2009年5月20日 (水)

五月晴れ

新聞の天気予報欄には、太陽がたくさん並んでいるのですが、その割には、岐阜市では思ったほど青空が広がりませんでした。

 でも、穏やかであたたかな天候なので、それもよいかと思いました。 ・・・ もともと、天気のことは、ほぼ人間の管轄外(?!)であって、悪いといって非難しても変わるものではなく、期待に添う天候になれば、「私の心がけがいいから」と愛嬌程度に言いながら、喜ぶのは許容範囲かもしれません。

 時には、「予報では快晴だといったのに、土砂降りじゃないか。孫が遊びに来る計画を予報を信じて立てたというのに、どう責任をとってくれるんだ」と気象庁に抗議の電話をする人もいたようですが、これは気の毒ですね。

 桂枝雀という落語家が、話のまくらにこんなことを言っていました。

 「なぜ、気象庁の予報があのように見事にはずすかというと」  ・・・ 今は、よくあたります。一昔以上前の録音です ・・・ 続き  「お教えしましょう。 人類の歴史より、遙か前からお天気は存在していて、年期が入っているからです。 そう簡単に人間の思惑に左右されるわけがありません。」

  ・・・ なるほどと思いました。 人事を尽くして、天命を待つ というところでしょうか。

 さて、 五月晴れ  五月雨  五月蝿    ・・・ こうやって並べてみると、ことばの世界のおもしろさ、味わいが感じられますね。

 今日も、天気はどうあれ、よい日となりますように。

 

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2009年1月 9日 (金)

「ごま和え」と「ごまよごし」

 わあ、驚きました。

 「ごま和え」(ごまあえ)と「ごまよごし」  ・・・ ちゃんと区別があるのだそうですね。

 テレビで放送されたそうですし、もともとご存じの方も多いのかもしれませんけれど。

 「ごま和え」 ・・・ 白ごまを使った料理

 「ごまよごし」 ・・・ 黒ごまを使った料理  とのことです。

  申仕上げるまでもなく、国語の教師といっても、国語に関するすべてのことをしっかりと知っているわけではありません。

 中学生のときだったか、めずらしく、お医者さんに行くことがあって、もらってきた薬の袋に「食前」「食後」にはさまれて「食間」という文字があり、その「食間」に○がうってあったので考えた末に、ご飯を一膳食べたところで薬を飲もうとしたこともありました。

 父が「何をしとる」と見とがめたので「食間とあるので」・・・と説明すると、「それは食事の中間という意味ではなく、食事と食事の間という意味だ。常識ではないか」と笑いながら教えてくれて、「まあ、それだけ、お医者さんや薬と縁遠かったということやな」とフォローしてくれました。

 確か、その時の袋には「食前」「食間」「食後」という順に印刷されていたので、よけいに間違いやすかったのですね。

 でも、辞書を引くか、素直に質問するかすればよかったと思いました。

 「聞くは一時の恥聞かぬは一生(末代)の恥」 ・・・ この国のある大臣が漢字を読み間違えてひんしゅくを買うのは、よき助言者がいてもそれに耳を貸さずに失言を重ねてしまう構え、体質がその背後にあることを多くの人が見て取っているからではないでしょうか。

 これが、読み過ぎでしたら謝りますけれど ・・・ 

 その大臣が「新聞は読まない」と公言しておられることが、ラジオの国会中継(衆議院の予算会議)で質問議員の口から聞かれました。本当だとしたら、聞く耳持たぬというイメージがさらに強まってしまいます。

  その放送は途中から聞いたのですが、周りに耳を貸さない裸の王様の夢を見た、という前置きでその国会議員の質問は始まったようでした。

 うーん、つい、この文を書き始めたときには予定していなかったことまで書いてしまいました。

 ことばを正確に、そして思っていること以上に書いたり語ったりして仮分数のような状態になることがない今日という日になりますように。 

 

 

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2008年6月26日 (木)

