2019年5月 8日 (水)

平成万葉集 ーNHKテレビからー

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 今年も庭にマーガレットがたくさん咲いてくれました。(何十年か前の)結婚式の時のブーケがマーガレット仕立てだったということもあってたくさん元気に咲いています。 花言葉は、調べるたびに忘れてしまいます。「七転び八起き」に倣って、「七調べ八覚え」を心がければいいのかもしれません。

 5月1日のNHKテレビで「平成万葉集3 この国に生きる」が放送されました。元号は令和へとバトンタッチしましたので、平成万葉集は最終回となりますね。

 永田和宏さん・村上和子さん・大森静佳さんが短歌を監修されたとのことです。

メモした短歌を紹介させていただきます。

 東日本大震災から8年・・・福島第1原子力発電所の事故で現在も避難指示区域に指定されている家に帰らない方は2万3千人を越えるそうです。原子力発電所から1.5キロのところに家のあった吉田信雄さんの短歌三首。

・一時帰宅に帰れば我が家の軒下に愛犬は死せり繋がれしまま

  2,3日で帰れると思って避難した家に一時帰宅できたのは半年後だったのだそうです。

・二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく

・平成の終わりに思ふ新しき世にはゆめゆめ災あらすな

    ◇    □   ○   ※   ☆

 岩手県陸前高田市の清水恭子さんが震災の2年前の生活と、津波で亡くなったご主人を歌った歌です。

17メートルを越える津波で1758人のいのちが失われたところです。

・夫誘いコーヒーを持参でいく散歩七時のチャイムを砂浜で聞く

・あとがきのないまま終わる自分史のような夫の五十八年

・職場から届いた遺品はバッグのみ何度も何度も川で洗った

・我もまた一本松のように立ち廃墟と化した街跡にいる

  日常が非日常へとかわった3月11日・・・8年後に大野海岸へ行き、潮の香と波の音の届くところまで行ったけれど、高い堤防と海にはさまれた自分の心にストップがかかり、砂浜までは行けませんでした。そうか、私はまだ復興途上に居たのか・・・もう少しもう少しとつぶやきながら、また短歌の力を借りながら綴っていくのかもしれません。

・前兆(まえぶれ)もなく訪れる寂しさを風に包んでふわぁーっと飛ばす

   ◇   ○   ※   ☆

 平成 ⇒ 令和へ

・あの時に止められなかった大人たちと未来の人から言われたくない  三重県 こやまはつみ さん

・今日もまた変はらぬ冴えない自分でも生きるとは日々新しきこと   東京都 高山邦男さん

・いのちとは激動するもの吠えるもの喜ぶために生まれてきたの    茨城県 篠原まどか さん

・身の内にいっぽんの樹を育てつつ新しき時代も生きてゆくべし    北海道 時田則雄 さん

 短歌という定型詩で表現できること、表現することが決して小さなことではないことを改めて感じさせてくれた番組でした。

 今日も、良い日となりますように。

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2019年5月 1日 (水)

星野富弘さんの詩画集から  ー 悲しみの意味 ー

 平成 ⇒ 令和 ・・・新しい時代の器が提示されました。 その器に たくわえられていく新しい一日一日は私たちひとりひとりのものです。

どうか、佳き日々の連なる歴史を築くことが出来ますように。

 さて、星野富弘さんの『詩画集 花よりも小さく』から、音楽訪問の時もよく紹介させていただいた一枚を掲載させていただきます。星野さん、ありがとうございます。  よろしければ、声に出して お読みください。 今日も、良い日となりますように。        

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2019年4月26日 (金)

思ふ存分叱りつくる人あれ ー 啄木の短歌より ー

 石川啄木の歌集 『悲しき玩具』の短歌の一つに目がとまりました。

 誰か我を

 思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ

 何の心ぞ

 啄木自身も「何の心ぞ」と言って,それ以上詳しくは書いていません。

けれど、伝わってくるものがありますね。

 顧みますと、私を叱ってくれた人は、まず両親、兄などです。

 そして、少年時代、山でチャンバラをするために手頃な木を見つけてその枝を折ろうとしていたとき、ちょうど通りがかった方がそうでした。ただ、物静かな方で、「坊主どもは 悪さをするとも。 うん、するとも」と独り言を言って足も止めずにそのまま行かれました。でも、木の枝を折るのをやめさせるには充分でした。

