2018年4月21日 (土)

詩 「おかあさんの膝」 新川和江さん

 同郷の先輩クリスチャンが、新川和江さんの詩を送ってくださいました。

   ◇      □      ○    ※     ☆

おかあさんの膝

           新川和江

おかあさんの膝には

やさしい陽だまりがある

縁側でひるねをする猫のように

わたしも時折

その陽だまりの中でまぁるくなって

うとうと眠りたい

おかあさんの膝には

たんぽぽの咲く土手と

つくしののびる広い野原がある

いまでもひとりの女の子が

わらべうたを歌いながら

かがんで花を摘んでいる

おかあさんの膝には

老いてうすくなっても

庇護と許容の大きな屋根が用意されている

世界中から爪はじきにされた罪びとでも

そこでは迎えいれられて

あたたかい涙で洗われる

いつでも帰ってゆけるふるさと

誰もが帰ってゆくふるさと

おかあさんの膝

◇      □      ○    ※     ☆

 すてきな詩 優しいお心、慰めをありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください.

  ウオーキングしていて、山の緑の色合いの豊富さに見とれました。

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2017年6月26日 (月)

詩 「しずかな夫婦」 天野 忠さん

 『この命、何を あくせく』 城山三郎著 講談社2002年9月13日 第1刷発行のしずかな夫婦に という章にこの詩が紹介されていました。『夫婦の肖像』(編集工房ノア刊)

しずかな夫婦

結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合だお見合だとはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私はふわふわと歩いた。
ニシンそばでもたべませんかと私は云った。
ニシンはきらいですと娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おおそしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった
戦争がはじまっていた。
祇園まつりの難子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果した。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が伸良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いにデモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
久しぶりに街へ出てと私は云った。
ニシンソバでも喰ってこようか。
ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

  ◇   □    ○   ☆    ※

 天野 忠さんは、1909年生まれ。城山三郎さんは上記の詩を紹介しつつ、このように書いておられます。

 天野さん夫婦は、いっしょに三本立ての映画を見たり、彼岸の墓参のあと、近くの動物園へ寄ったり・・・ある夜、息子が様子を見にやってきた。天野が寝たあと、隣室から妻に問う息子の声が聞こえた。「ここの夫婦は、どっちが先に死ぬつもり」

 それに対して老妻は、「おじいちゃんが先き ちょっとあとから私のつもり」

 翌朝、息子が出たあと、詩は記す。

「じいさんは遅い朝めしを食べた  おいしそうにお茶漬を二杯たべた」

  引用が長くなりました。 天野さんご夫婦も、それをこのように紹介くださった城山三郎さんも、なんだかすてきですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2017年6月 6日 (火)

ゲーテさん

 先日掲載した『医療の心』(工藤信夫著・聖文舎)に、ゲーテさんの詩が掲載されていて心を惹かれましたので、引用させていただきます。

 なお、5月30日の岐阜新聞朝刊から、ゲーテさんが好んだワイマールのお料理の写真と、小説を執筆するときに用いた立ち机の写真も紹介させていただきます。 聖文舎さま・岐阜新聞さま、ありがとうございます。

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 ゲーテの詩

 地球にある山や川や町だけを考えるなら

 この世界は空虚である

 だが ここかしこに

 わたしたちとともに考え

 ともに感じる人がいて

 離れていても

 心では近くにいる人があるのを知るとき

 地球は人の住む園となる

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  ファーブルさんが『昆虫記』を執筆した小さなクルミの木の机を岐阜市のデパートのファーブル展で目の当たりにしたときも感動しましたが、ゲーテさんは、この立ち机で小説を書かれたとのこと・・・ このことにも驚き、感動いたしました。

 ゲーテさんは、事務仕事は座って進め、小説はこの机に向かって立ったまま書いたのだそうです。 そのほうが筆が進んだということのようです。

 写真のチューリンゲンのソーセージは炭火焼きで、ニンニクとハーブの香りがいっぱいに広がり、肉汁豊かだそうです。

 植物の研究家でもあったゲーテさんはワイマールの美しい自然環境がとても気に入って、後半生を移住したこのワイマールで過ごしたとのこと。 

  今日も、よい日となりますように。

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2016年8月17日 (水)

詩 「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 石垣りん

  この詩は、中学校の国語の教科書に掲載されていたことがあります。その関係で、作者の石垣りんさんが岐阜市に来てくださって、自作の詩を朗読していただいたことを懐かしく思い出します。心地よい、澄んだお声でした。

