日夜バージョンアップに向かって努力する宿命を背負うことになるのです。

  これに競争相手とのシェアの奪い合いという要素がからんでくると、使用者の要求の有無に関わらずバージョンアップが続くことになります。改善されて価格が下がるなど使用者にとってありがたい面もあるわけですけれど、際限なくバージョンアップが続くということは、未完成、不完全の証明ということにも思えます。

 人間の成長ということであれば、たとえば、映画「第三の男」などで有名なオーソンウェルズが「あなたの会心作は?」という問いに対して、いつも「The next one.」(次に作るやつさ。)と答えていたなどと聞くと、飽くなき追求心を感じて、立派に思えます。 けれど、終着駅の見えないバージョンアップは、出費もかさみますし、そうかといって無視すると何か落ち着けないという具合で、よいことばかりとはいえません。

  さて、これ以上のものはない、最高のものが手に入ると確信したとき人はどうするかについて、またバージョンアップする必要のない永遠の真理について、聖書には次のように記されています。
    聖書の言葉
    天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
   すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
 

マタイによる福音書 13:45~46 
 
  草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
                       イザヤ書  40:8

  聖書は決して読みやすいところばかりではありませんが、時代を超えてベストセラーであり続ける聖書を、ぜひ、あなたもお読みになってください。
※ 翻訳にはバリエーションがありますが、原語の聖書は不変のまま引き継がれています。

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2006年10月 1日 (日)

トラブルは前進の糧

聖書とコンピュータシリーズ NO.4

 順調に働いてくれるときは便利なコンピュータですが、人間が操作の仕方を身に付けるまでは、知らぬ顔をしてただそこにあるだけという物体にすぎません。
 強力な味方のつもりで買ったのに、必死の働きかけをしても知らぬ顔どころか、意味の分からないメッセージで答えたり、一つの壁を乗り越えてもすぐに新たな壁が立ちはだかったりして、何だか敵にさえ思えてくることもあります。

「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」という名言( ? ! )がありますが、「コンピュータ 使えなければ 癪(しゃく)の種」とも言えるように思います。
 何しろ、高いお金がかかっており、買うときには相当の決意をして買うのですから、家族の手前もありますし、簡単にあきらめる訳にはいきません。けれど、途方に暮れながら時間ばかりが過ぎていくと悲壮感さえ漂ってきます。

 そうした苦労に見合う見返りが予感できればいいのですが、いつ抜けられるか分からないトンネルの中を手探りで進むような状態は、つらいものです。

 余談ですがコンピュータ技術を駆使して生計を立てている人も、ある本でこんな意味のことを書いています。
 「コンピュータが本当に高速で仕事をしてくれる便利なものだというのなら、どうしてコンピュータ関連の仕事をしている人間たちがあんなに時間に追われているんだい?」
 コンピュータがいろいろな難題を解決してくれる魔法の箱ではないことを示してくれる言葉ですね。

 鉛筆やボールペンのように、手に入れてすぐ使えないのは、コンピュータがたくさんのことができ、今もできることが増え続けている発展途上の機械だということでもあります。
 けれど、ある知人がこんなことを言って励ましてくれました。
「何かトラブルが起こったときに、よく取り組まないでハードディスクを初期化したり、再インストールで現象を消してしまってはノウハウが貯まりません。トラブル1件1件が実力アップのチャンスです。」

 トラブルを楽しむところまでは、なかなかいけそうにありませんが、前進のための糧(糧)として生かしていこうではありませんか。落ち込んだり自己嫌悪に陥ったりする必要はありません。なにしろ相手はまだ未熟な機械なのですから。

    聖書の言葉
   患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し,

練られた品性が希望を生み出す。  ローマ人への手紙 5:3~4

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2006年9月30日 (土)