ユニバーサルデザイン

 必要に迫られて、小学六年生の国語の教科書を読んでいます。

 光村という教科書会社の国語の教科書にみんなで生きる町という単元に「問題意識をもとう」というコーナーがあり、そこに「多くの人が使えるように」 古瀬 敏(こせ さとし)という方が書かれた文章があり、そこに「ユニバーサルデザイン」のことが書かれていました。

 それによりますと、ユニバーサルデザインは次の願いから生まれ、推進されていることが分かります。

 「ユニバーサル」 ・・・ 「すべての、共通にある」

 「デザイン」    ・・・ 「設計・計画」

 ユニバーサルデザインの提案は「物を作るとき、できるかぎり多くの人がつかえるということに重点をおいて考えましょう」 ということになります。

 さて、教科書に挙げられている例を中心に実際に身のまわりのユニバーサルデザインを探してみますと

・ 段差のない公共図書館  ・エレベーターの低い位置につけられたボタン

・ ドアのノブが長い柄になっているもの それと似ていますが、水道の蛇口の形状

・多目的トイレ

・シャンプー容器のぎざぎざ  リンス容器とは変えてある

などです。

 そういえば、家内が孫娘をあるショッピングモールに連れて行ったとき、抱きかかえて手を洗わせようとしたら足をばたつかせて「ちっちゃいほう ちっちゃいほう」と言うので、よくよく見たら、子どもの手の届く高さに設置された洗面台があったそうです。 「負うた子に教えられる」という表現がありますが、この場合は抱きかかえた子に教えられたわけですね。

 バリアフリーデザイン(障害の部位や程度によりもたらされる障壁に対処する)と重なる面もありますが、ユニバーサルデザインは「すべての人が人生のある時点で何らかの障害をもつ」ということを起点としているところが大きく異なるのだと、教科書で指導するときの参考になる指導書に書かれていました。

 こういう大きな考え方、視点をもつことは、とても大事ですね。

 なるほど、と学べることが小学校の教科書にも多く盛り込まれていることを改めて学ばせていただきました。

 えーと 我が家では、醤油とソーズの容器はどうなっていたかな ・・・ 家人には区別が分かるのですが、来客があったときにも説明抜きで分かるような工夫をしておくといいのでしょうね。

 「続きを読む」に、ユニバーサルデザインの提唱者と七原則を引用しておきました。関心のある方は、どうぞ。

 今日も、よい日となりますように。

続きを読む "ユニバーサルデザイン"

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2008年4月17日 (木)

平均寿命

 数学には弱い私です。それで、皆さんから聞かれる前に逆にお尋ねすることにしました。「攻撃は最良の防御」「先手必勝」 ・・・

 いえ、こういう問題です。先刻ご承知かも知れませんね。

 平均寿命はどうやって計算するのでしょう ?

 「今、生きている人の年齢を全部足して、総人数で割ればいい」 ・・・

とお思いになった方 ・・・ 私も最初、そう思ったのです。

 でも、少し、お待ちください。 その計算をして出てくるのは・・・そうです。現在生存している人の平均年齢ということになりますね。

 2007年のデータがもとになっていますが、ネット検索して次のページを見つけました。

 よろしければ、ご自分で平均寿命の計算方法をお考えになってから「続きを読む」をクリックなさってください。

 ややこしいブログに巡り会っていただきましたけれど、それはともかく本日もよい日となりますように。

続きを読む "平均寿命"

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2007年9月 7日 (金)

三浦綾子さんの短歌

 台風9号の影響か、雨が降っていますがあまり涼しくはありません。そんな夜に一冊の本を取り出して読んでいます。本の名は『三浦綾子 愛の歌集 いとしい時間』(三浦綾子・小学館・2000年10月12日発行)・・・1999年10月12日に天に召されたのを偲んで1年後に世に送り出されたのでしょうね。

 山田洋次監督の後書きの中から次の言葉がこの本の帯に書かれています。

 ここにおさめられた短歌は、一人の誠実な女性の美しい愛のアリアである。

       ○ ◇ ☆ □  ○ ◇ ☆ □

 作家、三浦綾子さんに短歌を教えたのは幼なじみであり、後に恋人となった前川正さんでした。北大医学部の学生だった前川さんは肺結核を病み、三浦綾子さん(当時は堀田綾子さん)自身も肺結核、脊椎カリエスで13年間病床に臥す身となります。

