2019年8月30日 (金)

詩 もし この世の中に  ー中原淳一さんー

 詩 ・・・凝縮された表現がバネとなって、読む人の心に力を与えてくれますね。 中原淳一さんは多才なかたでした。 今日の詩もすてきだと思います。

 今日も良い日となりますように。  ※ 画像の上でクリックしていただくと 読みやすい大きさになる予定です。

0005_20190827093901

| | コメント (0)

2019年8月26日 (月)

ヤマボウシの赤い実

0034関市の百年記念公園で、赤い実を見つけました。 葉っぱから判断するとヤマボウシの実です。

勇気を出して、食べてみました。 甘い実でした。・・・もし有害な実であれば「食べてはいけません」と立て札があるだろうという判断 (甘え)がありました。 これは、甘い判断かも知れません。  幸い、身体に異変は一昼夜経っても起きていませんので、大丈夫だと思います。

 それにしても、ヤマボウシには白い花が咲いていたのに、どうして赤い実がなるのでしょう。 

 金子みすゞさんの「不思議」という詩を思い出しました。

不思議

わたしは不思議でたまらない、

黒い雲からふる雨が、

銀にひかっていることが。


わたしは不思議でたまらない、

青いくわの葉たべている、

かいこが白くなることが。


わたしは不思議でたまらない、

たれもいじらぬ夕顔が、

ひとりでぱらりと開くのが。


わたしは不思議でたまらない、

たれにきいてもわらってて、

あたりまえだ、ということが。

  ◇   □   ○  ※  ☆

 世の中は、不思議に満ちていますね。

 今日も、良い日となりますように。

 

| | コメント (0)

2019年8月22日 (木)

青春

 甲子園で繰り広げられている高校野球の試合を見ていると、ひたむきなプレイ、最後までベストを尽くす選手たち、応援団の表情に「これぞ青春」と若々しさが伝わってまいります。 高校野球のファンがたくさんおられる気持ち、分かりますね。

 

 この新聞記事は8月10日の岐阜新聞朝刊に掲載されたものですが、若々しいというより苦々しさ、いえ苦しさも青春だと書かれています。それでいて、ユーモアが底流にあるように思いますので、一読くだされば幸いです。 そのつもりでブログを訪れてくださっている方、いつも、ありがとうございます。

0007_20190819183501  楽しいことだけがある日々もすてきですけれど、それではせっかくの人生の深みが薄れてしまうかもしれません。

 そうかといって、人生の深みの底を総ざらいするような日々が続くことも、辛すぎます。

 何だか、そんなことを考えさせてもらえる記事のように思いました。

 サミュエル・ウルマンというかたの「青春」という詩を掲載させていただきます。ダークダックスが この詩に基づく歌を歌っています。

青春の詩      サミュエル・ウルマン

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦却ける勇猛心、

安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年

月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる

事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く

求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。

  人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。

  希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして

偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、

皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ

人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 

(脚注) 逞しき(タクマしき)がっしりしてつよい

     怯懦(キヨウダ)おくびょうで気の弱いこと

     却ける(シリゾける)後退させる

     孤疑(コギ)疑ってためらうこと

     恰も(アタカも)まるで ちょうど

     芥に(カイに)ごみ

     曰く(イワく)言うのには

     星辰(セイシン)星のこと、辰は天体のこと

     欽仰(キンギョウ)つつしみあおぐ

     剛毅(ゴウキ)意志が強固で不屈なこと

     悲歎(ヒタン)悲しみ嘆くこと 歎は嘆と同じ

     蔽い(オオい)遮蔽する

 今日もよい日となりますように

 

 

| | コメント (0)

2019年5月30日 (木)

雨 八木重吉

0008_3八木重吉さんには 雨の詩がたくさんあります。

 今日は、この詩を掲載させていただきます。

「雨」

雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ

あのおとのように
そっと
世のためにはたらいていよう

雨があがるように
しずかに死んでゆこう

 

 

 

 英語の教師であった八木重吉さんは、結核に冒され、29歳で天に召されました。

 30度を越える日が続いていたあとに、穏やかに降り注ぐ雨・・・恵みの雨ということばがぴったりしますね。

 今日も、良い日となりますように。

 

| | コメント (1)

2019年5月29日 (水)

八木重吉の詩が世に出たいきさつ

0010_1    5月28日、30度以上の暑さが一休みし、雨が降っていましたので、庭の夏椿のつぼみの写真を撮りました。花開くまで、もう少しですね。

 八木重吉さんの「雨」の詩をブログで、と思い、ネット検索していて出会ったブログから引用させていただきます。 八木重吉さんの詩のことをこのように表現されていることに心が惹かれたからです。

 そのブログのURLは、ここです。 ありがとうございます。

https://kazahanamirai.com/yuuyake-yagijukichi.html

 今日も、良い日となりますように。

 

