5月15日に岐阜市の長良川では鵜飼開きをしました。1300年の歴史をもつ鵜飼いには訪れた人がたくさんいます。
芭蕉は「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」という句を残しています。その句碑が長良橋の左岸にあり、その隣には、北原白秋の鵜飼をうたった詩碑があります。
川端康成、舟橋聖一、高浜虚子、伊藤左千夫、野口雨情、山口誓子などが岐阜市を訪れて鵜飼を見ています。
そうそう、あのチャップリンも鵜飼が気に入り、一度ならず・・・たしか、三度見ているとのことです。
川面に映える篝火・・・これは、松割木と呼ばれ松の薪が赤々と燃えているのですが、鵜匠さんや船頭さんの手元を照らすとともに、アユたちを招き寄せる明かりとなっています。
仕事を終えた鵜たちには、ごほうびの魚が与えられますが、働いているふりをして実際にはあまり働かなかった鵜、のどを通ってしまうような小魚をあさっていて自分の腹を満たしていた鵜も鵜匠さんはちゃんと見届けています。鵜匠さんの死角に入るように泳いで怠けていた鵜も、ごほうびの魚にはありつけません。
十二羽、あるいはそれ以上の鵜の動きを鵜匠さんはちゃんと把握しているのだそうです。
仕事を終えた鵜は船端に勢揃いするのですが、ちゃんと目上の鵜から順に並ぶように・・・これは鵜同士が決めているようですが・・・なっているのだそうです。
冒頭の芭蕉の句は、こういうところまで見届けて詠まれたのかもしれません。綱でたぐり寄せられて収入をはき出させられる人間の姿を重ね写しにして詠んだのかも・・・などと深読みすると情緒が薄れてしまうので、ここまでで留めさせていただきます。
観覧船に乗り込んで、お弁当を食べながら夕闇の色が濃くなるのを楽しみ、赤々と輝く篝火、船端をたたきながら「ホーッ ホーッ」と発せられるかけ声などが近づいてくるのを見るのが最高です。けれど、長良橋付近の上流の右岸が一般車の通行が禁止され、川岸から眺めるのも情緒があります。
まだご覧になったことがない方は、ぜひ一度どうぞ。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
終わりになりましたが、5月18日は、「ことばの日」・・・「こ(5)とば(18)」の語呂合わせから生まれた記念日で、ことばを正しく使うように心がける日だそうです。
また1995年のこの日に天気予報が自由化、気象予報士による民間天気予報が開始、だそうです。下駄を高く蹴り上げてそれが落ちてどんな面を出しているかで個人的に天気を占うというのは自由ですが、それを正式の予報として出すことは、いけないのでしょうね。
聖書のことば マタイによる福音書 第16章 3節
朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。
「時のしるし」は、聖書の文脈で深い意味があるのですが、現代における「時代のしるし」というふうに考えてみることもできるでしょう。
新聞には明るいニュースもあるのですが、「時代のしるし」をあなたはどうとらえておられるでしょうか。
今日一日、周囲の人の心に明るさを生み出す歩みをすることができますように。
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