 先生方の中にも、叱ってくださった方がおられました。

 私を特に叱っていただけたのは、教育実習のときお世話になった学級の担任の先生です。教師になってから一緒の学校に勤務する機会がありましたが、いろいろな場面で、しっかりと叱ってくださいました。叱るだけでなく、ほめるときも私のしていることを見届けてくださっていて、しっかりとほめてくださいました。 私が転勤したとき、、私の知らないところで、その学校の校長先生に「叱ってやってください」と頼んでくださっていたことをずっと後になって知りました。 叱るに足る者として私を見て、育て続けてくださったということ、本当に感謝しています。

 とても自信家に思える石川啄木に、こういう歌があることを知って、少し啄木を身近に思えるようになった気がいたします。

 余談ですが、最近驚いたことがあります。 アマゾンで、石川啄木全作品+アルファ がKindleでダウンロードすると格安で読むことが出来ることを知ったのです。 著作権が切れたのでしょうか。ボランティアで打ち込んでくださった方のおかげもあると思います。キャンペーン期間だけかも知れませんが、なんと「99円」・・・喜びながら、本当にいいのですか、と考え込んでしまいました。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

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2019年4月22日 (月)

星野富弘さんの詩

 昨日の、特別養護老人ホームのナースさんのお話を読んでいて、星野富弘さんのこの詩を思い浮かべました。

 発表された詩画集では 菊の絵が描かれていると思います。

「きく」

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
― 星野富弘著 『四季抄 風の旅』立風書房 ―
 教も、良い日となりますように。

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2018年4月21日 (土)

詩 「おかあさんの膝」 新川和江さん

 同郷の先輩クリスチャンが、新川和江さんの詩を送ってくださいました。

   ◇      □      ○    ※     ☆

おかあさんの膝

           新川和江

おかあさんの膝には

やさしい陽だまりがある

縁側でひるねをする猫のように

わたしも時折

その陽だまりの中でまぁるくなって

うとうと眠りたい

おかあさんの膝には

たんぽぽの咲く土手と

つくしののびる広い野原がある

いまでもひとりの女の子が

わらべうたを歌いながら

かがんで花を摘んでいる

おかあさんの膝には

老いてうすくなっても

庇護と許容の大きな屋根が用意されている

世界中から爪はじきにされた罪びとでも

そこでは迎えいれられて

あたたかい涙で洗われる

いつでも帰ってゆけるふるさと

誰もが帰ってゆくふるさと

おかあさんの膝

◇      □      ○    ※     ☆

 すてきな詩 優しいお心、慰めをありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください.

  ウオーキングしていて、山の緑の色合いの豊富さに見とれました。

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2017年6月26日 (月)

詩 「しずかな夫婦」 天野 忠さん

 『この命、何を あくせく』 城山三郎著 講談社2002年9月13日 第1刷発行のしずかな夫婦に という章にこの詩が紹介されていました。『夫婦の肖像』(編集工房ノア刊)

しずかな夫婦

結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合だお見合だとはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私はふわふわと歩いた。
ニシンそばでもたべませんかと私は云った。
ニシンはきらいですと娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おおそしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった
戦争がはじまっていた。
祇園まつりの難子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果した。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が伸良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いにデモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
久しぶりに街へ出てと私は云った。
ニシンソバでも喰ってこようか。
ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

  ◇   □    ○   ☆    ※

 天野 忠さんは、1909年生まれ。城山三郎さんは上記の詩を紹介しつつ、このように書いておられます。

 天野さん夫婦は、いっしょに三本立ての映画を見たり、彼岸の墓参のあと、近くの動物園へ寄ったり・・・ある夜、息子が様子を見にやってきた。天野が寝たあと、隣室から妻に問う息子の声が聞こえた。「ここの夫婦は、どっちが先に死ぬつもり」

 それに対して老妻は、「おじいちゃんが先き ちょっとあとから私のつもり」

 翌朝、息子が出たあと、詩は記す。

「じいさんは遅い朝めしを食べた  おいしそうにお茶漬を二杯たべた」

  引用が長くなりました。 天野さんご夫婦も、それをこのように紹介くださった城山三郎さんも、なんだかすてきですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年6月 6日 (火)

ゲーテさん

 先日掲載した『医療の心』(工藤信夫著・聖文舎)に、ゲーテさんの詩が掲載されていて心を惹かれましたので、引用させていただきます。

 なお、5月30日の岐阜新聞朝刊から、ゲーテさんが好んだワイマールのお料理の写真と、小説を執筆するときに用いた立ち机の写真も紹介させていただきます。 聖文舎さま・岐阜新聞さま、ありがとうございます。