 お互いに行き来することもできないで手紙を交わしつつ重い病と闘っているときに綾子さんが詠んだ一つが次の歌です。

 離れ病む君に書くとき化粧する慣ひは何時の頃よりならむ 昭和27年

 支え合い、祈り合っての闘病生活・・・けれど、前川正さんは昭和30年、天に召されます。

 妻の如く想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より 昭和30年

 こうした悲しみの中でギプスベッドに寝たままの綾子さんを、三浦光世さんが訪問するようになったのは、その訪問を依頼した人が光世という名前から三浦さんを女性だと思いこんでいたのがきっかけでした。

 ところが、この三浦光世さんが、前川正さんにとってもよく似ている人だったのですね。

 まなざしも語る言葉も亡き君に似て三浦さんは清しく厳し

 やがて、年月を経て、お二人に愛が育まれます。

 年上の病める女を愛するは寂しき事と思ひ給はずや君

 どのような未来になるかはわからねど二人のみに通ずる言葉も出来ぬ

「信仰で頑張れ」と遺言し給ひし君よわたしは人を愛しました

          ○ ◇ ☆ □  ○ ◇ ☆ □

 どんなに苦しく、展望が開けない状況に思われるときも、神様は私たち一人一人に計画を持っていてくださいます。それは下の聖書のことばにある愛に基づいた計画です。  

聖書のことば  イザヤ書 第43章 4節

 わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。

 今日という日も、希望を持って歩むことが出来ますように。

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2007年8月 2日 (木)

「来た、見た、勝った」

 ご存じの方が多いと思いますが、今日の表題は、ジュリアス・シーザーが戦勝の報告を端的にしかも韻を踏んだ三語で伝えたとされる手紙です。これが、紀元前47年8月2日のことだそうです。

 インターネットの「教えて!goo」 には、このシーザーの手紙のことが次のように書かれていました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa577824.html

 岩波文庫の『プルターク英雄伝(九)』のカエサル(シーザー)篇、第50章に載ってます。そこではシーザーのクレオパトラとの出会いの後、アジア(現在のトルコ地方)との戦争のときの言葉となっています。
三軍団を率いて敵を根こそぎ滅ぼした、その際、ローマの友人に当てた手紙の中の言葉とあります。(一説には、凱旋式で高札に書いた言葉)
 ラテン語では「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」と言うそうで、「同じような音で終わっていて信じられない程短い言葉になっている」とプルタークが評しています。

  私の文章は、饒舌になっていることが多く、ブログを読んでくださる方に申し訳なく思っております。

  明日は、もっと短いやりとり、「?」  「!」 について書かせていただきますね。

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2007年5月18日 (金)

鵜飼を見た芭蕉

 5月15日に岐阜市の長良川では鵜飼開きをしました。1300年の歴史をもつ鵜飼いには訪れた人がたくさんいます。

 芭蕉は「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」という句を残しています。その句碑が長良橋の左岸にあり、その隣には、北原白秋の鵜飼をうたった詩碑があります。

 川端康成、舟橋聖一、高浜虚子、伊藤左千夫、野口雨情、山口誓子などが岐阜市を訪れて鵜飼を見ています。

 そうそう、あのチャップリンも鵜飼が気に入り、一度ならず・・・たしか、三度見ているとのことです。

  川面に映える篝火・・・これは、松割木と呼ばれ松の薪が赤々と燃えているのですが、鵜匠さんや船頭さんの手元を照らすとともに、アユたちを招き寄せる明かりとなっています。 

  仕事を終えた鵜たちには、ごほうびの魚が与えられますが、働いているふりをして実際にはあまり働かなかった鵜、のどを通ってしまうような小魚をあさっていて自分の腹を満たしていた鵜も鵜匠さんはちゃんと見届けています。鵜匠さんの死角に入るように泳いで怠けていた鵜も、ごほうびの魚にはありつけません。