すばらしいのは

聖書とコンピュータシリーズ NO.3

 コンピュータのソフトでよく活用されるのはワープロソフト、表計算ソフトです。
 ワープロソフトを用いて文書を書くと、手書きに比べてよいことは何でしょうか。
 まず、頭に浮かんだことを、とにかくどんどん書いて、後から編集できるということがあげられます。字数の決められた原稿を書くときも消しゴムがいりません。 
 図や写真と組み合わせるときも糊やはさみを使わずに文章の好きな位置へ好きな大きさで入れることができます。
 それから、ワープロで作成した文章がすぐプリンタで印刷できることも大きな長所です。長時間かけて文章を書いても文字がくずれず、清書し直す必要がないのは魅力です。
 三つ目に、一度書き上げた文章は保存でき、電話線やケーブル、ときには無線で送ることが簡単にできます。そして受信した相手が、その文章を加工することも可能です。

 表計算ソフトはワープロソフトに次いでよく使われるソフトです。一瞬にして膨大な計算を成し遂げ、数値を変えるとそれもすぐに再計算して結果を表示してくれます。なにしろコンピュータを訳して電算機というほどですから、コンピュータにとって計算は得意中の得意、面目躍如といったところでしょうか。データをグラフにしたり、たくさんのデータから特定の条件に合うものをとりだしたりすることも素早くできます。

 さて、今まで時間をかけ苦労して手作業していたことをそれこそ瞬く間にコンピュータがやってのけると「すごーい。」「なんて賢いんだろ。」と感心し、賞賛の声が上がることがあります。ここからが本題です。

すごいのは、そして、賢いのは何でしょうか。
 コンピュータ、そしてソフト?・・・それもありますが、もっとすばらしいのはそれを発案し、創り上げてきた人間です。コンピュータの便利さ、優秀さを実感するたびに「私たち人間はすばらしい」と思えばいいのです。たとえば、チェスの名人を負かしたコンピュータがありました。でも、よく考えてみてください。あれも、本当は一人のチェスの名人と多数のコンピュータプログラム技術者チームとの対戦・・・人と人の対決だったのです。

  コンピュータや出来のいいソフトに感心するのはいいとして、それ以上に、すばらしいものを創り出し、活用している人間にもっと感心するようにしましょう。
 そして、自然に対しても、たとえば山の雄大さに心打たれるのはいいことですが、その山を神格化するのでなく、そうした山も含めて地球、宇宙全体を創造された神様にこそ目を向けることが大切だと思います。

 ディズニーの数ある名作の一つ、「ピノキオ」の主題歌「星に願いを」は多くの人に親しまれている曲で、私も好きです。けれど、もうお分かりいただけたかと思います。そうです。「星を創られた方にこそ願いを」というのが今日の結びです。
    聖書の言葉
  初めに、神が天と地を創造した。

創世記1:1  ※ 聖書の最初の言葉です。

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2006年9月29日 (金)

最新鋭機の誘惑

聖書とコンピュータシリーズ NO.2

 コンピュータ関係の技術の進歩は目覚ましいものです。動作する速度が速くなると、画像を取り入れたり、加工したりすることなど、いろいろなことが速くできるようになります。いくつかのソフトを立ち上げておいて、その間を行ったり来たりしながら一つの資料を手際よく仕上げていくこともできるようになります。

 けれど、実際にそういう作業が必要な人はどれくらいいるのでしょうか。自分がコンピュータを使ってしようと思うことが実現できるのであれば、高いお金を出して、それ以上の性能を追い求める必要はないわけです。
 たとえば、文章を書くことにパソコンを使う人の場合、頭に言葉が浮かぶ速度より速く文字を表示できる性能のコンピュータがあっても、文章を速く書けるようになるわけではありません。現在あるコンピュータは、間違いなくその速さはクリアーしています。

 目的に合った動作をしてくれるならば、高いお金を出して最新鋭機を買う必要はないのです。それは、ちょうど、畑で収穫した野菜を運ぶには荷車があればよく、高級車と言われるロールスロイスなどを欲しがらなくてもよいということに似ています。

