2021年1月 2日 (土)

「いきなり名人」 !?

 もう、去年のことですが、暮れの食料品店で、こんな文字が目に飛び込んできました。

「いきなり名人」・・・いやー、なんの名人か分からないけれど、いきなり名人になろうとするのは、

それは虫が良すぎるだろうと、よく見ると・・・私の見間違えでした。

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 夏に何回も見間違えるのは、そうです!! 「ウナギのひまつぶし」 → 正しくは 「ウナギのひつまぶし」・・・年齢が加わると、ますますこうした見間違え、おおざっぱな我田引水が増えてきそうですから、気をつけますね。
 高村光太郎さんの詩を思い出しました。これを教訓といたします。 良い日となりますように。
「牛」(高村光太郎) 2006年12月31日をもって著作権切れだそうです。ありがとうございます。 
           記憶にあったよりも ずっと長いのですね。

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為(し)たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるおいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力じゃない
牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争わない
争はなければならない時しか争わない
ふだんはすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねじだ
坂に車を引き上げるねじの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力はかうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口で優しい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた鳴き声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

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2020年11月 1日 (日)

上田敏 『海潮音』から 秋の詩

0004_20201031093701  「山のあなたの空遠く」などが収められている上田敏さんの訳詩集『海潮音』から、秋の詩を・・・

秋が深まり、11月がスタートしましたね。 どうぞ、健康で、お歩みください。

 ウオーキング中に見かける南京ハゼが紅葉してきました。

 秋  ー 上田敏 『海潮音』からー

オイゲン・クロアサン

 




 
 けふつくづくと眺むれば、
 かなしみ いろくち
 悲 の色口にあり。
 
 たれもつらくはあたらぬを、
 
 なぜに心の悲しめる。
 

 あきかぜ       あをこだち
 秋風わたる青木立
 
 葉なみふるひて地にしきぬ。
 
 きみが心のわかき夢
 
 秋の葉となり落ちにけむ。

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2020年10月12日 (月)

詩 「初恋」  島崎藤村 

0006_20201011170801  秋 ・・・ 芸術の秋 ということで、島崎藤村の「初恋」の詩を。

文語体の詩 ・・・ 何か リズムもあって、この季節に いいですよね。

写真は、いただき物のりんごでのコンポートです。 詩と息が合っていないかな。

とても美味しくいただきました。ありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように

 

 

初恋 島崎藤村

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな


林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

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2020年9月22日 (火)

小学五年生の詩 「いっぱい」

Photo_20200919061201  2001年9月、勤めていた小学校の夏休み作品展で感銘を受けた作品がありました。小学五年生の女の子の数編の詩と挿絵で構成されている「私の詩集」です。その中から二つを紹介させていただきます。

自分のすがた ・・・ いかがでしょう。前向きの若さがまっすぐ表現されていますね。Photo_20200919061701

 もう一つは「いっぱい」という詩です。

 2001年の夏休み作品展が終わって、数日後、9月11日にアメリカでは複合テロ事件が起こりました。

 その後だったら、この「いっぱい」の詩の結び「こんな平和が続くといいな」は書かれなかったかもしれません。でも、この詩は、テロ事件の前に書かれました。ですから、さしもの大きなテロ事件も、この詩を消すことは出来ないのです。

 小学五年生というと11歳・・・ それから19年後 ・・・30歳になるこの詩の作者は今、どんな人生を歩んでいるのでしょうね。

 余談ですけれど、今、74歳の私は19年前は55歳 ・・・ その頃、4年生の子に「あなたの将来の夢は?」と尋ねたら「先生の将来の夢は?」と尋ね返されて、おおーっ 自分にも将来はあるのだ と自覚させてもらったことを思い出しました。

 こどもって、すてきです。そして大人も すてきです。

 すてきな今日となりますように。

 

 

 

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2020年5月 8日 (金)