 十二羽、あるいはそれ以上の鵜の動きを鵜匠さんはちゃんと把握しているのだそうです。

 仕事を終えた鵜は船端に勢揃いするのですが、ちゃんと目上の鵜から順に並ぶように・・・これは鵜同士が決めているようですが・・・なっているのだそうです。

  冒頭の芭蕉の句は、こういうところまで見届けて詠まれたのかもしれません。綱でたぐり寄せられて収入をはき出させられる人間の姿を重ね写しにして詠んだのかも・・・などと深読みすると情緒が薄れてしまうので、ここまでで留めさせていただきます。

  観覧船に乗り込んで、お弁当を食べながら夕闇の色が濃くなるのを楽しみ、赤々と輝く篝火、船端をたたきながら「ホーッ ホーッ」と発せられるかけ声などが近づいてくるのを見るのが最高です。けれど、長良橋付近の上流の右岸が一般車の通行が禁止され、川岸から眺めるのも情緒があります。

 まだご覧になったことがない方は、ぜひ一度どうぞ。

 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな

 終わりになりましたが、5月18日は、「ことばの日」・・・「こ(5)とば(18)」の語呂合わせから生まれた記念日で、ことばを正しく使うように心がける日だそうです。

  また1995年のこの日に天気予報が自由化、気象予報士による民間天気予報が開始、だそうです。下駄を高く蹴り上げてそれが落ちてどんな面を出しているかで個人的に天気を占うというのは自由ですが、それを正式の予報として出すことは、いけないのでしょうね。

聖書のことば  マタイによる福音書 第16章 3節

 朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。

 「時のしるし」は、聖書の文脈で深い意味があるのですが、現代における「時代のしるし」というふうに考えてみることもできるでしょう。

  新聞には明るいニュースもあるのですが、「時代のしるし」をあなたはどうとらえておられるでしょうか。

  今日一日、周囲の人の心に明るさを生み出す歩みをすることができますように。

 

 

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2007年5月17日 (木)

芭蕉と最上川

  一日遅くなりましたが、5月16日は旅の日・・・1689(元禄2)年3月27日(新暦5月16日)、松尾芭蕉が奥の細道へ旅立ったことにちなみ、日本旅のペンクラブが1988(昭和63)年に制定とのことです。

 芭蕉の『奥の細道』の結びの地は岐阜県の大垣で、それにちなんで大垣は奥の細道に関する展示をしたり、句碑を建てたり、俳句を募集するなどの営みをしています。

 さて、『奥の細道』には「五月雨をあつめて早し最上川」という句があります。この句のもとは元禄2年(1689年)5月29日(新暦では7月15日)に詠まれた「五月雨をあつめてすずし最上川」だったそうです。

  蒸し暑い状態の宿から眺めるときには涼しさを感じさせた最上川が、五月雨が降り続いて、芭蕉が実際に舟に乗ったときには「水みなぎって舟あやうし」と感ずるほどになり、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠まれたのだそうです。

 対岸の火事ということばがありますが、川の流れも眺めているのと実際に舟に乗ってその流れを下る場合とでは大きな違いがあるということを改めて思います。

 最上川は日本三大急流の一つに上げられているそうですが、どうも芭蕉のこの句が詠まれた後にそういわれるようになったようです。 芭蕉という一人の人、また一つの俳句の力は大きいのですね。

聖書のことば   箴言 12章 19節

真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。 / 偽りの舌はまばたきの間だけ。

 書かれて三百年以上経っている 『奥の細道』が今も読まれているのですが、聖書の歴史、その読まれている範囲は、それをはるかに越え、古典という範疇にとどまらず、現代に生きる私たちの魂の糧となっています。

 今日も神様の祝福をいただいて歩むことができますように。

 

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2007年5月 9日 (水)