 ◇   □   ○   ※   ☆

夕焼

ゆう焼けをあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ

純粋なだけでなく、ここには八木重吉にしか出せない味があります。「重吉節」と呼びたくなる独自の言い回しが、ほのぼのとした気持ちにしてくれるのですね。

この詩をご紹介したのには、理由があります。

「夕焼」という詩には、興味深いエピソードがあることをご存知でしょうか。

昭和22年のことです。小林秀雄吉野秀雄の自宅を訪れた時、山雅房版の「八木重吉詩集」を開いたところ、「夕焼」が目にとまり、小林秀雄は心を動かされたそうです。

小林秀雄は創元社に強くはたらきかけ、創元選書「八木重吉詩集」の出版を後押ししたと伝えられています。

吉野秀雄と小林秀雄がいなかったら、これほどまでに八木重吉の詩が知られるようにならなかったかもしれません。

言うまでもありませんが、小林秀雄は日本が生んだ最高の批評家。詩人・中原中也と親交があったことは有名です。また、吉野秀雄は、八木重吉の妻であった登美子と結婚した歌人であります。

吉野秀雄が小林秀雄に八木重吉の詩を紹介し、感銘を受けた小林秀雄が「八木重吉詩集」の出版をお通ししたとは、良い話ですね。

小林秀雄は八木重吉については、文章を遺してはいないと思います。

おそらくは、小林秀雄は八木重吉については「書けなかった」のではないでしょうか。

批評するには、あまりにも、単純で、純粋すぎた。

八木重吉という詩人について、八木重吉の詩の世界について書かれた、最も優れた文章を書いたのは高村光太郎です。

「定本 八木重吉詩集」の「序」が、それだと思われますので、一部を引用いたします。

詩人八木重吉の詩は不朽である。このきよい、心のしたたりのような詩はいかなる時代にあっても死なない。(中略)結局八木重吉といふ詩人の天から授かった詩的稟性が、人生の哀しみに洗われ、人生の愛にはぐくまれ、激しい内的葛藤の果てにやつと到ることの出来た彼独特の至妙な徹底境に、一切の中間的念慮を払いのけることが出来たからであろう。

「一切の中間的な念慮」を払いのけていることこそが、八木重吉の詩の最大の魅力だと言えます。

八木重吉の詩は単純ですが、浅くはありません。透明で純粋ですが、軽くはありません。

深いけれども、重苦しくない、明るく、澄明な八木重吉の詩は、概念を捨てているという点においても、モーツァルトの音楽と共通する点があると思います。

もう一つ、八木重吉の詩に欠かせない魅力は、意外性です。

「夕焼」でも、まさかふつうは「手をにぎりあわせてふりながら」という動作はしないけrども、そういう感じはすごくわかる、という表現は、八木重吉の詩にはしばしば出てきます。

意外性な表現がいきなり飛び出すのが、八木重吉の詩の特徴です。

「母をおもう」という詩の「母をつれて てくてくあるきたくなった」も、意外性充分ですよね。そのことについては、以下の記事で書いてみました。

⇒八木重吉の「母をおもう」は、親友が教えてくれた想い出の詩

独自のハッとする言い回しは、八木重吉がいかに余計なものを捨てて生きたか、捨てたからこそ大事なものだけが見えた、その証明にほかなりません。

| | コメント (0)

2019年5月 8日 (水)

平成万葉集 ーNHKテレビからー

0005_1

 今年も庭にマーガレットがたくさん咲いてくれました。(何十年か前の)結婚式の時のブーケがマーガレット仕立てだったということもあってたくさん元気に咲いています。 花言葉は、調べるたびに忘れてしまいます。「七転び八起き」に倣って、「七調べ八覚え」を心がければいいのかもしれません。

 5月1日のNHKテレビで「平成万葉集3 この国に生きる」が放送されました。元号は令和へとバトンタッチしましたので、平成万葉集は最終回となりますね。

 永田和宏さん・村上和子さん・大森静佳さんが短歌を監修されたとのことです。

メモした短歌を紹介させていただきます。

 東日本大震災から8年・・・福島第1原子力発電所の事故で現在も避難指示区域に指定されている家に帰らない方は2万3千人を越えるそうです。原子力発電所から1.5キロのところに家のあった吉田信雄さんの短歌三首。

・一時帰宅に帰れば我が家の軒下に愛犬は死せり繋がれしまま

  2,3日で帰れると思って避難した家に一時帰宅できたのは半年後だったのだそうです。

・二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく

・平成の終わりに思ふ新しき世にはゆめゆめ災あらすな

    ◇    □   ○   ※   ☆

 岩手県陸前高田市の清水恭子さんが震災の2年前の生活と、津波で亡くなったご主人を歌った歌です。

17メートルを越える津波で1758人のいのちが失われたところです。

・夫誘いコーヒーを持参でいく散歩七時のチャイムを砂浜で聞く

・あとがきのないまま終わる自分史のような夫の五十八年

・職場から届いた遺品はバッグのみ何度も何度も川で洗った

・我もまた一本松のように立ち廃墟と化した街跡にいる

  日常が非日常へとかわった3月11日・・・8年後に大野海岸へ行き、潮の香と波の音の届くところまで行ったけれど、高い堤防と海にはさまれた自分の心にストップがかかり、砂浜までは行けませんでした。そうか、私はまだ復興途上に居たのか・・・もう少しもう少しとつぶやきながら、また短歌の力を借りながら綴っていくのかもしれません。