  現在は、調理器具や設備も進歩し、炊事・クッキングに携わるのは、必ずしも女性だけではなくなりましたが、この詩の心は引き継がれていることと思います。

石垣りん

「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」


それは長い間 私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
却初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり たたきつぶされた魚だったり
台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など 繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく、 全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。

  ◇     □     ○   ※   ☆

 NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」のテーマにもつながるような、いろいろなことへの広がりが感じられますね。

 今日も、よい日となりますように。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年8月10日 (水)

詩集 『若葉のうた』 金子光晴

 今日は、孫娘のことを書いた詩をご紹介します。

「ムッシュKの日々の便り」というブログから引用させていただきました。ありがとうございます。

http://monsieurk.exblog.jp/22498139/

 金子光晴の孫娘、すなわち森乾の長女若葉は、1964年(昭和39)6月に生まれた。このとき金子は70歳だった。

 森の若葉d0238372_7163940.jpg

なつめにしまっておきたいほど
いたいけな孫むすめがうまれた

新緑のころにうまれてきたので
「わかば」という 名をつけた

へたにさわったらこわれそうだ
神も 悪魔も手がつけようない

小さなあくびと 小さなくさめ
それに小さなしゃっくりもする

君が 年ごろといわれる頃には
も少しいい日本だったらいいが

なにしろいまの日本といったら
あんぽんたんとくるまばかりだ

しょうしちりきで泣きわめいて
それから 小さなおならもする

森の若葉よ 小さなまごむすめ
生れたからはのびずばなるまい

  ◇   □   ○   ☆   ※

 若葉さんの妹さん、夏芽さんが生まれ、詩人 金子光晴さんは  孫娘への愛を、若い人には無縁のもの とことわりながら 遠慮なく詩に書き綴っておられます。 うーん、いいいものですね。

  今日も、よい日となりますように。

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2016年8月 9日 (火)

詩 ミミコの独立   山之口貘

 昨日に続いて、詩人と幼い娘さんの詩を紹介させていただきます。

ミミコの独立   山之口貘

とうちゃんの下駄なんか
はくんじゃないぞ
ぼくはその場を見て言ったが
とうちゃんのなんか
はかないよ
とうちゃんのかんこをかりてって
ミミコのかんこ
はくんだ と言うのだ
こんな理屈をこねてみせながら
ミミコは小さなそのあんよで
まな板みたいな下駄をひきずって行った
土間では片隅の
かますの上に
赤い鼻緒の
赤いかんこが
かぼちゃと並んで待っていた

   ◇    □    ○   ☆   ※

 16行の詩で、幼な子の自我の目覚め、独立の過程が表現されていますね。

  オリンピックが始まり、甲子園では夏の高校野球の熱戦が展開 ・・・ それはそれとして、私たち一人一人が、この夏を熱中症にならずに過ごすことも、金メダルと同じくらい価値ある偉業だと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年8月 8日 (月)

詩 「夕方の三十分」 黒田三郎

 昨日、卵の話を書きました。内容につながりはありませんけれど、今日は、卵の登場する詩を・・・。

※ この記事が未完のまま、5日11時ころから6日に気付くまでブログに顔を出してしまっていました。すみませんでした。完成して改めての登場です。

 夕方の三十分 <黒田三郎>               

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウィスキーをひと口飲む
折り紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分

僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮らしたので
小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

「ホンヨンデェ オトーチャマ」
「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼きをかえそうと
一心不乱のところへ
あわててユリが駆けこんでくる
「オシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる

化学調味料をひとさじ
フライパンをひとゆすり
ウィスキーをがぶりとひと口
だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨー オトー」
「ハヤクー」

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る
「自分でしなさい 自分でェ」
かんしゃくもちの娘がやりかえす
「ヨッパライ グズ ジジイ」
おやじが怒って娘のお尻をたたく
小さなユリが泣く
大きな大きな声で泣く

それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
おやじは素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたりすわる
  ◇   □    ○   ※   ☆
 ダスティン・ホフマン 主演の映画 「クレイマー クレイマー」を思い出されたかたもおありかもしれませんね。映画では、フレンチトーストを作っていたような・・・。
 詩人って偉大だなぁと改めて思います。 これだけの文字数で、夕方の三十分間が活写されているのですから。
 今日も、心に残る時間の生まれる よい日となりますように。
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  8月7日の朝、キリスト教会の礼拝堂を彩ってくれていた花たちです。ありがとうございます。
 

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