孫の日

 子どもの日はあるけれど、孫の日は・・・とブログに書きましたら、ある方から「10月の第3日曜日がたしか、そうです」と教えていただきました。

  調べてみますと、確かに孫の日がありました。孫の日・・・日本百貨店協会が1999(平成11)年7月に、孫へのプレゼントで消費を喚起し、売上げの拡大を図って制定。父の日と母の日の間やバレンタインデーとホワイトデーの間が一箇月であることから、敬老の日のほぼ一箇月後に当る10月の第3日曜日とした・・・とのことです。

  ただし、こんなふうに商魂たくましく設けられたことが書かれているとブームにはなりにくいかもしれませんね。とても正直な気もいたしますけれど。

  おお、まずは、今度の日曜日が母の日でしたね。

聖書のことば  出エジプト記  第20章 12節

あなたの父と母を敬え。  これは、十戒の中の一つです

箴言 第23章 25節

あなたの父と母を喜ばせ、 / あなたを産んだ母を楽しませよ。

 ここでは、母が2回出てきて強調されているように思います・・・父親としてひがんでいるわけではありませぬ・・・・・・。

 8日の夜、光回線への勧誘にまわってきた青年が「この近辺は、インターネットをしている方がずいぶん多いのですね」と話していました。我が団地も高齢の方が増えているのですが、そうした方が遠方に住んでいるお孫さんとメールをやりとりしたり、テレビ電話のように話せる機能を活用しているのかもしれません。

   そこで、一句   孫たちと祖父母を結ぶネットかな

  うーむ、季語もなく、川柳にもなりきれていないですね。不出来ですが、これはところによっては30度を越える暑さがやってきたので、ということにさせていただきます。

 今日も、よき日となりますように。

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2007年5月 8日 (火)

自作の俳句

  二男が高校を出て、下宿住まいを始めた年のこどもの日に、家内と二人きりの家庭に戻ったことをしみじみと感じました。そのときに作ったのが次の俳句です

・・・時々、思い出したように作る私ですので、継続的に句会などに参加したり、長年投稿を続けておられる方には遠く及びませんし、頭が下がります。前置きと言い訳はそれくらいにして・・・

 心残りあれど巣立たせこどもの日

 あれから、年月が経ち、長男も二男も人の子の親となりました。

 そういえば、こどもの日はあっても孫の日というのはないのですね。

聖書のことば  箴言 第17章 6節

 孫は老人の自慢の種、父親は子供の尊敬の的です。

 ・・・母親については、今度の日曜日が母の日ですから、それにちなんだ聖書のことばをそのころまでには紹介させていただくことにいたしましょう。

 子どもに父親を尊敬させるよう、陰で支えている母親の努力・・・それがある家庭は安泰だと思います。いかがでしょうか、あなたのご家庭は・・・。

  もう一つ・・・孫を老人が自慢するとともに、孫が老人を誇りに思っている家庭だとすてきですね。

 今日も、神様に守っていただいて、風薫るさわやかな五月のひと日となりますように。

 

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2007年2月21日 (水)

2月の異名

 おお、2月もあと少し・・・と思ったら、どうして2月を如月(きさらぎ)というのかを知りたくなってインターネットのお世話になりました。※今日は、手抜きというか、小休止というか、オリジナルな内容ではありませんので、特に2月の異名に関心のない方は、ここまでで、読むのをおやめください。でも、明日は自分で書きますので、ぜひ、訪れてくださいね。2月には、如月のほかに「はつはなつき」(初花月)、「ゆききえつき」(雪消月)、「をぐさおひつき」(小草生月)という異名があることが分かりました。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2月(にがつ)はグレゴリオ暦の第2のに当たり、通常は28日、閏年では29日となる。これまでに3回、2月30日があった。他の月の日数が30または31日なのに対して、2月だけ28または29日なのは、アウグストゥス紀元前8年、8月の日数を30日から31日に変更し、そこで不足した日数を2月から差し引いたためである。それ以前のローマ暦では、年初は3月であったため、単に年末の2月から日数を差し引いたらしい。

 日本では旧暦2月如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では新暦2月の別名としても用いる。「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。