・前兆(まえぶれ)もなく訪れる寂しさを風に包んでふわぁーっと飛ばす

   ◇   ○   ※   ☆

 平成 ⇒ 令和へ

・あの時に止められなかった大人たちと未来の人から言われたくない  三重県 こやまはつみ さん

・今日もまた変はらぬ冴えない自分でも生きるとは日々新しきこと   東京都 高山邦男さん

・いのちとは激動するもの吠えるもの喜ぶために生まれてきたの    茨城県 篠原まどか さん

・身の内にいっぽんの樹を育てつつ新しき時代も生きてゆくべし    北海道 時田則雄 さん

 短歌という定型詩で表現できること、表現することが決して小さなことではないことを改めて感じさせてくれた番組でした。

 今日も、良い日となりますように。

| | コメント (1)

2019年5月 1日 (水)

星野富弘さんの詩画集から  ー 悲しみの意味 ー

 平成 ⇒ 令和 ・・・新しい時代の器が提示されました。 その器に たくわえられていく新しい一日一日は私たちひとりひとりのものです。

どうか、佳き日々の連なる歴史を築くことが出来ますように。

 さて、星野富弘さんの『詩画集 花よりも小さく』から、音楽訪問の時もよく紹介させていただいた一枚を掲載させていただきます。星野さん、ありがとうございます。  よろしければ、声に出して お読みください。 今日も、良い日となりますように。        

0020

| | コメント (0)

2019年4月26日 (金)

思ふ存分叱りつくる人あれ ー 啄木の短歌より ー

 石川啄木の歌集 『悲しき玩具』の短歌の一つに目がとまりました。

 誰か我を

 思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ

 何の心ぞ

 啄木自身も「何の心ぞ」と言って,それ以上詳しくは書いていません。

けれど、伝わってくるものがありますね。

 顧みますと、私を叱ってくれた人は、まず両親、兄などです。

 そして、少年時代、山でチャンバラをするために手頃な木を見つけてその枝を折ろうとしていたとき、ちょうど通りがかった方がそうでした。ただ、物静かな方で、「坊主どもは 悪さをするとも。 うん、するとも」と独り言を言って足も止めずにそのまま行かれました。でも、木の枝を折るのをやめさせるには充分でした。

 先生方の中にも、叱ってくださった方がおられました。

 私を特に叱っていただけたのは、教育実習のときお世話になった学級の担任の先生です。教師になってから一緒の学校に勤務する機会がありましたが、いろいろな場面で、しっかりと叱ってくださいました。叱るだけでなく、ほめるときも私のしていることを見届けてくださっていて、しっかりとほめてくださいました。 私が転勤したとき、、私の知らないところで、その学校の校長先生に「叱ってやってください」と頼んでくださっていたことをずっと後になって知りました。 叱るに足る者として私を見て、育て続けてくださったということ、本当に感謝しています。

 とても自信家に思える石川啄木に、こういう歌があることを知って、少し啄木を身近に思えるようになった気がいたします。

 余談ですが、最近驚いたことがあります。 アマゾンで、石川啄木全作品+アルファ がKindleでダウンロードすると格安で読むことが出来ることを知ったのです。 著作権が切れたのでしょうか。ボランティアで打ち込んでくださった方のおかげもあると思います。キャンペーン期間だけかも知れませんが、なんと「99円」・・・喜びながら、本当にいいのですか、と考え込んでしまいました。

 今日も、良い日となりますように。

 

 

| | コメント (0)

2019年4月22日 (月)

星野富弘さんの詩

 昨日の、特別養護老人ホームのナースさんのお話を読んでいて、星野富弘さんのこの詩を思い浮かべました。

 発表された詩画集では 菊の絵が描かれていると思います。

「きく」

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
― 星野富弘著 『四季抄 風の旅』立風書房 ―
 教も、良い日となりますように。

| | コメント (0)

2018年4月21日 (土)

詩 「おかあさんの膝」 新川和江さん

 同郷の先輩クリスチャンが、新川和江さんの詩を送ってくださいました。

   ◇      □      ○    ※     ☆

おかあさんの膝

           新川和江

おかあさんの膝には

やさしい陽だまりがある

縁側でひるねをする猫のように

わたしも時折

その陽だまりの中でまぁるくなって

うとうと眠りたい

おかあさんの膝には

たんぽぽの咲く土手と

つくしののびる広い野原がある

いまでもひとりの女の子が

わらべうたを歌いながら

かがんで花を摘んでいる

おかあさんの膝には

老いてうすくなっても

庇護と許容の大きな屋根が用意されている

世界中から爪はじきにされた罪びとでも

そこでは迎えいれられて

あたたかい涙で洗われる

いつでも帰ってゆけるふるさと

誰もが帰ってゆくふるさと

おかあさんの膝

◇      □      ○    ※     ☆

 すてきな詩 優しいお心、慰めをありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください.

  ウオーキングしていて、山の緑の色合いの豊富さに見とれました。

0004

| | コメント (0) | トラックバック (0)