 そうは言っても、最新鋭機を持っていると、「僕のコンピュータは今一番速いCPU(中枢演算装置・・・車でいうとエンジンに相当する)を積んでいるんだぞ。」と自慢することができます。ただし、今日最速を誇っているCPUが明日も最速だという保証は、どこにもありません。最新鋭機を持っているという喜びは、つかの間のものでしかないのです。それでも高いお金を出して最新鋭機を手に入れようとしている人は、実はそれを使いこなしている自分の姿に憧れながら見果てぬ夢を追いかけているのかも知れません。

 ソフトも本当に必要かどうかを考えて購入することが大切です。たとえば、外国語を翻訳してくれるソフトも大分よくなっています。けれど、ちょっと考えてみてください。自分の語学力を越えた文をソフトに翻訳させても、本当に正しく訳せているかどうかを判断することはできませんよね。「使い手自身の語学力のところまでしか翻訳ソフトは使えない。」という法則が成立するように思います。また、大きな組織でのスケジュール調整にはネットワークを組んだパソコンが威力を発揮しますが、手軽に個人のスケジュールをメモしたり確かめたりするのには、小型の手帳のほうに分があるのではないでしょうか。

 パソコンに限らず、夢中になるうちに本来の目的を見失って、手段や道具が目的化することのないように気を付けましょう。いかなる豪速球もキャッチャーのミットという的(まと)をはずすと、単なる暴投になってしまいます。私たちのかけがえのない人生も、正しい目標を見失うことのないように、的(まと)を見つめて進みたいものです。

    聖書の言葉
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 

  マタイによる福音書6:33

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2006年9月28日 (木)

本当に必要なのは

聖書とコンピュータシリーズ NO.1
 
 岐阜ラジオで月曜日から土曜日まで、 毎朝6時15分から「さわやか世の光」が放送されています。讃美歌などの美しい音楽と、聖書からのメッセージを聞きながら一日が始まるのは、精神的なぜいたくの一つかもしれません。(さわやか世の光のホームページは次のところです。)
 ある朝、その「さわやか世の光」からこんな話が聞こえてきました。
 
  イタリアの高名な画家の家を一人の少年が訪問して、応対した奥さんに 頼んだそうです。「ぼく、絵描きになりたいんです。ご主人の使っている絵筆をください。それで描いたらきっといい絵が描けると思うんです。」
  懇願された奥さんが絵筆を贈ると、少年は喜んで早速描き始めました。 ・・・でもどうもうまくいかないようです。首をかしげている少年に奥さんは言いました。わかったでしょ。絵筆じゃなくて、あなた自身なの。」
 
 この話を紹介させていただいたのはコンピュータを連想したからです。
 コンピュータの発達によって文字、音声、画像をデジタル化して一元的に扱えるようになり、それらを組み合わせて加工したり、送受信したりすることができるようになりました。情報伝達の速度は速くなり、範囲も広くなりました。
 けれど、肝心の情報の質が、伝達される速度や範囲の向上に釣り合うものになっているかというと、大いに疑問です。道具としてのコンピュータの発達を人間がどう生かすかこそが課題なのです。先の話に戻りますと、「大切なのはコンピュータじゃなくて人間自身なの。」ということではないでしょうか。
                         
 コンピュータに限らず、すべての科学技術は人間の備えている良い可能性を大きく伸ばし、よい願いを実現するために進歩させることが大切です。
 そうでないこと、たとえば「核兵器の安全性を高めるための臨界前核実験」などというのは、情けないですし、言葉としても矛盾を感じてしまいます。真の科学のねらいはそんなものであってはならないと思います。
 人間が正しい方向に歩むために聖書はあやまりのない指針です。神様に私たち人間の目を開いていただき、正しい方向に進んでいきましょう。
 
   聖書の言葉
  私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇(くす)しいことに目を留めるようにしてください。
                     詩篇 119: 18
 

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