  • 旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」
  • 草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
  • 前年の旧暦八月にが来て、更にが来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
  • 陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」

他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もある。旧暦二月は新暦では3月ごろに当たり、の花が咲く時期である。

欧米での呼び名であるFebruaryローマ神話フェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。

 以上は、http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%88

からの情報です。今、宮城谷昌光さんの『三国志』第5巻を読んでいて興がのってきたので、このようなことで、お許しください。

  それでは、また。

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2007年2月20日 (火)

漢字の世界

 宮城谷昌光さんや白川静博士の域までには遠く及びませんが、漢字の世界のおもしろさに、ときどき惹かれる私です。久しぶりに熟字訓のことを・・・。かなり前に取り上げたのと同じ材料があるかもしれませんが、忘却力の強まっている筆者に免じてお許しを。

 次の漢字をお読みください。(おいそがしいのに、突然申し訳ありません。)

「土筆」・・・春が近づくと土手などに顔を出す植物

「剣橋」・・・カタカナことばを使うなと言われた時代に外国の都市を漢字 で表記したなごりの一つ・これは名作といってよいでしょう。ヒント・・・イギリスの都市で、大学もあります。

「雪洞」・・・かまくら、と読んだ方は、いいセンスをしていらっしゃいます。

でも、あと一歩です。もうすぐやってくるひなまつりの歌に出てきます。

「鯑」・・・さかなへんの漢字は多いですね。実は、最近、ある小学生に出題され、読めるようになりました。

「鱧」・・・こちらのほうが目にする頻度は多いかも知れませんね。

解答は、「続き」に掲載させていただきます。

続きを読む "漢字の世界"

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2006年10月 8日 (日)

舌が肥える

 「○○の秋」・・・読書、学問、スポーツ、行楽など、○○にはいろいろなことばが入ります。それだけ充実した生活をしやすい条件がそろっている季節なのでしょうね。

 この文を書いている今、空には皎皎(こうこう)、あるいは煌煌(こうこう)と満月が輝いています。「花鳥風月」とか「春花秋月」ということばがあるように、風流を愛(め)でるとき、月は大きな存在です。「名月を取つてくれろと泣く子かな」と一茶の句にありますが、とても一人の子に独占させられるものではありません。そんなことをしたらかぐや姫も立ち退きを迫られて困ってしまいます。

 さて、あまりに月が見事なので本題にはいるのが遅れました。「味覚の秋」「食欲の秋」にちなんで、「舌が肥える」について書きたかったのです。

 普通、「舌が肥える」とは、よほど美味な物しか口に合わなくなることをいいます。でも、ちょっと待ってください。贅(ぜい)をこらした山海の珍味、高級料亭の板前さんが工夫に工夫を重ねて提供する料理がおいしいのはむしろ当たり前ではないでしょうか。

 私は思うのです。いわゆる食通、現代風にいうとグルメ自慢の人は、おいしいのが当然のものしか口に合わず、おいしいと思えなくなっているのだから、美味だと感ずるものの幅がむしろ狭くなっているのではないかと。
 つまり、味覚の幅が狭くなっているのだから、それは肥えたのではなくて、「舌が痩(や)せた」のです。

 結論です。たいていの物を「おいしい、おいしい」と食べることができる人こそ、舌の肥えた人なのです。

 もっと言えば、素材が高級でなくても、作る人の愛・・・ビタミン愛が込められていることを感じながらおいしく食べることの出来る人こそ、「目が肥え」「舌の肥えた」人、人生の達人なのです。

聖書のことば 箴言(しんげん)17章1節

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

  リビング・バイブルという大胆に分かりやすい表現をした聖書では、同じ箇所が次のように表現されています。

けんかしながら毎日ビフテキをぱくつくより、冷や飯を仲よく食べるほうがましです。

※ 箴言(しんげん)・・・広辞苑では下記の説明がされています。
1いましめとなる短い句。格言。
2旧約聖書中の一書。格言・教訓・道徳訓を多く含む。ソロモンの箴言。
 

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