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 ゲーテの詩

 地球にある山や川や町だけを考えるなら

 この世界は空虚である

 だが ここかしこに

 わたしたちとともに考え

 ともに感じる人がいて

 離れていても

 心では近くにいる人があるのを知るとき

 地球は人の住む園となる

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  ファーブルさんが『昆虫記』を執筆した小さなクルミの木の机を岐阜市のデパートのファーブル展で目の当たりにしたときも感動しましたが、ゲーテさんは、この立ち机で小説を書かれたとのこと・・・ このことにも驚き、感動いたしました。

 ゲーテさんは、事務仕事は座って進め、小説はこの机に向かって立ったまま書いたのだそうです。 そのほうが筆が進んだということのようです。

 写真のチューリンゲンのソーセージは炭火焼きで、ニンニクとハーブの香りがいっぱいに広がり、肉汁豊かだそうです。

 植物の研究家でもあったゲーテさんはワイマールの美しい自然環境がとても気に入って、後半生を移住したこのワイマールで過ごしたとのこと。 

  今日も、よい日となりますように。

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2016年8月17日 (水)

詩 「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 石垣りん

  この詩は、中学校の国語の教科書に掲載されていたことがあります。その関係で、作者の石垣りんさんが岐阜市に来てくださって、自作の詩を朗読していただいたことを懐かしく思い出します。心地よい、澄んだお声でした。

  現在は、調理器具や設備も進歩し、炊事・クッキングに携わるのは、必ずしも女性だけではなくなりましたが、この詩の心は引き継がれていることと思います。

石垣りん

「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」


それは長い間 私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
却初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり たたきつぶされた魚だったり
台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など 繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく、 全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。

  ◇     □     ○   ※   ☆

 NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」のテーマにもつながるような、いろいろなことへの広がりが感じられますね。

 今日も、よい日となりますように。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年8月10日 (水)

詩集 『若葉のうた』 金子光晴

 今日は、孫娘のことを書いた詩をご紹介します。

「ムッシュKの日々の便り」というブログから引用させていただきました。ありがとうございます。

http://monsieurk.exblog.jp/22498139/

 金子光晴の孫娘、すなわち森乾の長女若葉は、1964年(昭和39)6月に生まれた。このとき金子は70歳だった。

 森の若葉d0238372_7163940.jpg

なつめにしまっておきたいほど
いたいけな孫むすめがうまれた

新緑のころにうまれてきたので
「わかば」という 名をつけた

へたにさわったらこわれそうだ
神も 悪魔も手がつけようない

小さなあくびと 小さなくさめ
それに小さなしゃっくりもする

君が 年ごろといわれる頃には
も少しいい日本だったらいいが

なにしろいまの日本といったら
あんぽんたんとくるまばかりだ

しょうしちりきで泣きわめいて
それから 小さなおならもする

森の若葉よ 小さなまごむすめ
生れたからはのびずばなるまい

  ◇   □   ○   ☆   ※

 若葉さんの妹さん、夏芽さんが生まれ、詩人 金子光晴さんは  孫娘への愛を、若い人には無縁のもの とことわりながら 遠慮なく詩に書き綴っておられます。 うーん、いいいものですね。

  今日も、よい日となりますように。

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2016年8月 9日 (火)

詩 ミミコの独立   山之口貘

 昨日に続いて、詩人と幼い娘さんの詩を紹介させていただきます。

ミミコの独立   山之口貘

とうちゃんの下駄なんか
はくんじゃないぞ
ぼくはその場を見て言ったが
とうちゃんのなんか
はかないよ
とうちゃんのかんこをかりてって
ミミコのかんこ
はくんだ と言うのだ
こんな理屈をこねてみせながら
ミミコは小さなそのあんよで
まな板みたいな下駄をひきずって行った
土間では片隅の
かますの上に
赤い鼻緒の
赤いかんこが
かぼちゃと並んで待っていた

   ◇    □    ○   ☆   ※

 16行の詩で、幼な子の自我の目覚め、独立の過程が表現されていますね。

  オリンピックが始まり、甲子園では夏の高校野球の熱戦が展開 ・・・ それはそれとして、私たち一人一人が、この夏を熱中症にならずに過ごすことも、金メダルと同じくらい価値ある偉業だと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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