かんごふさん   『日本児童詩歳時記』から

 今日の詩は、直接自分のお母さんを詩にした作品ではありませんが、コロナウイルスと最前線で戦ってくださっている方々をはじめ、全ての病気と向き合い、病気にかかっておられる方、けがで苦しんでおられる方に寄り添って歩んでくださっている方へのエールとして、紹介させていただきます。 

かんごふさん   長野県 小学3年生 戸谷 友香

わたしは、今年 二回も入院した

そのときから私は かんごふさんにあこがれた

かんごふさんは 歩けない人を はげましていた

私がお茶をこぼした時 かんごふさんが

「あら だいじょうぶ」と言って ふとんをかえてくれた

夜中に鼻血を出したら ボタンをおしてないのに来てくれて

氷で冷やしてくれた

私は すごくうれしかった

かんごふさんて すごいなーと思った

私も しょうらい そんなかんごふさんになりたい

  ◇     □      ○    ※      ☆

 あこがれを抱いて歩む子ども ・・・ 生き生きしていて、私たち大人に元気をフィードバックしてくれますね。

 今日も、良い日となりますように。   

 

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2020年5月 7日 (木)

お母さんは すてきなかんごふさん  『日本児童詩歳時記』から その3

お母さんは すてきなかんごふさん  熊本県 小学3年生  げじま ゆりこ

「お母さん、お父さんと どうゆうふうに出会ったの」

お姉ちゃんが聞いた

「まえ病いんにつとめていた時、お父さんが病人できたんだよ

 お母さんにひとめぼれして

『つきあってください』って 言いなったよ

あとから けっこんもうしこみにきなはったよ」

「ドラマににている」

お姉ちゃんが 目を大きくした

わたしのむねも あったかくなった

 

  ◇    □   ○    ※    ☆

 こういう出会い (なれそめ) も あるのですね。

 病の取り持つ縁 ・・・ 人生は たくさんの 不思議に 満ちています。

 それでは、また、明日、お目にかかりましょう。  良い日となりますように。

 

 

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2020年5月 6日 (水)

何のための憲法九条  『日本児童詩歳時記』より

今日は、母の日に向けての詩をおやすみにして、憲法九条についての詩を紹介させていただきます。

何のための憲法九条  鹿児島県 中学3年生 岡山 君子

「何のために憲法九条があるんや」

新聞に、関西弁で書かれた手紙の一部が載っていた

私も同じ考えだった

イラクに派遣された自衛隊の人たちは

家族の写真を胸に抱き

船上で生活をしている

何のために憲法九条はあるのだろう

   ◇      □      ○      ※      ☆

 海外への派兵 ・・・ 憲法の解釈をいろいろにこじつけて、イラクへの自衛隊派遣が国民の総意とは言えない形で行われてしまいました。

 かけがえのないたくさんの方の命が奪われた第二次世界大戦 ・・・亡くなられた方たちの魂の結実である世界の国々がこのように憲法を定めたら悲惨な戦争は起こらないし、起こせない憲法第九条です。

 無理が通れば道理引っ込む ・・・ この詩の作者の疑問を決して軽んじてはならないと思います。

 今日も良い日となり、さらにより良き未来への希望を抱いて歩めますように。

 

 

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2020年5月 5日 (火)

児童詩 おかあさん  『日本児童詩歳時記』より

 昨日に続いて、「母の日」週間ということで、おかあさんの詩を紹介させていただきます。

お母さん  広島県 小学3年生 橋本奈美

わたしが大きくなったら

かんごふになる

お母さんも、かんごふだから。

かぜをひいたとき、

お母さんの病院に行ったら

病院のにおいがした

はりや薬やいろんなのがあった。

ちゅうしゃをするとき

いたかったけど、がまんした。

わたしは、

かんごふの

お母さんがすきです。

    ◇      □       ○    ※     ☆

 現在では、ご存じのように看護婦さんは看護師さん、保母さんは保育士さん、スチュワーデスはフライイングアテンダントと、女性・男性どちらも含む表現になっていますが『日本児童詩歳時記』は2008年4月の発行ですので、看護婦さんとなっています。 温かみが感じられていい言葉ですよね、かんごふさん・・・。

