2008年9月21日 (日)

八木重吉の詩

 八木重吉は、1898年(明治31年)に生まれ、1927年(昭和2年)に30歳でこの世を去ったクリスチャンの詩人です。以前にもブログで紹介させていただいたことがありますが、文芸の秋ということで、再び書かせていただきます。

素朴な琴 八木重吉

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね(て)
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 今日は日曜日、キリスト教会では、聖書に基づくメッセージが語られます。

よい日となりますように。

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2007年7月29日 (日)

八木重吉の詩から

 このブログの日も浅いころ、八木重吉の詩をいくつか掲載させていただきました。

 今日は、そのときには目に止まらなかった詩を紹介させていただきます。

  ふたつになったこどもが

  ころころとわらっている

  だいぶさむい日だ

  かなりわたしのこころはうつくしい

 『定本 八木重吉詩集』新装版 平成九年七月二十日彌生書房 発行より

 なぜ、この詩を紹介するのかですって・・・ ここ数日、私たちの家ですごした二歳の孫娘が今日、自宅へと帰っていくからです。きっと私たち夫婦は、人が降りていくボートがその反動でゆれうごくように、千々に心が動揺することでしょう。それを事前に少しでも予防しておこうと考えたわけです。

 上の詩 ・・・ 「こども」を「孫娘」、「だいぶさむい日」を「だいぶあつい日」に置き換えていただくと、私の心境にぴったり・・・ということなのです。

 どうせなら、自分で詩を作りなさい、とおっしゃいますか・・・ごもっともです。 でも、今はそんな余裕がとてももてそうにありません。

  それは、それとして、今日は日曜日・・・ぜひ、キリスト教会に足をお運びください。   よき一日をお歩みくださいますように。

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2006年10月24日 (火)

雨・薪をくべよ

「雨」

雨のおとがきこえる

雨がふっていたのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう

雨があがるようにしずかに死んでゆこう

「薪をくべよ」

薪(たきぎ)をくべよ
もえはじまった火をけすな
いまがだいじだ
これをもえ切らせてみろ
あとはらくにゆけよう

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2006年10月23日 (月)

母をおもう・虫

「母をおもう」

けしきが

あかるくなってきた

母をつれて

てくてくあるきたくなった

母はきっと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

「虫」

虫が鳴いてる

いま ないておかなければ

もう駄目だというふうに鳴いてる

しぜんと涙をさそわれる

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2006年10月22日 (日)

幼い私

幼い私が

まだわたしのまわりに生きていて

美しく力づけてくれるようなきがする

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2006年10月21日 (土)

私が三月も入院して

死ぬかといわれたのに

癒って国へ俥で帰りつく日

父は凱旋将軍のように俥のわきへついて歩るいていた

黒い腿引きをけつっきりひんまくって

あの父をおもうとたまらなくなる

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2006年10月20日 (金)

お母さま

わたしは 時とすると

お母さまがたいへん小さいひとのようにおもえてきて

このてのひらのうえへいただいて

あなたを拝んでいるようなきがしてくることがあります

こんなあかるい日なぞ

わたしの心は美しくなってしまって

お母さんをこの胸へかざり

いばってやりたいようなきがします

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2006年10月19日 (木)

ねがい

どこを

断ち切っても

うつくしくあればいいなあ

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2006年10月18日 (水)

夕焼け・人形

「夕焼け」

あの夕焼けのしたに
妻や桃子たちもまっているだろうと
明るんだ道をたのしく帰ってきた


 ─────────────────

「人形」
ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸〈腹〉をふくらませてみたりつぼめたりしていた

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2006年10月17日 (火)

『寂寥三昧』から

「無 題」

あかつきの
しずけさ
ゆうぐれの
しずけさ
いかる日あれど
いかりなき
その日のうれしさ

「無 題」

みずが
ひとつのみちをみいでて
河となってながれてゆくように
わたしの このこころも
じざいなるみちをみいでて
うつくしくながれてゆきたい

「三つの秋」

きょねんは
水のおとがうれしかった
おととしは
空がうれしかった
ことしの秋は
まっ赤なさくらの葉がうれしい

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2006年10月16日 (月)

金魚・桃子よ・陽二よ

「金魚」

桃子は

金魚のことを

「ちんとん」という

ほんものの金魚より

もっと金魚らしくいう

◇ ◇ ○ □ ○ □ ◇ ◇

「桃子よ」

ももこよ

おまえがぐずってしかたないとき

わたしはおまえに げんこつをくれる

だが 桃子

お父さんの命が要るときがあったら

いつでもおまえにあげる

◇ ◇ ○ □ ○ □ ◇ ◇

「陽二よ」

なんという いたずらっ児だ

陽二 おまえは 豚のようなやつだ

ときどき うっちゃりたくなる

でも陽二よ

お父さんはおまえのためにいつでも命をなげだすよ

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2006年10月15日 (日)

果物・雲・幼い日

「果  物」

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい

「雲」

    くものある日
    くもは かなしい

    くものない日
    そらは さびしい

「幼い日」

  幼い日は

  水が もの言う日

  木が そだてば

  そだつひびきが きこゆる日

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2006年10月14日 (土)

素朴な琴

素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね(て)
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 1898年(明治31年)に生まれ、1927年(昭和2年)に30歳(数え年)でこの世を去ったクリスチャンの詩人、八木重吉。10月26日が天に召された日ということですので、しばらく、彼の詩を掲載させていただきます。

 出典は、『定本 八木重吉詩集』 彌生書房 (やよいしょぼう)

 初版が平成5年5月20日発行、私のもっているのは第2版平成9年7月20日発行となっています。高村光太郎が序を記し、吉野秀雄が年譜と編集後記を記しています。

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