 明日も、お楽しみに。

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2020年5月 4日 (月)

母の日 『日本児童詩歳時記』より

0004_20200503085401  今度の日曜日は、母の日です。今週は、子どもたちが書いたお母さんの詩

を2000篇余の児童詩が収められている『日本児童詩歳時記』江口季好(えぐち すえよし)編 (駒草出版2008年4月25日初版発行)から、引用・紹介させていただきます。

ははの日 東京都 小学2年生 西村けんじ

ぼくは、ずっとまえ、

ママに

「ぼくができることを なんでもいっていいよ」

といいました。

ママが、

「そうね、べんきょうしてくれる。」

といいました。

ぼくは、びっくりして

大きな口で

大きな声で

いいました。

「いやだよ。」

そして、ぼくは、にげました。

   ◇     □     ○     ※      ☆

 うーむ、なかなか 世の中のことは ママならないものですね (^J^)

 では、明日も お楽しみに。  良い日となりますように。

 

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2019年11月24日 (日)

この詩の題名は ・・・まど・みちおさんの詩   ー 教え子に ささげます ー

 「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」 の作者 まど・みちおさん ・・・ こういう詩も書いておられます。

 神さま

 私という耳かきに

 海を

 一どだけ掬(すく)わせてくださいまして

 ありがとうございました。

 海

 きれいでした

 この一滴(いってき)の

 夕焼を

 だいじにだいじに

 お届けにまいります

   ◇    □     ○    ※    ☆

 この詩を読むと、「人生は、神さまからの この世への ただ一度限りの ご招待」 という ことばを 思い浮かべます。

 すてきな詩だな と思います。

  ただ、この詩の題名をこのブログで書く勇気が、今までの私にはありませんでした。 どういう題だとお思いになりますか。

「臨終」という題名です。 ・・・104歳という長寿に達していたまど・みちおさんだからこそ、こういう題を付けることができたのかもしれません。

 

 まど・みちおさんは「れんしゅう」という題の詩を、

「今日も死を見送っている 生まれては立ち去っていく今日の死を/ 自転公転を続ける この地球上の/ すべての生き物が 生まれたばかりの/

今日の死を毎日見送りつづけている」 と書き始めています。 そして「ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に/

あわてふためかないようにとあの/  やさしい天がそのれんしゅうをつづけてくださっているのだと気づかぬバカは /

まあこのよにはいないだろうということか /

と結んでいます。

 ◇    □    ○    ※    ☆

 この11月の初め、私が教師になって初めて出逢った教え子の一人が、「臨終」を迎えました。 難病ににかかり、厳しい状況で治療を続けながら、自転車でのヒルクライムを力を振り絞って続けました。行き先や、庭などの身近な自然に見出した美しい写真を交えて、 同じ病気と闘っている人への励ましと参考となればと、病状と治療方法、薬の名前なども克明にブログにアップしながら歩んだ彼でした。

 痛み、難病に進行によって体力・気力は大きな攻撃を受け続けていたに違いありません。奥さんの心づくしのお料理も、あまり食べることが出来ない状態が続いたようです。 けれど、彼は前向きに奥さん・ご家族と歩み続けました。

 上高地に行ったことを彼がブログにアップしたのは、10月20日。そして10月21日の記事「治療方針の変更」が結びとなりました。

よろしければ、彼のブログを訪れていただければと思います。 決して 暗くはありません。 力に満ちています。 頭がさがります。

https://ameblo.jp/litespeedbera/entry-12537652038.html

 

 11月上旬に 私が上高地に行けたのは、彼が眺め、身をおいた景観の中に出来るだけ早く ・・・ と高山の妹が心を込めて動いてくれたからでした。

  厳しい闘病生活を続けながら はかりしれない大きなことを雄々しく生き、身をもって教えてくれた教え子に、そしてそのご家族のことを思いつつ、心からの感謝と祈りを 捧げます。

  今日は日曜日。 キリスト教会の礼拝にお出かけください。 

 

 

 

 

 

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